ギャップ
夜来初三はここ何ヶ月ほど戻ってこなかった自宅のマンションへ来ていた。上岡真が『呪い』のチカラで連れてきれくれたのだが、お礼を言うほど暇じゃない。
彼はマンションの階段を駆け上がった。
すぐ様、懐かしい我が部屋の前にたどり着いた瞬間にドアを開こうとする。しかし鍵がかかっていた。ガチャガチャと閉鎖されている音が響くだけで開放されない。
「チッ!」
故に、自宅の鍵だなんて既に持っていなかった夜来初三は、殴り込みをするようにドアを全力で蹴り破った。壊したドアならば、金さえ払えばいくらでも治せるので問題はない。
しかし。
唯神天奈の命だけは、壊されたら治らない。
だから、ドアくらいどうでもいいのだ。
「っ」
リビングにたどり着いた夜来初三は、思わず足を止めた。なぜなら誰もいなかったから。どこかに外出しているのか、唯神天奈も秋羽伊那もそこにはいない。よく自分が愛用していた白ソファがあるだけで、誰一人家族の存在はなかった。
クソ、と吐き捨てた夜来は壁にもたれかかった。
これでは唯神を保護できない。目に見える場所に彼女がいないことで、不安感が押し寄せてくるのだ。
「ま、良かったんじゃないですかね」
そこで上岡真がリビングに足を踏み入れた。余裕のない夜来の顔を見てから、彼はもう一度口を開いた。
「敵だって唯神さんの自宅―――ここに踏み込んでくる可能性があった以上、彼女がいないということはラッキーだと考えましょう。意識を切り替えなさい。今は唯神さんを捜索することに集中です」
「……分かってる」
こういう時に限って判断能力が高い上司に吐き捨てた夜来。彼は早足でリビングの中を見渡して、唯神天奈の居場所を突き止めるために頭を回そうとする。何か彼女の居所を知るヒントがあればいいのだが、家の中にそんなものは見当たらない。
「クソが!! どこ行きやがった、あのまな板娘!!」
「まぁ、居場所が分からないんじゃ動くのもためらいますね」
上岡はチラリと部屋に飾ってある時計に目をやった。
時刻は三時。
真昼間な時間帯だった。
「うーん、ちょっと危ないですね。今の季節じゃ夕方になってもあまり暗くはなりませんが、夜になる前に見つけないと」
「……三時か」
夜来初三は呟いた。
そして頭をオーバーヒートするレベルで回す。三時という時間帯から、一つの答えを導き出そうとしているのだ。唯神天奈と生活していた彼は、彼女の行動パターンを必死につなぎ合わせていた。
(待て、三時だと? あの面倒くさがりな女は三時に外出なんてしねぇ。午前中は爆睡して午後になってから起きることが多いほどだ。こんな中途半端な時間じゃ面倒くさがって外出なんて嫌がるはずだ。あのガキが連れ出したなら分かるが、夕飯の準備だってそろそろしなきゃならね―――っ!)
そこで気づいた。
夜来初三は急いで冷蔵庫のもとへ向かう。壊す勢いで家電製品を扱った彼は、冷蔵庫の中身を見て確信した。間違いなく、唯神天奈がどこへ向かっているのか理解できた。
空っぽの冷蔵庫の中を見て、彼女が買い物に行っていると察したのだ。
(あのバカは料理だって得意じゃねぇ。冷凍食品オンパレードの飯を俺に食わせたくらいだ。なら『冷凍食品すらねぇ冷蔵庫』から分かるだろうがよ! あいつァ絶対飯を買いに行ってるか、食材を調達しにいってる。だったらクソガキ三号と外出してんのも頷ける!!)
「おいクソ上司、街だ!! あの女は街の中心部で飯を買いに行ってる!!」
「おや、そうですか。確かに納得行きそうな推理ですね。というか、それ以外に考えられませんし……行くしかないですね。もうあてがないです」
だが、目的地を絞ることが出来たそのとき。
「ヤッホー。ひっさしぶりだな、夜ァ来くん」
聞き覚えのある、クソ野郎の声が聞こえた。夜来初三がバッと振り向くと、いつの間にか由堂清と見覚えのない一人の少女が部屋の隅に現れていた。
由堂清。
殺したい憎き相手だ。
しかし夜来初三に、そんな時間は微塵もない。唯神に危険が及んでいる以上、彼女の保護だけが最優先事項だった。
故に、
「上岡サン、頼むぞクソッたれ」
「はは、敬語で呼んでもらえましたし仕方ないですね。それに僕たちは『エンジェル』対抗組織『デーモン』です。『エンジェル』と敵対することは仕事ですから、頼まれなくてもやりますよ」
上岡の柔和な笑みが、由堂清の方へ向く。
「久しぶりですね、由堂さん。僕のこと覚えてますか?」
「ああ、シスコンの上司だろ?」
「うわー、すっごい歪んだ認識ですね。確かにシスコンが部下ですけど、僕はシスコンじゃないですよ」
「シスコンはシスコンを呼ぶって言うだろ? 言い訳は見苦しいぜ上岡くん」
「偏見すぎて悲しいです、はは」
上岡と由堂の対峙を眺めていた夜来初三は、チラリとベランダから見える外へ視線を移す。今ならば行ける。余計な戦闘は避けて、唯神のもとへ迎えるはずだ。
よって、夜来初三はベランダから一気に外へ飛び降りた。窓ガラスをぶち割って、手すりから勢いよく飛んだのだ。
だが、若干の浮遊感を感じていた夜来の耳に、
「祓魔師・三浄蘭です。よろしくね夜来くん」
ズガン!! と脇腹に異変が走った。同じくベランダから飛び出てきていた三浄蘭が、悪魔祓いの短剣を投擲してきたのだ。腹にささった刃物のせいで、口から血がこみ上げてくる。『絶対破壊』が効かない攻撃を前に、夜来初三は抵抗できずに地面へ落下した。
(祓魔師、二人ってわけかよ!! ふざけやがって、そんなモンこの時間のねぇ時にどうしようも―――)
苦い顔をして立ち上がった夜来初三。
しかし追い打ちは続く。同じく地面へ着地した三浄が、長い長剣を握りしめて迫ってきたのだ。あの剣は、確かザクロという『悪人払い』も使用していたものだ。自分の力は何一つ通じない―――天敵同然の武器。
まずい、と察した時には遅かった。
気づけば、目の前で剣は振り上げられていたのだ。
(―――っ、やば)
「じゃあ、とりあえず上半身はもらうね」
だが。
そのとき、対処できない事態だったそのとき、
ドン!! と、剣を振り上げていた三浄蘭に何かが激突した。
それは祓魔師・由堂清だ。頭から血を流していた彼は、三浄蘭を巻き込んで地を転がっていく。予想外の現象にしばし呆然とした夜来は、そこで隣から聞こえた足音で我を取り戻した。
「はは、いやいや危ない危ない。由堂さんを投げて正解でしたね、おかげで部下を守りきれました」
上岡真だった。
彼の口ぶりからして、あの短時間のうちに夜来初三では手も足も出なかった由堂清をボロボロにして、三浄蘭に投げ当てたのだろう。彼の戦闘能力を具体的な部分まで知らない夜来だったが、助かったことには息を吐く。
立ち上がって、『サタンの呪い』を発動させて、飛んでいく準備をして、
「いい上司を持って最高だよ俺は」
「いえいえ、夜来さんにデレてもらって僕も嬉しいです」
直後に。
夜来初三は凄まじい速度で跳躍した。まるでロケットのように立ち去った彼は、振り返ることなく街の中心部へ向かう。
その背中を見送った上岡は、笑顔を二人の祓魔師に向け変えて、
「じゃあ、僕がお相手しますね。ご指名の夜来さんとは遊べなくてすいません」
「……あーあーあーあー、マジでお前だけは勘弁だったよ」
のそりと起き上がった由堂清は、嘆くように言った。
彼の隣では、三浄蘭も苦い顔をしている。
「ねぇ、ほんとに上岡だけは嫌なんだけど。ってか、アンタってもともと私たちサイドじゃなかったっけ? 上岡、アンタってもともと『エンジェル』側だったわよね?」
「ええ、まぁ実験に利用されていただけですが、そうなるんですかね」
「だったら少しは手加減してね? 私ってば女の子なのもあるし」
「おや、女性に容赦なく手を上げる人間に僕が見えますか?」
上岡の笑顔が濃くなる。
その胡散臭い笑顔を前にして、三浄蘭は告げた。
「ギャップってレベルじゃないわよね、アンタの本質」




