気まぐれ
本日は日曜日。
子供からしてみれば通学がないので学校は休み、大人からしてみれば出勤がないので仕事はない、ほとんどの人間が味わえる休日という日だ。
子供連れの家族などは仲良く遊園地にでも訪れるのだろう。想像してみれば、見てて微笑ましく思える光景だ。
が、この家族は少々事情が事情ゆえに違う。
唯神天奈は天山市中央病院の廊下を歩いて外へ向かっていた。傍らには秋羽伊那という幼い女の子がいるので、はたから見たら姉妹や親子に認識されるかもしれない。
その後ろには、眠そうな顔をした灰色じみた長い髪の毛を伸ばしている女医・五月雨乙音がいる。
「じゃあ、気をつけて帰りなよ。私は医者だが怪我を負ったものしか助けられない。怪我を負うかどうかという問題に関しては無力だからね」
「ん。理解してる」
場所は病院の受付近くだ。目の前には大きな自動ドアがあるので、正面玄関からすぐに外へ出れる。朝日が病院に差し込んでいて気分がよくなる時間帯だった。
カウンセリングが終わったので、唯神たちは今から帰宅する。故に見送りをしに玄関までついてきた五月雨は無表情な顔を傾けて、
「そういえば、君たちは二人だけで生活していけているのかい? 頼れる家族も親戚も誰一人いないのでは、お金とかはその手の施設が送ってくれているのかい?」
「ん。大体合ってる。日本は子供には優しい国だから、伊那とか私もある程度の免除みたいな形で最低限の保護はある」
「ふむ。ならばいいのだが」
「それと家族ならいる。誤解しないで欲しい」
唯神はじっと五月雨を見つめて、
「もう一人、出張中のあの人がいる。私、伊那、あの人、三人が家族。三人家族、だよ」
「……強固な信頼関係……いや、家族関係だね。素直に君たちは輝いて見えるよ」
そこで、唯神と手をつないでいる秋羽伊那が騒ぎ出した。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 今日は買い物行くんでしょ? 早くいこ、私がご機嫌度マックスのうちに早くいこー!」
「まだ午前中だよ。私は病院までの旅路で疲れたから帰って寝る」
「ええ!? 昨日は八時に寝て今日の十時に起きたのにまだ寝るの!? じゅ、十四時間も寝たのにまだ帰って寝るの!?」
「私は眠ってないと胸が爆発して子供が産めなくなる病を抱えている。だからしょうがない」
「お、お姉ちゃんのおっぱい爆発しちゃうの!? そ、そんなの嫌だよ! だったらたくさん寝ていいからねお姉ちゃん!」
「そうそう。物分りがよくていい子だ―――」
「あれ? でも天奈お姉ちゃんって爆発するような『おっぱい』っていうか、お胸ないよね?」
「が、っは……!?」
思わぬ精神的ダメージによって血反吐を吐きそうになった唯神。これが冗談やからかっているだけの発言ならば耐えられただろうが、秋羽は純粋な疑問を投げかけてきたのだ。
威力は凄まじい。
故に折れそうになる膝で無理に立ち続けながらも、
「せ、先生。豊胸手術っていくら?」
「私は整形やその手の知識はないから……というか君もそこそこに気にしていたようだね。まさか君のようなクールな子に、身体的コンプレックスがあるとは思わなかったよ」
「わ、私だって女の子。胸の一つや二つ気にする」
顔色が悪くなっている唯神は、スレンダーな己の体型を実は気にしているようだった。彼女は秋羽に手を引っ張られながらも、玄関である自動ドアから外へ出ていき、その姿を消していく。
残ったのは五月雨乙音ただ一人だ。
天山市中央病院とはかなり巨大な病院でもあるため、様々な人が行き交っているが、五月雨はチラリと自動販売機が並んでいる場所へ視線を変えて、
「まさか、私が君と最初に会うとは予想外だったよ」
チッ、という面倒くさそうな舌打ちが聞こえてきた。自動販売機を物陰にして隠れている夜来初三が発生源だ。五月雨からは見えないが、彼は自販機の一つに背中を預けて静かに息を潜めていたのだろう。
五月雨は淡々とクールなまま言い放つ。
「ところでハッチー。君はシャイな子だと思っていたが、まさか自分の『家族』と顔を合わせることもできないくらいシャイだったのかね?」
「誰がハッチーだコラ。つーか、いつまでそのクソフレンドリーなあだ名で呼ぶ気だよ。どんだけ軽ぃ思考回路してんだよ医者ってのは」
「ああ、いやまぁもう定着しちゃったんでね。それで君はどうしてここにいるんだい? 唯神天奈や秋羽伊那が心配していたよ。特に秋羽伊那は寂しそうだ、帰ってはあげられ……ないんだろうから、そうして隠れていたんだろうがね」
「つーかアンタ、いつから俺に気づいてやがった」
「唯神天奈、秋羽伊那、二人のカウンセリングが始まった時からは既にコソコソして病院にいたじゃないか。君の格好は目立つ。日光に当たることができないとはいえ、さすがに全身黒ずくめで髪型も事情ゆえに特徴的だ。自然と周りの人が君を見るから、周りの人間が見ている先に君がいる程度の予想はつくさ」
「……あの二人はどうなんだ」
「安定はしていないだろう。もともと、彼女たちは家族を根こそぎ殺された過去を持つ苦労人だ。今までの人生を家族と過ごせず、一人で寂しく生きてきた。そんな人間に君という家族ができたんだから、君がいない現状で安定なんてできっこないさ」
「そうかよ」
あっさりとした調子で夜来は返答した。
彼は姿だけは見せることなく、続けて尋ねる。
「……雪白の奴は、どうしてんだ」
「君、もしかして単純に唯神天奈や秋羽伊那たちが心配になって現れたのかい?」
「気まぐれだ。つーかさっさと答えろ」
五月雨乙音は夜来初三の声が聞こえて来る自動販売機へ近づいていき、缶コーヒーを購入するためにポケットから出した五百円玉をコイン挿入口へ入れた。
「まぁ、やっぱり雪白のことは気になるだろうね。ハッキリ言うと―――雪白はダメだね。私たちじゃ彼女に些細な変化さえも与えられないだろう。君の声だけでも聞かせてあげられれば別だが」
「……くそが……そりゃ俺だって同意見だっつの」
「だけど出来ないんだろう? でなければ、コソコソと隠れる理由もない」
「……」
肯定するような沈黙が返ってきた事に、五月雨は小さく息を吐いた。そして静かに自販機のボタンを押して、お目当ての缶コーヒーを購入する。
が、それは飲むような真似をせずに自動販売機の裏にいる少年へ差し出した。腕だけを横へ回すように伸ばして、顔を見るようなことはせずにコーヒーを運んだのだ。
「ほら、飲みたまえ」
「受け取った瞬間に金でも巻き上げる気か」
「新手のカツアゲと思われるのは心外だな。ただの『気まぐれ』だよ、君と同じで」
「アンタ、心理カウンセラーの資格持ってるくせしていちいちムカつくな」
「フレンドリーだからね」
「……チッ」
大きな舌打ちと共に、五月雨の手から缶コーヒーの感触が消える。夜来初三が受け取ったのだ。その結果に満足したのか、五月雨は苦笑して尋ねる。
「それで、世ノ華のことや鉈内と七色に関しても聞いておくかい?」
「いらねぇ気遣いだ。言ったろ、『気まぐれ』でここに来た。だから興味なんざねぇよ」
「意地を張る癖は感心しないね」
「うるせぇ。そっちこそ俺の素性に首を突っ込む様子がねぇがどういう了見だ? 我慢は美容の大敵だのと騒ぐクソビッチが世の中にゃウジャウジャいるもんだが、聞きてぇことがあんじゃねぇのかよ」
「聞いたら教えてくれるのかい?」
「教えないな」
「本末転倒というか前提が壊れたやりとりだね」
五月雨乙音は着用している白衣の中から時計を取り出して時間を確認する。そろそろ予約の患者のカウンセリングを行わなければならなかった。
彼女は自動販売機を壁にして背中合わせでいる夜来初三に告げる。
「さて、私はそろそろ次の仕事がある。君と出会ったことは―――」
「あいつらにゃ言うな。言ったら殺すぞ。つーか、こっちもアンタに気づかれるとは予想外だったんだよ」
「ふむ。ならば言わないでおこう」
「物分りが良すぎじゃねぇのかよ、あ? なに企んでやがる不眠症」
「君にも君のやり方があって今は顔を出せないのだろう。ならば私は君に協力するのもアリだなと思っただけだよ。深い意味はない―――『気まぐれ』だ」
「……ムカつく医者だな、クソ」
「褒め言葉をありがとう」
そう言い返した五月雨は、そこでフンと鼻を鳴らしたような音を耳にした。自販機の裏にいるはずの夜来初三の気配が一瞬にして消えたのだ。
ゆっくりと自販機の裏まで回ってみると、既にそこに彼はいない。
行き交う人々の中に紛れ込んだのか、『サタンの呪い』を利用して一瞬で去ったのかは知らないが、五月雨乙音が言えることはただ一つだった。
「『気まぐれ』で『一週間も前から全員のカウンセリングを陰で見守っていた』というのは、さすがに無理があるいい訳じゃないのかね、過保護な不良少年よ」
思わず苦笑した五月雨は、そこでキラリと光るものを発見する。自販機の裏には、彼に渡した缶コーヒーが空き缶へ変わっている姿で置いてあったのだ。―――傍には百二十円という代金を返すように小銭が並べられている状態で。
「貸し借りをきっちりするタイプのようだね、無駄に生真面目なところがある子だ。ゴミくらいは自分で処理してくれると助かるが」
返されたお金を拾い上げてポケットにしまい、空になった缶コーヒーをゴミ箱へ捨てた五月雨は歩き出した。
唯神と秋羽は可愛いですね・・・見てて和む(笑)




