死闘の始まり
「チッ! おいおい何してる? さっさとあの前髪バカを探せ!」
ターゲットを完全に逃がしてっしまったことに大きな舌打ちをついた豹栄は、呆然としている役たたずな部下達にそう命令を下した。
部下達はハッと我に返り、あらかじめ考えていた捜索班を二グループに分けて行動を開始する。
(夜来初三……ねぇ。ちっと『凶狼組織』を舐めすぎてやがるあのバカにゃ、それ相応の痛みを与えてやらねぇとなぁ)
豹栄真介は失笑するように笑って、そう思った。
これからどうやって夜来初三を殺害するか、夜空を見上げて思案する彼だったのだが、ここで誰もが仰天する事態が発生する。
それは―――
ドォォオオオオオオオオオン!! という轟音と共に、向かい側にそびえ立つ山の半分が大規模な爆発を起こしたのだ。
誰もが唖然とした。『凶狼組織』の部下だとかリーダーだとか関係なく、口を開けて目を見開いた。
が、しかし。
彼、豹栄真介だけは破壊の爪痕が残った山を見上げながら、大きな口笛を吹く。
「おいお前ら。あらかじめ考慮して作った夜来捜索班は全員あの山に突っ込め。別部隊は俺について来い」
「で、ですが、ターゲットの夜来を探さなくては―――」
「だーかーらー、その夜来くんがわざわざ山を半分吹き飛ばして俺たちに居所を教えてくれたんじゃん」
反論を立てようとした部下の一人に速攻で言い返してやる。
「あれだけの大破壊を引き起こせる奴なんざ、あの前髪バカ以外に存在するか?」
顎で、その大破壊が引き起こされた現場である山を示す。
すると、部下もゆっくりと頷き、
「た、確かに……」
「だったら仕事しろォ仕事ォ。お前ら全員あの山に行って、夜来のバカを殺して、その死体を俺にプレゼントしろ。そしたら出世も考えてやんぜェ?」
『凶狼組織』の部下達、全員が首肯したことを確認した豹栄。
彼は、ニヤリと獰猛な笑顔を作ってから歩き出した。
もちろん、目的地とは前方に存在する山―――ターゲットが息を潜めている狩場である。
世ノ華雪花は、一言で言ってしまえば孤児であった。
幼い頃から施設で育ってきた彼女にとって、家族という存在は一億円の宝くじのあたりよりも欲するものだった。
世ノ華雪花、という名前すらも彼女の親がつけたものではない。孤児院の施設に働く者達が呼びやすいように作った名だ。母親は世ノ華が生まれたときに亡くなり、父親はその母の死を聞きつけて病院に向かっている最中に交通事故に遭った。そして、母の後を追うように帰らぬ人へなってしまった。
そんな彼女は、ある日施設でいつものように本を読んでいた。
本といっても絵本のレベルだが、まだ幼いというのに感心することだった。
そのときだった。
そのときだったのだ。世ノ華に朗報が入ったのは。
集中して黙読している彼女に、施設で働いている一人の女性がある驚愕の事実を告げた。
―――あなたの家族が決まった、と。
ようやく、誰かに引き取られることが分かった世ノ華雪花は、それはそれは大喜びした。飛び跳ねて、笑って、くるくると回ったりして、歓喜の心を全身を使って表していた。
やっと家族ができる、という事実に大層喜んでいたのだ。
だが。
現実とは、クソったれだった。
親は生まれたときには既に死んでいて、家族という存在を知らない世ノ華雪花。ずっとずっと苦しんで生きて、悲しんで生きて、孤独に生きていた彼女は、もう幸せになったっていいはずだった。
これ以上、不幸な目には遭わないはずだ。
なのに、なのに。
ようやくできた世ノ華の家族とは、彼女をこき使う為だけが目的だったのだ。
それはもう、家政婦以上に家政婦のような扱いをされてきた。。
掃除、洗濯、料理、などの家事は全て世ノ華が毎日休むことなく行い、明らかに奴隷と大差がない毎日だったらしい。
ひどい。ひどすぎる。
望んでいた家族がこれほどまでに非道な人間達だなんて、彼女は報われなさすぎた。
そして、新しい家族が出来たことにより、世ノ華には一人の兄ができた。
その兄こそが―――大規模犯罪組織『凶狼組織』現リーダーの豹栄真介。
彼は、とても優しかった。
父と母にこき使われていた世ノ華に、唯一優しさをかけてくれたのは、彼だけだった。一緒に遊び、笑ってくれて、世ノ華にとって自慢の兄だったそうだ。
が、しかし。
そんな彼は、世ノ華雪花が中学二年に進級したあたりから豹変した。
不良組織を作り、酒やタバコに手を染めて、どんどん『闇』に染まっていった。
そんな不良よりもタチが悪くなった彼や、彼の友人関係に影響された結果、世ノ華雪花もだんだんと口が悪くなっていき、目つきは鋭く変貌し、態度もきつくなっていった。
さらに、豹栄は彼女に酒やタバコをすすめ、どんどん悪い人間へおとそうとしてくる。
その結果、世ノ華雪花は不良になり……。
親しくしてくれた友人、学校の教師などの、自分の周りのありとあらゆる人間関係を壊してしまった。
それは、あの最低だった親も同様である。
不良と化した娘を怖がり、家事を頼むことなどはなくなった。恐れて近寄ってくることはなくなり、無駄な干渉をせずにすむようになった。
その点だけは、不良となったメリットである。
だが。
滅亡した。
彼女は人間関係も、大切なものも、何もかもが滅亡した。
豹栄真介という兄の仕業によって、彼女は人間として堕落させられ、滅亡させられたのだ。
この残酷すぎる過去こそが、世ノ華雪花が背負う『羅刹鬼の呪い』と類似した『悪』。
全てを滅亡させる悪を宿した羅刹鬼。
全てを滅亡させてきた世ノ華雪花。
『滅亡させる』という悪が似たことにより、彼女は羅刹鬼に憑依されたのだ。
「―――そんなときよ。羅刹鬼に憑かれて、天山高校に入学して少しのとき。兄様と出会ったのは……」
世ノ華は、震える声で呟くように言った。
雪白は彼女の過去にかける言葉すら見当たらず、ただ唖然としている。
「私を敵視してた不良グループに目をつけられて、裏路地に連れて行かれたの。でも、私には『羅刹鬼の呪い』がある。だからそのときも、適当にぶっ飛ばしてやろうと考えてたら……」
大きく息を吸い込んで、停止することなく説明を続行する。
「裏路地のもっと奥の闇のほうから、返り血を浴びた姿で、いかにもたった今喧嘩しましたよ、って感じの兄様が歩いてきたの。兄様もどこかのバカと喧嘩して、帰ってきたところだったらしいわ」
「それで、どうなったんだ?」
「私に絡んできてた不良達を呪いを使わずにあっという間にボコボコにしちゃった」
あはは、とどこか嬉しそうに笑う世ノ華。
きっと、助けてもらえたことが相当嬉しかったのだろう。
……まぁ、夜来本人は助けてないと否定するのだろうが。
「その後……私泣いちゃったのよね」
「な、なんで?」
「だって兄様ったら、黙って私の顔についた返り血を吹いて、立ち去ろうとしたのよ……何も言わずに」
きっと、その世ノ華に絡んでいた不良を夜来が殴ったときに飛散した血でも、彼女の顔にかかっていたのだろう。
おそらく、夜来はそれを「俺は俺の喧嘩のせいで付いちまった血をとっただけだ」と言って、大きな舌打ちをつくのだろうが。
「それでね、私……本当に久しぶりに優しくしされて、助けてくれて、とにかく自分を救ってくれた兄様のことが気になったの。あの頃の私は、文字通り人間関係とかいろんなものが滅亡してたから……」
「……なるほどな。それで、夜来と関わっていって、仲がよくなったってことか」
「うん。最初は、クラスが同じだって気づいたんだけど、兄様ってば不登校だったから全然会えなくて」
世ノ華は涙が溢れていた自身の両目を服の袖で拭って、自分を勇気づけるように笑った。
忌まわしい過去の一部を話しているのだから、かなりの勇気を振り絞っているのだろう。
「でも、住所とか突き止めて、たまーに偶然装って曲がり角で会ったり、話すようにしたの。そしたら、まぁ……兄様も返事くらいは返してくれるようになったわ。今思うと、私ストーカーみたいね、はは」
テストで赤点をとってしまったように笑みを浮かべる世ノ華。
雪白は共感するように頷いて、
「ああ、アイツはツンデレというか、短気というか、とにかく人と馴れ合うのが苦手だからな……」
雪白千蘭も、夜来初三との過去の会話をいろいろと思い出してみるが……やはり彼のコミュニケーション能力は低い。低すぎる。
「それでね、兄様が本当に優しい人だってよく分かったから、思い切って打ち明けてみたの」
「なにをだ?」
「私の、家の、こと……丁度そのころ、豹栄の奴も家出したり、親は一層私にビクビクしてた。だから、過去も含めて、そういうのも、全部、兄様に打ち明けた」
最後のほうは、かすれるというより、ほとんど聞き取ることが不可能な声量だった。
恥ずかしがり屋な性格でもない彼女がここまで気を弱くする。その事実からして、きっと、相当ショックな家庭環境だったのだろう。
「そしたらね、兄様ったら、私が予想もしなかったようなことを言ったのよ」
「……」
黙って、視線だけで続きの言葉を要求する。
世ノ華は静かに微笑んで、
「兄様は、『だったらテメェを滅亡させやがった家出中のクソ兄貴を叩き潰しに行く』って言って私の頭を撫でてくれたの。もう、それだけで、私は兄様にほとんど惚れちゃってたわ」
「……そうか。実にアイツらしいな」
雪白は苦笑してから、ふと気づいたように尋ねた。
「もしかして、夜来は本当にお前の兄……豹栄とやらを組織ごと壊滅させたのか?」
言うほど驚いた様子がない雪白千蘭。
驚愕しない理由とは、彼女も夜来初三が言ったことは曲げない―――約束を守る男だということを知っているからだ。命をかけてでも約束は果たす人間だと、覚えているからだ。
世ノ華はコクりと頷いて、
「うん。本当に、当時の『凶狼組織』―――まだ組織と言えるほど闇の世界で有名じゃなかった『凶狼組織』を、兄様は私のリーダーだったクソ兄貴ごと叩き潰したの。その後に、私の呪いのことも伝えたら、七色さんと鉈内が住んでる神社に連れていかれて、そこである程度呪いを解けたってわけ。まぁ、大体、まとめるとこんな感じね」
「なるほど、それでこういう状況になったわけだ……」
ようやく現状までの事態を飲み込めた雪白千蘭。
夜来と死闘を繰り広げていた『凶狼組織』たちの狙い―――夜来初三に『復讐』する理由も解明したことで、だいぶ気分が軽くなった気がする。
そこで、ふと。
「でもさー、何でやっくんは僕たちに助けを求めないのー? やっくんは、雪白ちゃんと世ノ華をこの旅館で下ろして、どっか行っちゃったんでしょ?タクシーかよあのバカは」
ベッドで寝転がっている鉈内翔縁が、振り返ってそう口にした。
彼のその疑問に答えを伝えてやったのは、テーブルに頬杖をついている七色夕那だ。
「バカはお主じゃ翔縁。夜来が儂たちと直接接触しないのには明確な理由があるじゃろうが」
「へ? そんなのあった?」
七色は呆れるように溜め息を吐いてから、
「奴らの狙いは夜来ただ一人。ならば、夜来が儂たちから距離を取れば取るほど、奴ら『凶狼組織』も夜来の後を追っていくのじゃから、儂たちに危害が加わる可能性は下がるのじゃ」
「あー、いかにもやっくんが考えそうな方法だねー」
納得したような声を漏らす鉈内。
彼を一瞥した雪白千蘭は、咄嗟に口を開いていた。
「な、ならばどうするんだ!? このままじゃ、夜来が一人だけで戦うことになるぞ!?」
「良いのじゃよ。それで」
その無慈悲な返答に仰天した雪白は、即座に顔を怒りで真っ赤に染めて、怒声を放った。
「ふざけるな! このままじゃ夜来が死ぬかもしれない!! 仲間なんだから助けてやるのが普通だろう!」
その大きな威圧に動揺一つみせない七色は、
「ああ、儂だって助けてやりたい。じゃが、それを夜来が望むとは思わんよ。今回の『凶狼組織』とのいざこざは、夜来がまいた種じゃ。ならば、夜来の奴はきっと『自分がまいた種に関係のない者を巻き込ませたくない』、そんなのは『本物の悪』じゃないと拒絶するじゃろう。これでも儂はアイツの親代わりじゃ。夜来の大体の考えは想像つく」
「……で、でも……」
反論できなかった。
確かに、夜来は自分の問題に他人を巻き込ませたくないと思うだろう。それは、彼自身の人格や性格が生み出させる考えなのだから、文句を言う筋合いは雪白にはない。
彼の問題は彼が解決させる。
それを彼も望んでいる。
ならば、雪白達が首を突っ込んでいい理由は存在しないはずだ。
だが、
「それでも、私は……夜来を傷つけさせたくない!! 私は夜来をこれ以上、一人にさせたくない! これ以上、あの不器用で短気で誰よりも優しいアイツを孤独にさせたくない!!」
恩返し、のような気持ちは一切籠っていない言葉だった。
自分を助けてくれたから、彼を助けてあげたい、という感情は一切抱いていなかった。
単純に、雪白千蘭が夜来初三を守ってやりたいだけだった。
単純に、雪白千蘭が夜来初三と一緒にいたいだけだった。
そんな彼女の必死すぎる形相に、さすがの七色夕那もバツが悪そうな顔をする。
鉈内翔縁も考え込むように口を固く閉じていた。
あと、もうひと押し。
もう少し攻めれば、夜来に協力してくれるかもしれない。
「そうだ! お前もそう思うだろう、世ノ―――」
雪白は振り向いて、自分と同じ考えを持っている可能性が一番高い人物に同意を得ようとした。
が、しかし。
「い、いない……だと……?」
既に、世ノ華雪花はこの部屋から跡形もなく姿を消していた。
深い深い山の中にある洋風の巨大建築物。城のような外見をしているのだが、実際はキリスト教を信仰する為に作られた昔の教会だ。
そこで息を潜める一匹の化物―――夜来初三。
彼は『凶狼組織』の連中が自分を狙っているという事実を利用して、わざと人気がなく、誰も寄り付かない、七色達から距離が離れたこの教会を戦場に選んだのだ。
連中は必ず、自分を殺したい。ならば、わざと『ここにいる』というアピールをすれば、『凶狼組織』はそのアピールした場所にのこのこと姿を現すはずだ。
そのために山を破壊してやったのだが、どうやら効果は抜群のようだった。
なぜなら……。
「見ーっけ」
じゅるり、とエサを前にした肉食動物のように舌なめずりした夜来の視線の先には、数人の黒スーツ姿をした男達が、ハンドガンを構えながら窓の先で薄暗い木々の中を歩いていた。
そのまま直進すれば、いずれこの教会にたどり着く。
そこで、狩る。
容赦なく、心臓をえぐりとってやる。
彼は右手に握りしめている、先ほど拾った鉄パイプをくるりと手のひらで回してから、
「肉の塊にしてやンよ、クソ共が」