手遅れ
時刻は夜の九時。
鉈内翔縁と黒崎燐は騒がしい街の中を歩いている最中だった。といっても、騒がしいというよりは幻想的で騒がしいという表現を使ったほうがいいかもしれない。日本の都会の夜といえば、危険な香りが充満していて明らかに血の気の多い若者などが徘徊している時刻であるが、ヨーロッパ・フランスは違う。ヨーロッパの町並みは非常に美しく、酒場などでは年配の方や若者が年の差を気にせずに語り合っていて雰囲気が非常に綺麗だった。
「すごいねぇ、何か魔法の世界にきた気分だよ本格的に。ヨーロッパってモノホンのボッキュッボン魔女とかいそうでまじテンション上がっちゃうわ。あ、もちろん燐ちゃんには及ばないけどね?」
「あはは、ありがとうございます鉈内さん。お世辞でも嬉しいです。でも確かにバンパイアとか魔法使いはいそうですよね。ヨーロッパには今度からは観光で訪れたいですね」
「だねぇ。僕は都会っ子じゃないから、こういう感じでほどほどに賑やかな場所が好きだなぁ。東京とか絶対無理だね。僕は田舎でもなければ都会でもない、ほどほどの天山市で十分かな。あ、燐ちゃんの地元も燐ちゃんの地元だから住みやすい場所なんだろうけどね」
「あ、あはは、鉈内さんってばやめてくださいよー、恥ずかしいじゃないですかぁ」
「いやいや本当だよ。僕は嘘とかつかないからね、うん」
……豆腐メンタル黒崎燐の扱いにも専門者並みのレベルで慣れてきた鉈内は、彼女の精神状態を推測した上で褒め言葉を希に告げていく。彼は自分自身の適応能力の高さに心で自画自賛を繰り返していた。
と、そこで二人にフランス語の声がかけられる。
「お二人さん。もしかして化物退治で呼ばれた日本の人?」
振り返ってみれば、そこには一本の槍を携えた男が立っていた。おそらく街の中で行われている夜間パトロール中の者だろう。フランス語なんて微塵も理解できない鉈内は首をひねっているが、黒崎は男と向かい合って、
「そうですけど……あなたはパトロールの人ですよね?」
「ああ、俺も含めて今晩は十五人がパトロールに選ばれてる。槍なんて物騒なものを持ってるが、相手は化物だし通じるかわからないけどな。ところで、あんた達って『プリデン城』に行くんだよな?」
「はい、あそこに向かってますけど」
黒崎は後方にそびえ立っている巨大な城を指差して返答する。すると男は『プリデン城』を見て少々苦い顔をし、
「気をつけなよ。こっちから依頼を出したとは言え、あの城にゃ化物が住んでる。俺がこの目で見たからな」
「もしかして、『プリデン城』に化物が入っていったと証言していた目撃者のかた、ですか?」
「ああ、そりゃ俺だ。他にも見た奴はわんさかいるだろうがな」
化物のことを思い出したのか、男は重い溜め息を吐いた。
黒崎は考えるように顎に手を当てて、
「あの、一つ聞いていいですか?」
「ん? なんだ嬢ちゃん」
「その化物って……複数いたんですか?」
「ああ、その可能性が高い。確か料理屋のダチが言うにはいくつもの影を見ただとか。他にも複数らしい情報は腐る程知らされてる。まぁぶっちゃけて言えば、化物は何匹いっかわからねえって話だな」
「そうですか……ありがとうございます。早速向かってみますね、いろいろと助かりました」
「はは、可愛い嬢ちゃんの役にたてたなら光栄だよ。まぁあれだ、気をつけなよ? 俺たちはあんたらに助けを求めたが、さすがにあんたらを死なせてまでの解決は望んでない。やばくなったら帰ってきなよ」
化物が複数……といういかにも謎が闇に溶けていきそうな情報だったが、黒崎は夜間パトロール中の男性にお辞儀をして鉈内のもとへ戻っていく。
「なんだったの、あの人。何か重そうな話してたけど」
「ええ、少々厄介なことになるかもです。化物が複数いると教えて頂きましたが……ということは、怪物を宿した悪人が何人もいるかもしれません」
「え、悪人ってそんなゴキブリみたいに沸くもんじゃないでしょ? 見間違いじゃ……」
「はい。私もそう思います。なので―――『手遅れ』の状態の悪人かもしれませんね」
悲しげな顔で呟いた黒崎。
ハッとした鉈内は、その横顔に恐る恐る声をかける。
「……呪いに『完全』に侵食された悪人、ってこと? 人間じゃない、もう、怪物に全部を飲み込まれちゃった悪人ってこと?」
「だとすれば、いろいろ想像はつきます。相手が悪人ではなく怪物そのものになっているならば、複数に体を分けて暴れたり、もしかしたら卵やら子供やらを虫のように産んで仲間を増殖させることもできるかもしれません」
「確かにそうだけど……。なんていうか、そうだとしたら僕たちはその人を『祓う』んじゃなくて『殺す』ことになるの……?」
「分かりません。ただ、鉈内さんはご存知でしょうが、私たち『悪人祓い』とは怪物を悪人から祓うことだけが仕事じゃない。怪物と悪人の関係がそれで良好でお互い満足しているならば無害な怪物を祓うことはしない。あくまで『悪人祓い』の仕事とは『呪いに悩む悪人』から呪いとの問題を『解決』するんです。だから怪物を祓わなくても説得や和解で解決することだってする。ただ……怪物に、呪いに、全てを侵食されて人間じゃなくなった悪人はもう……人間には戻れません。つまりは倒すしかないということ」
「……」
その言葉の意味は鉈内だって理解している。知りたくないけども、『悪人祓い』である以上はその程度の知識を携えている。故に彼は視線を落として顔を歪めていた。
黒崎も同様のはずだ。
万が一呪いに飲み込まれていて人間としての人格を既に無くしているならば、『悪人祓い』としてその者を消し去らなければならない。
祓うのではなく。
殺すということ。
足取りを重くしながら、鉈内と黒崎は『プリデン城』へと向かっていく。ターゲットである悪人が『手遅れ』でないことを祈りながら、覚悟を決めて歩いていく。




