豹栄真介
太陽が隠れて月が神秘的に輝く夜のこと。
大規模犯罪組織である『凶狼組織』は、過去に組織を壊滅させられた恨みを晴らすために、夜来初三への復讐を行った。
しかし、部下レベルでは太刀打ちが出来ずにあっさりと返り討ちに遭ってしまう。
よって、これを『凶狼組織』のリーダーである豹栄真介が自ら実行。
見事に夜来初三と互角の勝負を披露できた彼は、徐々にターゲットである夜来を殺害しようと考えていた。
夜来初三も勝ち目がないと踏み、人質となっている雪白千蘭の奪還を思案する。
だがしかし。
ここで予想外の事態が起きた。
それは、
「兄様、なぜ、ここに……」
豹栄真介の妹。
世ノ華雪花が登場したことだった。
夜来は世ノ華を凝視し、心の中で吐き捨てた。
(何であのガキがここにいやがる……ふざけやがって……!!)
最悪の状況の中で現れた彼女は、ただただ呆然と突っ立っていた。
なぜこうなったのかと言えば、理由は単純だ。
夜来初三の様子がおかしいことに気づいた世ノ華雪花と雪色千蘭。
彼女らは、コンビニに行くとだけ告げて出て行った夜来の背中を二手に分かれて捜索していただけだった。たったそれだけのことで、雪白は『凶狼組織』の者達に捕らえられ、世ノ華雪花は戦場と化した現場に遭遇したのだ。
たったそれだけで、現状は出来上がってしまっていた。
「んあ? 何だよ雪花。兄様はここにいるぜ?」
ひらひらと手を振る豹栄真介。
世ノ華は彼の顔を見た瞬間に激昂した。
「テメェは兄様じゃねぇ!!」
口調が一変した彼女は、そのことに気づいていないのか、怒りに任せて大声を張り上げる。
「私の兄様は初三兄様だけだ!! テメェみたいなクズは私の兄じゃねぇんだよ!!」
「あーあ、妹がグレて不良になっちゃって、お兄ちゃんショックだよ」
額に手を当てて悲しむポーズをとる豹栄。
再び、世ノ華雪花は絶叫に近い怒鳴り声を上げた。
「私をこうさせたのはテメェだろォがァアアあああアアアアア!!」
険悪というよりも、生まれついての敵を威嚇するように実の兄を睨みつける世ノ華の鬼の様な横顔を一瞥した夜来は、再び拘束されたままの雪白千蘭に視線を動かす。
(クソッたれが……! あのガキまで来ちまったんじゃ荷物が増えただけぞ……!)
まったくもってその通りだ。
現在殺し合っている最中の敵―――大規模犯罪組織である『凶狼組織』のリーダー、豹栄真介達の目的とは、夜来初三に対する復讐である。
よって、夜来に関係している人物ならば、老若男女問わず、その命を奪い取ることだって容赦しないはずだ。なぜなら、目的が夜来初三を苦しめることなのだから。
さらに豹栄真介には、何らかの呪いの能力によって『不死身』という絶対的な力を宿しているのだ。
その死なないという事実から考えて、夜来達に勝利という結果は決して訪れることはない。なので、世ノ華という大きな戦力の登場も何の意味もなかったのだ。
ただし、豹栄サイドは別である。
夜来が豹栄を殺す為に『サタンの呪い』を使用すればするほど、夜来初三は呪いに身体を奪われていく。
だがしかし、豹栄の『不死身』という能力は、呪いにかかっている間は永遠に有効。つまり、呪いに身体を完全に侵食されたとしても、憑依体である豹栄が死ぬことは決してない。
しかし、夜来初三は違う。
夜来初三が『サタンの呪い』に身体を奪われて強大な力を手にしたとしても、どれだけ魔力を放出し続けたとしても、彼は不死身ではない。
故に、いつかは死ぬ。
つまりこの勝負の勝敗とは、既に決定しているのだ。
夜来初三は豹栄真介に長期戦へ持ち込まれて、いつか確実に殺される。
夜来初三は敗北し、豹栄真介は勝利するのだ。
チートすぎる。
『不死身』なんて絶対的すぎる力は、チートすぎるのだ。
(とにかく一時撤退だぁクソったれ! ひとまずは世ノ華のガキと雪白の奴を連れて、こっから離れるしかねぇ……)
舌打ちをして、夜来は『サタンの呪い』に身体を乗っ取られることで強力な力を手にする。
その証拠として、瞳の色は血の様な赤に染まり、その場所を除いた眼球の全ては漆黒の黒色に塗りつぶされる。赤と黒の目―――サタンの魔眼に変化したのだ。
『サタンの呪い』を発動させる。
咆吼を上げて行動する。
「クッソがァァあああアあアアああああアアアア!!」
叫び、呪いに侵食されたことで得た身体能力を駆使して、瞬間移動のように拘束されたままの雪白の傍へ一直線に急接近する。
「―――ッな!?」
その圧倒的スピードに度肝を抜かれたのは、雪白千蘭の腕を掴んで彼女の自由を奪っている『凶狼組織』の男二人だ。
雪白の右腕と左腕を掴む、という単純な拘束方法をとっていたのだが、その状態はあっさりと崩されることになる。
「ハエ二匹か。虫除けスプレーでも持って来てりゃ良かったかねぇ」
まばたきをした瞬間、『凶狼組織』の男達二人の両目には―――
二本の指が一人ずつ丁寧に深く差し込まれていた。
つまり、躊躇いなど欠片も抱いていない容赦のなしの目潰しだった。
「あっががあばばばがあああああああああ!?」
「野郎の悲鳴なんざ聞いても興奮しねぇよボケ」
二人の男達から視力という大切なものを完全に奪った夜来初三は、第二関節まで眼球に突き刺さっている自分の指をさらに深く押し込む。
ぐちゅ、という何かを潰した気持ち悪い音が響く。
そのまま眼球の奥底へ埋まっている指を抜き取った夜来は、男達二人を適当に殴り飛ばしてやった。
「うわっ! や、夜来!」
「大人しくしろボケがっ!」
自由の身になったというのに、現状を理解できていない雪白を即座に抱きしめた。
動揺する彼女を一喝してから、再び爆発的なスピードでミサイルのように飛び出す。
その目的地とは、事態に追いつけていない世ノ華雪花のもと、だ。
「に、兄様―――わっ!?」
雪白千蘭と世ノ華雪花を両脇に一人ずつ抱えた夜来は、とりあえず二人を確保できたこと安堵の息を吐く。そして、油断したことを悔やむように眉根を寄せている豹栄真介に振り返った。
「そんじゃまぁ、また遊ぼうや豹栄ちゃん。次ぃ顔合わせた時がテメェの命日だって事、そのスッカスカの頭ん中に叩き込んどけよ?」
「オーケーオーケー。安心しろ。今日中にゃ、もう一回ヒーローごっこして遊ぼォぜぇ? 今度は俺がヒーロー役やりたいからさぁ」
夜来は鼻で笑って、
「アッホじゃねぇの? 俺もテメェも―――」
親指を下に突き立てて、言い放った。
「ただの人間のクズ……悪人だろうがよ」
それを最後に、彼は二人の少女達を抱えたまま圧倒的な脚力を使用して跳躍した。
その影響で地面には直径十メートルほどの亀裂が走り、台風のような砂埃が舞う。
豹栄真介を含めた『凶狼組織』全員が目を開けてみると、そこには既に誰一人として存在していなかった。
「美味しいのう~、美味しいのう~」
「夕那さん、それ僕が夜食にしようとしてたショートケーキなんだけど!?」
神水峽旅館のとある一室。
女部屋であるこの場所には、一人部屋が寂しくて寂しくて耐えられなかった鉈内翔縁も居る。彼は自分が味わおうとしていたケーキをもぐもぐと幸せそうに食べる七色夕那と共に雑談を交わしている最中だった。
「いいではないか、いいではないか。たまには親孝行せい馬鹿者が」
「だったら、そのセリフをやっくんにも言ってよ。やっくんも僕と同じ捨て子で、夕那さんに世話してもらってんじゃん」
納得がいかないという表情に変化する鉈内。
七色はケーキを切り分けることをせず、ほぼ丸々一個を口に放り込んで一瞬で咀嚼した。その、あまりにも味わわずに胃袋に押し込みやがった彼女に、鉈内は仰天の視線を向けている。
彼女はようやく口を開いた。
「ごちそうさまじゃ。……お主は幼児の頃、夜来は中学三年の頃から儂が世話してるのじゃ。どちらも儂の息子じゃと思っているが、明らかに付き合いはお主が一番長い。じゃから、長男みたいなものじゃから儂に一番気を遣え」
「えー。じゃあなに? 僕はやっくんの兄貴ってこと? 嫌だよー、あんなチンピラとヤンキーとヤクザを足して構成されてるような暴力愚弟」
肩をすくめて、鉈内は絶対に嫌だとアピールしてくる。
そんな彼に苛立った七色は、鉈内に指を突き立てて、
「じゃあお主は、チャラ男とチャラ男とチャラ男を足して十倍したようなチャラ男じゃな」
「めっちゃチャラ男じゃね!? 何かもうチャラ男を超えたチャラ男じゃね!?」
「そうじゃのう。……さしずめ、『スーパーチャラ男人』とでも言ったところじゃな」
「染めないよ!? 僕は金髪に染めないよ!?」
と、どこかの戦闘種族に似た称号を得た鉈内翔縁と彼をからかう七色夕那だったが、突如二人の前に彼女らが現れた。
バン! と大きく部屋の扉を開けて入出してきた者達は、
「な、七色さん! 大変よ!」
「七色、話を聞け!」
まるで戦争から何とか生還してきたように息を荒くしている、雪白千蘭と世ノ華雪花だった。
よろよろと危ない足取りで近づいてきた彼女達は、お互いに顔を見合わせてから、代表するように世ノ華が口を開いた。
「兄様が、『凶狼組織』の連中と……私の、クソ兄貴に襲われたのっ!!」
「「―――ッ!」」
鉈内も七色も同時に息を飲んだ。
それから険しい顔になると、当然の質問を返した。
「……それで、夜来はどこなんじゃ?」
「私達をここまで逃がして、すぐにどこかへ行ってしまった……」
後悔するように奥歯を噛み締めて告げた雪白から視線を床へ移し替えた七色と、溜め息を吐いて眉根を寄せる鉈内。
「一体どういうことなんだ!? なぜ、夜来は襲われている! ……復讐だとか、その『凶狼組織』の奴らは言っていたが、お前たちは何か知っているんだろう!?」
雪白の必死の形相に対して反応したのは、苦い顔をした鉈内翔縁だ。
「まぁ、知ってるよ。僕たちは皆知ってる。それにしても……『凶狼組織』のゴミたちがやっくんに恨みを持つのはわかるけど、まさかこんな旅行先で襲ってくるとはねぇ。予想外だったよ」
「いや……きっとその、儂たちの『予想外』を狙ったからこそ、この遠い旅行先で奇襲をかけたんじゃろう。まぁ、奴らの狙いは夜来ただ一人なのだろうが」
そこで、気づく。
説明を要求してくる視線……というよりも、説明をしなければ殺す、という意味が込められた殺意の赤い瞳に。
間違いない、それは雪白千蘭から放たれているものだ。
七色は長い長い溜め息を吐いてから、
「……分かった。説明してやろう」
と言った。
しかし、
「いいえ。これは私が説明したほうが早い。私のことなんだから」
世ノ華雪花が、涙で瞳を潤ませながら唸るようにそう口にした。
―――殺す。
その感情、意思、目的しか、ビルの屋上で座り込み、街の景色を眺めている彼の中には存在していなかった。
過去に足を突っ込んでいた闇の世界で敵対していた組織の連中。
奴らを今度こそ確実に、完全に、絶対に殺さなければならない。
そもそも、彼がその闇の世界に身を浸した理由とは『自分を悪人にする』ためだ。
自分は悪人だから親に虐待されるという『理由』を作るため。
つまり、
自分は悪人=親に殴られる。
という式を作り上げることで、両親からの虐待を『納得』していたのだ。
そうしなければ、精神を保っていられなかった。
そうやって、何かしらの『理由』を作り出して肯定していなければ、彼は……。
―――なぜ自分は悪くないのに親に殴られるんだ?
という当然の疑問を抱いてしまう恐れがあったからだ。
誰だって納得できないはずだ。
何も悪いことなどしていないのに、悪い子供じゃなかったのに、何も悪くないのに……それなのに、親からやりすぎなまでの暴力を振るわれる。
納得できるだろうか?
できない。
いや。できないはずなのだ。
少なくとも、彼―――夜来初三は納得できなかった。
だから理由を作ったのだ。
自分は悪人=親に殴られる―――つまり『自分が悪い』という理由を自ら生み出したのだ。
だから彼は、自分を『悪』としてしか見れない。
今までの人生全てを『自分は悪』だと肯定して、理解して、納得して生きてきたからこそ、彼は悪以外の手段を知らないし、悪以外の考え方を知らないし、悪以外のものを信じることができない。
悪しか信じることができないのだ。
だからこそ、
(―――俺ァ『悪』らしく、あのクソ野郎共を殺す)
実に悪人らしくて『悪』に満ちあふれた解決方法だ。
敵を文字通り『殺す』ことで、彼は今回の騒動に幕を下ろそうとしている。
これ以上ないくらいの悪であろう。
(まぁ、どっちみち豹栄のクソだけは殺す。アイツだけは絶対ぇに死体に変えてやる。殺す。殺した後にもう一回殺して、大腸を引きずり出して口にねじ込んでやる……!!)
ぎりっ!! と歯を思い切り食いしばった彼は、屋上から暗い暗い裏路地に飛び降りる。
そこはまるで、彼という闇そのものを表すように薄暗い。地獄に繋がる一本道のようだった。
(だが、どうする……? あのドクソ共の狙いは十中八九この俺だ。そりゃ間違いねぇ。だったら……)
今後のプランを整理していく。
どうすれば、七色達を巻き込まずに豹栄真介達『凶狼組織』を壊滅させられるのだろう……。
夜来は唾を吐き捨てた。
難しく考えていた自分を捨てるように、唾を地面へ吐き捨てたのだ。
そして、
「ひひっ! やることなんざ単純じゃねぇか……」
殺意と狂気で作り上げられたおぞましい笑みを浮かべた。
動き出す。
生まれたときから狂った親に育てられ、その影響で自ら望んで『悪』に染まり、たった一人の弟さえも守りきれなかった一人の悪人が、ついに動き出す。
(さぁて、虐殺ショーの始まりだ……)
彼は始めから狂っていた。
彼は始めから悪であった。
彼は始めから―――悪人になる運命だったのかもしれない。
ならば夜来初三は己の『悪』に乗っ取った方法で、『大切な存在』を守りきろう。
片手を広げ、それを見つめる。
(……この手を赤く染めてでも、アイツらだけは巻き込まねぇ。どれだけ悪に染まろうと、アイツらだけは傷つけさせねぇ。その為だってんなら、俺は悪に堕ちて、闇に堕ちて、暗黒に堕ちて、地獄にだって堕ちてやんよ、クソが……!!)
決意を固めて歩き出す。
この瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。
闇に堕ちていた化物―――夜来初三。
闇で生きている化物―――豹栄真介。
彼ら、文字通りの『悪』そのものである人間達の殺し合いはようやく開幕の瞬間を迎えた。
「クソ風情の悪人共が。喰いちぎってやんよ」
少年のその笑顔は、もう……人間と認識できないほどに『悪』だった。