生き様
ズドン!! と本道賢一の顔の中心に黒い何かが減り込んだ。
心底幸せそうに笑っている夜来初三。彼が思い切り振った右足が着用している黒光りした靴の先端である。鼻が砕けた音と共に、顔を容赦なく蹴っ飛ばされた本道は態勢を整えることさえできずに近くのコンクリート製の壁へ突っ込む。
ガギィン!! というコンクリートの壁に亀裂が走った衝撃音からして、相当の威力だったことがわかった。
「ご、っぱぁ……!?」
口を真っ赤にして鉄分豊富な赤い液体を流す本道は、壁に背中をつけてズルズルとその場に崩れ落ちる。ビクビクと時たま痙攣するところからして、まだ息の根は止まっていない。
しかし妙である。
いくら負傷しているとはいえ、彼の風を操る移動速度は夜来初三の上をいく。もう攻撃を与えることは不可能でも、撤退くらいならば可能ではなかったのだろうか。
と、誰もが思っているだろうがそれは無理なことだ。
なぜなら、
「アッハハハハ!! やっぱ『半径百メートルくらいの空気を壊せば』テメェの力は使用不可能になるみてぇだな。まぁそうか、なんせ空気なんつーモンを操るしか能のねぇ野郎だからな、『操る空気すらも壊されたら』やれることなんざ悲しいほどに何もねぇもんな。―――っといけね、いい加減呼吸したくなってきた」
今度こそ『絶対破壊』で辺りの空気をターゲットにした破壊活動を停止させる。ようやく酸素が含まれた『空気』が出現したことで、夜来は深呼吸してそれを味わう。
「あー美味い。やっぱ空気最高だわ、俺ってば田舎派みたいだし自然保護団体にでも入団しよっかねぇ」
「……ガッ……っく……!!」
苦痛の声を漏らすだけの本道賢一。
もはや『風神の呪い』だんて厄介な力を扱う意識すらも残っていないらしい。ただ血反吐を流しながら壁に背中を預けて倒れているその姿は実に無残。夜来初三はその痛々しい格好を視界に捉えると、首の関節をコキリと鳴らして近寄っていった。
「つーか、いつまでお寝んねしてんだ? 可愛い幼馴染が起こしにきてくれるまで無理に寝てるつもりかよ。淡い期待しちゃだめだよー本道ちゃん、テメェに幼馴染だなんてラブコメ要素ありえねぇから。絵的にゴリラとメスゴリラが乳繰り合ってるとしか思えないから。つーか、どの主人公も幼馴染が朝ァ起こしに来る前に絶対起きてるからね。絶対あいつら狸寝入りこいて幼馴染待ってるから、そうして無理に作品を成り立たせてるから」
「お、まえの、青春時代は、腐ってたようだな……!! 同情するぞ……!!」
「おいおい、俺に青春とかワード禁句だって知らねぇのか? あ?」
ドガン!! と片足の靴底を壁に寄りかかりながら倒れている本道の顔面に叩き込んだ。さらにグリグリとえぐるように足を動かして、コンクリートの外壁にその後頭部を押し込んでやる。
「ぐ、があああああああああああああッ!?」
顔を踏み潰してくる黒い靴底によって、絶叫に等しい悲鳴を上げる本道賢一。頬骨からビキベキピキ!! というヒビでも入ったと予想できる音と感触によって激痛はさらに増大した。
まるで空き缶でも潰す調子で体重をかけて顔を踏む夜来。壁に後頭部を減り込ませるようにして、本道賢一の鼻っ柱を靴の裏で押し込んでやる。
「ピーピーピーピーうるせぇヒヨコだなぁ。もちっと綺麗な声で鳴いて見せろよ、ウグイス先輩を真似してみろって」
笑い声を響かせながら宣言通り虐殺タイムへと突入していた夜来初三。ただ嗜虐的な笑顔を張り付かせて暴力で蹂躙するその姿は大悪魔サタンと被るものがある。
いや、大悪魔よりも大悪魔らしい魔王のようだ。
「なぁ、犬畜生。『血』って何で鉄臭くて一般的にまずいか知ってるか?」
間をおかずに続ける。
「理由は簡単だよ―――」
悪魔を宿した悪人は肉と血を欲する化物のように笑顔を浮かべて、
「―――俺の血が周りに取られないよう悪魔がわざとマズくしただけだ」
瞬間。
ぐちゃりと肉が弾けとんだ音と共に鮮血が顔に飛び散ってきた。
「あっはははは!! そうそうこれこれ!! ああ美味い最ッツ高だよなぁ!! これに肉もついてっとマジで俺のほっぺたちゃんが溶け落ちるんだよ、ハハ!」
「っが、っは……!?」
もはや顔の半分が出血によって見えない本道賢一は、荒い息を吐いて返り血まみれの夜来を睨みつける。その反抗的な態度をみてニヤニヤと楽しそうになった夜来は、ようやく踏みつけていた本道の顔から足を引いた。
「どうした? 自分の出血量見てビビってんのかよコラ」
「ち、がう……。ただ、なぜそこまで……『無理』に残虐な『ふり』を……するのか、疑問、でな……」
「あ?」
「そうやって……無理に敵をぐちゃぐちゃにぶち殺して……返り血を浴びて……楽しそうにしているふりを……なぜするんだ……? バレバレ、だぞ……」
興味をなくしたかのように、夜来の極悪な笑顔は消失した。
代わりにつまらなそうに目を細めながら、
「何が言いたい?」
「お前の、ことは……よく、調べた……。それが仕事でも、あるしな。だから、わかる……! お前は『自分を悪と肯定したい』が、故に……『わざと』残虐で嗜虐的なふりをしている、だけじゃ、ないのか……?」
「―――違う」
「嘘を、つけ……。実際、本当にお前が救いようのないほど嗜虐的で残虐ならば『仲間』なんて、いないはずだ……。だからこそ、『仲間』にうつつを抜かして『自分を悪と肯定している』ことを『忘れないよう』に、戦うときには、そうやって凶悪になった『ふり』をしている、だけではないのか……」
「―――違う」
「本当は、純粋に笑いたいんじゃないのか……? くだらんことで笑い、楽しみ、そんな凶悪な笑顔ではない純粋な笑顔に、なりたいんじゃないのか……? 仲間と、家族と、笑い合って過ごしたいんじゃないのか? 無理に『純粋に笑うことを拒否している』だけじゃ、ないのか……?」
「―――違う」
「違わない。お前は……俳優にでもなれ。ああいう残虐な演技はなかなかだったぞ。それとも既に芸能事務所にでも入ってるのか……? お前はただ作ってるだけだ。勝手に自分を邪悪にしてるだ―――」
「違うっつってんだろ、しつけぇよ」
無情で冷たい声が響き。
ブッシャアアアアアアアアアアアアアアアアア!! という肉が分断されて血が溢れ出た音が炸裂した。夜来初三が見下ろしているのは、生命活動を停止させたただの肉塊。ただしその肉塊は、『死体となった後でも夜来初三を嘲笑するように笑っていた』のだ。胸はパックリと裂けて、内蔵が見えるほどに体を壊されたのにもかかわらず、笑みだけは絶やさない。
死んでも尚、夜来を問い詰めているようだった。
あっさりと死体を生産した夜来は、血走った目を『勘違い』したまま死んでいった男に向けて、
「俺は『こういう』やり方でしか生きてこれなかったんだよ。演技してるしてないの次元じゃねぇ」
一度区切った彼は。
死体となった男をさらに殺すようにギョロリと眼球を動かして、恐ろしいほどに狂った瞳で見下ろし、
「悪が俺の生き様だ」
踵を返した夜来。
目も髪も元に戻っていった彼は、吐き捨てるように背後の死体へ振り向かずに言う。
「犬畜生のテメェがとやかく吠えて首突っ込むな。黙って死んどけ、クソ野郎」
彼はこうして悪に染まる。
悪に染まり続けて生きていく。