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脱出

 極悪な笑顔が二つあった。

 それは瞬時に、哀れな小鹿を喰らうためにターゲットの両脇に回り込んでいた。黒い影と白い影。二つは一瞬で霜上陸の両サイドへ移動して、挟むような形で各々の色を放っている。

 右には黒。

 左には白。

 逃げ道は、なかった。

「っ」

 喉が干上がった時には既に遅い。霜上陸の右腕を夜来初三が強引に右手で掴み、反対側の左腕を『悪』が乱暴に左手で握り締める。

 両腕を握られた。ただそれだけ。一見、意味不明かつ理解不能な行動だとは誰もが思うはずだ。霜上陸も思わず眉を潜めていて、怪訝そうな顔へ変わっている。

 そう。

 ここまでならば、怪訝そうな顔で終わっていたはずだった。




 夜来初三が右腕を捻じ曲げて肘の関節をゴキリと外し、『悪』が左腕の関節を動かない方向へ無理やり折り曲げてやらなければの話だが。




 ゴキィッッ!! という音が連続して炸裂した。右腕と左腕を一斉に同じタイミングで骨折させられたのだ。さらに折れた腕をドアノブをひねるようにして捻じ曲げてくるので、氷に亀裂が入るような音も両腕の骨から頭へ反響する。

「ガァァああああああああああああああッっっ!?!?」

 激痛が霜上陸の痛覚神経を爆走する。

 脳みそが吹き飛びそうになるレベルの苦しみを味わった事で、本能的に飛ぶようにして二人の化物から距離を取る。

 だが遅かった。

 後ろへ撤退したと同時に、黒い閃光が霜上陸の右足を飲み込みかける。

「っ」

 声を漏らし、グルンと体を回転させるようにして破壊の一撃を回避する霜上。しかし安堵の息をつく暇もなかった。敵は二人。夜来初三の遠距離砲撃を避けたことで隙だらけだった霜上の目と鼻の先に―――白い怪物が現れる。

「アヒャはははッッ!!」

「っ!?」 

 驚きによって顔を歪めた霜上陸の腹部に―――ガゴグチャガキボギガゴゴガズガゴギィッッ!! という肉が潰れる音と同時に骨が割れる悲鳴が炸裂した。『悪』の拳がむちゃくちゃな速度で突き刺さって突き刺さって突き刺さってくるため、永続的なまでに続く白い拳の暴力に体が耐えていなかったのだ。豪雨のような勢いで降り注ぐ圧倒的な衝撃の連続に、引き結んでいた唇から血が空気中に霧散してしまった。

「が、っは!?」

 一際大きい衝撃が、霜上の顔に炸裂した。殴り飛ばされたのは分かるのだが、どうしても展開の速さに追いつけず脳の処理が間に合わない。

 吹っ飛んで、転がって、黒い大地に体を打ち付ける。

 しかし。

 それだけの絶望を味わったというのに、神様は残酷だった。

「寝るな。もっと絶望しろよボケ」

 ガッ!! とうつ伏せで倒れていた霜上の頭頂部に靴底が叩きつけられた。必然的に黒い荒野に顔を潰されて埋もれてしまうのだが、霜上を踏んでいる張本人の夜来初三は凶悪な笑顔を咲かせて。

「ぎゃはははははっっ!! やっべぇ、やっぱ俺ってSなんだ。再確認できたわマジサンキュー」

 ゴガッッ!! と石を蹴るように霜上を蹴り飛ばす。まるでスポーツカーが最大速度から転倒したかのように飛び、転がり、壊れて、白い荒野にその傷だらけの体を伸ばしてしまう霜上。

 両腕は使えない。

 全身が既にボロボロ。

 やはり、あの化物を二匹相手にするだけの力は『エンジェル』No.2であろうともなかったようだ。それもそのはず。夜来初三だってサタンの力を授かれば最強クラスの破壊能力を持ち、尚且つ、あの正体不明の白い怪物までもが共闘を実行している。

(く、そ……! あー、痛い。何でこんな痛いのかねぇ)

 無理に決まっている。

 そう、無理に決まっているのだ。



精神世界ここじゃ二対一。だったら外に出るしかないな!!)



 ここでは勝てない。二対一という戦力差から、霜上陸に勝機はなかった。ならば話は簡単で、ここから出てしまえばいい。所詮、『悪』は夜来初三の精神世界内でしか暴れられない首輪につながった猛犬。ならば冷静な判断に従って、霜上陸は精神世界ここから撤退する。そうして外の世界に戻れば、好きなだけ勝機はあるというものだ。

 故に。

 霧が晴れていくかのように、霜上陸は音さえも立てずに精神世界から脱出した。

 


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