凶狼組織
部屋は想像以上に綺麗で、和風だというのにベッドまで用意されていた。おそらく、布団とベッド、好きなほうで就寝出来るように準備されていたのだろう。
そして、この部屋こそが自分のハーレム部屋になると思うと、
「……はぁ」
もう、溜め息しか出てこない夜来初三だった。
別に女の人口密度が高い場所に自分という男がいることに不満を感じているのではなく、間違いを起こす気だってない。しかし、夜来初三が一番気になっているのが……。
(こいつ、多分怒り狂うだろうな)
自分の胸を見下ろして、そう考えた。
そう。
こいつ、である大悪魔サタンの存在こそが夜来の不安を生み出しているのだ。もしかしたら、サタンは嫉妬に狂って旅館どころか日本自体を沈めてしまいそうだ。実に背筋が凍ってしまうものである。
「夜来、どうする? ベ、ベッドにするか? ふ、布団にするか?」
「ひ、卑猥な発言はやめなさい!」
「わ、私だって恥ずかしいよ! ただ、結局この質問はしなきゃいけないだろう!」
雪白千蘭と世ノ華雪花が何やら揉め合っているが、自分の身に宿る怪物の存在のほうに意識が向いている夜来の耳に二人の会話は一文字分も入ってこない。
夜来はふと、横に目を向けてみる。
そこには、
「わーい! ベッドだベッド~!! ふかふかだよ~!」
もう、キャラ崩壊というよりは人格崩壊が始まってしまっている七色夕那がベッドで暴れていた。飛び跳ねたり、回ったりしている彼女の姿を眺めている夜来は、七色が希に見せる外見通りの幼女状態の謎を真剣に考え込んでしまう。
もしかしたら、案外大病なのかもしれない。
「はぁ。どうでもいいから、さっさと行くぞ」
夜来の言葉がスタートの合図だったかのように、一同は必要な荷物だけを持って部屋からぞろぞろと出て行った。
全員が退出して廊下に出て真っ先に目に飛び込んできたのは、これでもかというぐらい暗い顔をしている鉈内翔縁だ。
壁に体重を預けている彼は、小さく口を開いて、
「ほんと、やっくんはハーレム天国で羨ましいね……」
と、欲望で一杯の発言をした。
そんなことを言うような男だから女に好かれないんだ、と言いかてしまう夜来達だったが、鉈内の落ち込んだ表情の前では唇を開くことは出来なかった。
それからは目的地だった日本中で有名な名所である滝。神水峽旅館の名前の由来にもなっている『神水滝』という場所へ向かった。
全長は百メートルを超える神水滝という巨大な水の群れは圧倒的な迫力を放ち続けている。他に見物者がいないこともあって、大いに楽しめそうだ。
「わー。これ、私が旅館に着いて真っ先に見つけたものですよねっ、兄様」
「みてぇだな。まぁ、ぶっちゃけ俺は水なんぞに興味もクソもねぇが……」
興味の欠片もない夜来の返答に顔色一つ変えずにニコニコしている世ノ華雪花は、楽しそうに口を動かす。
「兄様、虹が出来てますよ! 虹がっ!」
「見りゃわかるっつの」
世ノ華が指差す方向には、確かに綺麗な虹が作り上げられていた。
おそらく滝の影響でできたものだろう。
「あー! 兄様、あちらには鳥の親子が飛んでいますよ」
「いちいちオーバーアクションだなテメェは。……ったく、ちったぁ黙って―――」
そこで沈黙した夜来は鳥が飛んでいたという場所―――木々の群れの中をただ凝視してしまう。
その様子の変化に気づいた雪白千蘭は、肩を叩いて声をかけた。
「夜来、何か気になることでもあったのか?」
「いや……何でもねぇ」
ぷいっと視線を外して、踵を返して歩きさっていく夜来。
彼はそのまま、身を乗り出して滝を眺めている鉈内翔縁の背中を足でぐいぐいと押し付けて滝の底へ落とそうとする。鉈内は命乞いをして七色夕那に助けを求めるが、彼女はデジタルカメラで神水滝の撮影に熱中しているので耳を貸すことはない。
いつも通りに過ごしている夜来初三なのだが、その態度がいつも以上に普通っぽくて普通じゃない気がする。
無理に平静を装っている感じがするのだ。
「なにが、あったんだ?」
「さぁ、私にも分からないわ」
振り返って世ノ華に尋ねたが、彼女も不安そうな瞳で夜来を見つめていた。
どうやら、彼女も夜来の異変に気づいたらしい。
「……」
雪白千蘭も世ノ華雪花も、ただ無言で夜来初三を見守ることしか出来なかった。
太陽が半分以上隠れて月が姿を現し始めた、夕方という時間帯。
夕食はバイキング形式のご馳走ばかりで、胃袋が破裂しそうになるぐらい詰め込んだ。特に七色は意外にも甘いもの専門の大食いだったので、一人でデザートコーナーの料理を壊滅させてしまっていた。その結果、旅館の従業員は涙で目を潤ませていたりもしたが。
「クッソ眠いな……」
夜来初三は、旅館から離れたコンビニに向かって足を運んでいた。
まだ太陽が沈みきっていないので、特徴的な黒い日傘はきちんと広げて歩いている。
(何で、俺はこんな馴れ合って生活してんだろうな……明らかに恵まれすぎだろ)
ふと、そんなことを思った。
自分のような『狂った親に育てられた狂った人間』が、なぜ七色達のような『普通の人間』と関わって生きているのだろう。
夜来初三の両親は、『夜来初三が生まれる前から狂っていた』。
つまりそれは、夜来初三は『生まれたときから狂った親に育てられてきた』という事実がわかることだ。
子供の人格形成には幼少期の頃の出来事が影響されるというが……ならば夜来初三はどうなるのだろう。生まれた時から狂った教育をされて育ってきた夜来初三の人格とは、どうなっているのだろう。
おそらく、狂っていっる。
夜来初三も、狂っている。
生まれたときから狂っている親に育てられてきたということは、狂った生活しか経験していないということだ。狂った環境で生きてきたということだ。
ならば。
夜来初三も狂った人間のはずだ。
狂った教育を受けて育ってきたのだから、狂った人間になることは必然である。
子供の心を作るのは、親がどういう人間かで決まる。
優しい親のもとで『優しい』を意識して育てられたのなら、子供は優しい人間になる。
真面目な親のもとで『真面目』を意識して育てられたのなら、子供は真面目な人間になる。
親が全てだ。
何の知識もない子供を育てるのは親なのだから、間違った育て方をすれば子供は間違った人間になる。
だからこそ、
(狂った親に育てられた俺は、狂った怪物なんだろうな……)
立ち止まって俯き、自分という存在を再認識した夜来。
彼はふと、向かい側の歩道に目をやった。
そこには、仲睦まじい夫婦に手を握られて幸せそうに笑っている女の子がいた。
会話は距離があるため聞こえないが、おそらく今晩の夕飯のメニューでも話し合っているのだろう。
「……チッ」
夜来はそんな家族達を羨ましそうに見ていた自分に舌打ちを吐いて、再び歩き出す。
そこで自分の影が薄くなっていることに気がついた。
どうやら、日はほぼ完全に落ちていて代わりに月が姿を現す時間のようだ。
「バっカバカしい……」
親のことを忘れるように吐き捨てて、日傘を強く握り締める。
そのときだった。
夜来初三の頭上から大型トラックが降ってきたのは、そのときだった。
ドッガァァアアアアアアアアアアアン!! と、地面に落下した衝撃で大爆発を起こし、炎を生み出す大型トラックの残骸。まるで地獄の業火を表すかのように、直径十メートルほどの範囲が灼熱の炎に包まれた。
そして。
それを見つめる十人程度の影がいた。
「やったか?」
「いや、油断するな。相手はあの夜来だぞ」
物陰から姿を現したのは、全身を黒いスーツで包んでいるサングラスをかけた男達だ。彼らは生唾を飲み込んで、トラックが落下した一点の火災現場を凝視する。
すると、
「あーあーあーあー! 旅行来てまでバトルとかさぁ、マジでありえないんですけどー? ちょー引くんですけどー?」
心底面倒くさそうな声が響いたと同時に、落下したことで燃え上がっているトラックが浮き上がった。
いや、正確には持ち上げられていた。
刺青のような紋様が顔の右半分に広がっている前髪の長い少年の左手によって、軽々と持ち上げられていた。
動揺している黒スーツ姿の男達を順番に見下して、夜来初三は気づいたようにピクリと眉を動かす。
「滝に行ったあたりからどっかのバカに狙われてんのには気づいてたが……」
彼は溜め息を吐いてから、
「今度はどこのクソがこの俺に噛み付いてきたのかと思えば、テメェらヘドロ未満のゴミクズ共だったとはなぁ」
彼が眺めているのは『凶狼組織』。
それはかつて夜来初三が敵対していた大規模犯罪組織の一つで、不良やチンピラで構成された麻薬の密売や取引、噂では人身売買も行っていると言われていた非人道的な最悪の組織である。
だが。
いろいろと事情があって、過去に夜来初三が叩き潰したはずなのだ。
つまり『凶狼組織』という大規模犯罪組織とは、現在はあるはずがない存在なのである。だというのに、目の前にはそれがあった。
そのことに怪訝な目を向けてしまう夜来。彼は当然の反応をしている。
「ひ、怯むな! 行けェえええええええッ!!」
『凶狼組織』の一人が、震える声で叫ぶ。
すると、躊躇いを捨てきれない他の者達がしばらく迷いに迷ってから夜来初三のもとへ走り出していった。
彼はそれを見て、
「あぁ? あァ? あぁン? ぎゃっはははははははははははははッッ!!」
耳まで裂けそうになるほどの獰猛な笑顔で、体をくの字に折り曲げて笑った。そして持ち上げていた絶賛炎上中の大型トラックを、向かってくる雑魚共に向けて音速と同等の速度で投擲する。
その結果。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオン!! という、ターゲットだった『凶狼組織』の男達の悲鳴を消し去るほどの破壊音が爆発した。炎を巻き上げて地面を大きく削り取る破壊そのものの現象が発生する。
その核爆発の被害にでも遭ったような破壊地点から歩いてくるのは、両手を広げて狂気に染まったような笑い声を上げる一人の少年だ。
「へー、ほー、はー、ふーん……。しっかしまぁ、サプライズプレゼントでトラックを送ってくれるとはねぇ。あ、もう壊しちまったか。ってか、俺のお誕生日はまーだ先なんだけど、そんときもテメェらはちゃーんと祝ってくれんのかな? あっハハははハはハ!!」
怯える『凶狼組織』を嘲笑う。
もちろん、容赦などしない。
「ぎゃッははははははははははははははははははッッ!!!! やっべぇ、ちょーハッピーだわ。こりゃ歯止めきかねぇぜオイ。派手に理性とかイっちまったよぉ」
先に喧嘩を売ってきたのは向こうからなのだから、夜来初三は情けをかけるようなことはしない。
どういう理由があろうと、殺される前に殺す。
殺られる前に殺るという、本能的な行動を実行するのみ。
ただ、ぶっ殺すだけだ。
「あ?」
そこで気づいた。
足元には哀れな虫が転がっていた。全身の半分以上をこんがりと焼かれ、下半身がぐちゃぐちゃに潰されて泣き呻いている無様な芋虫を見つけたのだ。
「おいおい、なーに涙腺崩壊させてんだよクソ野郎。もしかしてぇ、俺との感動の再会に思わず涙しちゃったって感じ? 嬉しいねぇ、嬉しすぎてもらい泣きしちまいそうだよ」
「っ、ぐぁ……」
返答を返す余裕のない『凶狼組織』の男は、必死に助けを求める目で夜来の足にすがりついてきた。
その様子に、夜来は思わず、
「ぷ、っく、あっひャヒャヒャヒャひゃひゃ!! ぎゃっはははははははははははは!! ああもう何だか堪んないねぇ! サディスト心がうずいちまうぜぇ犬畜生がァァああああああああああああああああああッ!!」
「ひ、ひぃぃ! た、助けて……っが!?」
先に殺しにかかってきておいて、なぜか命乞いをしてくる馬鹿の首を片手で握りしめた。さらに、無情にも、そのまま足が地面から離れるまで強引に持ち上げてやった。
「あっ……が……!?」
「助けて? テメェさぁ、なーにイカれたこと言ってんの? この俺に喧嘩売ったってのに心臓が動いたまま帰れるとでも思ってんのか?」
男の首に指がめり込む。
もはや息を止めるというよりも、首を握り潰そうとしているようだった。
「寝ぼけたことほざいてんじゃねぇよクソが。まぁ、そうだなぁ……俺も人殺しってなぁ好かねぇし……おいドクソ。テメェ、まだ生きてぇのか?」
尋ねると、男は口から泡を吹きながらコクコクと頷いた。
夜来は笑いを堪えるように言う。
「んじゃ生かしてやるよ。だからまぁ……」
ニタリと口元を歪めて、彼は告げた。
これから起こる残酷な運命を口にしてやった。
「その薄汚ぇ面ァ削ってからなら見逃してやるよ、ハハ!!」
次に、彼は有言実行を行った。
男の後頭部を鷲掴みして、コンクリートの地面に顔面を叩きつけてやる。
それだけでも相当の激痛だというのに、夜来は躊躇うどころか最高に楽しそうな笑顔で男の顔面を地面に押し付けたまま上下にスライスし始めた。
ガチュグシュ!! などの肉が削り取られていく気持ち悪い音が鳴り、それと協調するように絶叫を超えた雄叫びのような悲鳴が生まれる。
「あっががっがあっがああアアアアアアああアアアアあああアあああああああああああアアアああああああああああアアあああああああアアあああアあああアアアアアアああああアアああああああああッ!?!?!?」
誰もが目を逸らす光景だった。
男の顔面が削り取られていく現場からは、骨があたっているのであろうゴリゴリとした音色も響いてくる。
その様は、肉が飛び散り、血は舞っていて、悲鳴が音楽として成り立っているようだ。
「あー、もう興味失せたわ。うぜぇよお前」
そうぼやいてから、夜来は散々顔を壊してやった男を蹴り飛ばした。
その結果、男は近くにあった自動販売機に盛大に突っ込む。もちろん、吹っ飛ばされた男は、バチバチと火花を上げて木っ端微塵に砕け散った自販機の下敷きになっていた。
『凶狼組織』は震えていた。
ただただ、目の前の少年の残虐性が激しいことと、圧倒的すぎる力の前に膝を笑わせていた。次は自分があんな目に遭うと考えれば、誰だって怖がるのも必然だろう。
「ハッピーだねぇ、超ハッピーだねぇオイ! 盛大に大いに豪快にアイアムハッピーだぜぇクソ共がぁ!! あー、いいよいいよーマジいいよー!! こっちはブンブンエンジンかかってきたぜぇ犬畜生がァァあああああああああああああああああああッ!! ぎゃっはははははははははははははははは!!」
歯向かってきた雑魚共に血走った黒い瞳を合わせる夜来。その目には、はっきりと殺害の意思が込められていた。
全身を細かく上下させる『凶狼組織』たち。
彼らが全員死を覚悟した。
そのとき、
「ったく。あのガキぶっ殺すのは、やっぱ俺じゃなきゃダメなんだよなぁ」
声が聞こえた。
面倒くさそうな声が響いて、さらに再び炸裂する。
「おーいたいた。久しぶりだねぇ、夜ァ来くぅーん」
足音を鳴らしながら歩いてきたのは、雪のように白いスーツを着用した赤髪の男だった。彼は右手にだけはめられたゴム製の白い手袋を整えて、戦場と化している路上にまで近寄ってくる。
「……あー」
夜来は彼の顔を見た瞬間に呆れるような声を出した。
知っている。
あの赤髪白スーツの男を夜来初三は嫌というほどに知っている。
だからこそ、
「あーれれー? 豹栄ちゃんじゃないでちゅかァー?」
ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべながら、夜来初三は確かに登場人物の名を呼んだ。クルクルと日傘を回して遊びながら、彼は命の奪い合いという現状を心底楽しんでいるように見える。
だから笑う。
口を引き裂くようにして笑う。
それだけ、この時間は興奮してしまうのだ。故に日傘を回すという幼稚なことをしたり、自然と口の端が耳まで裂けて笑顔が出来上がってしまう。
燃え上がるトラックの残骸と共に鮮血が撒き散らされている地獄のような場所から、ゆっくりと夜来初三は日傘をさしたまま歩いてきた。
「おいおいおーい、豹栄ちゃんよォー。なになになになになにぃ? なんなのよ? そのカッコイー登場の仕方は。カッコよすぎて惚れちゃいそうだぜ。マジで惚れたわ一目惚れだわ。ぎゃははははッ!!」
狂気と殺意。
その二つの構成材料のみで完成している笑い声を上げた夜来に対して、豹栄真介という赤髪の男は自分の頭をガシガシと掻きながら、
「あっちゃー。悪い悪い、俺ってばイケメンすぎること忘れちゃってたわー。最近ウチの鏡ぶっ壊れちゃってさ、自分の顔がどんだけ美形か忘れてた。マジでごめん」
「いやいや気にすんなよ。ちっと今からぶっ殺されれば許してやる。もしくは服脱げ。そんで土下座して顔面アスファルトに擦りつけてゴシゴシ磨いて死ね。そんで仲直りしてハッピーエンドだ」
「じゃあ絶好でいいわ。つーかテメェとフレンドになるとか吐き気がやっべぇ」
挑発のやり取りもここまでだ。
ワンタッチの日傘をようやく縮めてポケットにしまった夜来は、ニヤニヤと笑いながら話を本題へ変更する。
「んで? テメェら『凶狼組織』ってクソ未満のイカれちまったモブ集団はぁ、この俺が木っ端微塵に叩き潰してやったはずなんだけどなぁ。どうして豹栄ちゃんまで生きてんのかな? あぁん? あ、もしかしてあれか? 地獄の底から蘇ってきたぜー的な面倒くせぇ悪役補正でもかかってんのかよコラ」
「んーまぁ、一応復活って形で生まれ変わったんだよなぁ、『凶狼組織』。んで、現在進行形で俺がリーダーつとめさせてもらってるわけよ」
豹栄真介。
かつて夜来と敵対していた彼は、己の頭をガシガシと掻いて面倒くさそうに気の抜けた言い方で説明を行った。
対して。
夜来は首元に手を添えて関節をゴキゴキと鳴らし、
「あぁ? はぁ? なになになに、そういうこと? お前らは自殺志願者組織に生まれ変わって、自分で死ぬのは膝ァガクガクしちまって出来ねぇビビリ君だからこの俺に殺されようってわけぇ? だーから俺の気ィ引きてぇあまりに噛み付いてきたってわけぇ? だったらお望み通り天国まで輸送してやんよ可愛い可愛いツンデレちゃん」
「おいおい、そうやって物事を勝手に自己完結しちゃだめだよー? 人生損すっからね、自分勝手な奴って。これ人生の先輩としてのアドバイスだから、大人しく聞き入れとけよ」
夜来初三は思わず吹き出してしまった。
己の額に手を当てて夜空を見上げるように大爆笑する。
そして一通り笑い終えてから、
「クソの分際で図に乗ってんじゃねぇよ。ゴミクズが」
と、中指を突き立てて言い放った。
笑顔の仮面を崩すことのない豹栄には、表情の変化が一切ない。
「あぁ? おめでたい奴だなぁ。なーにが生まれ変わっただ、バカじゃねぇの? 俺やテメェらみてぇな人間のクズに生まれ変われるような資格があると思ってんのか?」
「いや、自分の人間としての価値は自覚してるっつの。けどまぁ、あれだ。今の状況でテメェと話し合う必要性って皆無じゃん? だからさぁ、とりあえず死んでくれねえかな? じゃないと―――」
言って、豹栄はすっと横に一歩ずれた。
そして見えたのが、屈強な男達に拘束されて動けないでいる雪白千蘭だった。
「や、夜来……」
彼女は泣きそうな目でこちらを見つめてきていて、その状態がなにを意味するかは嫌でも理解できてしまう。
夜来は大きな舌打ちをしてから、
「……あんさぁ、俺とやんのに一々人質なんざとってんじゃねぇよ、小悪党が。素直にタイマンでも張りに来いっつのボケ」
「あ? 違うよ違う。別にこの女は人質じゃねぇよ。ただの観客だ」
「観客だぁ?」
ニタリ、と口の端を気味悪く釣り上げた豹栄。
彼はゆっくりと口を開いた。
「お前に復讐する虐殺劇を眺めてくれる観客だよ」
その一言を告げた後、彼は胸元のポケットからタバコを取り出した。口に加えてライターで火をつける。そうしてニコチンやタールが含まれた煙を吸い込み、味わうように吐いて悩むように言った。
「つーか、俺もお前と対面するってなぁ気が進まねえんだけどなぁ。ウチの上司っていろいろ面倒な奴だから反抗期とか俺こないのよ。マジで従順な部下って感じでやってからさ、夏休みでもねえのにキャラ替えできないじゃん。いやいや、こっちもこれで苦労してんだよねぇ。―――ってか、てめぇの気に食わねえ面ァ視界にいれっと本気で殺したくなっちゃうじゃん? あーいや殺すわ。悪ィ悪ィ、俺ってば今ァお前殺すためにこうして出向いてやったんだわ。いっやー忘れちゃってたね、こりゃもう俺もあれだなぁ……オマエのこと殺したく殺したくてちょー殺したくて、いろいろと脳みそのパーツ飛んじまってんだろうなぁ……ハハハハハハ」
豹栄真介。
無気力な笑い声を上げた彼は直後に―――殺意が色となったような目を見開いて、
「だから死んどけや青二才。殺すから早めに昇天しろよクソガキが」
次の瞬間、
「―――ッが!?」
突然、夜来の額に重い衝撃が走り抜けた。
ハンマーで殴られたような感覚だったが、実際は豹栄の背中から生えた土色の片翼が直撃したせいだ。
「オラオラくそガキィ!! 気ィ抜いてんじゃねえよ、あぁ? 大人がいつまでもガキに合わせてやるとでも思ってんのかァコラ。世の中そんな甘くねえんだよ、いい人生経験できて良かったねえオイ」
一枚の翼を猫を撫でるように可愛がって言う豹栄を見た夜来は、バク転をするように後ろへ飛んでいった。だが、即座に体制を立て直して自分の胸に手を添える。
(雑魚だからって油断して『絶対破壊』を解いてたのが間違いだったか……)
ようやく『絶対破壊』を展開し、最強の盾を装備する。
しかし、気がかりなのは先ほどの攻撃だ。
もう分かっていることだが……トラックを使った奇襲に、翼を使った攻撃という非現実的な事実からして、少なくとも豹栄真介には何らかの『呪い』がかかっているのだろう。
唾を吐き捨て、夜来は肩を動かしたり首を回したりして余裕さをアピールする。
そして、
「オラ、とっとと噛み付いてこいよマゾ犬野郎」
その一言が豹栄の耳に入った瞬間、彼は明らかに人間離れしたスピードで夜来のもとへ迫っていった。
空中から叩き下ろされる右足は、弾丸のような速度で夜来の脳天へ直撃した。
が、しかし。
ドバァン!! と、夜来の頭に触れた瞬間に足は内部爆発してしまった。
返り血が夜来の顔にかかるが、それすらも彼は魔力を纏った体・『絶対破壊』で蒸発させる。
「あの世行き決定だなゴミがァあああああああ!!」
叫び、豹栄の鼻っ柱へ強烈な右ストレートをプレゼントすると、首の骨が折れた快音と共に彼は地面を転がっていった。
「ふん」
鼻で笑って、死体となった豹栄真介を一瞥する。
こんなものだ。
『絶対破壊』を使用すればこんなものだ。
夜来初三が『絶対破壊』という最強の武器を構えて戦えば、こんなにもあっさりと決着はつくのだ。
雪白を拘束している男達を睨み殺すように視線を向けると、彼らは怯えて身を竦める……はずだと思ったのだが、意外にも表情に変化は見られなかった。
無言で、無表情で、雪白の自由を奪いながら、夜来を見つめる。
(……んだぁ? コイツら)
予想していた反応とはまったく違う現状に、眉を潜めた。
そのときだった。
聞こえないはずの、聞こえてはいけないはずの声が響いたのは、そのときだった。
「痛えなぁ。普通、ウォーミングアップから始めるだろうがよクソ野郎が」
夜来はハッと振り返る。
そこには、吹き飛ばしてやったはずの右足が再生していて、折れたはずの首を調子を確かめるように回している豹栄真介が立っていた。
死んだはずの豹栄真介が、だ。
ありえない事態に目を見開いている夜来初三を見て笑う豹栄は、伸びをしながら歩き出す。
「おいおい、そんなビビるんじゃねえよ。さすがの俺も傷つくぜ? そういう引くって行為はそこらのいじめより精神的に来るから、マジで悲しくなっちゃうじゃん」
「お前、死んでなかったのか……!?」
仰天している夜来に対して、豹栄は苦笑し、
「いやいや、死んだよー」
あっさりと死を肯定した。
余計に混乱が増す返答に舌打ちをした夜来は、警戒の色が混ざった双方の目をギラつかせる。
「だったら何でそこに突っ立ってんだよドクソが。あれか? 実は不死身でしたーだとか壮大なネタばらしでもしてくれるマジシャンなのかなぁ? 豹栄ちゃんは」
挑発する気持ちで口にしたセリフだったのだが、豹栄は感心するように目を丸くしてから、
「へー、ほとんど正解じゃん」
と言って、馬鹿にするような大きな拍手をした。
「……あ?」
まさかの展開に混乱が増大していく。
意味が分からない。
死んだというのに生き返っている豹栄は、自分のことを不死身だと言った。
確かに、現状までの出来事を考えれば納得はいくかもしれない。
だからこそ、不死身という状態が本当ならば……。
「……クソが」
今回の敵―――豹栄真介は夜来にとって最悪の相手になる。
文字通り全てを破壊することができる魔力を扱う夜来にとって、死なない相手というのは冷や汗を流すことになるものだ。
なぜなら、
夜来初三は全てを『壊す』ことが可能だが、不死身である豹栄真介は『壊せない』ことになるからだ。
壊しても元に戻ってしまうのならば、夜来初三は永遠に勝利を収めることは出来ない。
さらに言えば、殺そうとした分だけ呪いの侵食も早まってしまう。
こちらに優位性は皆無な状態だった。
「どーしたのかなぁ夜来くん。死ぬ前に悩みがあるならお兄さんが聞いてあげるよ?」
「そうかい、どうもありがとう。じゃあ何をすればテメェを殺すことが出来るんですかぁ?」
「俺は死なないから殺すことは出来ない。はい悩み解決! 良かったなぁ、これで悔いなく死ねるじゃねえかよ」
面倒くせぇ、と吐き捨てた夜来初三。
しかし、本当に夜来にとっては面倒くさい相手だ。
火と水ぐらいに、お互いの力は正反対すぎる。
全てを壊す夜来初三。
全てを治す豹栄真介。
壊しても治されて、壊しても治されるだけの戦闘は目に見えている結果だった。
夜来は小さな息を吐き、
(今は雪白の奴と一時撤退すんのが正解だな。七色の野郎ともコンタクトを取っとくべきだろうし……)
今後の考えをある程度まとめた後、捕らえられている雪白のもとへ一瞬で向かおうと力を蓄えた。
足に力を込め、呪いの力を借りて飛び出そうとする。
だが、スタートしかけた瞬間に、ここにいるはずがない者の姿が視界の端に映った。
「に、兄様……」
肩甲骨のあたりまで伸びた神々しい金髪に、エメラルドのような緑の瞳を持つ少女。
間違いない、世ノ華雪花だ。
「兄様、なにを……してらっしゃるんですか?」
彼女は震える唇を無理に動かして、戦場の中に立つ『兄様』をもう一度呼ぶ。
そして、ここで反応したのは、
「ん? お、久しぶりだねぇ。俺の愚妹じゃん」
夜来初三ではなく、ニヤニヤと笑みを浮かべている豹栄真介だった。
夜来くんがいかに『壊れてる』か『少し』だけ分かる回でした