適材適所
唯神天奈は目を覚ました。気づけばある程度の応急処置を施された状態で、地面へ寝かされている。ただし妙なのは、地震が発生しているように大地が揺れ動いていたことだ。まるで巨人が何かを叩いているような、何かを叩き潰しているような、そんな現象が発生していた。
と、そこで唯神に声がかかった。
「起きたか!!」
チラリと見てみれば、すぐ近くに松葉杖をついた男がいた。彼は唯神の傍に近寄ると、なるべく丁寧に背中を支えて起こしてやっていた。確か唯神を保護した張本人の男だ。
唯神は霞む視界を使って、彼を探す。
「初三、は……?」
「それは後だ、お前が死んだらあのガキの俺が殺される。だから今は動くな。すぐに上岡さんが飛んでくるから、待ってろ。クソ!! 何でよりにもよって俺がここの指揮をとってんだよ!! 場違いばっかでふざけすぎだ!!」
唯神にとって聞いたことのない人名だったが、そんなことはどうでもいい。唯神天奈は少なくとも安全な状態じゃなかった。急いで最低限の処置を施さなければ、あの世へ旅立つことになる。
故に、大人しく寝ていなければならない。
だというのに、
「っく……!?」
苦痛に顔を歪めながらも、彼女は立ち上がろうとした。唯神が目指しているのは、大勢のゴツイ装備をした者たちの壁の向こう側だ。彼らが取り囲んでいる中心にいる、あの少年だった。
現場から離れたここでは届かない。
声すらも、届かない。
だから近寄る必要があった。
「なにやってんだ!! 大人しくしてろ!!」
「っ、離して!!」
しかし、立ち上がろうしている唯神を強制的に羽交い締めにしたのは先ほど男だ。無理やり寝かされそうになるが、必死に抵抗して抗う。
男の大声が響いてきた。
「バカが!! 死んだら元もこもねえだろうが!! 今はとにかく寝てろ!!」
「初三の、とこにいく!!」
「だから行ける状態じゃねえだろうが、待ってろ!!」
「嫌!! いいから離し―――」
言いかけたところで、唯神は口から血を吐き出した。腹部には穴が空いたままだというのに、ここまで動けたこと自体奇跡に近い。あっさりと崩れ落ちた唯神は、ぜえはあと荒い息を吐いて行動不能になる。
その様子に大きな舌打ちを男がした。彼は部下らしき重装備した者たちに声を荒げる。
「チッ!! おい、上岡さんはまだか!?」
「は、はい、それが向こうで作業をしているらしく到着に時間がかかります。大柴さんも少し休んだほうがいいんじゃ……」
「指揮取ってる俺が休んだら、また減給されるだろ!! ああくそ!! もう唯神天奈を中央病院へ運べ!! もう『デーモン』が非公式組織だからとか気にしてたら、この女が死ぬ!!」
「ですが!! そんな堂々と行動すれば上からだっていろい―――」
「この女を見殺しにしたら正気を取り戻した夜来に殺されるぞ!! 死にたくねえならとっとと運べ!!」
大柴という男の切羽詰った大声を、ぼんやりと薄れていく意識の中で唯神は聞いていた。このまま眠ってはまずいと分かっているのだが、どうしても瞼が重くなっていく。
血が足りないのか、傷が深いのか。
とにかく、視界が黒く染まっていく―――時だった。
「っ!?」
化物の笑い声が耳にぶち込まれて、思わず眠気が吹き飛んだ。恐ろしい、おぞましい、悪魔よりも真っ黒な笑い声。それは揺れる大地を呼応するように、狂気の音色を奏でている。まるで人の心をボリボリと食べていくような化物が想像できる声。
でも、どこか『あの少年』の懐かしさも感じた。
(ど、うして、私はあの人を救えないの。私は救われて、伊那も救われたっていうのに、私じゃあの人に届かない!! 何で、何でこんな、いつもいつもあの人は悪いものばかり背負って……!!)
まるで大量の警察に包囲されているテロリストの現場、のような光景が広がっていた。重装備をした無数の者たちが、銃火器の先を向けて囲んでいるもの。それが、ライブに参加するように集まっている武装集団の隙間からうっすらと見えた。
夜来初三だった。
狂いに狂って爆笑して、一人の銀髪の男に馬乗りになって拳を振り下ろし続けている夜来初三だった。彼が拳を振り下ろすだけで大地は震え、空は逃げるように雲を霧散させる。空気は怯え縮まるように重くなり、ズッシリと唯神天奈や他の者たちにのしかかってくる。
世界そのものが、恐怖していた。
夜来初三は、そういう化物だった。
(私じゃなくてもいいから……!! 誰でもいい、誰でもいいし何でもいいから……あの人を助けてよ……!!)
唯神天奈は無力だった。
夜来初三は助けてないと否定するだろうが、唯神天奈は彼に助けられた。家族を皆殺しにされて、その復讐で大勢の人間を殺し、最終的には孤独に成り果てた自分と一緒にいてくれた。
それだけで、もはや救われた。
彼女は夜来初三の過去を少しだけ聞いたことがある。故に、この武装した軍団に囲まれた彼の姿は実に『過去の夜来初三と同じ』だったのだ。彼は昔から自分を悪い人間にして精神状態を保つために、大勢の敵を作って殺し合いの日々を送っていた。そうして、今の彼という『自分を悪と肯定する』人格が出来上がったのだ。……これでは、彼をさらに悪くするだけだ。こうして銃火器に狙われて、囲まれていては、彼はきっと『撃たれても仕方ない、自分は悪人だから』と言って納得してしまう。過去と同じ運命を歩むハメになる。
もっともっと。
悪い人間になる為に『無理』をしてでも悪人になってしまう。
それは嫌だ。
自分は彼に救ってもらって、自分は彼を救えない。
そんなことだけは、絶対に唯神は許せなかった。
(……あの人を、助けてあげて)
だがしかし、自分じゃ出来ないと理解していた。聡明なゆえに、頭がいいゆえに、自分という女一人じゃ夜来初三には届くことすらないと分かっていたのだ。丁度、今のように、遠くから彼の壊れた姿を眺めることしかできない。
適材適所、みたいなものだ。自分は彼を救うという役目に適していない。いや、適することが絶対にできない。
故に、ただ祈る。
彼を救ってくれる、助けてくれる、そんな存在を信じて祈った。
全ての者が圧倒的な恐怖に身を蝕まれている。大柴という男が指揮っている部隊も、ただ固まって世界自体を屈服させている夜来初三から目を逸している。
闇が辺りを支配する。
もはや打つ手はない。誰にも彼は救えない。
そんな現実が突きつけられた時、
――――雪白千蘭が闇の中で輝いた―――。
夜来初三を取り囲んでいる武装集団を押しのけて、ゆっくりと、一切の恐怖を感じることなく、真っ白な少女は現れた。




