すれ違い
唯神天奈と秋羽伊那は自宅であるマンションの一室で『いつも通り』に過ごしていた。遊んでいる秋羽の相手をしてやっている唯神の光景は、まったくもって『いつも通り』である。
そう。
それでいいのだ。
『いつも通り』に自宅で過ごし、『いつも通り』に夜来初三の帰宅を待ち、『いつも通り』に夜来初三を出迎えてやればいい。
それが。
何よりも彼が望むことだろうから。
(力がない私たちじゃ、戦場に向かえば自殺するようなもの。そんな犬死な行為は初三は求めていない。だから、こうして帰ってきた初三に笑ってあげるのが―――一番の助けになるはず)
「遅い。なんなら夜食でも作ろうかな」
呟いた唯神はチラリと同意を求めるように秋羽へ視線を移す。
そこで気づいたが、秋羽はすっかり熟睡していたようだ。すーすーと寝息を立てている彼女に苦笑した唯神は、静かに幼い体を抱き起こす。
そして寝室にまで連れて行くと、ゆっくりベッドの上へ寝かせてやった。
確かに、子供にとっては遅い時間だ。眠ってしまったのも仕方ないことだろう。
なので、
「じゃあ、私だけでも初三の帰りを待つとしよう」
彼を出迎えてあげたかった。
彼だって、出迎えられたいはずだ。
そんな風に思った唯神はリビングまで行き、疲れきっているだろう彼へ送る夜食を作り始める。何の力にもなれない彼女は、こうして『いつも通り』に過ごすことで彼を安心させてやるのが精一杯だ。
「冷凍食品は……ダメ。きちんと手作りを製作しよう」
しかし彼女は知る由もない。
彼を出迎えて、夜食を作り待っているという行為が―――いかに無駄かということを。
この日。
唯神天奈は誰も『帰ってこない』一日を無駄に過ごした。
雪白千蘭は夜の街を走りに走っていた。ひたすらに、ただ必死になって彼を探し続ける。帰れないというメールの内容からして、間違いなく何かがあったと確信を得ていた。
「はぁ、はぁ……!!」
息が荒くなっている。
それほどまでに足を動かしていたという証拠だ。
「初三!! どこだ!!」
何度と繰り返したその言葉は、やはり結果を残さずに消失する。
歯噛みした雪白は再び走り出す。
(帰ってこない? 夜来初三が? 嫌だ。そんなのは嫌だ……!! 絶対に嫌だ……!! 意地でも探し出す!! 絶対に見つけてひっぱたいてやる!! 死んでも探し出す!!)
ひたすら走って走って走って走った。
名前を呼んで呼んで呼んで呼んだ。
それでも。
彼の声が耳に入ってくることはない。
「く、っそ……!! 初三……!!」
膝に手を当てて、とうとう呼吸を整え始めた雪白千蘭。しかしここで、息を静めもしないで走り続けていれば、間違いなくぶっ倒れていた。彼を探す前に、彼を探せない体になるところだったのだ。その辺りの判断を間違えなかった彼女は、やはり彼を探し出すことに徹底している。
目の色を変えて、また走り出す。
しかし、その瞬間。
雪白千蘭の隣を黒塗りのワンボックスが通り過ぎていった。
もちろん彼女はそのワンボックスには目も向けない。今はただ、どこにいるのか分からない夜来初三を見つけ出すことが優先である。
故にワンボックスとは真逆の方向へ駆け出した雪白は、再び声を上げて捜索を開始した。
通り過ぎていったワンボックスの車内では―――金色のスーツを着用した笑顔を浮かべている男が、すれ違った雪白の姿を見て……小さく笑みを濃くしていた。