人は誰でもコケるもの
夜来初三は『デーモン』のアジトへ戻ってきていた。アジトは地下施設故に、入口へ入ればすぐに日光は遮断される。さしていた黒い日傘もワンタッチなのでボタンを押せばすぐに畳めて、腰のベルトへかけてフリーな格好で歩けるようになるのだ。
が、利点はそこだけではない。
最後のメリット? デメリット? は実に単純明快なことで、
「小僧は最近我輩を構ってくれないから嫌です。我輩はMに目覚めちゃいそうです」
いつの間に出ていたのか、夜来初三の体内から離れた大悪魔サタンは露骨に頬を膨らませていた。プクー、と膨らんでいる頬は小さい見た目故にただの可愛い小学生にしか見えない。
服の袖をグイグイ引っ張っているサタンを一瞥し、夜来は大きな溜め息をはいた。
「テメェなぁ、構ってくれないからじゃなくて俺は構ってやれないんだよ。相手したくても毎度毎度『エンジェル』の下部組織ぶっ殺す重労働が俺を熱く待ってんだよ。疲れてるからちったぁ我慢しろガキ」
「ほうほう、つまり小僧は我輩を構ってくれる意思はあるわけだ。さんざん『俺はガキに興味なんざねえ』的な態度とってたけど、じつは我輩とくんずほぐれつして裸になりたいわけだ。まったくもう、お茶目で可愛い小僧だなぁ」
「一生口聞かねぇからよろしく」
「うわああああああああああ!! ごめんさい! 違うから、我輩が悪かった―――ああ早歩きでいかないで小僧! 待って! スタスタ歩いて置いてくなばかぁ!!」
サタンを背にしてズンズンと歩いてく夜来初三は、後ろから追いかけて来る足音を耳にしながら立ち去っていく―――途中で、カツンと床へつまずいてしまった。
「あ」
間抜けな声と同時に、夜来はギャグマンガのように顔面から転倒してしまう。ゴン!! と痛々しい音が炸裂し、うつ伏せの状態から動かなくなった。
ピクピクと動いた指先。
夜来は『早歩きしてたら平面の床ですっ転んだ』自分に恥ずかしさがいっぱいなようで、しばし顔を上げられずに沈黙する。
が、ハっとして振り返ってみると、
「ぷ、ぷ……ぷ……ぷぷ」
そこには爆笑を堪えている銀髪銀目の幼女悪魔がいた。
対し、夜来は無を表すかのように沈黙する。
「………………………………………………………………………………………………………………」
「ぷ、ぷぷ―――ぷっははははははははははははははははは!! ゴンって、クールキャラな小僧がゴンって顔から転んだ! くっはははははははははははははははは!! はは、はははは!! だ、ダメだ、笑いが止まらんぞ!! し、しかも小さいわが、我輩でさえ転ばない平面で顔からって、ぷっはははははははっはは!! 天然キャラに変わったのか小僧、ぷっ、はっはははははははははははははははははははははははは!!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………一生口聞かねぇからなクソ悪魔がァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
マジで恥ずかしくなった夜来くん(クールキャラだった少年)は今度こそ全力疾走で走り抜けていく。背後からは『ああ、小僧の赤面を拝めない!!』だのと吠えている幼女悪魔がいたが気にしない。
だが、意外にも夜来くん羞恥の逃亡はあっけなく終わりを告げる。
ドン!! と、曲がり角で誰かとぶつかって体勢がよろめいてしまったのだ。
しかも相手が最悪で、
「し、シスコン!? て、テメェどこに目ぇつけてやがんだゴラァ!!」
ぶつかったのは任務から帰ってきた豹栄真介だった。しかし彼はいつものようにいがみ合ってくる真似はせず、なぜか顔をあからさまに逸している。
そう。
なんというか……夜来初三がキャラでもないコケ方をしたのを見てしまい、思わず爆笑を堪えているような感じで、プルプルと肩を震わせていたのだ。
「い、いや、あ、ああ、ごめ―――っく、くく、お、俺が悪かった、く、ふふ、ああ、ああ、ぶつかった俺が悪かった、ま、マジでごめん。い、いろいろごめん……! く、くっく!!」
「―――俺だってコケる時ァコケんだよくっそがァァあああああああああ!!!!!」
マジでもう本格的に死にたくなってきた少年は、因縁が深い豹栄真介から逃げるように爆走していった。どうやら人は誰であろうとコケるときはコケるらしい。それが短気でガラが悪くて俺様な夜来初三であっても変わらないことが実証されたようだった。
ちなみに、この後サタンは一時間の謝罪会見を夜来初三に行って会話できるようになったという事実が裏にはある。つまり人はどれだけクールで格好よくても所詮は人だということである。
「っていう感じの出来事があって遅れました。いやー爆笑でしたね、あのクソガキのゴンは。ゴンですよゴン。もうなんていうか今までの鬱憤が晴れすぎて気分が最高です。はは、ホントそのまま死んでりゃ良かったのによ」
「まぁ、豹栄さんと夜来さんが仲良くなったのは僕としてはいいこ―――」
「誰がそこのシスコンなんぞと仲良くなるかァァああああああ!!」
場所は拷問部屋だ。部屋の使用目的が拷問という血生臭いものにも関わらず、夜来初三、上岡真、豹栄真介、大柴亮は平然と集まっていた。周りにはボロボロになっている拷問用に捕まえている『エンジェル』の男女が椅子に縛りつけられているが、彼らはそんなことには目もくれない。
「ふざけやがって!! 何でコケただけで俺ァ人生詰んじまった感じになってんだよ!! あぁ!? マジで全員殺して死んでやるぞゴラァ!!」
「理不尽すぎるだろ……」
大柴の一言で冷静さを取り戻したのか、夜来はぜえはあと肩で息をしながら大きな舌打ちを鳴らす。そこで夜来の傍らにいたサタンが恐る恐るといった調子で口を開いた。
上目遣いで、夜来を見上げながら慎重に尋ねる。
「あ、あのー、小僧? さっきはすまないな、その、笑ったりして」
「………………………………………………………………………………………………………………」
「こ、小僧!? 許してくれたろ!? どうして何も言ってくれないんだ!? 我輩ワンワン泣いちゃうぞ!?」
「―――え? ああ、サタンさんですか。さっきはお見苦しいとこをお見せして申し訳ありませんでした。もう怒っていませんのでご安心を」
「怒ってるだろう!? だって小僧が『敬語』使ってるんだもん、絶対怒ってるよなそれ!! え、ていうか待って小僧! あ、あのな? いつもみたいに殺すぞゴラーとか死ねアホとか言って? ね? 敬語とか『さりげなく相手と距離を取る』言葉だけはやめて? やめてよね!?」
「ハハハ、怒ってねぇですよクソ野郎さん」
「敬語といつもの口調混じってるから! こ、小僧、お願い許して! そんな無理な敬語とか使ってまで我輩と距離をあけないで!」
本格的に涙目になっている銀髪幼女悪魔と、目が死んでいる夜来初三の大騒ぎに笑い声を上げたのは上岡真だ。抱きついてくるサタンをいなしている夜来から視線を外し、上岡は『目的』へと顔を向け変えた。
「どうですか? これで役者はほとんど揃いましたけど、まだ耐えます? ぶっちゃけ僕なんかより夜来さんとか豹栄さんの方が『イカれた』やり方で拷問しますけど。そろそろ何か吐いてくれないと……死んじゃいますよ、ダルクさん」
上岡が見下ろしているのは椅子に縛りつけられているダルク・スピリッドだ。ただし彼の惨状はあまりにも酷い。
髪の毛を燃やされて頭皮はズタズタでピンク色。前歯は全て折られていて、そもそも喋れるような口ではない。爪は全て『根元』から剥がされていて、肉だけの指が出来上がっている。
もちろんやったのは上岡真だ。
ニコニコ笑顔を崩さずに、彼は躊躇いもなくここまで気軽にやってしまう。
が、そこまでされてもダルク・スピリッドは口を割ってくれないのだ。何一つ大きな情報を吐いてくれない固い口は、さすがは『エンジェル』の上の人間というところだろう。




