安心
「それで、七色の状態は?」
「問題ないさ。これでも私は医者だ」
手術室から退出してきた女医、五月雨乙音は速水玲からの質問へ頷いて返事を返す。五月雨は着用していたマスクを取って小さく息を吐いた。
疲労だ。
それでなくても、七色夕那の怪我は重傷だった。肺や胃袋付近に綺麗と評価できるレベルの穴がぽっかりと空いていたのだから当然かもしれない。その状態から七色を救い出したのだから、五月雨の息を吐くという行為には誰もが納得することだろう。
「しかし、医者は凄いな。俺は教師故にわからないけども、腹部に穴が空いた人間を救うなんて……素人でもすごいとわかるよ。友としては鼻高々だね」
「私は単純に『患者の命を救うスリル』が好みなだけさ。ドラマのような、優しさ満ちあふれた動機で医者になったわけじゃない。むしろああいう動機で医者になる者は何万分の1あたりだろう」
「昔から、君は動物の解剖とか好きだったしね。てっきり、将来はマッドサイエンティストあたりにでもなるのかと思っていたよ」
「医者もさしてやることは解剖に変わらないだろう。患者の体を切って、縫って、機材を埋め込む。この時点で、医者になっているものは狂っているも同然だよ。平然と他人の肉を切って、内蔵を取り出して、金属を関節の変わりに埋め込んだりしているのだから―――医者は『そういった』部分が狂ってる」
「だが、人助けに変わり無いだろう?」
「助けることには殺すリスクも付属品だ。『手術』という行為は、『助ける』という動機から始まっているだけで実際は『殺すリスク』も背負っている。つまり医者は―――患者を殺す殺人犯にも、患者を救うヒーローにもなれるということだよ。いや、『なってしまう』ということだよ」
「深い職業だね……」
苦笑するように呟いた速水。
対して、五月雨はクマが目立つ目を彼女に向けて、
「それで、君はどうしたんだい?」
「何がだ?」
「―――君も七色を刺した相手を叩きに行きたいのだろう。ハッチー達と向かえば良かったのではないのかね?」
「……ハッチー? もしや夜来初三のことかい?」
「ん? ああ、そうそう、その夜来ハッチーだ」
言い直しても尚、五月雨は間違った覚え方をしているようだった。
速水は五月雨に溜め息を吐く。
彼女とは長い付き合いだからこそ分かるが―――五月雨乙音はぼーっとしている。なんというか、いつ、いかなるときでも天然さんなのだ。名前も間違って記憶してしまうことはザラで、非常に危ない。気づいたら死んでそうなほど顔色は悪いし、肌は白いし、クマはひどい。
……お前は医者として仕事をする前に、医者にかかるべきだと速水は思う。
「ま、俺もムカついているよ。正直に言えば今すぐにでも飛んでいってやりたいくらいな」
「では、なぜ行かないんだ?」
「『頼まれた』だからだよ。七色の傍にいるよう、あの子供二人から任されたからだ。だから俺は七色の傍にいることが仕事だ」
「なるほどね……熱血教師は健在というわけかな」
「おいおい、それはちょっと罵倒もこもっているだろう」
そこで。
五月雨の背後にあった手術室の扉が開く。出てきたのは数人の医者と、彼らにガラガラと運ばれるベッドに横たわったままの七色夕那だった。マスクやら包帯やら点滴のようなチューブが装着されているが―――しっかりと生きていた。
しかし姿は痛々しい。
血が足りていないのか、大量の血液パックも医者の一人は運んでいた。
「良かった……」
ほっとして、速水は胸を撫で下ろす。
五月雨は補足説明するように淡々と言った。
「手術は成功。血が少々不足している故に血液パックの取り替えを何度か行う。傷口は運動や派手な動きをしなければ開かない。……まぁ、もともと不自然なほど出血量が少なかったからね。普通ならば既に手遅れという場合もあるのだけど……『誰か』が応急処置した後のような奇跡が起こっていたし、問題はない。神様にでも微笑んでもらっているのだろう、七色は」
「そうか、一安心できる」
「しばらくしたら顔を見てやってくれ。まだ面会は無理だ」
分かった、と頷いた速水玲。
その反応に同じく首肯した五月雨は踵を返し立ち去ろうとする。
しかし。
「そういえば」
ピタリと足を止めて振り返った。
速水に尋ねる。
「他の子供たちはどうしたんだい? 何やら姿を先ほどから見せていないが……」
「ああ、あいつらは―――それぞれがすべきことをしに行ったよ」