最善の策
もちろん、人間とは群れる生き物だ。孤独に幸せを感じている者もいるだろうが、大多数がそれに当てはまることはない。人間社会も常に誰かと群れて行動する。故に本当に『構わないでくれ』と思っている人は極少数だ。
しかし雪白はその極少数に入っている。
いや、正確に言えば『夜来初三』にしか助けて欲しくないし、救って欲しくないし、構って欲しくないのだろう。故に、愚痴をこぼすことも夜来初三にならばあっさりとあるかもしれない。しかし、その『ストレスを吐き出す役』を夜来初三以外に全うできる者なんていないのだ。まして、五月雨乙音だなんて医者でしかない彼女では役不足にも程がある。
「ああ、少し私が聞きたいことがあってね」
しかし五月雨乙音という医者はそういう雪白の精神状態もある程度把握してはいる。彼女が自分と話すことに嫌悪感すら感じている可能性だって高い。いや、夜来初三以外の者とは関わる気すらないように見える。
なので、五月雨乙音は『そこ』を使わせてもらうことにした。
「ハッチーのことはわからないが……君が知っている彼のことを聞かせて欲しくてね。ああなに、恋愛的な気持ちではない。ただ、君ほどのいい女が心酔しきるほどのいい男らしいので、少々、君の彼を思う気持ちに興味があるんだよ」
「あなたに話す義務はない。私はあいつとの出会いから今までのことをペラペラと他人に話すつもりはない。好きな相手とのことは『自分だけが知っていたい』んだ。他人にあいつのことを知られると、はっきり言って嫉妬する。あいつとの思い出は心の中で大事にしまっておきたいんだ」
「ふむ、そうかね。いやそこまで嫌ならばいいのだが、別に絶対話したくはないというわけではないのだろう?」
「……まぁ。そりゃ自慢話やら惚け話くらいはしてやりたい感情は私だってある。だが同時に私の知っているあいつのことを他の奴に知られるのは嫌悪感がわく。私『だけ』が知っているあいつとの思い出を、ホイホイ他の奴らに教えるなんて絶対に嫌だ」
「では、私『だけ』が知っている彼のことも話す。という交換条件でどうかね?」
「っ」
瞬間。
悩むように歯噛みした雪白だったが、その条件を飲み込んだようで渋々といった風に席へ座り直した。その反応は五月雨の予想通り進んでいるので順調な状況である。
「さて、では私から話してしまおうか。これは七色や速水から聞いた話なんだが、彼は君にだけは特に甘くなっているらしいよ」
「……ど、どういう風に」
「君のことを一番に気にかけていて、君のことを特に大事にしている。七色が言うには、『あそこまで明るい顔になっていた夜来は初めてみた』らしい。私には彼の顔がどれも同じに見えると返したが、七色は断言していた。君のことを彼は一番気にかけている、と。まぁ彼の悪人面から見える些細な変化に気づけたのは親である七色だからこそだね」
「……ほ、他には? な、何かない、のか?」
やはり食いつきが違う。
色のない生気のない瞳と顔は相変わらずだが、心なしか雪白の顔には『興味』という感情の色が溢れていた。それもそうだ。なんせ、今話している話題とは彼女が『唯一心を開いている彼』のことに関するのだから。
好きな人の話、そう言えば雪白が食いついてきた理由も理解できるだろう。彼女が彼を思う気持ちとは病的なほどだ。実際に監禁して洗脳したくらいに。
そして雪白が考えているのは行方不明の夜来初三のことだけ。他の者には微塵の感情さえ見せることはない。
だから『そこ』を五月雨は突いた。
夜来初三という話題にならば、雪白千蘭は間違いなく興味を示してくると予想していたのだ。
そうして彼女の乾ききった心に少しでも水を与えてやる。そうして好きな人のことに興味を向けて楽しませる。
それが今できる最善の策なはずだ。




