悪に染まりきれ
這うようにして、唯神を蹴り潰している雅のもとへ向かう。無様でもいい。哀れでもいい。惨めでもいい。敗者でもいい。今はただ、唯神天奈のもとへ向かうことしか考えなかった。
だがもちろん。
現実は残酷で、
「そこで見てろって言っただろうがァ!!」
雅がボロボロになった唯神の髪を掴み、乱暴に持ち上げた。さらに今度は彼女の服に手をかけて、上着をビリビリに破き捨てる。
夜来初三の目から血が吹き出しそうになった。
それほどまでに、血走った目になって、
「やめろよ……おい……」
「あァそうやって絶望してろよ!! ほら、どうするよオイ!! この女傷だらけで、もォ泣きやしねェし全裸にして張り付けにしてやるよ!! 言ったろ!? 俺はお前の前で唯神天奈を殺す、そうしてお前の精神状態を測るって。じゃあよォ―――ここでコイツ全裸にして皮でもゆっくり剥げばお前は泣くか? 性的なことは俺自身嫌だから純粋にキズモノにしてやるよ。あァ? どォ殺す? やっぱ子宮に石でも詰め込んで腹パンしてやりゃあ死ぬのか? あっひゃははははははははははははは!!」
「やめろ、よ、おい」
「やめねェよ」
雅はさらに唯神の服を引き裂く。ただ犯されるより、襲われるより、そんなやり方で処女どころか体を使われたら、それこそ残酷だ。もはや雅は徹底していた。彼はただ、唯神天奈の殺害と並行して夜来初三を絶望させるために行動している。
ニヤニヤと楽しそうに笑って、唯神を殺そうとしている。
「ハハ、ハハハハ!! どォだよどォだよ夜来先輩!! これが悪だ!! なァ、今の俺ってどう見える!? 悪だよなァ、『誰がどう見ても悪』だよなァ!! これが悪だよ、これが悪なんだよ、お前みたいに最終的には女に抱きしめられて説かされる程度のカスは悪じゃねェ!! こういう誰が見ても悪としか思えない行為こそが悪なんだよォォおおおおおおおお!!」
桜神雅の絶叫が響く中で、夜来初三はポツリと言っていた。
「……殺す」
唸るように、もう一度、
「……殺す」
呪うように、もう一度、
「……殺す」
狂うように、もう一度、
「殺す、殺すっ……! 殺ォォォォォォォォォォォォォォォォォス!! やめろ、やめろォォおおおおおおお!! ふざけんなよ、何で、何で―――が、ァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
意味もなく吠える。
ただただ、喚く。
そうしてでも、彼女は守りたかったから。
「動いてくれよ……なぁ」
自分自身に言う。
そもそも、今の状況は全てがおかしい。これは闇と闇の争いであって、唯神天奈は関係ないはずだ。夜来初三と桜神雅という悪と悪の戦いであって、唯神のような人間が巻き込まれることはないはずだ。
ふざけんなよ、と夜来初三は改めてその現実に吐き捨てる。
「動いてくれよ、なぁ!! なぁ!! 動けよオイ!!」
泣きそうになりながら、夜来初三は己に叫んだ。悪だ悪だと言っておいて、結局は雅という悪に負けた。悪が小さかったのだ。唯神天奈という大切な存在を殴り飛ばしてでも、雅をあのとき殺しておくべきだったのだ。
こんな失態を犯しては、悪もクソもない。
故に、夜来初三は心で叫ぶ。
(助けろよ、助けてくれよ……!! プライドもクソもねぇから、とにかく助けてくれよ!! なぁ、なぁ、俺!! 動けよォ!! 俺がこうして悪を見失ったからこうなったんだろうが!! テメェのケツだろ!! テメェで拭けよ!! 動け、動け動け動け動けェェェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
心での絶叫。心を破壊する絶叫。心を潰す絶叫。そんな己を攻撃するレベルの後悔と意思と殺意を胸に、夜来初三は情けない自分を断ち切ろうとする。悪だ。悪に染まれ。唯神天奈? 彼女がなんだ? 彼女を思って桜神雅を殺さなかったら、結局は唯神を桜神雅に殺されかけてる。……なんだそれは、結局は悪を捨てて唯神を思ったらこれだ。悪になりきれずに、中途半端なことをしたらこれだ。
悪に染まりきれ。
悪に従っていけ。
悪に全て委ねろ。
―――悪を貫いてみせろ。
(何でもいい!! もういい!! 殺したいんだよ、あのクソ野郎を殺したいんだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!)
再びの絶叫が頭の中で響き、脳を揺らした。しかし都合のいいパワーアップはない。ただ、大切なものが壊されていく光景を眺めるしかできない。
だが。
だがしかし、そこで聞こえた。
はっきりと、『アイツ』の声が脳を蝕んでいくように。
パワーアップはありえない。
しかし―――『選手交代』ならば話は別だった。
雅は唯神天奈をひたすらに潰していた。服を剥ぎ取るために手を動かすが、無意識にも再び殴り飛ばしてけり潰してしまう。もはや勝手に暴力が発生していた。
だが。
「っ!?」
ゾッッ!! と、背筋が凍りついた。空気が重くなり、気温が下がる。雅が嫌な雰囲気を察知したのは、遠くで倒れている夜来初三だった。
顔は見えない。
呆然としているのか、気を失っているのか、それは知らない。
と、しばし雅が夜来初三を凝視していると、
「アっひゃはははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
笑い出した。
いきなり、倒れている夜来初三が笑い出したのだ。今まで以上に黒い、邪悪で、凶悪で、狂気に変わり果てた笑い声を鳴らして、彼はゆらりと立ち上がった。
起き上がったその顔は―――。
ただの化物に変貌していた。




