勝つき
気づけば。
鉈内の目と鼻の先に『九尾の呪い』を宿した悪人が迫ってきた。音もなく、気配すら感じさせずに移動してきたのだ。
「っな!?」
仰天した鉈内の顔へ。
妖力を纏った拳が空気を貫いて放たれる。
咄嗟に顔を右に逸らして回避に成功した鉈内だったが、明らかに避けるタイミングを少しでも間違えていれば即死だったろう。
伊吹連は感心するような声を上げて、
「身体能力が高くてなかなかだな。まぁ、甘いのは相変わらずだが」
「僕は甘いんじゃなくて優しいだよ、優男なんだよ。そこんとこ間違えんなゴミ」
すると。
次の返答は右耳の『すぐ傍』で聞こえてきた。
「そうか。―――速度を上げるぞ? ついてこい優男」
いつの間にか隣へ移動していた伊吹。ぎょっとした鉈内は、即座に天棒を使ってガードの姿勢を取る。ビリビリとした衝撃が肌に伝わってきた。天棒が伊吹の右フックを受け止めているからだろう。
危なかった。
ほとんど我武者羅な防御行動だったが、一歩間違えていれば危なかった。
だが。
脅威は止まることを知らない。
「どうした? 優男とは敵にさえも優しさをかけるアホなのか? それとも単純に―――手も足も出ないとか失望させられる状態なのか?」
繰り出されるのは拳と蹴りの連打。妖力を纏っているからなのか、その威力は圧倒的に凄まじい。天棒で受け止めるたびに、武器を握っている手の皮膚がずり落ちそうになる。
腕の骨が悲鳴を上げる。
肉にヒビでも入りそうになる。
(やばい……!! 押し切られる!?)
瞬間。
「ごっぽぉ……!?」
鉈内の腹部からバキゴキベキメキ!! という肉体が壊れかけた絶叫が鳴り響いた。血の塊を吐き出した鉈内が吹っ飛ぶ寸前に見たのは―――己の腹部に叩き込まれた伊吹連の右足。
槍が突き刺さったような感覚だ。
蹴り飛ばされて地面を転がっていく鉈内は、水たまりに服を濡らしながら咳き込む。同時に吐血が雨で濡れた地面に混じっていく。胃袋の中身をぶちまけそうになったが、口に手を当てて吐き気を押しとどめた。
「しぶといな。そこまで痛い思いをして立ち上がるとは―――前世はサーカスで鞭を打たれるライオンあたりか?」
「バッカ。僕のどこがライオンなんだし。せいぜいミーアキャットあたりだよ。あのクリクリした目とか僕にそっくりだろうが。可愛らしい小顔とか僕の双子レベルだし。つか、ああいう知能の足りない肉食動物はあの前髪バカあたりだっつーの」
「で? ―――まだ俺に勝つきか?」
立ち上がった鉈内に対して、伊吹は呆れるようにそう尋ねた。
すると。
「は? 君なに言っちゃってんの?」
「なに?」
「そっちこそ―――僕に勝つきだったりしてんの? だったらちょーウケるわ」
黙り込んだ伊吹。
鉈内の余裕っぷりに呆れたのか、挑発されて腹が立ったのかは分からないが、彼はしばし静寂する。
そして。
「いいだろう。―――消してやる」