チャラ男とヤクザ
世ノ華雪花は帰り道を一人歩いている最中だった。
下校途中に本屋に立ち寄ってしまったことが原因で、こんなにも日が暮れた時間帯に帰路を辿っているのである。しかし彼女にとって、本来なら安心感を抱けるはずの『家』という存在には、世ノ華を苦しめていたクソ両親も生活している。よって彼女が早く家に帰ろうとすることはない。もはや寄り道は日課のようなものだった。
「また、あの家に帰るんだよね…」
心底嫌がる声で呟く。
しかし、今の彼女は『嫌がる』だけで家に帰らないことはない。決して家出や失踪などをするような考えは微塵も持っていない。
なぜなら。
豹栄真介が『わざと』世ノ華雪花を『怖がられる人間』に育て上げたおかげで、両親たちは彼女を『怖がって』二度と家事や仕事を押し付けたりしなくなったからだ。
ある意味。
世ノ華雪花は豹栄真介に救われた。
両親の脅威からは救ってもらえたが、その代わり『両親以外の人間』からも恐れられてしまった。よって彼女は孤立して滅亡してしまった。
……彼女は豹栄真介に感謝するべきなのだろうか?
その答えは。
きっと、世ノ華雪花自身が一番、誰よりも、何よりも、分かっていない。分からない。
だからこそ彼女は。
はぁ、と何度目か分からない溜め息を吐いてしまうのだ。
「ん?」
その直後。
彼女の目の前には一人の女の子が微笑みながら立っていた。
「お姉ちゃん、ちょっといいかな? この辺って住宅地ばっかだから会いたい人が分からないんだよねぇ」
突如可愛らしく小首をかしげて尋ねてきた、亜麻色の髪をツインテールにした少女。
子供だからこそ可能なコミュニケーション能力だった。大人になってしまえば、そうやすやすと、知らない人に目的地までの道や人探しの手伝いをさせることはできない。
世ノ華は笑いかけながら、
「どうしたの? 人探しかしら?」
「うん。あのさぁお姉ちゃん、鉈内翔縁ってお兄ちゃん知ってる?」
世ノ華にとって関係がもの凄くある人名だった。
彼女は少々目を丸くした後、若干の動揺を抱いたまま首肯する。
「え、ええ。知ってるわよ。ところで、何であなたはあのチャラ男のことを知ってるの?」
「んー? あはは。翔縁お兄ちゃんに助けられたんだ、私。ってそんなことはどうでもいいんだよ。翔縁お兄ちゃんのことを知ってるってことはお姉ちゃんが―――翔縁お兄ちゃんを苦しめる悪党なんだね?」
「え?」
世ノ華が思わず漏らした疑問の声。
と、同時に。
少女が頭上に掲げた右手から、徐々に大きな鎌が姿を現してきた。まるで煙が集まるように作られていった大鎌は、ギラリと刀身を恐ろしい程に光らせる。
そして、その大鎌を握っている少女は、幼い子供特有の可愛い笑顔を浮かべて、一言。
「死んじゃえ♪」
大鎌を世ノ華雪花の脳天に容赦なく振り下ろした。
一方。
ターゲットとされている世ノ華雪花の心情といえば―――意味がわからなかった。
いきなり現れた少女が自分に人を尋ねて来て、その直後には大きな鎌を振り上げられていて、今現在ではその大鎌が自分の頭に迫って来ている。
理不尽を超えた理不尽、とでも言えそうな状況だった。
しかも突然の出来事だ。
回避なんて、できるはずがなかった。
呆然としながら襲いかかってくる大鎌を見上げていた世ノ華。
しかし、
「俺の妹に手ェ出すたァ、いい度胸してンじゃねぇかよクソガキが」
ガッキイイイイイイイイイイイイイイイイン!! と、振り下ろされた鎌を右から伸びた手が握り止めた音が鳴る。まるで金属同士がぶつかりあったような甲高い音だったが、実際は手と鎌のぶつかり合いだ。
「ッ!! に、兄様!!」
ようやく我に返った世ノ華雪花。
彼女は突如現れた一人の少年ー――夜来初三を見上げる。
「あ、あなた―――ッ!!」
「やっほー。二度目ましてだなァ、ツインテクソガキ」
夜来はニヤニヤと笑いながら簡単な挨拶を行う。現在彼が握り止めている大鎌、すなわち『魂食い』は夜来の皮膚に触れているため『絶対破壊』の効果範囲内だ。
「ンだぁ? 思ったより簡単に終わっちまうじゃねぇか」
つまりそれは。
木っ端微塵に破壊することが可能ということ。
バァン!! 夜来の力によって、『魂食い』の大鎌は爆散するように吹き飛んでいった。その圧倒的な破壊の現象は、『サタンの呪い』を使うことで得られる『サタンの魔力』による効果だ。
「おいコラチャラ男。速水に電話しろ。クソガキと雪白が生き返ったかどうかな」
「やっぱ目的が『壊す』ことだから、壊すことしかできない原始人のやっくんが便利だよねぇ」
「喧嘩売ってんのか? ぶっ殺すぞ」
「さーせんしたぁ」
世ノ華雪花が振り向いてみると、そこには鉈内翔縁が携帯電話を耳に当てていた。なぜ彼らがこの場所にいるのか理由さえ知らない世ノ華は、先ほどから空いた口がふさがっていない。
「あ、あ……」
自身の最大の武器である『魂食い』を破壊されたことに動揺する少女―――秋羽伊那。
彼女が他にどんな力を持っているかはわからないが、これで七色夕那たちは生き返れるはず。
そう予想していた夜来と鉈内だった。
だが、
「まぁ、一本程度どうとでもなるんだよねぇ」
笑った秋羽伊那は、左手を突き出す。
すると再び―――『魂食い』が生産されてしまった。
「……オイオイどういうことだァこりゃ」
二本目の大鎌。
すなわち『魂食い』。
その予想不可能だった事態に対して、夜来も鉈内を冷や汗をこぼした。
すると、現状を理解できていない二人を哀れに思ったのか、秋羽は微笑んでから答えを提示する。
「私の『魂食い』は―――一人一人に一本ずつ使うものなんだよ。一人の魂を奪うのには一本の『魂食い』を使う、その次の人には別の『魂食い』を使うの。つまり使い捨てみたいなのなんだよ。だから、あなたが破壊したのはそこのお姉ちゃんの魂を奪うための鎌。だから魂なんて入ってない。つまり、あなたが助けたがってる人の魂は入ってないから、ざ・ん・ね・ん♪」
「……なるほどねぇ、つまり一本一本ぶっ壊してくしかねぇってことかよ」
吐き捨てるように言い放った夜来。
すると、背後から世ノ華の慌てるような声が響いてきた。
「に、兄様!! ど、どういうことですかこれは!? なんで私狙われて―――」
「世ノ華、後で説明するから今はちょっと待ってて!!」
振り向いてみると、そこには世ノ華を落ち着かせようとしている鉈内がいた。しかし彼女が慌てるのも当然のことだ、なんせ、いきなり命を狙われたのだから。しかも子供に。
「ねぇ、翔縁お兄ちゃん」
と、そこで鉈内に秋羽からの声がかかった。
呼ばれた彼は秋羽に顔を向ける。
「お兄ちゃん、なんで私の邪魔するの? お兄ちゃんを困らせる『悪党』を私はやっつけてるんだよ? なのに何で邪魔するの?」
尋ねられた鉈内は一度だけ沈黙し、
「……確かに、困る時もある」
呟くようにポツリと言った。
「夕那さんは人使い荒いし、雪白ちゃんは男嫌いだから気を遣うし、世ノ華は元ヤンだし、そこの前髪ヤクザはめちゃくちゃむかつく。けど、それでも、それだからこそ―――僕は毎日楽しく過ごせてるんだよ」
「……」
「だからお願いする。夕那さんと雪白ちゃんを助けて欲しい」
そうだ。
確かに誰かといるという環境には困る場合がある。
プライベートの時間は減る、相手と喧嘩した場合には関係を修復しなければならない、そもそも喧嘩しないよう回避する為に相手に気を遣うことだってする。
これは、家族でも友達でも知り合いという薄い関係の者でも同じだ。
だかしかし。
そうやって気を使ったり喧嘩したりしながらでも『一緒にいたい』から離れないのだ。困ってでも一緒に過ごしていたいから、困ってても別に構わないのだ。
故に。
鉈内翔縁はもう一度頼む。
「お願い。君は僕のためを思ってこんなことをしたんだろうけど……お願い。夕那さんたちに魂を返して欲しい」
「……」
沈黙した彼女はにっこりと笑ってから、
「ダメだよ♪」
そう言い切った。
さらに続けて、
「翔縁お兄ちゃんは『良い人』だから『生きてていい』けど、翔縁お兄ちゃんを困らせた『悪党』は『死ぬべき』なんだよ。『生きてていい』はずがないんだよ。だから、ダーメ」
彼女の満面の笑顔には、明らかに『殺人』に対する罪の意識が存在しなかった。罪悪感など微塵も抱いていない表情だった。
いや。
それどころか。
自分は正しいことをしている、と心の底から思っているような綺麗な笑顔をしていた。
彼女は異常だ。
生命に対する価値観が歪みすぎている。
悪い人は死ぬべき。
良い人は生きるべき。
その程度の考えでだけで、秋羽伊那は人を殺し続けているのだから。
「……よく分からないけれど」
そこで立ち上がった一つの影。
正体は世ノ華雪花だ。
「七色さんと雪白のアホが魂? をその子供に奪われて、危ない状態ってわけね」
「大体、そんな感じだよ」
肯定の返事を受け取った世ノ華は一度だけ長い長い息を吐き、夜来にこう尋ねた。
「それで、今は兄様と私が狙われているってわけですね?」
「ああ。その通りだ」
「……なるほど」
大まかにだが、現状までのあらすじを大雑把に把握した世ノ華。
おそらく。
今までの会話ややり取りから細かな情報を聞き取って、頭の中で整理していたのだろう。
「んー、何かそのお姉ちゃんも戦う気満々になっちゃったみたいだし、そのお兄ちゃんは私の『魂食い』を触っただけで壊しちゃったし……ちょっと私まずいかな?」
「……だったらここで大人しく夕那さん達を助けてくれると嬉しいんだけどなー?」
秋羽伊那は小さな口を開けて笑い、
「あはは。翔縁お兄ちゃんの頼みでもそれはダメだよ。じゃあ―――また会おうね、お兄ちゃん」
消えた。
最後の一言と同時に、煙が晴れていくように姿を消してしまった。
残された夜来初三、鉈内翔縁、世ノ華雪花は、しばし口を開くことはなかった。それも仕方ないといえよう。なぜなら、あまりにも先ほどの戦いでいい結果は何も得られ無さ過ぎた。
七色夕那も助けられない。
雪白千蘭も助けられない。
どちらも助けられなかったのだから。
唯一胸を張れる事実は、世ノ華雪花だけは秋羽の魔の手からすくい上げたこと。
ただ、それだけだ。
鉈内は後悔の溜め息を吐いてから携帯電話を取り出して、
「とりあえず、速水さんに状況報告してから、今後のプランを決めよっか」




