カウンセリング
場所は天山市中央病院。
さらに具体的に絞り込めば、カウンセリング室の中である。
カウンセリング室と言っても、実際は医師と1対1で話し合う場にすぎないので特に目を惹かれるような代物が飾ってあるわけではない。むしろ殺風景といえるほどにスッキリとした部屋である。精々あるものと言えば、雪白千蘭と五月雨乙音が対面式で着席している白い椅子と、二人に挟まれている白いテーブルくらいだ。
雪白の前にはテーブルの上に置かれているアイスコーヒーがある。カップに入っているコーヒーは五月雨がいれたものだが、おそらく雪白は手をつけることがないだろう。はっきりと言えばコーヒーは捨てるか五月雨が飲み干すしか道がない。
なぜなら。
というか、そもそも。
雪白千蘭の色のない瞳にコーヒー程度の存在が認識されているはずがない。
夜来初三がいなくなってからというものの、雪白千蘭はずっとこの調子だ。光のない赤い瞳はもはや絵の具でベタ塗りしたよう。以前のルビーのような輝きは微塵も放つことがない。
この状態からして、明らかに正常な活動が実行とは到底思えないだろう。もしかしたら、呼吸すらも忘れて窒息死するのではと真面目に思う。
だが。
意外にも、そんな彼女はカウンセリングになると決まって口を先に開いてくれるのだ。他の精神的にダメージを負った患者とは違って、雪白千蘭はビックリするほど毎度毎度喋ってくれる。
雪白は死んだような赤い瞳を対面に座っている五月雨に向けて、
「初三は、どこだ……?」
「……」
答える気も失せてしまう。しかし五月雨が即座に返答しないのは、彼女が人でなしでも無情な最低女というわけでもない。
なぜなら、その台詞だけを会うたびに必ずしてくるのだから。もはやカウンセリングになるとお決まりのように雪白がその質問を行う。そして五月雨がお決まりの返答を返す。
「未だに行方不明だ」
「……そうか」
もうこの会話を何度したことだろう。
五月雨は密かに、視線を下げた雪白千蘭の生気のない顔を眺めながら、
(やはりこの子だけは注意しておいたほうが賢明だね。何をしでかすか分からない。七色からの話によれば、この子は特にハッチーのことを―――ハッチーのこと『だけ』を信頼し、心の安息所にし、恋心を寄せていると聞いている)
ピクリとも指先一つ動かさない人形のような雪白を再度み捉えて、確信する。
(それだけ好意を寄せていたなら当然かな。いや、これも聞いた話じゃこの子は男性恐怖症というか人間嫌いだったと聞いている。その中で見つけた『信頼できる存在』があの少年。つまりは、他の存在を嫌うなかで運命のように出会った好意を寄せられる存在だという『反動』が深くかかっている。……それじゃあ、この子の心に残った傷だけは私たちじゃどうにもならない。ここまで重傷だと、失礼な話、本当に薬でも出しておいたほうが……)
「……先生」
そこで五月雨の思考は中断された。
再び、雪白が乱れた前髪の中から視線を向けてきたからだ。
「初三は、何で帰ってこないんだ……?」
「わからないよ。それが分かれば苦労はない。しかし彼の安否ならば大丈夫だと断言できる。彼ほど頑丈な男もいないだろうからね」
「……他に、話は?」
「いや、特にはもうないね」
「なら、帰る……」
ゆっくりと立ち上がった雪白は、どこかフラフラとした足取りでカウンセリング室を立ち去っていこうとする。
「待ちたまえ。まだ話すことがあった」
しかし、そこで医者は逃す気などなかった。やれるだけでもやってみせる。彼女の不安を愚痴で吐かせてやって精神的に楽にさせてやるくらいならば行えるはずだ。
案外簡単そうに見えて、実はこれは非常に難しい。
心をふさぎ込んでいる人間とは基本的に2パターンに別れる。
一つは『構って欲しい』故に心を閉ざしたふりをする悲劇のヒロイン気取りの者。誰かに気にかけて欲しい、誰かに助けて欲しい、誰かに己の苦しみを吐き出したい。などの『心を閉ざした演技』を意識的、無意識的に行っている者だ。
つまりは居場所を欲しがる寂しい人、ということ。
故に、そういうタイプならば先ほどの『愚痴を吐かせる』という方法は効果的なのだが……。
「話とはなんだ……? 私は話すことなんてないが」
この雪白千蘭のように。
二つ目の『本当に心を閉ざした』タイプには無効化されるだろう。




