スイッチ
鉈内翔縁は伊吹連という男を死んだような目で睨みつけていた。色のない瞳は相変わらずだ。まるで闇そのものを表したかのような目は間違いなく―――いつもの彼ではない。
秋羽伊那との戦いでも、鉈内翔縁という『悪人祓い』は彼女を救ってみせるほどに心が白い。暖かく、敵にさえ救いの手を差し伸べるほどに光だ。
それはきっと、夜来初三ならば心底嫌う存在だろう。
敵さえも助けようとする鉈内翔縁に対して、夜来初三は『バカバカしい』の一言程度は吐き捨てるだろう。
だがしかし。
今の鉈内翔縁は違った。
今の鉈内翔縁は―――夜来初三と同じ顔をしていた。
敵に躊躇も情けも慈悲さえも与えない夜来初三と同じドス黒い顔をしていたのだ。
「一応、面識はないな。自己紹介くらいはしておこうか?」
伊吹は襟元を正しながらそう言った。
鉈内は日本刀・夜刀の先を彼に突きつけて、
「これから『殺す』んだから、別に必要ないでしょ。こちとら、いちいち死んでく野郎の顔なんざ覚えたくもない。―――僕が君を『殺す』んだ。僕が君を『殺す』んだよ。ただそれだけの結果が待ってるだけだろうが。とっとと殺されろゴミ」
「ほう、意外だな。貴様は夜来初三とは真逆の存在だと思っていたぞ」
「は?」
眉を潜めた鉈内。
対して伊吹は肩をすくめて、
「夜来初三は真っ黒な人間だ。返り血を浴びても尚、笑いながら敵を殺害して嘲笑うほどにな。実際、それは俺も経験している。―――あの男は些細な光さえ持っていない」
「……」
「だが貴様は違ったろう。秋羽伊那という敵だった相手を救い、助け、笑顔にさせた。敵にさえも光を与える存在が貴様―――夜来初三とは正反対の鉈内翔縁という男ではなかったのか? 夜来初三は黒で鉈内翔縁は白。夜来初三は闇で鉈内翔縁は光。―――といった例えならばわかりやすいか? ようは、いつものお前ならば『そこまで殺気に満ち溢れた目』をしていないということだ」
沈黙した鉈内は突きつけていた夜刀を下ろす。
そして口を開く。小さく開く。
「一つ言っとくよ」
「なんだ」
「やっくんが些細な光さえも持っていない、とかほざいてたけど―――そりゃ間違いだっつーのゴミ」
「……」
今度は伊吹連が眉を潜めた。
しかし当然の反応だろう。夜来初三という男と実際に殺し合った伊吹だからこそ、尚更理解できない。あの非情な男のどこに光が芽生えていたのか―――想像さえもつかない。
だが、鉈内翔縁は続けた。
「やっくんは気づいていないだけだ。自分の善性を勝手に否定してるだけ。自分自身の光を全部全部否定してるだけだ。だから別に、やっくんは黒じゃない。―――かといっても白でもない。やっくんが『非情』になるスイッチを君達が押しちゃったから、やっくんは真っ黒になってるだけだよ」
「スイッチだと?」
「君、やっくんとやり合って気づかなかったの? 夜来初三っつー悪党が『本当に黒く染まった瞬間』をよーく思い出してみたら?」
伊吹はその問いでフラッシュバックした。
夜来初三が自分の上半身をぐちゃりと潰して立ち去っていった瞬間を思い出していた。未だに痛む胸の傷を押さえ込みながら、伊吹はつぶやく。
あの戦いのとき、夜来初三が非情という黒に染まりきったスイッチとなった一言は確か―――
「七色、夕那……!?」
「大正解」
鉈内翔縁の笑いも含まれた一言が響いた。
「やっくんが『本当に真っ黒になる』ときは『大切な存在』が窮地になった場合だけだ。今回の場合は夕那さんだね。夕那さんがちょー大ピンチだって気づいた瞬間、やっくんはイカレタっしょ? 頭のネジ飛んだように暴れたっしょ? それがスイッチだ。『大切な存在』がスイッチになってるんだよ、あのクソ前髪は」
「……」
「だから、やっくんは『常に真っ黒』ってわけじゃない。普通の日常じゃ、口が悪いただの不登校少年だよ。ちょっとリア充っぽくて見てるこっちはイライラすっけどね」
「……なるほどな。言いたいことは理解した」
伊吹は短く息を吐いた。
対して鉈内は夜刀をバッドを運ぶように肩へ乗せて、
「あー、あともう一個言っといてやるよ」
瞬間。
鉈内の纏っていた雰囲気が一瞬で豹変した。
「僕が白だの光だの、やっくんとは真逆でちょー良いやつ的なこと言ってたけどさぁ。一つだけこっちも言っとくわ。僕ってばやっくんとは違って良い人らしいし、一つだけ教えといてやるよ」
「……なんだ、一体」
明らかに油断してはならない空気。
故に伊吹は注意深く鉈内の全体を見ながら返答した。
が。
「僕は良い人だ。そりゃもう、マジであの前髪デビルとは真逆で聖人なみの良い人だよ。自画自賛してやりたいくらいね。だけどさぁ―――僕にも『スイッチ』があんだよねぇ。こっちも良い人とか善人とかそういうの全部ぶっ壊しちゃうくらいの―――『スイッチ』ってもんがあんだよねぇ」
一歩。
鉈内は踏み出した―――そのタイミングで。
彼は言った。
「夕那さん傷つけられたりするとさぁ―――マジでこっちも『真っ黒』になるんだよゴミが」
飛び出してきた鉈内。
瞬時に繰り出される無数の斬撃。
歯噛みした伊吹は回避を最小最低の動きで行い、刃が飛び向かってくる中で口を開いた。
「『七色夕那』がスイッチというわけか……?」
「分かってんのに何やっちゃってくれてんの? ―――マジで殺すからなオイ」
鉈内の瞳孔が凝縮した。
そして彼は飛び上がって伊吹の喉元を蹴り飛ばす。
しかし。
吹っ飛んでいく伊吹は即座に体勢を立て直して起き上がった。やはり呪いの力が効いているのか、まったくダメージになっていない。
「妙なやつだな」
パンパンと、服についた汚れを払いながら伊吹は言った。
さらに鉈内の顔へ視線を移して、
「七色夕那を直接叩いたのは俺ではない。ザクロさんだぞ? 責任を押し付けているわけではないが、実際のところこれが事実だ。だというのに、なぜお前は七色夕那を刺した張本人のザクロさんではなく、小物の俺を狙う? 今すぐにでもザクロさんを殺しに行けばいいのではないのか?」
「バッカじゃねえの?」
失笑するように告げられた鉈内の言葉。
当然、伊吹は疑問の表情を浮かべた。
「夜来初三にとられるんだぞ? 七色夕那を刺した敵を取られるんだぞ? 悔しくないのか?」
「だからお前、バッカじゃねえの? 言っとくが―――僕は『譲った』んだよ。夕那さん刺したゴミ野郎をミンチに変える役をあの前髪野郎に譲ったんだよ。だから僕はこっちで我慢すんのさ」
「譲った……? なぜ」
「決まってんだろ」
鉈内は刀の先をザクロという憎き相手がいるビルの屋上へ突きつけて。
淡々と言った。
「夕那さん守れなかったやっくんが、今回、一番腹たってるはずだ。一度ボロ負けして、夕那さん守りきれなかったやっくんが―――一番『悔しい』はずだ。僕よりもムカついてるはずだ。だから譲ったまでだ。僕以上にやっくんが『本命』を潰す権利があると思ってるから、譲ったんだよ」
鉈内翔縁。
彼の言ったことに間違いなはない。きっと全てが正解のはずだ。
夜来初三は土下座までして頭を下げてきた。それほどまでに、悔しくて悔しくてたまらないはずなのだ。涙声で謝罪をするほど、あの夜来初三は自分自身の弱さにムカついているはずなのだ。
だから。
鉈内は夜来初三の病室で頭を下げてきた土下座の光景を思い返し、
伊吹連という『七色夕那を刺した共犯者』を―――叩き潰す。
「さて、んじゃまぁ殺そっか」
軽い調子で告げられた殺害宣言。
脇役へ自ら進んだ鉈内翔縁は、そのイライラをも解消するように敵を切り殺す。
―――光ではなく闇へと化してぶち殺す。