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戦いではなく、ただの蹂躙

 黒い日傘をさした夜来初三は、雪白千蘭を片手で軽々と抱きかかえたまま、真っ白な雪原を歩いていた。だが、足音はない。通常、雪が降り積もった真っ平らな大地を踏み歩くならば、ザクザクと固まりかけている雪を砕く音が発生するはずだった。

 しかし。 

 彼は『そんなこと』すらも、少女のために打ち砕く。

 抱きかかえている雪白千蘭と己の身体に『絶対破壊』を展開しているのだ。肌を麻痺させる冷気は完全にシャットアウトし、息を荒げてうなされている雪白のために足音すらも壊していた。

 完全完璧な城壁。

 些細な敵さえも破壊する。

 雪白を抱えている存在は、まさしく鉄壁そのものだ。

「……ここか」

 一面を雪と大自然に覆われた銀世界を歩き、たどり着いたのは人里離れた工業施設のような場所。コンクリートの外壁で囲まれた、城砦のような巨大建築物だった。ここはノルウェーの北部、北極海の範囲になってしまうほど北にある大自然の中だった。

 あるのは白い雪と周りを走る白い山脈。

 そして、夜来初三が見上げている巨大施設のすぐ真横に広がる神秘的な北極海。ここら一帯は白夜にもなる冷気の世界だ。並大抵の者では鼻水も凍って歩行だって難しくなるだろう。だが、夜来初三は例外だ。どれだけ寒かろうと、どれだけ冷たかろうと、視覚情報では確認できない程度の薄い魔力で体を覆えば無問題。

 故に。

 彼は平然と雪白を抱え直して、巨大施設へ向けて足を動かす。目的地の施設とは、夜来だからこそ知っている存在だった。

『デーモン』に所属していたからこそ、熟知している。

 奴らと戦ってきたからこそ、分かっている。

(ここは『エンジェル』の散らばったアジトの一つ)

 立ち止まり、改めて巨大施設を見上げる。連中の拠点の一つが、ノルウェーにあることは知っていたのだ。しかし襲撃する重要性は少ないと予想し、上岡達も手を出さなかった小物臭漂う敵の根城。

 だが。

 北極に行け、というあのクソ野郎の言葉も含めて考慮した結果、やはり一番怪しくなってくるのは北極に一番近い目の前のアジト。

 ここに。

 北の氷に関わる、何かがあるのかもしれない。

 雪白千蘭を救う、『鍵』とやらのヒントがあるのかもしれない。

 だからこそ、こうして足を運んだ夜来初三だったのだが、

 


「チッ。もぬけの殻じゃねぇか」


 

 敵の姿はどこにもない。『エンジェル』のアジトなのだから、普通、管理している組織の者がいるはずだ。しかし誰もいない。夜来初三が真っ先にここを訪れることを予想していたのか、はたまた純粋にアジトを放棄して別に移住したのか……。

(なんにせよ、ここまでマラソンしてきた意味はねぇわけだ。このまま北極とやらを渡るのは簡単なことだが、あのクソ野郎の言いようじゃ、こりゃ一種のゲームってわけだろう)

 日傘を握る片手に、思わず力が入ってしまう。

 手のひらで踊らされている感覚に、純粋な怒りが爆発しそうだった。

(俺を鍛え上げる。道具を完全なモンに進化させるのが目的ってことは、いろいろな場面で『壁』を用意しているはずだ。それこそ、王道RPGみてぇに敵を倒して壁を突破してレベルを上げるああいうクソ方法だ)

 ならば単純に考えて、このまま北極へ移動しても果たして『鍵』は見つかるのか? いきなりラスボスが待つステージへ飛んでも、その間に挟んである『ストーリー』をぶっ飛ばしてはゲームとして成り立たない。魔王が待つ魔王城へいきなり勇者がたどり着けないのと同じで、魔王が待つ戦いの場へ着くまでには何かしらのイベントがある。

 それと同じだ。

(……ってことは、だ)

 思わず、笑顔が凶悪の色に染め上がる。

 ブチリと口の両端が裂けて、人間とは認識できない『エガオ』になる。

(ぎゃは……ぎゃははははッッ!! そうかそうかぁ。ここで俺がこうして右往左往してるのも連中の計算通りのはずだ。なら、向こうからアクションを起こすしか俺との間でイベントは発生させられねぇ……つまり俺は何もしなくていい。なぜならそりゃ―――)

 夜来初三は辺り一帯を視線だけで見渡して、



「―――テメェから噛み付いてくるんだもんなァ。ドクソ共が」



 人気のなかった巨大施設から、ぞろぞろと人影が現れる。この肌を突き刺す冷たい世界で活動を可能にするためのものなのか、全員が白を基調としたSF映画に出てきそうな特殊防具を着用している。奇妙な光景だ。二十人ほどの男女が、統一して同じ特殊服に身を包んで銃火器を夜来に向けている。

 彼らはあっという間に夜来を取り囲んでしまい、逃げ道なんて隙間さえない包囲を完成させてしまう。

(……まずいな)

 ポツリと、夜来は胸の内でぼやく。

 ただし、この場合の『まずい』とは銃火器に取り囲まれた危機的状況に陥った自分にではなく、

(こいつが居るってのに、ぶっ殺しちまいそうだ)

 腕には雪白千蘭がいるのだ。

 ここでいつものように馬鹿なクソ野郎共を皆殺しにするのは一向に構わない夜来だったが、今、自分の腕の中には大切な白い少女がいる。 

 ダメだ。

 ダメなはずだった。

 自分を悪と肯定する夜来初三の姿に傷つく彼女を守るために、少なくとも、雪白の前では容赦ない殺戮や蹂躙を見せてはいけないはずだった。

 悪としての自分を、彼女の赤い瞳に映してはならないはずだった。

 だが、

「……だ」

 もう一度、復唱するように呟く。

「『全部全部殺すことでしか、俺はお前を守る方法を知らない』から……もう、無理だ」

 全てを殺す、という守り方しか今の夜来初三は分からない。

 その答えしか、もう、彼は理解できない。

 自分が思う悪としての守り方が通用しない現実に打ちのめされて、もう、彼はそういう解を求めてしまったから。

「ぎゃは」

 嫌な音が咲いた。

 邪悪で狂った押し殺すような笑い声が、産まれてしまった。

「ギはッ!! ぎゃっはははははははははははははははははッッ!!  これを殺せばいいんだよなぁ!! こいつらぶっ殺せば俺とお前だけになれる!! だから殺せばいい!! そうすりゃお前は傷つかねぇ!! 守れる!! 殺せばお前を守れるんだから、やることなんざ単純じゃねぇかよ!! ぎゃははははははははははははっっ!! 安心しろ、すぐに二人っきりだ!! すぐに二人っきりになれるぞ、ぎゃっはははははははははははははははッッ!」

 思わず、彼を取り囲んでいた『エンジェル』達が怯えて一歩後退する。全員が全員、その黒い狂気の塊に恐怖し、無意識に後ろへ下がってしまう。小刻みに膝を震わせて、息遣いを荒くしながら下がり、しかしそれでも銃器だけは震えながら握り締める。

 そんな彼らに。

 笑い終えた悪魔は、告げる。

「……これは戦いじゃねぇ」

 夜来初三は墨で塗りたくったようなドス黒い両眼を向けて、ワンタッチの日傘を縮めると、

「―――ただの蹂躙だ」

 


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