異変の始まり
「で、君はなにやってたの? もしかして僕と同じおつかいかな?」
「ううん。違う。私はちょっと飲み物を買いに外に出たら、よくわからないけど怖いことになったの」
鉈内翔縁は、先ほど不良から救った一人の少女……おそらく小学生か中学生程度であろう。サタンと同じぐらいの幼い外見の女の子と共に、近くにあったベンチに座り込んで話し合っていた。
鉈内はいつものニコニコとした笑顔を彼女に向けて口を開く。
「僕は鉈内翔縁ね。君の名前なんなのかな?」
「私は秋羽伊那。お兄ちゃん、さっきは助けてくれてありがとう」
少女、秋羽伊那はにっこりと幼さ故に可能である天使の笑顔を浮かべて自己紹介を返してくれた。邪気や作り笑いが一切混じっていない心からの純粋な笑顔である。子供はやはり綺麗な存在だと再認識させられるようだった。
「へー、伊那ちゃんっていうんだ。あ、そうそう。僕のことも名前で呼んでね?」
「うん。わかったよ翔縁お兄ちゃん!」
(ぐ、ッああああああああああああ!! やっばい!! マジやっばい!! 『お兄ちゃん』とかマジ萌えるわあああああ!!)
知らない子供にお兄ちゃんと呼ばれる感覚がかなり萌えたようだ。鉈内は胸を押さえてうめき声のようなものを発しながら冷静さを取り戻す。
「あ、あはは。そうそうマジそんな感じで呼んでね。あー、ところで伊奈ちゃん。君、そろそろ帰らなくていいの? お母さんとか心配するんじゃない?」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。そんなことより、助けてくれたお礼がしたいんだけど、何かして欲しいことある?」
「お礼? あはは、いいよいいよ全然大丈夫だよー。それにもうお兄ちゃんって呼ばれただけで超ご褒美だしさ」
「? そんなんでいいの? じゃあじゃあ、何か悩みとかそういうようなことはある? 私がなんでも解決しちゃうよ!」
優しい少女だなぁ、と鉈内は密かに感心する。
助けてもらったからお礼を返すなど、こんなにも幼い子供が考えるようなことではない。おそらく秋羽伊那は真面目で礼儀正しい良い大人になってくれる。日本の未来も安定しそうでなによりだ。
鉈内は悩み……というほどのことでもない、ちょっとした不満のような心情を吐き出した。
「そうだねぇ。僕の家族っていうか仲間のこととかは悩みかなぁ」
「どんな悩み?」
身を乗り出してきた秋羽に鉈内は微笑み、
「クッソ生意気な前髪ヤクザ、元ヤンの金髪女、男嫌いのくせして超絶美少女、ランドセルが似合う浴衣ロリ、こんな人たちが僕の仲間だからさぁ、みんな個性的すぎてちょー疲れるときあるんだよねぇ。もうギブアップって感じ?」
「その人たち、お兄ちゃんに迷惑かけてるの? もしかして、翔縁お兄ちゃんが今やってるおつかいも、その人たちに命令されたの?」
「んー? あはは、命令じゃないよ。小さい頃からお世話になってる人の頼みだから、僕はこの程度のことは迷惑じゃないしさぁ」
秋羽伊那はしばし翔縁の横顔を凝視する。
その後、にぱーっと可愛い笑顔を開花させて、
「その人たちって、一体どこらへんに住んでるの? 翔縁お兄ちゃんともまた会いたいし、教えて欲しいんだけど……」
「んーとねぇ。僕は七色寺に住んでるよ。その近くにあるマンションには、クッソ生意気な前髪ヤクザが住んでる。あとは、少し離れた一軒家には元ヤンの金髪女がいるね。雪白ちゃんは……わかんないな。だからまぁ、僕に会いたくなったら七色寺においで? 僕ってばぶっちゃけ暇してるし、いつでも遊んであげるから」
「ホント!?」
「あはは、ホントホントちょーホント。だから一旦お家に帰りな? また僕に会いたくなったら寺においで? 待ってるからさ」
秋羽伊那はベンチから降りたあと、鉈内に手を振って、
「うん!! バイバイお兄ちゃん!!」
「オッケーオッケー、また会おうね」
こちらも手を振り返してやると、秋羽は終始笑顔のまま踵を返して走り出した。小さな後ろ姿をきちんと見送ったあとに、鉈内も立ち上がって目的地に向けて足を運び出す。
「あっはは。僕ってばロリコンじゃないよね、うん」
自分に言い聞かせるように呟きながら歩いていると、ようやく駅の中に存在するショッピングモールに辿り着いた。ひとまず立ち止まって、七色から渡されていた買い物のメモを取り出して購入するべき物を確認する。
(まずは食品コーナーか……)
と、メモに従って買い物を始めようと歩き出した。
しかし。
ドン! その瞬間、誰かと肩がぶつかってしまった。
「あ、悪ィ」
「いや、僕のほうこそすんませ―――」
そこで衝突した相手の顔を見て仰天した。
なぜならその者の姿にはハッキリと見覚えがあったからだ。
右目を隠す長い前髪に全身黒ずくめの格好。目つきはとても悪いので、整っている顔が台無しになっている。身体は細身だがヤクザよりも凄みのある威圧感を放っていて、人が近寄らないことは明白だ。
向こうもぶつかりあったのが鉈内翔縁だと気づいたようで、その眼光は一層鋭くなった。
「どこ見て歩いてンだチャラ男が。ぶっ殺されてのかよ、あァ? つか殺すぞ」
「あー痛いわー、ちょー痛いわー。こりゃ慰謝料と治療費もらわないとマジでダメだわー」
夜来初三は鉈内翔縁を睨みつける。
鉈内翔縁は夜来初三を挑発する。
……まったくもって、いつも通りのやり取りだった。
「つーかよォ、大体何でテメェがここに居ンだよ―――殺すぞ虫けらが」
「いやいやー、実は夕那さんに買い物頼まれてさ―――死ねよボケナス」
彼らの毒を吐き合う会話には周りの人達もびっくりしているようで、視線が勝手に集まってしまう。しかしチャラ男とヤクザはそんなことを気にしないようで、
「どうやらあの世に旅立ちてぇのがテメェのマイブームらしいなァ。いっちょ死体になっとくか?」
「あー全ッ然結構だよ全然。僕の夢は長生きだからさぁ、やっぱ人生は長く楽しくなきゃねぇ」
二人はお互いの胸ぐらを掴み上げる。
明らかに殴り合う寸前の現場だった。周りからの視線の量も増加していっている。
「どォだ? そろそろ人生も飽きただろ? 俺が優しくハッピーにぶっ殺して人生に幕ゥ下ろしてやるから、いい加減楽になっとけよコラ」
「相変わらず短気で低脳なヤクザだねぇやっくんは。いい加減に頭脳派ヤクザに昇格したほうがいいよぉ? 今の時代じゃ暴力ヤクザは真っ先に逮捕されるから」
「安心しろよ青二才。人間なんざ殺したあとに海のど真ん中に沈めちまえば基本サツにゃバレやしねぇんだよ。だから安らかに永眠しとけよ豚が」
「あー怖い怖い。ここに完全犯罪企んでるアホがいるわーちょー怖い。僕ってばもう漏れちゃいそう、助けてムーミーマン!!」
道行く人達は警備員を呼んだほうがいいのではと考え始めている。それほどまでに彼らの喧嘩には相当の危険が漂っていた。
と、そこで登場してきたのが。
「小僧小僧、お菓子は一個だけなのか? 我輩チョコボールが欲しくてたまらんのだが―――って、なぜ貴様がここにいる小童」
床につくほどに長いストレートの銀髪に銀の瞳、漆黒の色をしたゴスロリ服を着用している見た目中学生程度にしか見えない少女が、てくてくと乱闘寸前の二人のもとへ走り寄ってきた。
その聞き覚えのある声に振り向いた鉈内。
彼の顔から血の気が一気に引いた。
「い、いやいや!! 僕はね、ほら! サタンさんの恋人のやっくんと仲良く楽しく元気に話し合ってただけですよ、マジで!!」
夜来の胸ぐらから手を咄嗟に離して、嘘百パーセントの弁解を始める鉈内。
サタンは少しムッとした顔になったが、
「また『やっくん』と言った……まぁ、いいだろう。ところで小童」
「は、はい! なな、なななんすか!?」
「恋人ではなく夫婦だ!! 二度と間違えるなゴミクズがァ!」
「す、すすすすすすんませんしたああああ!!」
先ほどの大喧嘩が勃発しそうだった雰囲気はサタンの登場によってかき消されてしまったので、周りの者たちも警戒や不安を解いて過ぎ去っていく。今回ばかりはサタンに感謝だ。
しかし夜来は納得できないことがある。
それは、
「あ? いや、違ェよ? 夫婦じゃねぇし恋人でもねぇよ?」
「ああ、そうだったな。すまない小僧。我輩達はおしどり夫婦だったな」
「さらに違ェよ!! なにレベルアップさせてんだよコラ!!」
「じゃあもういっそセフレでいいや」
「不純極まりねぇだろオイ!!」
ようやく安堵の息を吐いた鉈内。
サタンに対しての恐怖心がいまだに抜けきっていない彼にとって、平和的な展開に向かっている現状には安堵で一杯なのだ。また前回のように魔力の弾丸で脅されてはたまらない。
サタンは再び、よじよじと夜来の背中を木登りをするように登り始め、肩に到達すると同時に肩車体勢に戻る。どうやら肩車をかなり気にったようだ。
さらに彼女は夜来の頭に顔を突っ込むように押し付けて、
「小僧の髪、すごく良い匂いがする! なにこれなにこれ、めちゃくちゃパないぞ!! ふがふが!! すーはーすーはー!!」
「おいコラ気持ち悪ィからやめろオイ」
見た目が幼くなかったら変態としか認識できない行動を取ったサタンに、夜来のキレ気味の声が響く。
その様子を眺めていた鉈内翔縁は、小さく息を吐いてからこう尋ねた。
「んで、マジでやっくんは何やってんの? 買い物?」
「夕飯がねぇから食材ごと買いにきただけだ。つか、テメェこそ何やってんだ」
「僕も同じで、夕那さんから買い出し頼まれたんだよ」
「チッ。そういうわけかよ」
お互いに相手の状況を把握したようだ。
夜来は最後に吐いた舌打ちの後、特に挨拶をするわけでもなく鉈内の横を素通りして立ち去っていった。彼と彼の肩に乗っている銀髪の悪魔の後ろ姿を一瞥した鉈内は、静かに口を開く。
「本当、クッソ生意気な前髪ヤクザだねぇ」
そう言い残し、食品コーナーへ向かい始めた。
両手いっぱいに買い込んだ物を詰めたビニール袋を持ち運んでいる鉈内翔縁。
その重量に、帰り道を歩く彼は顔をしかめていた。
「クッソ……! マジ重い! もう昼ドラの恋愛ぐらい重い!!」
愚痴りながらも歩みを止めることはしない。早く帰らねば七色夕那にも迷惑をかけることになってしまうからだ。よって、七色が待っていることを強く思い出した彼は、遅く帰って怒られるのは御免なので、小走りを始めて帰路を辿る。
「あー、腹減ったなぁ。今日の夕飯なんだろ」
ようやく辿り着いた七色寺の境内。ここにくるまでに登った坂道のせいで、疲労はさらに膨れ上がっていた。早くシャワーで汗を流して夕飯を胃袋に押し込みたいと考える。
「たっだいまー夕那さん」
玄関の戸を開いて靴を脱ぎ、七色が待っているだろう部屋へ向かっていく。そういえば速水も出かける前にはいたが、さすがにもう帰っただろう。
「いやさぁ、やっくんと会っちゃって、ちょっと時間取られちゃったんだけど―――」
部屋に入って気づいたが、七色は電気もつけずに暗い部屋の中ですやすやと眠っていた。横に寝転んでいる彼女の姿が月明かりによって照らされている。
「まったく、そんなとこで寝たら風邪ひくよー? 風邪ってばちょー怖いんだよー?」
苦笑した鉈内翔縁。
腰に手を当てながら、睡眠中の七色のもとへ近寄っていった。
「ほら、起きて夕那さん。じゃないとご飯食えないよ」
ポンポン、と肩を軽く叩く。
それでも彼女は無反応なので、相当眠りが深いのだろう。なので今度は頬をぺちぺちと叩いてやったが―――これでも無反応。
さすがに眉をひそめた。
明らかに……おかしい。
「夕那さん? もしかして、体調悪いの?」
もしや、既に風邪にかかってしまったのだろうか。
鉈内は七色の小さな体を起こして、額に手を当てようとする。しかし、ようやく彼はそこで彼女の状態がどんなものかを察することができた。
「夕、那さん……?」
放心するように、呟いた。
現実を現実と受け止められない声で、だ。
「う、嘘で、しょ……? は、ははは。あ、ありえない、よ」
そっと、彼女の手首に手を添えてみる。
そう―――脈を測っているのだ。
しかし結果は、
「し、死んで……る……?」
色の消えた目を開けっ放しのまま、ぐったりと人形のように脱力している彼女を抱きかかえた状態で、彼はポツリと呟いていた。
単純に。
純粋に。
第一に。
意味がわからなかった。
彼はこう思う。
―――なぜ、買い物から帰ったら七色夕那が死んでいる?
視界がぐらりと歪んだ。
彼はこう考えた。
―――なぜ、普通に生活を送っていた七色夕那の脈がない?
頭の中で何かがはじけた。
彼はこう思案した。
―――なぜ、七色夕那の心臓は動いていない?
つまり。
結局のところ。
この現実を現実とは認識できなかったのである。
「あ、ああぁ……」
もはや何の意味もない声を絞りだすことしかできていない鉈内翔縁。しかし、現実は現実だ。一度起こったことは何があっても元に戻せることはない。
返ってきたテストのバツになっている部分の答えを消しゴムで消し、正しい答えを書き直してもバツは消えないのと同じだ。
何をやっても、起こったことはやり直せない。
よって、現状の答えは実に単純明快だ。
―――七色夕那は死亡した。
以上である。




