殺せる
豹栄真介はこれで五十回ほど死んでいた。同時に五十回ほど生き返っている。しかしここで突然の疑問だが、彼が『呪いの侵食』に遭った光景はなかった気がする。夜来初三などはすぐに顔を『サタンの皮膚』を表した紋様が覆って『呪いの侵食』が始まるが、豹栄真介は侵食されるようなことは少ない。
と、いうのも単純な話だった。
夜来初三は魔力を使う。それはつまり、彼の場合は魔力を出し続けながら戦う戦闘スタイルが頻繁だ。魔力をまとった『絶対破壊』も、魔力を出しているからこそ扱える。すなわち『永続的』に呪いを使用しているのだ。
しかし。
豹栄真介は彼とは違う。翼を出している間は呪いを使用している状態だが、しまってしまえば夜来初三のように『永続的』なわけじゃない。不死身の力だって、一度死んだら一度呪いを使うだけ。つまりは呪いを使用する時間が総合的に夜来初三より少ない。
だから彼は、あまり呪いの侵食に遭うことはない。
しかし、
「……ちっ」
豹栄真介は胸に空いた傷を再生させて生き返った。尊宮の生やした翼がまた突き刺さってきたのだ。しかしここで問題なのは傷ではなく、豹栄真介の右腕だった。
彼は右手にゴム製の白い手袋をはめている。
理由は『ウロボロスの牙』を表した刺青のような紋様が手の甲にあるからだ。二本の犬歯が描かれたドス黒い紋様。『ウロボロスの呪い』を宿している証拠のものだ。
よって、普段は白手袋をはめて隠している。
(まずいな)
しかし異変が手袋の中で起きていた。―――五十回も死んで生き返ったことで、呪いを使いすぎたのだ。すなわち呪いの侵食。手袋の中では牙を表した紋様が、スーツの袖を通り越して肘あたりまで伸びていた。焼けるような熱い感触が、豹栄真介を乗っ取っていくようだ。
「アンタ、そろそろやばいんだろ?」
その状態を悟ったのか、尊宮は尋ねてきた。
豹栄真介は吐き捨てるように言い返す。
「主語つけろよ、ナルシスト。小坊からやり直せ」
「威勢だけは止まらないか。アンタ、俺に勝てないってわかってんの?」
「あん?」
「犬が騒ぐなよ。そろそろ『殺して』やるから、感謝しろって」
そう言った尊宮の背中から、一瞬でウロボロスの翼は消えた。魔術を解除したのだろう。しかし妙なのは、翼を捨てた彼がどう行動するかだった。
尊宮は右手を豹栄真介にかざす。
ゆっくりと、五本の指を開いて。
「俺だけはアンタを『殺せる』んだよ」
宣言したと同時に、尊宮がかざしている手が激しい発光を見せた。目が潰れそうになる光に眉根を寄せた豹栄真介は、一度だけ相手から距離を取る。三歩ほど後退し、様子見に移ったのだ。
すると、次第に光は弱まり、消える。
「じゃあ、豹栄真介。感謝しろよ?」
「あ? 何ほざいてんだ?」
「殺してやるから感謝しろって言ってんだ」
気づけば、尊宮瞬は右目から血を流していた。失明したのではと確信するほど、夥しい出血が目立つ。それに眉を潜めた豹栄真介に構わず、尊宮は腰から一丁の拳銃を取り出した。
馬鹿か? と首を傾げる豹栄真介。
絶対に死なない自分に何をするのかと思えば、鉛玉をぶつけるだけか。そう思って油断したのだ。今の今まで死ぬことなんてなかったから、危機を察知できなかったのだ。
バン!! と銃声が鳴り響き。
豹栄真介の腹部に弾丸が入り込み、背中から貫通していく。傷口から血が漏れ出てきて、致命傷を負った。しかし豹栄真介は落ち着いた調子で笑みを浮かべる。
そう、不死身な故に扱える超速再生を使用したのだ。
「……」
だが、笑顔が固まった。『傷なんて治せばいい』と余裕だった顔が、ピシリと凍りついたのだ。豹栄は口から血を吐き出して、ついに―――ドサリと地面へ倒れふした。
「何、で」
おかしい。
おかしいのだ。
豹栄真介は続けて、吐き出すように呟く。
「治せ、ない……!?」
いつものように傷が塞がらない。いつものように再生できない。いつものように生きていられない。全身から力が抜けていき、『死んでいく』体験を豹栄は味わっていた。
遠くで、尊宮瞬の無情な顔が見えた。
「俺がここで下ろされた理由、教えてやろうか? それはアンタに対抗できるのが俺だけだからだよ」
「が、っは……!?」
「どうだ? 久しぶりなんじゃないの? ―――痛みに苦しむってのは」
ゆっくりと豹栄の傍に近づいていく尊宮瞬。
彼は黒塗りの拳銃を握り直した。右目から流れてくる出血に忌々しそうに眉根を寄せて、続ける。
「アンタは不死身だ。だから俺は『豹栄真介の回復能力を奪う魔術』を『右目』を代償に使ったんだよ。おかげで集眼デビューだ。まぁ、目一つでアンタの命買えるなら安い買い物だな」
「―――っばッハァ!?」
豪快に血を吐き出す豹栄を傍で見下ろして、尊宮は軽い調子で言う。
「ああ、当たり所が悪かったんだろ? 多分、肺か胃袋を貫通したんだろうな。その傷口の場所じゃ内蔵やられたろ」
「……く、……そ野郎がァ……!!」
「なんだ、まだ喋れんじゃん」
右目をあっさりと代償にした尊宮だって重傷だ。豹栄真介の回復能力を奪うためだけに、片目を捨てた彼の神経は狂っている。
それほどまでに豹栄真介の脳に興味があるのかどうかは知らないが、とにかく彼は『知識を欲しすぎて』いて壊れていた。ただ、知識に貪欲なだけ。それだけで、彼はこうして右目をなくしている。
おかげで豹栄真介に攻撃が通じているが。
「じゃあ、あばよ悪人。俺もアンタも悪人だ。それも狂った悪人だ」
「っば……ぐ……!!」
「無理にしゃべるな。どうせ死ぬんだから」
尊宮はゆっくりと握っている拳銃を豹栄真介の心臓部に向ける。頭を狙わないのは、後々脳みその研究に勤しむためだろう。自分とは違って、妹という家族のために闇に堕ちている豹栄真介の思考回路を少しでも知るためだ。
「アンタも悪人としてのプライドがあるだろう。だから殺すのが俺で良かったな?」
引き金に指をかけて、
「悪人に殺されるほうが悪人らしい末路だろ」
直後に。
バン!! という銃声が鳴り響いた。
尊宮瞬は、ゆっくりと自分の胸に目を下げる。熱いのだ。まるで内側からライターで炙られていくような、猛烈な熱を感じる。
「……おい、おい」
胸には穴が空いていた。豹栄真介に向けていた拳銃も、ズルリと手放してしまう。同時にヨタヨタとふらつきながら、青い顔をして振り向いた。
そこには杖をついた男がいる。
離れた場所だ。手には黒塗りの拳銃が握られていて、硝煙が巻き上がっている。発砲による衝撃を抑えるために、白い建物の外壁に寄りかかっていた。
つまり、大柴亮だ。
彼が尊宮瞬に風穴を開けたのだ。
「どうしたんだ? さっさと『魔術』を使えよ」
大柴は遠くからそう勧めてきた。軽く笑いながら、鼻を鳴らして。
対して尊宮は、なかなか魔術を使おうとしない。代償とやらを少し払えば、一センチ程度の風穴は治せるはずだ。
だが、なかなか魔術を発動しない。
いや違う。
「魔術が使えないんだよな、ムカつくイケメン糞野郎」
大柴の声だけが響き渡った。苦い顔をしている尊宮は、驚愕したように目を見開いて大柴を見る。すると彼は杖をついて歩いてきた。カツカツと松葉杖の音が鳴る中、大柴は口を開く。
「俺がただ観戦してると思ったか? お前は豹栄さんに夢中で俺にゃ目も向けなかったからな、そこが敗因だろうよ」
「アンタ……気づいた、のか……!?」
「見てりゃ分かる。まぁそうだよな。魔術なんて便利なモン、それなりのデメリットがあって当然だ。代償を払うデメリットも納得いくが、何より不便なのは―――」
大柴亮は拳銃を杖をついてない手で構えて、照準をつける。尊宮の顔をロックオンして、静かに淡々と告げたのだ。
「魔術は『同時使用』できないんだろ?」
「っ」
「最初に豹栄さんの翼をコピーしたときから、薄々は思ってたよ。だってお前、コピーした翼だけで戦うんだもんよ。さらに次は豹栄さんの回復能力を奪った。だが、その回復能力を奪う魔術を行使する前に、お前は何をした? ―――『コピーしていた翼をしまって』から、豹栄さんの回復能力を奪ったよな? 使っていた魔術を閉じてから、新しい魔術を開いたよな? 魔術は一つ限定なんだろ。『魔術を使っている間は、他の魔術を使えない』んだ。だからお前は、拳銃を使って豹栄さんを攻撃した。なぜなら豹栄さんから回復能力を奪っている魔術を使っているから、別の魔術は一切使えないからだ」
つまり、と付け足して、
「魔術を使っている今のお前は、弾丸を防ぐための魔術すら使えない『的』なんだよ」
バンバンバンバン!! と、連続して銃声が鳴り響いた。尊宮の頭に弾丸が複数叩き込まれたのだ。グラリと倒れた尊宮は、瞳孔を開いた状態で生命活動を停止させた。普通ならば目ぐらい閉じてやるのが情けだが、大柴亮はそんな面倒なことはしない。
「逃げたんじゃなかったのか」
ふと、背後から声がかかった。振り向いた大柴が見たのは、尊宮が死んだことで『回復能力を奪う』魔術が解除された豹栄真介だ。傷なんて微塵も残っていない彼は、コキコキと首の関節を鳴らしながら、
「ま、役に立つ部下で助かったわ。減給は考えてやる」
「それはホントに感謝します」
「ところで、よく分かったな。そこで死んでるアホのトリック」
大柴はチラリと死体に目を向けてから、
「ええ、豹栄さんがやられているのをじっくりと眺めて暴けましたから」
「やっぱお前、減給決定だ」




