呪いと怪物
小さく、悲鳴のような驚きのような声を上げた雪白千蘭。
すると。
彼女を抱き締めている夜来初三の腕の力が強くなった。
夜来自身、その行動は無意識なものだった。
まるで安心させるように、怖がらせないように、自分が守るからと言うように、胸の中にいる少女を気づいたら抱き締めていた。
その抱き締め方は決していやらしいものではなかったので、自然と安堵感に包まれてしまう雪白千蘭。
だが、安心するのは早い。
早すぎる。
なぜなら、捕まったはずの男は徐々に二人のもとへ近づいているのだから。
「よお、セクハラサラリーマン。留置所でお泊りパーティーの予定じゃなかったのかよ?」
「……」
口を空けない。
一言も発さない。
うつむいて歩いてくるだけで、男は何の反応も見せなかった。だが、雪白がその様子に怪訝そうな視線を向けたタイミングと同時に。
立ち止まった男の体が燃えた。
何の前触れもなく、ただ燃えた。
足の先から頭のてっぺんまで、真っ赤な炎に包まれてしまったのだ。その焼身自殺とも思える事態に、雪白は呆然としてしまう。
だが、次の瞬間には目を見開いて驚愕してしまった。
「―――ッ!?」
なぜなら、炎で体を包まれている男の体から巨大な火炎放射器から飛び出したような豪炎の壁が勢い良く噴射されたから。スピードも大きさも圧倒的な業火であるため、回避なんて行動を取る暇もなかった。
何より雪白は今、夜来初三という日傘をさした少年に抱きしめられている。よって、回避行動という選択肢は取りたくても取れなかった。
だが、必要ない。
回避なんて面倒くさいことは必要ない。
なぜなら、彼女の傍には今。
「ぎゃっはははははははははははははははは!! ホンット、ちっぽけな悪だなぁテメェ!! 爆笑爆笑マジ爆笑だぜオイ!! あぁ? いい年こいた足の臭ぇオッサンがなにマジギレしてんだよぉみっともねーなぁ!!」
夜来初三という『一流の悪人』がいるのだから。
自分達に迫り来る炎の壁を嘲笑するように笑い、夜来は持っていた日傘を手放し―――ニタリと悪魔のように表情を作る。
瞬間。
ゆっくりと右手を灼熱の炎に向けて広げていく。
たったそれだけの単純な動作のみで、噴射するように迫ってきていた炎の壁はその手に直撃した結果。
一瞬で、壊れた。
文字通り、バァン!! という銃声にも似た破壊音を盛大に鳴らして散った。まるで花火のように舞い散った灼熱の炎。後に残ったのは雪のように落ちていく小さな火の粉のみ。
目の前で行われている非現実的すぎる戦闘に、唖然としてしまう雪白。 だが、そんな彼女にはお構いなしに、夜来はニヤニヤと笑いながら話を始めた。
「テメェも『悪人』だったとはな。いやいやー、類は友を呼ぶってことかね。なんつーか世間って狭いよね? こりゃぶつかった転校生と教室で再会しましたー的なパターンもあっかもな」
「だったらどうした。てめぇもあの駅員どもみてぇにこんがり焼いてやるよ。こっちもムシャクシャしてっからなぁガキ風情が!!」
ようやく言葉を発した男は、燃え盛る炎に包まれたまま言葉を返す。
夜来は首元に手を添えて首の関節をゴキゴキと鳴らし、鼻で笑った。
「つーかお前さぁ、なーに対等の立場でこの俺と会話しちゃってんの? 性犯罪者っていう自分の立場ァ理解してその汚ぇ口臭ぷんぷん周りに撒き散らしてるわけぇ? 次からは消臭剤を持参してから口ぃ開けよ」
「黙れェェェえええええええええ! てめぇが俺を捕まえなきゃ、こんなことにはならなかったんだよォォおおおおおおオオ!!」
喉がぶっ壊れるほど絶叫し、理不尽な怒りを吐き出した男は地団駄を踏むように片足を地面に叩きつけた。
すると。
男の周囲から炎で作られたのだろう龍の形をした謎の生き物が何十頭も出現し、うねうねと蛇のように動かしていた体をピタリと停止させる。
瞬間、
「絶対殺す……!!」
唸った男が片手を夜来と雪白に向けて軽く振る。
それが合図だったように停止していた炎の龍達が、同時に、一斉に、タイミングを打合せしていたかのように二人のもとへ襲い掛かってきた。
一瞬の出来事だった。
どうしよう、と考える暇もないまま龍達は二人の少年少女の体へ喰らい付いた。音速のような速さで突っ込み、地盤を割って激突したのだ。
瞬殺という表現の仕方は、現在のような状況に当てはまる言葉だろう。
だって、
「ハハ、マジでテメェって小悪党だわ。何かもう見てるこっちが切なくなるレベルでウルッときちゃうわ」
音速と同等の速度で突っ込んだ炎は、笑った夜来初三の体に触れた瞬間に内部から膨れ上がるように爆散したのだから。
バガァン!! という轟音が響き渡るという状況だけを残して、炎の龍達は存在があったのかどうか分からないほど、体の一部分も残さずに、完璧に消えた。
圧倒的だった。
現在行われている戦闘状況を理解できていない雪白千蘭でさえ、圧倒的だと思った。
圧倒的に、夜来初三が強すぎるということだけが良く分かった。
「な、な、何で俺の『松明丸の呪い』が……」
「効かねぇのかってかぁ? 単純だ、理由なんざ単純だよ。ただ単に俺が強くて、テメェが弱ぇ。俺が上で、テメェが下。俺が最強で、テメェがクソなんだよ。俺がテメェより悪人だった、それだけだ」
一歩後ずさっている動揺を隠す気すらない男に、悪人ヅラを濃くした笑みで実力の違いを教えてやる少年。
そして、夜来初三は小悪党に向けて静かに言い放つ。
「もう一回授業の時間だァ。本物の悪ってモンを教えてやンよ」
瞬間、夜来の右目の周りに存在している禍々しくドス黒い紋様が、ゾゾゾッ!! と生きているように広がった。
まるで夜来初三を乗っ取るように、顔の右半分を確実に完全に覆ってしまうほど広がった。
さらに紋様の中にある右目は黒の瞳が血のような赤に染まり、本来は白いはずの白目の部分は闇のような黒色に変色している。瞳孔とか眼球とか関係なしに、人間じゃない魔眼へ変わってしまった。
怪物みたいな右目だ。
身体からは闇そのものに等しい魔力が世界そのものを覆い隠しそうになるほど吹き出していて、明らかに異常な力を振るっていた。
雪白は夜来のその変化に身震いしてしまう。
だが、雪白千蘭以上に怯えてしまった者がこの場にはいた。
それが炎を操るサラリーマンの男。雪白に痴漢をして、一度は捕まったはずなのに、夜来と雪白の二人を焼き殺そうとした小悪党だ。
「そ、その右目―――お、お前の呪いは何なんだよォ!?」
「あー? ああ、俺の『呪い』は……あーっとねぇ……」
ニヤリと、人間の笑顔とは到底言えないであろう悪魔のような笑みを浮かべた夜来初三。
実際にその顔はもはや人間の顔ではなく、ただの化物のようだった。
そして少年は、自分は格が違いすぎることを教えてやった。
「悪魔の神・『サタンの呪い』だ。ドクソが」
瞬間、夜来は右足のつま先で地面をコンと軽く叩く。
すると、夜来を中心に周囲一体の地面に魔力の線が走っていった。その直後、その線に従って切断されたように地面自体が崩壊するという驚愕の現象が発生する。もちろん地面を壊した張本人である夜来の周りはしっかりと地上というものが存在している。だが、その地上以外の場所は地球が崩壊しているような絶対的な破壊が起きていた。
「な、な、なんだこれは……!?」
「大人しく待っとけアホ。これはお前にも無関係なことじゃねぇ」
現実が受け入れられないという表情で、崩壊していく周りを見渡す雪白に、素っ気なく返答を返す。
そのとき、
「クッソォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
壊れていった建築物から出来た瓦礫の山の中から、咆哮のような大声と共に炎の竜巻が出現した。
瓦礫の塔を突き破って現れた竜巻。その規模のデカさに度肝を抜かれた雪白は、気絶してしまいそうな自分を必死に押さえ込んでいる。
「ヒャッハー! スゲースゲー!! 何だよやりゃあそこそこ出来んじゃねぇか!! さっすがパパって人種は気合が違うねぇオイ!! テンションこっちも上がってきちゃうじゃん!!」
一方、その巨大すぎる豪炎を見てニヤニヤと楽しそうに眺めている夜来初三は己の手から『サタンの呪い』を受けているからこそ扱うことが可能な、魔力という非科学的な力を出現させた。
「しっかしまぁ。情けねぇ悪人だなあお前。まぁあれだ、一応教えといてやるが―――」
そのドス黒い魔力は夜来の腕を燃やすように包んでいき、体の一部のようにまとわり付いた。
「これが本物の悪だ」
そう言い残し、夜来は魔力を収束した右手から文字通り全てを破壊する魔力の閃光を無慈悲に放った。
結果、炎の竜巻の内部で灼熱の業炎を操っていた男をも巻き込んで、黒い魔力は全てを破壊した。
しかし。
「が、ぁぁああああああああああ!?」
男は寸前のところで身をよじって回避し、右腕が消し飛ぶだけの怪我で一命を取り留める。肘から先が完全に細胞ごと消失し、肘の真っ白な関節が丸見えという生々しい状態から最悪の生還ではあるが。
が、
「ぎゃは!! ぎゃっははははははははははははははははッッ!!」
すぐに驚異は牙をむきはじめた。
雪白千蘭も思わず夜来初三に恐怖する。それぐらい声質や音が邪悪で異質な笑い声だった。顔を抑えて大爆笑する彼の笑顔からは、破裂するのではと疑うほどの狂気と殺意が膨張している。
「ばっかじゃねーの!? どんだけ俺とSMプレイしたいんだよテメェ。どんだけ欲求不満だったんだよ、ちっと遅めの発情期ってかぁ? あひゃ!! アっひゃはははははははははははは!! 腕ェ消し飛ばしてイッちまうぐれぇハードプレイが好みじゃあ嫁さんもついていけねぇよなぁ!?」
「が、ぁ……!?」
ボトリと、呻いている男から何かが落ちた。肘が消えた腕の傷口からだ。それはピンク色の固形物で、ブヨブヨとした弾力を持つ肉の塊だった。
間違いなく。
消えた腕の残りカスだ。
その痛々しい姿へと成り果てた男を見ても尚、夜来初三は何も感じていない。ただただ笑っている。まるで演劇を鑑賞する客のような調子で、ニヤニヤと顔を黒く染め上げている。
「あ? なに? なんだよ? その助けてくださいご主人様って目は。もしかし俺が見逃してあげる的な展開夢見ちゃってるって感じ? そういうアホ丸出しな犬畜生ってクッソうざいんですけど」
夜来初三の高くもあって低くもある化物の声が響く。
対して、もはや死にかけている男は膝を地につけた情けない姿のまま、
「ま、まって……くれ……!!」
「あん?」
心の底から怪訝そうな顔をする夜来。
「たの、む、から、俺が悪かった……か、ら!! しにたくない……死にたくないんだよ!! 許してくれ、悪かった、俺が全部全部本当に悪かったから助けてくれ!!」
「……」
夜来初三は沈黙する。
何て呆気ない手のひら返しなのだろう、とは誰もが思うはずだ。先に自分から殺しに来ておいて、いざ立場が悪くなればペコペコ頭を下げてくる。
プライドのプの字もない。
だが、やはり死への恐怖は人間として存在することは分かる。死ぬのは怖い。だからこそ、プライドを捨ててでも生きようとしている……と言えばいいのかもしれない。
だが。
「は?」
残念なことに。
「はぁ?」
この悪魔には。
「はァァああああああああああああ!? ふざけんじゃねぇよテメェ。先にテメェから噛み付いてきといて、いざこっちが牙ァ剥いた瞬間にテメェの牙ァ引っ込めてんじゃねぇよ。おい、マジでムカついたぞ。やべぇよ。クッソやべぇよ。―――殺意ってなぁここまで溢れてくるモンなんだなぁオイ!!」
夜来初三に慈悲はなかった。片腕がないからなんだ? 死にたくないからなんだ? そんなことは知らない。先に殺しにきたのは向こうだ。
命乞いなんて興味がない。
ただただ、あの絶望した小悪党の顔を見ただけで夜来は十分満たされる。
よって、
「っつーわけで死ね」
ゴガッッ!! と、夜来は足元に転がっていた小石を蹴り飛ばす。猛烈な速度で飛んでいった石は弾丸と同じレベルだった。
それは正確に、ズタボロだった男の鼻っ柱へ吸い込まれるように直撃する。
「が」
グチャリと、嫌な音がした。
肉が潰れた気持ち悪い音が炸裂した。
「がっぁああああああああああああああああああああああああああああ!? ああ、ああああああああああ!? はガガガガあああああああああ!?!?!?」
残された左腕を使って顔を抑える男。汚い地面へ背をつきながら、顔の中心を襲ってくる熱い激痛に悶え苦しむ。
そして気づく。
鼻っ柱を抑えていた手の感触から、気づいてしまう。
鼻の感触が、無くなっていたのだ。
いくら左手で鼻先を探そうと動かしても、指先には何も当たらない。スカ、スカ、と空気を掴むだけで確かめたい鼻には何も触れない。
その事実から。
分かることは単純で―――鼻が完全に『押しつぶされて』しまったのだ。
「っ、ああああああああああああああああ!?!?!?!?」
思わず悲鳴をあげる男。今の彼に鏡を見せたならば、それこそショックで気を失うことだろう。
「これがホントの豚鼻ってか? ははははははははははははは!! なんだよ笑えるネタじゃねぇか。イケルよイケルって、それ持ちネタ決定だな。ハハ、ちょー無様」
戦意喪失してしまい、ただただ崩れ落ちる男。
そんな彼に興味をなくしたのか、夜来は面倒くさそうに告げる。
「ま、あのガキが来る前に終わしとくか。先に殺されそうになっちゃったし、正当防衛って便利な範疇に入るよな?」
右手を男に向ける。その掌から徐々に魔力が泡のように吹き出てくる。次第に黒く発光し、膨大な破壊を秘め始める。
直後に。
ゴッッ!! 漆黒の魔力が閃光として射出された。
ちりも、ほこりも、汚れた空気さえも飲み込み、全てを無にかえすという破壊を超えた消失という結果を生み出したのだ。
瞬殺。
文字通り一瞬で存在そのものを殺したのだ。
その開いた口が塞がらない事態に、雪白千蘭はただただ放心するようにぼーっとしている。
そんな彼女と、非現実的な力を振るっていた少年に、一つの声が掛かった。
「まーたお主か、夜来。それ以上呪いが深刻化すれば、どうなるか分かっているのじゃろうな?」
雪白が振り向くと、そこには崩壊の中で唯一残った地面にバランスよく立っている浴衣姿の少女がいた。
腰まで伸びたさらさらの黒髪を揺らし、金色の瞳がかなり目立っていて、ものすごく背が低いお人形さんのような可愛らしい幼女? だ。
夜来は振り向くことはしないまま、返答を返した。
「うるせぇぞクソガキ。呪いをどう使ったって俺の自由だろうが。基本的人権っつークソ素晴らしい決まりに自由っつーもんが入ってるって知らねーのか? あ?」
「いいや、わしはお主のことをかなり気に入っておる。だから死なれては悲しいから勝手に呪いを使うでない。分かったな?」
「嫌です」
「敬語で即答!? なんでじゃ!?」
「チッ。そんなことより、この患者の処置はあんたの仕事だろ」
舌打ちをすることで返事を返した夜来は、自分の隣に居る雪白千蘭という少女を指し示して言った。
すると、お人形のような少女は一瞬だけ目を丸くし、すぐに雪白の赤い瞳に観察するような視線を向ける。
「なるほど、お主も患者ということか」
「な、なにがだ?」
哀れむように、腰に手を当てて溜め息を吐いている少女の様子に、雪白は自分が何かまずいことをしてしまったのかと内心慌ててしまう。
「んじゃとりあえず帰んぞ。俺は太陽がダメなの知ってんだろ。お肌デリケートだから気をつかえって」
「分かった。お主もついて来い、これからは我々と行動することが多くなるだろうから、そこのところを頭に入れておくのじゃぞ」
「ど、どういうことだ? 何か意味の分からない戦いが始まったりするし、正直パニックなんだが。それに、私が患者というのは一体何のことなんだ?」
まったくの正論だ。
パニックになることは普通の反応だ。
意味が分からなくて当然だ。
だが、このような理解不能な事態は、これから先、雪白千蘭に深く関わっていくことになるのでこの場で説明するには時間が足りない。
なので。
お人形のような少女は一言、最後の問いにだけ答えることにした。
―――私が患者というのは一体何のことなんだ?
この問いに対する答えを、少女は一言で伝えた。
「……お主は『悪人』なのじゃよ」
世の中には悪人という人間が存在する。
悪行を重ねる人間を指す言葉であるが、純粋に心が悪に染まっている者も悪人と言えるだろう。
だが、もしも悪人の『人』という字を取らなくてはならないぐらいの『悪』そのものに染まってしまったらどうだろうか。
それはもう、人間として認めることすら出来ない悪人であるため、悪人と言うより『悪』そのものと言ったほうが正しいだろう。
そして。
その人間として失格な人間。つまり悪そのものである悪人たちにこそ、『呪い』という不可思議な現象に遭ってしまうのだ。
「『呪い』とは、はっきりと言ってしまえば憑依じゃ」
「憑依?」
悪人に宿る『呪い』の話を聞いている雪白は、比較的綺麗な廃ビルの一室にあるソファに腰掛けながら、対面の一人用のソファにくつろいでいる少女に聞き返していた。
「ジャンルなどは問わん。言葉通りのありとあらゆる『怪物』たちが、自分という存在に一番近い人間に憑依するのじゃよ。人間として失格の悪人の体を乗っ取り、それを『怪物』たちが自分のものにしてしまう。それが呪いじゃ。お主らを襲っていたサラリーマンの男、あやつは松明丸という火を操る天狗に憑依されていた。だからあの男は炎を操る天狗の力を使い、クッソ熱いファイヤーを操れていたのじゃよ。まったく、この気温が高い日にとっては迷惑な力じゃな。地球温暖化を早めているし。北極熊が可愛そうじゃのう、ある意味ちょー虐待じゃないかえ」
「それじゃあ、『サタンの呪い』というのはどういことだ……?」
隣に座っている、『サタンの呪い』をかけられていると自分で堂々と発言していた少年。不機嫌そうな顔の夜来初三に、横目を向けながら呟くように言った。
「くははッ! 確かにそこの前髪野郎は悪魔の神・サタンという超レアキャラな怪物に憑依されているぞ。まぁ、昔わしと偶然出会ってからは親子のような関係じゃよ。とりあえず、先ほども見たとおり大悪魔サタンに憑依されているということは、サタンの強大すぎる力をある程度使用できるのじゃよ。先ほどの圧倒的な破壊がその結果じゃ」
「おいコラ、誰が前髪野郎だ。紋様隠してるだけだこれは。顔ぶん殴るぞロリ」
即座に反論して、己の長い前髪を弄りだす夜来。
「治療ということは、君は呪いを治せるのか?」
「いいや、わしにも呪いを解いてやる限度というものがある。さすがに悪魔の神・サタンレベルが相手となれば儂一人じゃ対処できるわけがないわい。儂にもいろいろと限界があるんじゃよ、乙女じゃから」
黒い浴衣を着こなしているお人形のような可愛らしい少女。
少女は一息吐くと、決心したように腕を組みながら口を開いた。
「お主にも、その呪いがかかっている可能性があるのじゃよ。だからそれを調べるためにも、こうして人目がつかない場所にまでつれてきたのじゃ」
「……鎖骨と鎖骨の間に、女の横顔みてぇなあざがあるらしいぞ」
夜来は自分が戦闘を行った最中になくしてしまった日傘のことを悔やみながら、低いトーンで教えてやった。
お人形のような少女はしばし黙り込むと、頭に人差し指をつんつんと何度も当てて、考えていますよとアピールしてくる。
そして、「あー」という気の抜けた声を吐き出すように口にすると、雪白の胸。つまり、鎖骨と鎖骨の中心にある『女の横顔』に似たあざ、模様に、医者が患者に触診するようにするように手を当てた。
「女の横顔が表す呪いは、『淫魔の横顔』じゃ。つまり『淫魔の呪い』じゃな」
「い、淫魔?」
首を捻っている雪白千蘭の胸から手を離し、少女は苦笑して言葉を返した。
「淫魔、または夢魔ともいうキリスト教の下級悪魔の一つじゃよ。淫魔は目をつけた者の夢の中で性行為を行う悪魔じゃ。そして、性行為を行う対象者の性欲を上げるために、対象者が望む『理想の姿』で現れるのじゃ。つまりお主が抱えている問題は、『男性から性的なことをされたりする』ということじゃろ?」
「……あ、当たっている」
的中率百パーセントの占い師が目の前にいるような感覚に襲われている雪白千蘭。
お人形のような少女は腕を組みなおして説明を続行する。
「男がお主に近寄ってくる原因は簡単なことじゃ。お主に憑依している淫魔が、男どもと性行為をしたいために、男どもにとって理想の姿にお主の外見を変えているだけじゃ」
「つ、つまり私は見た目が見る人によって変わってしまっているのか?」
「いいや、さすがにそこまで『淫魔の呪い』がお主を乗っ取ってるわけではない。今の『呪い』の強さだと、お主の外見は変わらんが、男どもを欲情させるような『雰囲気』をお主に憑依している淫魔が放出しているだけじゃろう」
「……な、なるほどな。今まで関わってきた男どもが、いやらしい思考しかしていない理由がよく分かったぞ」
自分に寄ってくる男どもが、自分に欲情する理由が解けた絶世の美少女は、ここでふと疑問に気づく。
それは自分の隣で大きなあくびを堂々としている少年。男のことだ。
「待て、ならばなぜお前は私に欲情しないんだ?」
その通りだ。彼も男ならば、自分に欲情しなくてはおかしいはずなのだ。だが、彼は興味の欠片すら雪白千蘭に対してないように思える。
「あぁ?」
困惑な表情でこちらに顔を向けている白髪の美少女に気づいた夜来は、面倒くさそうに溜め息とは違った長い長い息を吐く。
そして、しばらくしてから自分の長い前髪に手を掛けて、右目をみせてやった。
「―――ッ! あ、あれ、目も紋様も戻っている……?」
先ほどの戦闘中では、確かに右目が化物のような黒と赤の目に変化し、紋様が大きく広がったはずだ。
なのに。
人間という生き物とは到底思えない目になっていたはずの右目も日本人らしい黒目に戻り、禍々しい紋様も、もとのサイズへと縮まっていた。
悪魔のような目が人間の目に戻っていた。
そう、悪魔のような目だったのに。
「俺の右目の周りにある気持ち悪ィ紋様は、『サタンの皮膚』を表してんだ。つまり、この紋様が『サタンの呪い』が俺にかかってる証拠。サタンが俺に憑依している証拠だ。ンで、サタンに憑依されてる俺ァサタンの力をある程度扱えることができる。まぁ本人と比べりゃごく少量だがな。ああ話を戻すが、そのサタンが持ってる『魔力』っていう科学的なモンとは正反対の力には言葉通り何でも『壊す』効果があんだ。それを体中に展開することで『絶対破壊』っていう能力を使ってるんだよ」
「……絶対、破壊?」
「俺の体に薄く貼られた何でも壊す魔力……つまり魔力のカバーに触れたもの全てを、絶対に破壊することができるから『絶対破壊』だ。潰すことも消すことも、内側から壊すことも外から壊すことも可能。つまり自由自在に壊すことができんだよ。だから俺は、常にウイルスだとか異臭だとか日光だとかを『絶対破壊』で壊して、カットしてる。だからお前の淫魔が放出してる『雰囲気』も壊せてるんだよ。……多分な」
あっ、と声を上げて納得した。
雪白は実際に『絶対破壊』というサタンの力をこの目で見ていた。
『松明丸の呪い』を使い、復讐してきた痴漢男が操る巨大な火も、夜来の体に触れただけで壊れていたではないか。
地面だって地球が崩壊していると思うほど派手に壊れた。火の龍だって爆発するように壊れてしまっていた。
なるほどな、と心の中で納得した雪白は自分にかかっている最中の『淫魔の呪い』を表している胸の紋様に手を当ててみた。
(父さんも、友人も、この呪いのせいで……)
少し罪悪感が湧いた。
自分に宿っている淫魔という下級悪魔。お人形のような少女が言うには、『その怪物に近い人間に怪物が憑依する』ということらしい。
つまりそれは、雪白千蘭という少女が淫魔という悪魔に近い人間だということ。そして、淫魔という怪物に憑依された時点で、雪白千蘭は悪人だということだ。
ならば、今まで雪白千蘭に欲情した男たちは、雪白千蘭のせいでセクハラなどの性的犯罪を行ったことになる。
もちろん、それは先ほどのサラリーマンにも当てはまることなのだろう。
そう事実を改めて確認すると、罪悪感が沸いてしまうものだ。
「ンで、俺の目とサタンの紋様が変化したことは知ってんな?」
「あ、ああ。お前の目が黒く染まった気がしたのだが……あれは一体……」
口ごもるように小さな声で呟いた雪白に、浴衣姿の少女が口を開いた。
「それはサタンの目になりかけていたのじゃよ。……よいか? 呪いの力というものは、異能の力や魔法の力といった、プラスにしかならんものではない。あくまで呪いじゃ。マイナスが大いに決まっているであろう」
「そのマイナスが、目が黒く染まることだというのか?」
「……もう一度言っておくが、呪いというのは怪物に憑依されていることなのじゃ。呪いの力、つまり憑依している怪物の力を使えば使うほど、憑依されている方の悪人は、自身に憑依している怪物に身も心も奪われてしまう。つまり、怪物に自分という存在が奪われてしまうのじゃ」
「つまり、あの右目が黒くなったり、右目の周りにあるサタンの模様が大きくなって変わったのも――――」
「俺が、その変わった部分だけ一時的に『サタン』になりかけたってことだ。サタンの魔力は触れたモン全てを『自由自在に破壊』できる。何でも破壊できる物騒な核兵器みたいなモンだ」
悪魔の神・サタンに憑依されている少年は、その強大すぎるサタンの力を使えば使うほど身も心もサタンに支配されていくことになる。
だから呪いなのだ。
自分という存在を、憑依している『怪物』に奪われていくからこそ、呪いなのだ。
それが、悪人に課せられた罰であり罪の償いなのだ。
「それでだ、この世界にはそういった呪いをかけられた悪人が無数に存在している。そして、その悪人達から呪いを解くのが、わしの目的というか……趣味みたいなものなのじゃ」
「ンで俺は、このクソガキに生活の面倒を見てもらってる借りがあっから、その手伝いを無理やりさせられてるわけ」
「おい! 恩を返すということを知らんのか貴様っ!! どこの誰がお主のマンションを借りてやっていると思ってる!!」
「浴衣ロリのババァ口調ロリだな。なんかもう痛いくらいのロリだな」
「外見年齢が成長に追いついていない儂の苦労を知らんなお主!! 儂のダイナマイトボディに実は興奮しとるんじゃろ!? ほら、正直言えツンデレ小僧が!!」
「スリーサイズ平等な体してる癖して何ピーピー吠えてんだ?」
「上の方がちょっと大きいもん!! お主には儂の苦労が分からないだけじゃもん!!」
「結局ツルペタ断崖絶壁ロリロリババァじゃん」
「殴らせろガキがァァあああああああああああ!!」
ぎゃーぎゃーと騒いでいる、お人形のような可愛らしい少女と悪人ヅラが張り付いた少年。
その二人の喧嘩……というか、少女が両腕をぶんぶんと振り回して攻撃してくるのを、夜来初三が少女の頭を引っつかんで押し返しているだけの喧嘩だが。
それを見ていた雪白は、自分がまるで蚊帳の外にいるような感覚に襲われる。なので二人の世界(決して恋愛的なものではない)に入っている少女と少年に、おそるおそる声をかけた。
「それで……私を助けてくれるのか? そこのお前とお前は」
暴れている少女と少年を順に指差し、尋ねてみた。
すると、少女のほうは見た目に似合わない大人びた微笑を浮かべた。
「もちろん。わしはお主のような悪人を救う義務があるのじゃ。それが仕事でもある」
「……チッ、クソ面倒くせーが仕方ねぇだろ。本当面倒くさいけどな。マジ面倒くさいけどな」
「これからは長い付き合いになる。だから、お互いに名前で呼び合おうではないか」
少女は雪白のもとまで歩み寄っていくと、浴衣の袖を揺らして手を出した。つまり、握手を求めた。
雪白は静かに首を縦に振ると、少しだけ笑って少女の手を取り、こう言った。
「すまないが、私たちは自己紹介すらしていないぞ」
……まずは自己紹介からスタートしなければならないようだ。
女性リポーターが、テレビの中で現場の状況をこと細かく説明している。
被害者は奇跡的にゼロ人だの、炎の竜巻が出たという目撃情報があっただの、現場に一番近い駅で炎を使った殺人事件があっただのと、息が切れないことが不思議なくらい喋り続けている。
そして、この事件に深く関わった者こそが、
テレビの前に設置されている、清潔感で一杯の白いソファ。そこに寝転んでいる、寝癖のせいで髪がぐちゃぐちゃの夜来初三という少年だ。
夜来は昨日の、『松明丸の呪い』をその身に宿した悪人である男と戦い、その卑劣な男に痴漢されていた少女のことを思い出す。
そう、思い出したはずなのだが……。
「おい夜来、朝から何だその態度は。顔ぐらい洗ってきたらどうだ」
夜来初三の自宅であるマンションの一室。さらに言えば、そこのリビングであるこの場所に、思い出しただけの雪白千蘭という少女がなぜリアルでいるのだろう。
ソファに寝転んでいる自分を上から見下ろす美少女。
この状況に喜ばない男子などいるはずがないのが普通なのだが、夜来初三は眉根を寄せて意図的に寝返りをうち、少女の赤い瞳から視線を外す。
「ダリィんだよ。つーかお前、男のこと嫌いだってのに何で俺の家に泊まったんだよ。矛盾って言葉知ってるか?」
「お前は私が話せる唯一の男だ。だから、なるべく仲良くしようと思っているし、私をあの痴漢男から二回も助けてくれたことに感謝している。よって、お前に対する私の好感度はかなり高いぞ?」
「……くっだらない」
溜め息混じりにそう言うと、白髪赤目の美少女はムッと不満たっぷりの顔を作った。
「男にここまで興味を持たれないと、かなり傷つくものなんだな。私はメンタルが弱いからキツイ言葉にはなれていないぞ」
「ほーん」
「だから優しい言葉をかけてくれ」
「うるさい、死ね、今すぐ飛び降りて死んでくださいお願いします、さようなら、アハハ」
「全然優しくない!?」
少年の反応に大層驚いた雪白だったが、少し……いや、かなり楽しい状況だった。
普通に男と話せて、普通に接してくれて、普通の態度をとってくれる。
まぁ、少々夜来の言動には棘がある部分が多い。だが、それでも雪白にとっては自分に性的なことをしようともしないし、しようともしてこない目の前の少年のおかげで、かなりの幸福感を感じていた。
だから昨日自分を助けてくれた夜来初三にはかなりの信頼を置いているし、自分に普通に接することが出来ることもあったため、仲良くなりたいと思っていた。
なので泊まった。
かなり無理を言って、夜来の心を折って泊り込んだ。そして昨日の深夜二時まで自分に接してくる男共のグチを延々と夜来初三に語り続けた。それはもう、酒がまわった上司が自分の部下に妻のグチを言うように喋り続けていた。
……なので、夜来初三はハッきり言って寝不足である。
うとうとと、眠りに付く寸前である夜来。だが少女はそんなことに気づかずに、テーブルい置いてあった自分のかばんを肩にかけて口を開く。
「さて、私は学校に行かねばならないんだが……お前は学校に通っているのか?」
「ああ、私立天山高等学校に通ってる」
「私と同じじゃないか!」
天山市。
夜来も雪白もその市の中心部である街……から少し離れた田舎よりの場所に住んでいる。天山市とは、田舎と都会が丁度よく存在している住みやすい街だ。
そしてその街の中にある共学高の一つが、私立天山高等学校だ。
確かに通学用の電車に乗っていた雪白と電車内で出会ったということは、夜来初三も同じ高校に通っている可能性もなくはない。
だが夜来は明らかに私服姿だったし、高校に通学しているような持ち物も持ち歩いていなかった。
しかも今から学校だというのに準備の一つもしないので、同じ学校ということがビックリ仰天する事実である。
「な、ならば昨日も今もなぜ学校に行かないんだ?」
「昨日は暇だったから散歩しに行ったんだよ。まぁ、その結果がお前と関わることになったがな。そんで、俺はもともと不登校生徒なんだよ。だから学校には行く気がねぇし、行っても――――」
腕を枕代わりにして寝ながら、朝のテレビ番組に向けていた黒い瞳を悲しそうに歪めて、彼は消え入りそうな声でこう言った。
「……俺は孤独がお似合いだから学校なんざ何の楽しみもねぇよ」
まるで、今まで一人だったような言い方。
まるで、他人を怖がるような口調。
まるで、人と馴れ合うことを拒絶するような声。
「……」
雪白千蘭は口を開くことなく、部屋中を見渡す。
そこには誰もいなかった。
親や兄弟などの家族という存在がいなかったのだ。
つまり、一人暮らし。
雪白千蘭も実の父親に性的な暴行をされそうになったことで、家族と距離を取るために一人暮らしをしている。
だから雪白は思った。
もしかしたら、目の前でだらしなくテレビを観賞している少年も、一人暮らしをしている壮絶な理由が自分と同じようにあるのかもしれない……と。
親近感が溢れてきた。
同じ『悪人』であり、同じ『呪い』という現象の餌食になり、同じ生活環境である夜来初三。その自分と同じという事実だけで、どうしようもない嬉しさが込み上げてきた。
雪白千蘭は、『淫魔の呪い』と完璧すぎる容姿のせいで異性からは好かれ、同姓からは嫌われていた。
つまり孤独だった。
学校に行っても授業を受け、それ以外は喋りかけてくる汚い男共の相手をし、帰宅する。
ただ、それだけの学校生活だ。
だからこそ嬉しかった。
自分と少しでも似ていて、自分に欲情することがない少年が目の前に居ることが、とてつもなく嬉しかった。
酷い考えだというのは自覚している。
だが。
それでも。
心の中では『仲間を見つけた』という事実によって満面の笑顔を咲かせている自分がいた。
それが雪白千蘭の本心。
やはり、呪いにかかってしまうレベルの『悪人』らしい思考回路をしているようだ。
(……でも、コイツも私と同じ孤独なら……)
自分と同類である少年の後姿を見つめながら、思った。
―――私が夜来と一緒にいてやれば、どちらも孤独にならなくてすむじゃないか。
「……夜来」
「あぁん? 何だよ、しつこい奴だな。俺の母親かよテメェ」
顔だけで振り返って返事を返した夜来初三に、完璧すぎる美少女は苦笑するように微笑んでから手を差し出して言った。
「一緒に学校へ行くぞ!」