ペド
清潔感溢れるベッドの上で座っている七色は、ぷいっと顔を背けて、
「で? 儂のこのパーフェクトボディを前にして、雪白などという凹凸の激しい小娘の体を見たいと吠えたクソガキが何のようじゃ?」
「いや、凹凸っていうか、雪白ちゃんってめちゃくちゃスタイルいいだけじゃ―――」
「儂だっていいもん!! お人形さんみたいで可愛いっていろんな人が言ってくれるもん!!」
「それはそういう可愛いじゃなくて、こう、ほら、純粋に可愛いと思ってるだけじゃ? 子供が可愛いみたいな?」
「息が荒いおじさんとかが言ってくれたもん!!」
「ただのロリコンじゃねーか!!」
どうやら、己の未成熟な体のまま停滞したようなスタイルに不満を持っていたらしい七色。いや、本当に彼女は幼稚園児の服でも着せたりしたくなるし、人形のように着せ替えを楽しめそうなくらい可愛い。しかしそれは『純粋』に可愛いだけであって……ぶっちゃけ魅力はゼロだ。ロリコンは例外であるが。
プンスカと拗ねている七色に溜め息を吐いた鉈内。
その空気を壊すように、五月雨乙音が口を開いた。
「まぁ、七色の体は正直どうでもいい」
「ど、どうでもいいとはなんじゃ!!」
「いや、もう手遅れだろう。君の成長期は全てすぎている。医者の視点から言って、もはや君は永遠にペドにしか愛されないさ」
「ペドって言うなあああああああああああ!! 妥協してもロリコンが限度じゃあああああ!!」
ベドとは精神医学用語『ペドフィリア(paedophilia)』の略で、幼児・小児を性的対象として見る性嗜好のこと。類似語にロリコンという言葉もあるが、ペドはロリコンよりも更に幼い幼女を対象とするニュアンスが強い。
つまり、五月雨の指摘は罵倒となんら変わらない発言だったというわけだ。
すると鉈内は気づいたように己の顔を指し示し、
「え、じゃあ僕が夕那さんに興奮しないのは正しいことじゃない?」
「その通りだね。あそこで興奮しているようでは、君はペドという最悪の称号を背負っていたろう」
「じゃからペドってやめろおおおおお!! ロリって言え!! ロリって叫べ!! 次ペドってほざいたらその口引きちぎってやるぞ!! 分かったなこのロリコンが!!」
「ちょ、なんで僕に向けて叫ぶわけ!? ってか最終的に僕がロリコンになってね!? 何かもういろいろぐだぐだじゃね!?」
騒がしい二人とは違い、五月雨乙音は相変わらず顔色の悪い表情をしてぼーっとしている。と、そうやってはしゃいでる七色が、ふと苦痛に苦しむような声を上げて腹部を抑えた。
「だ、大丈夫夕那さん!?」
慌てる鉈内をなだめながら、五月雨は小さく息を吐いて七色に言った。
「ほら。いっただろう? 可愛い息子がお見舞いにきて嬉しいのは分かるが、少しは大人しくしたほうがいい。でないと、傷口が開くよ」
五月雨に背中をさすられる七色は鼻を鳴らして、
「か、可愛くなんてないわい。手間がかかるモブキャラみたいな息子じゃ」
「なんで僕は罵倒されるのかな……マジでそろそろ泣いていい?」
自分の可哀想さを改めて自覚した鉈内。
彼は、痛みが引いて落ち着いてきた七色から手を離した医者に向き直り、
「で、さ。雪白ちゃんとか、その辺はどうなのよ? 特に、雪白ちゃんって心配してるだろうし。掘り返すようで悪いけど、雪白ちゃんは過去にやっくん監禁するほどラブだったから、一番精神的にまずいんじゃないかな」
夜来初三失踪事件……といっても、本人から連絡はあるので失踪とは言えない。しかし帰ってこないことは確かだ。故に、夜来初三と深い関わりのある者たちは、定期的に五月雨乙音がカウンセリングを行っているのである。カウンセリングといっても、所詮は『万が一』を考慮した結果なので、大げさに捉えることはない。
だから五月雨乙音に尋ねたのだが、彼女の返答は当然ながらいいものではない。
「唯神天奈、秋羽伊奈の二人は……秋羽伊奈が非常に落ち込んでるね。前回のカウンセリングのときも、素人でも分かるくらい表情がくらい。唯神天奈は見た感じなんの変化もないが―――彼女が一番『心配』してるね。普段から感情の起伏が激しくない彼女だからこそ、『些細な表情の変化』がよくわかる。私も同じタイプだしね」
「世ノ華と雪白ちゃんは?」
「世ノ華は落ち着いている。意外にも、彼女が一番大丈夫そうだ。ああ、大丈夫といってもそういう意味ではない。ただ、『大丈夫そうに振る舞えて』はいた。つまり、仮面を作れるくらいの精神力はある」
「まぁ確かに、世ノ華はあのバカによくなついてたしね。大丈夫なわけないでしょ。―――きっと、あのバカを見習って冷静さを維持してるだけじゃない? 僕らじゃ何もできないよ」
「ああ、理解しているさ。そして一番『不安定』なのは……雪白千蘭だね」
雪白千蘭。
彼女が一番不安定だという言葉には、誰もが納得できる過去があった。
それはもちろん、
「監禁して、洗脳するほど雪白は夜来を好いておったからな。水に流したとはいえ、雪白の愛情までもが水に流れたわけじゃない。雪白は未だに夜来に対する『病的な好意』は変わっておらんじゃろうな。いや、ずっと変わらんじゃろうな。それをコントロールできているから何も言うことはないが……まぁ、確かに『危険性』が高いのう。雪白はいつ、どこで、夜来という居場所を失ったことで心が壊れるか分からん。儂は医者などではないが、乙音の発言には首肯できる」
ベッドの上に座っている七色が、視線を落としてそう言った。
同意を示すように五月雨は頷いて、
「その通りだ。雪白千蘭以外はこちらでうまく対処したいのだが……雪白千蘭だけは『どうしようもない』レベルだったよ。死んだようにぼーっとしてるし、瞳に色がない。まるで、ハッチーが帰ってくるのを待つために、ただ時間に身を任せるような有様だ。正直、私たちでは彼女に安心感すら与えられないだろう」
「ハッチーじゃなくて初三ね。まぁ、それにゃ僕も同意見だ。もともと、雪白ちゃんはやっくん以外の存在そのものを毛嫌いしてたしね。僕たちにも心を開いてくれてるとは思うけど―――雪白千蘭の中で絶対的な存在は夜来初三に変わりはない。やっくん『だけ』が雪白ちゃんをなんとかできる。でも、今はそのやっくんがいない。つまり―――」
「夜来のアホが帰ってこなければ雪白の奴は元に戻らん、というわけじゃな?」
「ご名答です、マイマザー」
肩をすくめて苦笑した鉈内。
そんな彼に、五月雨乙音は首をかしげながら、
「そういえば……君は本当にカウンセリングは必要ないのかね?」
「んー? なんで?」
「なんでとは尋ねなくとも分かるだろう。ハッチーが帰ってこないことに、何か不安などの感情はないのかね? 恐怖だとか、寂しさだとか。そういった気持ちが一定量を超えると、人間は病んでしまう。精神的にね。そこから歩行障害が出たり、過度のストレスから声が出なくなったりもする。だからこうして、雪白千蘭たちのカウンセリングを定期的に行い、精神状態を確認しているのだが……君だけが受けていないだろう? どうするかね、うけるかい?」
「必要ないね」
あっさりと切り捨てた鉈内に、五月雨は少々不思議そうな声を上げた。
彼は自分の胸に人差し指をトントンと当てて、
「僕は生憎と、あのクソ野郎が失せようとさして気にしてないんだよ。ぶっちゃけ、そのうち帰ってくんじゃね? くらいにしか思ってないから、五月雨さんとお見合いみたいに話し合う必要はない」
「ほう、なぜ気にしない?」
「―――気にならないからさ。あのバカは気にされるほどひ弱でもないしね」
そう。
鉈内翔縁は夜来初三が―――嫌いだ。
ムカつく。気に入らない。腹が立つ。合わない。イライラする。癪に障る。
言葉を上げればきりがない。あの顔も性格も見た目も中身も何もかもが、めちゃくちゃ大嫌いだ。
でも。
『そういうの』ではないのである。
鉈内は小さく笑って、
「あんのクソ野郎、僕は大嫌いだよ。マジで殴ったこともあったと思うよ? ……昔っから嫌いだった。そう、初めて会ったときから大嫌いだったんだよ。―――互いにね」