魂を食われた結果
「―――し―――ろ」
声が聞こえる。
まるで意識を失った患者が家族から心配されながら目覚める時のような感覚に近い。しかし中々目を開けることは瞼が重くて不可能で、再び視界を暗くしてしまう。
「ゆ―――ろ――き――!!」
しかし呼びかけてくる声が止むことはない。
その大声が響くたびに『起きなくてはいけない』と、遅刻を気にする学生の朝のような気分になってくる。だが別に目覚まし時計がなっているわけでもないので、状況からしてあまり危機感は抱かない。
なのでもう一度意識を落とそうとした。
その瞬間、
「おい!! 起きるのじゃ雪白!!」
「っうわ!?」
耳元で叫ばれたことでようやく飛び起きた雪白千蘭。そして彼女に対して溜め息を吐いた浴衣姿のお人形のような見た目十歳の幼女? である七色夕那。
雪白は寝転んでいた自分を見下ろしている七色に目を丸くしながら、
「こ、ここは……どこだ? というか、なぜ私は……」
「ふむ。まぁ、ひとまず辺を見渡してみるがいい」
言われた雪白は、勧められた指示に従って辺を見渡す。
その結果、仰天した。
「!? こ、ここは一体、どこ、だ……?」
「―――どうやらお主も儂と同じで『魂食い』にやられたようじゃの」
単純にわかりやすく言ってしまえば、現在七色と雪白が目を走らせている世界は―――異常だった。枯れた木に、周囲一体は墓場のような建築物が並びに並んでいて、他にも廃墟や地面は真っ白な砂で出来ている。太陽も月もない暗くもないが明るくもない空。いや、そもそも空なのかどうかすら不明である天空。まさしく、あの世と言った風だろう。
とにかく。
歪で、異常で、おかしかった。
それが彼女たちが見渡している世界の光景だ。
「っ! そうだ。私は確か、妙な子供に大きな鎌で切られて……」
「ああ、儂も同じじゃよ。正直、あまりにも突然すぎる出来事で、対処できんかった。あっさりと負けてしまったわい」
意識を失う前の出来事を思い出した雪白に対して、七色は首を縦に降った。
と、そこで別の声がかかってきた。
それは、白金の髪を肩まで伸ばした白ワンピース姿の少女だ。
「あら、起きたのね。怪我はない?」
「お、お前まで……一体、どういうことだ?」
離れたところから歩き寄ってきた清姫に、雪白は驚いた声を上げる。対して清姫は肩をすくめて息を吐き、
「あなたと私は『一心同体』でしょ? これは怪物に憑依された人間なら誰だって同じ。だからあなたの魂が食われちゃったら、あなたと『一心同体』である私の魂も持ってかれちゃうの。ようは、運命共同体、って感じね」
「ちょっとまて。魂? 食われる? 一体なんの話だ? 私があの小娘から大きな鎌で切られたのにも関係があるのか?」
彼女の問いに対して七色は答えを告げた。
「それは儂が説明してやろう。一応、こういう『呪い』絡みの件は儂の仕事の範囲内じゃろうしな」
七色は一流の『悪人祓い』だ。その実力は『悪人祓い』の世界ではとても有名で、今までに解決してきた『呪い』に苦しむ人間たちの数は両手両足の指の数ではまったく足りないほど。
つまりプロだ。
いや、プロよりも上のプロだ。
故に彼女にとって、この『歪な世界』がどんな場所なのか、なぜ自分たちがここにいるのか、などの疑問に対して全て完答できる知識を持っている。あくまで知識でしかないので、実際に体験したのは初めてだが。
だから現在までの事態を事細かく雪白に説明した結果。
「死神の、呪い……それを使って私たちは魂をあの鎌に食われて、ここにいるのか。ということは、今の私たちは……魂、なのか?」
「まぁそうじゃな。しかし唯一儂でさえわからないのが―――」
「なんで、私達だけがあのツインテールの子供に魂を奪われたのか、ってことでしょ?」
清姫の発言した言葉に首肯する七色夕那。
これは確かに大きな疑問だ。
あの謎の女の子は、なぜ七色達を襲ったのか。つまり動機がまったくもって予想さえつかない状況なのである。雪白千蘭も、七色夕那も、清姫も、自分たちを襲撃してきたあの幼い女の子とは、ただの一度すら顔を合わせたことがない。つまり赤の他人なのだ。
そんなお互いの面識さえ皆無であるというのに、なぜあの女の子は七色達を襲ったのか。
その理由がわからない。
謎なのである。
しかし、現在の所有している情報だけではその謎を解き明かすことは不可能なので……。
「まぁ、とりあえず。この気分の悪くなる場所から逃げる為にも情報を集めるのが先じゃな」
そう言って辺をもう一度見渡してみる。
そのとき、視界の中に何かが現れた。
正体は。
立ち並ぶ墓のような建築物から、ゾンビ映画のように姿を現した無数の人間たちである。
まさしくゾンビだ。顔からは生気が一切感じられず、焦点が定まっていない者や明らかに皮膚が腐っているような者ばかり。これ以上にゾッとする光景はないだろう。
「……七色」
「……なんじゃ雪白」
「あれは一体……なんだ?」
前方から迫ってくるホラー映画と大差ない現象を指差しながら、雪白が青ざめた顔で尋ねた。
その質問に答えたのは表情を一切変えない清姫だ。
「いや―――普通にゾンビでしょ」
「……じゃあゾンビと友達になれるチャンスというわけか?」
「そうね。メアドくらいは交換しましょうか」
「お前携帯持ってないだろう」
的確なツッコミを入れた雪白だが。
その顔にはハッキリと冷や汗が流れ出ていた。
同じく七色にも。
「……というか、ゾンビ達はなぜこちらに近寄ってくるんだ? あれか? 私達と仲良く集団鬼ごっこでもしたいのか? みんなで花いちもんめでもしたいのか? っていうかゾンビがこっちをガン見してるんだが。もうめちゃくちゃ白目剥きながら私を見てくるのだが、私どうすればいい?」
「いやいや、おそらくあれじゃ。そもそもゾンビじゃないのじゃろう。今の時代は特殊メイクというものがあるからのう。ほら、あの腐った皮膚とか絶対特殊メイクじゃろ? あれ絶対メイクじゃから。あと適当にスマイルでも返しておけ。きっとお主に一目惚れしたのじゃろう。積極的ではないか」
「でも何か目が一つ足りない奴とかいるぞ? もはや腕が一本ない奴もいるぞ? あれメイクか? 本当にメイクか? 絶対メイクではないよな?」
「いやきっとブームなのじゃよ。最近の若いものは自分の片目を取って眼帯をつけて腕をフックにしたいのじゃろう。きっと腕が無い奴もあとで絶対フックつけるから。うん、ホントにフックつけるから。そしてその内船長名乗り出すから」
「あぁなるほど。船長に憧れているから片目がなかったり腕がないわけか。そうかそうか。つまり私達をゾンビに変えてやろうとして近寄って来ているわけではないんだな? そうなんだな?」
「……」
「……」
……盛大に現実逃避を繰り返している七色夕那と雪白千蘭。
あまりの恐怖によるものなのか、圧倒的なゾンビの群れに度肝を抜かれた故なのかはよく分からないが、二人はとにかくゾンビ達をゾンビと認識しないようにしていた。……おそらくめちゃくちゃ怖がっているからだろう。実際顔が青ざめている。重体患者のように青くなっている。
清姫はそんな彼女達に呆れて溜め息を吐き、ゾンビの群れに視線を向けながら、
「いいからさっさと逃げましょうよ。きっと捕まったら私達もあれの仲間入りよ? いいの?」
二人は同時に首を横に振り、
「……嫌だ」
「……嫌じゃ」
「っていうか、七色は知らないの? あのゾンビたちのこと」
「わ、儂は実際に『魂食い』に魂を食われたことはない。じゃからぶっちゃけ、ここが魂が保管された世界だというのは分かるが、システムがどんなものかは儂も知らんわい」
「まぁ、そうなるわね」
三人は一歩後ろに後退する。
しかしゾンビ達は妙なうめき声を上げながら一歩七色達に近づいてくる。そう、まるで肉を欲する本能に従って七色達を食べに行くように。自分たちの仲間に引き入れようとするように。
……その後、三人は全力で逃亡を開始した。




