可能性
絶望というよりも失望に近い感覚だった。
大事な、大切な、何よりも宝物だった、自分にとって最大の恩人であり最高の親だった―――七色夕那を死なせてしまった自分自身に失望した。
文字通り死んだ瞳を開いたままの七色の顔を見て、涙を落とす。
―――この人のためなら、僕は死ねた。
―――この人のためなら、僕は苦しめた。
―――この人のためなら、僕は何でもできた。
その意思、決意、心情には一切の間違いも狂いもない。
それほどまでに、自分を育ててくれた七色夕那には感謝と恩があったのだ。
彼は、もう何をするわけでもなかった。
うなだれて、口を閉じ、ただただ時間だけが過ぎていく状況に身を委ねるだけだった。
無力感。
大切な人が死んだことで、もう、何を考えても何をしようとしても何もできない―――する気力が沸き上がらないのだ。喪失感、という感情の影響もあるかもしれない。
しかし。
今もっとも重要なのは彼の精神状況などではない。
七色夕那の死の原因についてだ。
が。
その原因を突き止めようとする力さえも、鉈内翔縁の中には宿っていなかった。
そんな時計の針が進む音だけが規則的に鳴り響く部屋の中で、
「鉈、内……!! しっかり、しろ!!」
ふと、女性の声が響いた。
驚いた鉈内が振り向いてみると、
「速水、さん……!?」
そこには、扉を開けて部屋に入ってきた速水玲が立っていた。しかし彼女の姿があまりにも痛々しい。全身に自分の血が付着していて、深い切り傷や打撲などが体中のいたるところに浮き出ていた。
「鉈内、いいか? 最初に言っておくけど……」
「な、なに……?」
「―――七色は死んだよ。これに間違いは無い」
改めて突きつけられた肯定したくない悲しき事実。
七色夕那の死。
やはりこれに間違いは何一つ、毛ほどもなかったのだ。
が、しかし。
速水玲はもう一度口を開いた。
「だが、まだ助けられる!!」
救いに等しい言葉だった。その発言のどこに目に見える証拠や確かな情報があるのかどうかは分らないが、『助けられる』という可能性があるかもしれないというだけで、鉈内翔縁にとっては立派な救いだった。
故に、彼の顔には再び生気が戻る。
さらに勢いに乗るように冷静さを少しばかり取戻し、
「どういうことか、説明、してくれるんだよね……?」
「ああ。だが、俺も怪我がひどくてね。少し応急処置くらいはしてほしい」
七色の小さな体をそっと床においてから、彼は立ち上がって、
「わかった。すぐ救急箱―――」
そこで彼のポケットから携帯の着信音が鳴り響く。
今は少しでも時間が惜しい状況だというのに、面倒くさいタイミングでの呼び出しだった。
鉈内は携帯を乱暴に取り出して電話番号も確認せずに通話ボタンを押す。
「誰!? 今ちょっと忙しいんですけ―――」
『チャラ男!! テメェ一体何に首突っ込んでやがんだァ!!』
電話相手は先ほどもショッピングモール内で出会った夜来初三からだった。
しかも開口一番に怒鳴り声だ。
いつものように喧嘩を売ってきているだけならば、今すぐにでも電話を切る。しかし、明らかに夜来初三の声には切羽詰った何かが含まれていた。
さらに、何かと戦い合っているような息切れをする声や苦しそうな息さえも聞こえる。
眉を潜めた鉈内翔縁。彼の耳に電話口から仰天する言葉が入り込んできた。
『帰ってきてみりゃ雪白の奴が死んでンぞ!! どォいうことだこりゃあ!!』
気づけば、鉈内翔縁は七色寺を飛び出していた。一応速水玲には待っていてくれと告げてから出て行ったから問題はないだろうが、明らかに問題は別で起きている。
そう。
新たな問題は。
夜来初三のマンションで雪白千蘭さえも死亡したことそが問題なのだ。
夜来初三が住んでいるマンションは七色寺からそう離れてはいない。全力疾走さえすれば数分でつく程度だ。
鉈内は激しく呼吸活動行いながら目的地だったマンションに到着する。しかし足だけは止めることはせずに夜来初三が使っている部屋の前まで駆け上がり、扉を蹴り破るように開け放った。
そして真っ先に見たものとは、
倒れ込んでいる雪白千蘭の傍で、うなだれている全身黒ずくめの少年―――つまり夜来初三だ。
「やっくん!! 何があったわけ!?」
すぐさま彼らのもとへ駆け寄っていく鉈内翔縁。
その必死な様子からして、彼は本気で雪白のことを心配している。いや、仲間なのだからそれもそうかもしれない。当然の反応だった。
しかし。
傍にやってきた鉈内に気づいた夜来初三は、
「テメェ。一体何に首突っ込んでやがンだよ、あァ!?」
ギロりと、明らかに普段のような調子で喧嘩を売るような目つきではない、本当に敵を殺害するような瞳を鉈内に突き刺した。
その形相に、鉈内は一歩後ずさる。
「な、なにがなんだか僕も全然分かってないんだよ!! 夕那さんも雪白ちゃんみたいに―――死んでるんだよ……!! 尚更僕だって状況を把握できてない、だから説明してくれない!?」
「……七色のクソガキも、だと?」
「そうだよ。帰ってきたら夕那さんも死んでるし、ここにきたら雪白ちゃんも……死んでるし。わけわかんないんだよ」
夜来初三は一度だけ黙り込む。
そして、彼と自分の状況をきちんと頭の中で整理した後に、鉈内が望んでいる説明を初めてやった。
「俺が帰ってきたら雪白は……死んだ。いや―――殺されてた」
「こ、殺されてた!? だ、誰に!?」
「そりゃ知らねぇよ。だが、俺の存在に気づいたみてぇで、その殺人犯は俺に襲いかかってきやがった。まぁ結果、俺に勝てねぇと踏んで、そこの窓から飛び降りてったよ」
顎で、ベランダの外を示す。
夜来は続けて、
「んでだ、その後、俺が七色じゃなくてテメェに電話したのにゃ理由があんだよ」
「り、理由? なんなの?」
「―――その殺人犯、正体はわからねぇが、俺にこう言ったんだよ」
彼は一度言葉を区切る。
たっぷりと静寂を含んだ後に、犯人のセリフを告げた。
「『翔縁お兄ちゃんを苦しめる人はあなただね?』ってよ」




