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おかしい現象

「痛っ……くそ、マジで不幸だわ俺。置いてけぼりにも程があんだろうが」

 何が何だか分からない状況の中で一人だった豹栄真介は、折れた腕を少しでも傷めないよう慎重に応急処置を行っていた。白スーツの中に入っていたハンカチで顔や傷の血を拭い、ワイシャツをタオルになる程度の面積だけ引きちぎって、ギンギンと骨折したことで一部が腫れ上がっている腕をグルグル巻きにして固定する。

 と、その苦痛に耐える地獄の時間が過ぎ去った時だった。

 後方から、何かが転がるような音が聞こえた。スタントマンがビルから飛び降りた時のような、激しくもあり最小限の的確な着地をしたような音。

 ふと振り返ってみれば。

 そこには、両腕を自分以上に痛々しく曲げた霜上陸と。

 いつの間にか起き上がっていた夜来初三が向かい合っていた。

 それを見た豹栄は、腐った果物を食べたような苦い顔をして、心で呟く。

(……うわ面倒くさっ。こりゃトンズラしたほうがいいな、うん)






 夜来初三と霜上陸。

 彼らは再び、現実世界でにらみ合っていた。既に霜上の顔からはダラけきった様子は一切ない、職人のような鋭い目つきへ変貌している。油断をしていない、殺しの目だ。それは両腕を折り曲げられてダメージを負っているから、というわけではない。

 夜来初三の様子に納得できない。

 あの、ニヤニヤと余裕に満ち溢れている顔をする夜来初三の顔に納得できないのだ。

(こいつ……自分の立場わかってんのか……? 俺がこっちに戻ってきたんだから、普通、慌てふためいて逃げるぐらいしてもいいだろうに)

 その通りだ。

 夜来初三が『エンジェル』のNo.2を圧倒できていたのは、白い化物と二人がかりで噛み付いたこと。戦う舞台が霜上の『怪物操作』が発動できなかった……まるで電波が届かない山奥のような精神世界であること。そして電波が届かないからこそ、サタンが夜来初三の中に戻ったことで本来の力を取り戻せていたからだ。

 だから。

 だから、霜上は電波が届くこの世界でならば、

「ちょいともう一回離れろ悪魔」

「っ」

 もう一度大悪魔サタンを夜来初三から引き離すことも可能だった。再び夜来の体から強制的に引き離されたサタンは、ゴロゴロと床を転がっていく。気を失っているのだろう。霜上の『怪物操作』とは謎の力であるが、結局のところ『怪物を無理やり動かす』能力。操る対象の怪物の意思に反した行動を連続でさせたのだから、サタンも莫大な疲労で気を失っているのだ。

 しかし。

 サタンが無様に倒れているだけで。

(夜来初三はもうただの人間に変わりない。だからここで仕留める!!)

 飛び出した。

 両腕が折れていることに変わりはないのだが、霜上がぶつぶつと呪文のようなものを唱えると同時に、骨折しているはずの腕は治ってしまう。

「あ?」

 思わず怪訝そうな声を上げる夜来初三。

 対して、またしても謎多き力によって万全な状態へ戻ってしまった霜上陸は、

「『武器変換―――斬刀』」

『対怪物用戦闘術』を唱えて、取り出した御札を瞬時に刀へ変える。そして握り締める。今度は『悪人祓い』としての力を扱った彼に疑問は募るばかりだ。

 しかし。

 霜上は構うことなく、

「殺しはしない。でも八割くらい死んどいてくれ」

 間合いを詰めて、刀を振り上げて、夜来初三の上半身を真っ赤に染めてやるべく、勢いよく凶器を振り下ろす。

 だが。

 だがしかし。



 ただの人間に成り下がった夜来初三だというのに。

 彼の身体から霜上が振り下ろした刃を弾き返す白い力が解き放たれた。



 暴風そのものだ。禍々しい白の不可思議な力が、夜来初三を中心に渦を描いて上昇していく。ゴッッ!! と、風圧が周囲一体に走り抜け、その凄まじい烈風に霜上陸が吹き飛ばされてしまう。

「っぐ!?」

(何だ、ありゃ!? あれは『アイツ』の―――ッ!?)

 態勢を立て直した霜上は、前回のように人外の姿へ成り果てることなく白い力を纏う夜来初三を凝視する。ありえない。あの白い能力はあの化物の力のはずだ。それを使うからには、今までにあったように髪や肌や目や人格そのものを化物に飲み込まれなければならないはず。

 なのに。

 だというのに。

「ハハ、何だこりゃ。スゲー気分が良い」

 今の夜来初三は、『悪』の『侵食を受けることなく白い力を操っている』のである。主人格は夜来初三。夜来初三の支配権を握っているのも夜来初三本人だ。おかしいにも程がある現象。正気を失うことなく、夜来初三は腹に抱えているもう一匹の化物を使いこなせていた。



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