これこそが悪
「おれは、そんなこと思って―――」
「思ってる!! 無意識に思ってる!! 思っていなければ私の前で殺しなんてしない!! それとも、私を傷つけることがあなたの望みなの!?」
「っ、ンなわけねぇだろうが!!」
「じゃあ、どうして私を傷つけるような真似をするの!?」
「そ、れは―――」
「もうやめて!! これは『自分を悪に肯定しすぎてる』よ!! やりすぎなの、あなたはもう、十分やってくれた……私と伊那のために悪者になってきた……!! 世ノ華たちのために、悪者になったから。十分、返り血を浴びた。死線をくぐった。殺し合った。悪人になったから、悪者になったから」
気づけば、唯神天奈に拳銃を取られていた。強奪するような動きではない。ゆっくりと、夜来初三の手から優しく殺人に使う道具を外していく。そうして、丸腰になった彼に彼女は微笑んだ。
取り上げた拳銃を捨てて、もう一度夜来初三を胸から抱きしめた。
「ね、あなたは十分、悪者になった。もういいんだよ。もう、そうやって悪者にならないでいい。あなたは、もう休んでいいの。十分、私達を悪者として守ってくれたから」
「……俺はクズだ」
「違う。あなたは悪いヒーローだよ」
気づけば、唯神天奈が頭を撫でてきていた。今まで悪と肯定しながら戦ってきた夜来初三を褒めるように、認めるように、包み込むように頭を撫でていた。
「いい。私は肯定する。あなたの進む道を肯定するから、安心して。あなたは私を傷つけてまで人を殺そうとする程度の『ちっぽけな悪』を背負うほど、安い悪人じゃない。あなたは、もっと、悪人でしょ。だからやめて。―――今は私を抱きしめればいいから」
もはや思考が止まっていた。夜来初三はその気になれば唯神天奈を押しのけることだって出来る。いくらサタンの魔力を抑えきれずにダメージを負ったからと言っても、女一人に圧倒されることはない。
では、なぜそうしない?
理由は単純だ。
「疲れたでしょ? いい、休んでいい。今は休んでいいから。私の傍で休んで欲しい」
疲れたのかもしれない。今まで、久しぶりに闇に堕ちて、ひたすらに悪として悪を潰してきたから疲れたのかもしれない。余分なほどに自分を悪と肯定して、『エンジェル』と戦い過ぎたのかもしれない。
もう、いいかなと思った。
十分なほどに自分を悪と肯定できた。ならば、今は少し休もう。唯神天奈のためにも、今は本当に瞼を閉じてリラックスしよう。
そう思って、夜来初三は唯神を抱きしめようとする。
だが、
ズン!! という肉が弾ける音と共に。
夜来初三の腕の中にいた唯神天奈から鮮血の花が咲き誇った。
驚いたのは唯神だ。自分の腹部に走る熱い違和感。それが出血と痛みによるものだとは、しばし気づくことが出来なかった。彼女が見下ろしている場所は自分の腹部にあるミゾ。そこには真っ白な槍が綺麗なまでに突き刺さっていた。
串刺しにされた唯神は、あっさりと、あっけなく、ポトリという効果音が適切なほどに、
「……」
何かを言おうと口を動かしながら、夜来初三の足元へ崩れ落ちる。その光景を前にした夜来初三は呆然としながら、見覚えのある槍を見つめていた視線をゆっくりと上げた。
そこには。
「何が本物の悪人だよ」
傷なんてない、出血なんてない、『無傷』の桜神雅が立っていた。彼の手には白い魔力がある。いつでも創造できることを示すように、輝きを発していた。おそらくは自分の傷すらも創造して治したのだ。些細な時間を与えたのが完全にミスだった。
雅は憤怒に顔を染め上げていた。
怒りという激情に身を任せて、叫ぶ。
「何が本物の悪人だよ!! 一流の悪人だよ!! バ――――――――――ッカじゃねェのォォおおおおおおおおおおおおおおお!? 結局はそこの女にすがってんじゃねェかよ、あァ!? 何が疲れただ。自分を悪に肯定しすぎただ!! 悪人だったら休む間もなく悪でいるべきだろォが!! そこの女も邪魔なら殺せよ!! 邪魔なら壊せよ!! お前は結局悪人でも善人でもねェ中途半端な悪たれだろォがァァあああああああああああああ!!」
雅は夜来初三の中途半端さに腹が立ったのだ。あれだけ悪だ悪だと説教してきたくせに、誰よりも悪を重視していたくせに、最終的には家族の温かさに流されていた。それで何が『悪』だ。どこにも『悪』なんて見えないじゃないか。
だからこそ。
同じ悪人である雅は、夜来初三に怒りを覚えていた。
「いいぜ、手伝ってやるよ!! てめェが散々吠えてた悪ってモンを見せてやる!! オラ、きちんと体験学習してろよゴラァ!!」
雅は直後に腕を軽く振った。すると、槍が突き刺さったまま倒れている唯神天奈がビクンビクン!! と震えて、血を吐き出した。何をしているのかは知らない。ただ、雅の目的はそもそも『唯神天奈の殺害』だ。
ならば予想はつく。
故に、夜来初三は思わず動こうとしたが、
「邪魔なんだよ小悪党がァ!!」
天使の魔力が閃光として突っ込んできた。『サタンの呪い』を全力で引きずり出したことで『絶対破壊』を解いていた夜来は、無様なほどに後方へ転がっていく。
遠くでは大柴亮が『デーモン』の部隊へ指示を出しているようだったが、とてもじゃないが部隊は動けない。唯神天奈という一般人がいる中に拳銃だって向けられないだろう。それに雅は怪物の力を振るう。
故に、ただ傍観することしか出来ない。
「夜ァァァァァ来ちゃァァァァァァァァァン!! よーくよーくよーく見てろォ!! これが悪だ!! これこそが、『誰が見ても』悪だと認識される絶対の悪だァァああああああああああああ!!」
吠えた雅が、気づけば転がっている唯神の傍に立っていた。先ほどの一撃によって、夜来は口から血を吐き出して呻き倒れていた。『サタンの呪い』を全力で引き出した結果、この有様だ。本末転倒にも程がある。
「よォく見ろよクソ野郎!!」
雅が唯神の脇腹を蹴り飛ばした。グシャ!! という肉や骨が丸々潰れたような音と共に、ビシャリと地面には鮮血が走る。唯神の口から莫大な血が飛んだのだ。まるで水道から蛇口をひねったようにダバダバと血を吐き出す唯神は、もはや目に色がない。
今にも。
死にかけている、生気のない目だった。
「っ」
その事実を認識した瞬間、夜来初三は倒れたまま動かないことを無視して雄叫びを上げる。
「やめろ!! やめろォォおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「やめるわけねェだろォがァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
夜来の大声を己の怒声で打ち消した雅は、さらに唯神を蹴り潰す。腹部に槍が串刺しとなって突き刺さっている唯神をさらに暴力で蹂躙するのだ。ドンゴングチャボキガンバキィッッッ!! という、暴力の証拠を表す音と合わせるように、命の灯火が消えていくことが理解できる。
「あ……ぁ……」
唯神の小さく呻く声が、さらに消えそうになる。死ぬ。このままじゃ唯神は死ぬ。そう確信した夜来は即座に立ち上がろうとしたが、
「動け、よ……!!」
動かない。
立ち上がれない。
地面にうつ伏せで倒れたまま、動けない。
「動け!! 動けよッ!!」
動けるなら何でもする。唯神の傍に行けるのなら何だってする。そういくら神に誓っても、状況は何も一変しない。唯神天奈の目を見開いて血を吐き出している残酷な光景を観賞するしか出来ない。
「動けよォォおおおおおおおおおおお!!」
叫んだ。
自分自身に叫んだ。
「動け!! 動けェええええええええええええええええ!! 動けっつってんだ!! 動けよ、動けよ動けよ動けよ動けよ動けェェええええええええええええええええええええええええええええ!! 動けよクソがァァあああああああああああああああああッ!!」




