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善人と悪人

 遠い遠い夢を見ていた。

 懐かしくもあり、忌まわしくもあり、どこか楽しかったあの日々の一部。

『ねぇ。この子やっぱり拾っていこうよー。僕達と同じ境遇だよ? 夕那さんだって、きちんと話せば分かってくれるって』

『いい加減にしろ。子猫一匹なんぞ放っておけ。さっさと帰って飯作らなきゃあのガキが騒ぐだろうがよ。つーか日差しがきつい。さっさと帰んぞ』

 善人の提案を悪人は容赦なく切り落とした。彼ら二人は自分たちの母親に、晩ご飯の食料調達を頼まれていたのだ。時刻は夕暮れ時。オレンジ色の光が世界を包み込むように輝く中で、悪人と善人はいたって普通の住宅地の中で何やらもめ合っていた。

 彼らの真横には、一本の電柱がある。

 その下には、ダンボール箱にちょこんと座った小さな白猫が一匹いた。

『ぼーっとすんなボケ。ボテクリ回すぞこの野郎』

『だからこの猫拾っていこうよって言ってるじゃん!! 見捨てるわけ? 僕らと同じように実の親っつーか飼い主から残酷な扱い受けてるこの子、見捨てるわけ? さすがにそれは非情すぎるんじゃないの?』

『あのガキが言ってただろ。ウチの寺は動物は飼えねぇ事情があるって』

『でも、きっと夕那さんなら納得してくれるはずだって!』

『……』

 日傘をさした悪人は、面倒くさそうに黙り込む。

 そして侮蔑するように善人を睨んで、

『じゃあ何か? テメェはそのクソ猫を拾うことが正しいことだとでも言い張るつもりか?』

『? 当たり前じゃん。むしろ見殺しにする君の神経が理解できない』

『アホだな』

『はぁ!? いきなりなにさ!?』

 突然の罵倒に激昂する善人。

 そんな彼を突き飛ばすように押しのけて、悪人はダンボール箱に収まった子猫の前に立つ。ジロリと小さな命を見下ろし、チッと忌々しそうに舌打ちを吐き捨てた。

『じゃあ聞くけどよ、テメェはこの猫を拾ってどうすんだ』

『え、そりゃ夕那さんとこに連れてって、飼えるならきちんと僕が世話をするけど……』

『じゃあ「飼えない」場合は? 猫なんざ飼えないってあのガキに言われたら、テメェ、この猫どうする気だよ?』

『それは……』

 黙り込んだ善人を失笑し、悪人は言った。



『―――またここに「捨てる」んだろ?』



 チョンチョンと、日傘を持っていない方の手でダンボール箱に収まった猫を示す悪人。彼が言いたいことは単純で、『飼えない場合』はまた子猫をこの電柱の下に置く気なのかということ。

『そりゃ、飼えない場合は……救えない場合は……仕方ないよ。でもさ、最初から助けないのはおかしくない? 一回でもいいから、ちゃんと拾って―――』

『そうして、救えない場合はテメェもこの猫を捨てるんだろ? この猫をこんな風に絶望させた飼い主と同じように、「もう一度子猫を絶望させる」んだろ?』

『っ!』

 その言葉には反論できなかった。助けようとして、結果的に助けられなかった場合は、子猫を捨てた飼い主と同じように子猫をダンボール箱に包まなくてはならない。今ここで子猫を持ち上げても、救えない場合は再びダンボール箱に捨てなくてはならない。

 故に悪人は告げる。

『中途半端な優しさほど残酷なものはねぇ。この猫、テメェに抱き上げられてウチの寺まで運ばれてみろ。絶対「ああ、助けてくれるんだ」って思うぞ。この時点では救われる。だがもしも、ウチじゃ飼えねぇってなった時に、またここに戻ってきてダンボール箱に戻してみろ。絶対「ああ、また捨てられるんだ」って絶望するぞ。―――中途半端に助けて中途半端に投げ捨てるなよコラ。絶対に、確実に、百パーセント飼える確信がないなら見殺しにしろ。テメェはこの猫を抱き上げたら、また「絶望させる」かもしれねぇんだぞ』

『でもさ!! じゃあそれって結局見殺しにするのが正解ってこと!? このまま子猫見捨てて、家帰って、ペット禁止って理由に納得してのほほんと暮らせってこと!? それが正解なわけ? 苦しんでる子猫見捨てるのが正解なわけ?』

『いいや間違いだ。そりゃ悪行だ』

『は、はぁ!? じゃあ、それじゃ、拾っても見捨てても結局は……間違い、じゃないの……?』

『そうだよ。全部間違いだ。全部全部「悪行」だよ』

 善人は歯噛みした。

 言い負かされたことに腹を立てているのではない。確かに、今までの話を纏めれば『子猫を救っても傷つけるリスク』があり、『子猫を見捨てるのは純粋な非情』だった。これでは救えない。悪人の言うとおり、これでは結局なにをやっても救えない。

 だが。

 しかし、善人は言った。

『いいや、それでも僕は拾うよ』

 悪人の鋭い眼光を真っ向から見捉えて、改めて自分の考えを叩きつける。

『確かに助ける行為は絶望させるリスクがある。この時点で、それはもう、きっと正しいことじゃないんだろう。自分の独断だけで、助ける相手を絶望させるかもしれないのに助けようとする。酷い話だよ。分かってる、だからきっと僕がしようとしてることは間違ってる』

 でも、と付け加えて、




『絶望させるかもしれない「罪」を背負ってでも、助けられる可能性を信じて「悪行」を犯すことこそが「善」なんじゃないのかな?』




 悪人は眉を潜めた。自分の価値観からでは得られない考えを、目の前の男は口にしたからだ。相手を傷つけるリスクを承知した上で、その相手を傷つける可能性という罪を背負うことを理解した上で、なおも助けようとする悪行が善。

 なぜだろう。

 なぜ、いつものように悪らしく糾弾できないのだろう。

『……』

 なぜだか、その価値観を否定する気には悪人はなれなかった。助ける相手を傷つけるリスクを背負い、悪行を犯すことこそが善だとあいつは言った。そんなものは善じゃないはずだ。大前提として悪行を犯しているのだから、きっと、そんなものは善じゃないはずだ。

 そう思っていた。

 しかし悪人は、ふと思った。



 ―――善なんてものは微塵も分からない自分に、善を否定するような資格はないじゃないか、と。



『……勝手にしろ。偽善者が』

『ああ勝手にするさ。意地でも夕那さんを説得してやるぜコノヤロー!! 見てろよ、絶っっ対に吠え面かかせてやるからな! この冷血非情のドライアイスが!!』

『あっそ。期待して待っててやるよ、独善偽善のホットコーヒーが』

 子猫を抱き上げた善人。抱き上げた時点で、再びこのダンボール箱に戻してしまうかもしれないリスク、すなわち『悪行』を胸に抱き、それでも絶対に『助けられる可能性』を信じて善の道を突き進む彼の姿。

 それは夕陽に照らされて、光り輝いて見える善そのものだった。

 対して。

 日陰に立っている悪人には夕日が一切照らしてくれないため、まさしく悪である立場そのものだった。

 陽を浴びて照らされる善人。

 陽を浴びれず闇に潜む悪人。

 日向ひなた日陰ひかげ。そのどちらに立っているかどうかで、悪か善かを分別されているようだった。

『よーっし、じゃあ帰ろっか。夕那さん怒るとジャーマンスープレックスからヘッドロック決めて反撃したらクロスカウンター決めてくるからね。さっさと帰ろうよ』

『チッ。つーか晩飯ってなんだよ』

 善人が持っている買い物袋の中に目を向けて、悪人はボソリと言った。すると善人はニヤニヤと笑いながら軽く袋を揺さぶって、

『トマト入りカレーライスにトマトサラダにトマトスープだね』

『ふざけんな!! 全部俺の食えねぇトマト祭りじゃねぇか!!』

『いい加減そのトマト嫌い直しなよぉー。マジでさ、なんていうか子供っぽくてキモイって。僕のトマトジュース間違って飲んじゃった時なんかさ、君ガチでトイレで吐いてたもんね。なぜにそこまでトマト嫌い?』

『うるせぇなぁ!! いいからさっさと買いなおせよ、つーかテメェ確信犯だろゴラァ!! テメェのワックス口にねじ込むぞああん!?』

 少年二人の後ろ姿が、徐々に遠くなっていく。同時に夕日も落ちていって、いずれは夜へと顔を変えることだろう。同じ道を進んでいる二人に見えるが、実際は真反対へ歩いている。



 光の道を歩んでいる少年。

 闇の道を歩んでいる少年。



 捨て猫を助けるか、助けないかの問題だけでも、二人が歩んでいる方向が正反対だということには誰もが頷くことだろう。

 つまり。

 帰路を辿って同じ道を並んで歩いている二人は、実際のところ別々の道を歩いているのだ。




 

・・・どちらが正しいことなんでしょうかね。助ける行為は助けられずに絶望させるリスクがあります。しかしそれでも助ける行為こそが善なんでしょうか、はたまた本当にこの世には悪しかないのか・・・・・ヤクザとチャラ男の過去でしたね。なんというか、この頃から二人は正反対な存在だったようです。




ちょっと、重いようで楽しそうな二人の善人と悪人の話でした(笑)

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