甘い
懺悔するように呟いた運転手の男。
そんな彼を後部座席から見ている夜来は、何も言わずに耳を傾けていた。
「なんていうか、どこから道を踏み外したのかなぁって考えるときがしょっちゅうなんです。ほんと、今更なに言ってんだって話ですけど」
「そもそも、テメェは何が原因でこっち側にきたんだ」
「え、ああ、恥ずかしい話……弟がいたんですよね、年の離れた」
「っ……!!」
『弟』というワードだけで、夜来初三も彼の隣に座っている大悪魔サタンも意識を話に集中させ始めた。運転手はそれに気づくことなく、己のいろいろな意味でドロップアウトした人生を語る。
「私の家は、母子家庭でしてね。母は毎日仕事にいって帰っての繰り返し、休んでる姿はみたことがありませんでした」
「……」
「まぁ、その母が病気で死んでしまって、当時大学生だった私は学校をやめて働き、中学生の弟の面倒をみる生活になったんです」
「弟にすがってたのか?」
「すがってた……ええ、おそらくそうです。たった一人の家族である弟に、私はすがってただけかもしれません。依存してたんです。それでも、毎日働いて弟と暮らしてたら―――弟の右腕が化物みたいなグロテスクなそれに変わったんですよ」
その化物という言葉だけで、大方の見当はつく。
なぜなら夜来も、その運転手の弟と同様に『現在進行形』で化物になっているのだから。
「怪物に憑依されたことで発現した『呪い』ってわけか」
「はい。当時の私はパニックになりまして。病院に連れて行こうかと考えたのですが、どう見ても『病気』なんて類じゃない。そこで、オカルト系のお祓いを仕事にしているらしい会社を見つけまして。そこで出会ったのが、上岡真さんです」
「あのスマイル野郎が……?」
「はい。あの人に相談して、治療してもらった結果、弟の腕は綺麗に元通りになりました。しかし、聞いた話では『呪いにかかる者は悪を背負っている』らしいので、弟に悩みなどがないか聞いてみたら―――弟は学校でいじめに遭ってたんです。それも酷いレベルの」
「……」
「上岡さんが言うには、そこが弟に憑依した怪物と共通する『悪』らしいです。弟もその怪物も、集団から攻撃される過去を持つ。そこが重なったことで、弟は悪人と化したらしいです。それがきっかけで、私はこちら側の世界に入りました。少しでも、弟にかかっていた呪いという現象の知恵を蓄えられそうだし、何より、あなたみたいな『呪い』をコントロールしているような人を見て勉強になりますから」
夜来初三は沈黙し、張り付いている悪人ヅラから光る視線を鋭くする。
そして言った。
テメェの人生に興味なんてないと言わんばかりの調子で、それでも言った。
「テメェの過去に首を突っ込む権利は俺にゃねぇ。そりゃテメェの運命決めた神様っつークソ野郎だけがやれることだ。だから期待してるような返答が返ってくるとは思うな。―――自分の人生は自分で何とかしろ。俺に頼ってんじゃねぇよクソッたれ」
「はは、正論ですね。まったくもってその通りです。申し訳ありません、私の過去の答えを押し付けるようなことをして」
そこで、目的地に到着したようで黒塗りのワンボックスは静かに停車する。エンジン音が微塵も響かないところからして、裏の仕事をこなすのには持って来いの車なようだ。
夜来初三は腰にかけていたワンタッチ式の黒い折りたたみ傘をさして、足場の悪いコンクリートの地面へ足をつけた。続いてサタンも降りて、夜来と手をナチュラルにつなぐ。
運転席の窓が開き、そこから運転手の声が聞こえた。
「では、ご武運を祈っています。ターゲットは『エンジェル』の下部組織という情報ですので、あなた達ならば問題はないかと思われますが……迎えにきて、死体となってないことを願ってます」
「返り血を拭き取る為のタオルを用意しとけ。血ってのは鼻に来る刺激がはんぱねぇからな」
「はは、自信があるようで良かった。では、頑張ってください」
立ち去ろうとアクセルに足の裏をつけた男。
その瞬間、夜来は踵を返してこう告げた。
「ああ、そうそう。最後に一言教えといてやる」
「? なにか?」
「テメェは悪人だ。こっち側の世界にいる時点でくそったれの悪人だ。だが―――弟にとっちゃ『いい兄貴』だろうな。本人がどう思ってるかは知らねぇが、ちっとは胸を張っていいんじゃねぇの? あくまで俺の意見だ。鵜呑みにしてはしゃぐんじゃねぇぞ、テメェは悪人に違いねぇ」
言うだけ言って歩き出した夜来。
運転手の男は、その遠ざかっていく背中に向けて小さくお辞儀をしてから車を発進させた。去っていったワンボックスをサタンは一瞥し、夜来を見上げてからかうように笑う。
「小僧は少し甘くなってないか? ま、我輩は小僧ならばなんでもいいが」
「……知るかよ」
自覚があったのかどうかは分からないが、夜来はそこで辺を見渡してみる。特に特徴のない街といったところだが、実際は違う。ここはいわゆる廃墟だけが集まった場所で、人がいないことは明白だった。そして夜来の目の前には、一際大きい巨大なホテルがそびえ立っている。リゾートホテルと見間違えそうになるほどの迫力だったが、入口には蜘蛛の巣がはってあったり落ち葉が散乱していて―――正直に言えばホラーゲームの舞台そのものだ。
「さてさて、初仕事が幽霊退治になりそうなんだがどうしたもんかね」
「きゃー怖ーい。小僧助けてー」
「棒読みで俺に抱きつくな。演技力上げて出直してこい」
しがみついてきたサタンを適当にあしらう。同時に、夜来は広大な敷地を誇る廃ホテルを見回して、いろいろな異変に気づいた。
まず第一に、人の気配がうじゃうじゃするのだ。
といっても、夜来はどこぞの魔法使いのように魔力を探知できるわけでも、超能力を使って透視が可能なわけでもない。
敵が息を潜めている確信を得たのは、まずはホテルの壁に付けられている窓の大群だ。普通、廃墟と化して何年もたっているのならば―――換気しているように窓が開いているはずがない。まるで、ホテルの中では誰かが生活しているような様子が見られる。
さらに言えば、地面に散らばっている落ち葉も不自然だ。そこら中を湖のように埋め尽くしている葉の中で、なぜか『ホテルの玄関へと向かう道のり』だけは『落ち葉が少ない』のである。誰かがそこのルートだけを毎回使って葉が自然に蹴り飛ばされたような感じだ。
故に、敵の多くが息を潜めていると理解した。
その結果、夜来はブチブチブチと上唇と下唇を耳まで裂くようにして笑う。
「いいねぇ。こっちもドンパチやるのには持って来いの戦場だ。ちっとばっかし『はしゃぎ過ぎても』問題ねぇよなぁ」
と、そこで夜来の携帯が音を鳴らす。面倒くさそうに耳に当てて通話ボタンを押した夜来は、その廃ホテルの汚い敷地へ一歩踏み込んで電話相手に言った。
「なーんの用かなぁ、スマイル野郎」
『夜来さんってばツンツンしすぎですよー。もうちょっと柔和になったほうが、僕としても嬉しいです』