悪魔との買い物
時は少し前に戻る。
落雷が落ちるほどの大雨の中、七色寺の境内に上岡真が傘をさして立っていた。
さらに言えば。
彼は血だまりの中に倒れている夜来初三を見下ろしていた。
そして爽やかに笑い声を上げて、
「やーらーいーさん! 朝ですよー? エロゲーのヒロインのように幼なじみの上岡ちゃんがモーニングコールしに来ましたよー?」
すると。
ピクリと指先が動いた夜来初三は意識を取り戻す。
「……せめてギャルゲーにしろよボケ。つーか俺に幼なじみだなんつー存在はリアルにいねぇ」
「あっちゃー。悲しい幼少時代だったようで申し訳ない。僕ってばドジっ子なもので、ちょーっと無神経なところがあるんですよね、すいません」
「で……? どこぞのクソが、この俺に何のようだ」
夜来は、全身がザクロに付けられた傷ばかり故に顔さえ上げることができなかった。それでも、自分を見下ろしてニコニコといつものように笑っているのだろう上岡に低い声で尋ねる。
対し、上岡はしばし沈黙する。
そして夜来の顔の前に膝を折ってしゃがみ込み、笑顔を崩すことなく、
「夜来さん、この状況ってば結構僕にとって最高の舞台なんですよねー」
「……動けねぇ俺を八つ裂きにしてゲラゲラ笑って遊ぼうってのか?」
「いえいえ。まぁ確かに、僕としてはちょっと夜来さんに靴を舐めさせるのもアリじゃね? とか思ってますけど、まぁそこまで歪んでませんからご安心を」
「くだらねぇこと吠えるなドクソ野郎。―――用件はなんだ」
「七色さん、助けてあげましょうか?」
上岡は近くで倒れている血まみれの七色夕那に視線を動かしてそう提案した。しかし夜来は『タダ』でそんなデカイ買い物をできるとは思っていないので、
「気に食わねぇ野郎だ。で、何が望みだ……」
「そりゃもちろん、夜来さんが僕のマイフレンドになってくれればいいですよ。ようは―――こっち側に来い、ということです。前にもお話しましたよね?」
「スカウト、いや強制スカウトってやつか? ムカつく交換条件出すなぁ、テメェ……」
「まあまあ。でも、悪くない買い物だと思いますよ? 七色さん、まだ息はありますけど、冗談抜きで死にますよ? このままじゃ、ね。だから彼女を助けたいなら僕のお友達になってくださいって話です」
「……」
「あ、そうそう。なんなら付属品として七色さん刺したザクロちゃんの居場所も教えちゃいますよ? 傷治ったら復讐しに行くだけの時間も情報も提供しますよー? しちゃいますよー? ちょーしちゃいますよー?」
「ようは『七色夕那の命を拾うと同時に、あのクソ野郎の居場所を提供する』っつー買い物を『自分自身』を金にして払えってのか?」
「大正解でーす」
つまり上岡が販売している品とは。
七色夕那の命。
ザクロという男へ復讐する手伝い。
この二つが備わった品で、夜来初三という男を買おうとしている。逆に夜来初三は自分自身を売ることで七色を死なせずに済むということ。
等価交換だ。
七色の命を得るために、自分自身を売り渡す。
どちらも人一人の人生そのものに影響するほどの高価な値段。だからこの買い物はぼったくりでも詐欺でもなんでもない。
だが、夜来初三は違った考え方のようだ。
彼はその提案を鼻で笑って、
「俺一人の『クズ』一匹ィ払って、あのガキを守れる、か……安い買い物だな」
彼は自分というクズ一人が犠牲になるだけで、七色の命をすくい上げられる買い物を『安い』と言った。それはきっと、彼が彼自身を『クズ』だと認識している故の結果だろう。
決断はした。
決意もした。
だから夜来初三は口を引き裂いて笑いながら、
「おい、スマイルクソ野郎」
「はいはい、スマイルクソ野郎ですが何かー? 先ほど提示した品、もしやお客様に必要のないものだったでしょうか?」
「いいや―――箱買いしてやるよ、クソったれ」
瞬間。
ニィ、と上岡も笑顔を若干ながら恐ろしくして、
「返品は受け付けませんが、よろしいですね?」
「保険証もつかねぇのか?」
「ええ、購入された場合は返品クレーム一切受け受けておりません」
「くっくっく……!! 怪しい買い物しちまったなぁオイ」
上岡真にとって、この状況がいかに『夜来初三を手に入れる』舞台として整っていたのかをようやく理解した夜来は思わず笑う。
そして、上岡の貼り付けている『底は黒い』笑顔に対して、
「ホント、うす汚ぇ笑顔被ってやがるなテメェ」
「そりゃそうですよ。だって―――僕はSですもん」
「そうかい。じゃあ気が合わなそうで何よりだクソ野郎」
夜来初三の凶悪な笑顔と上岡真のドス黒い笑顔だけが。
雨の中で禍々しいオーラを放っている。
夜来初三は闇に堕ちることで自分の世界を守ることに徹底した。
故にこの悪魔との買い物に。
不満なんて一つもありはしない。
だから夜来初三はザクロというクソ野郎の居場所を知っていると同時に、病院へいつの間にか運ばれていたのだ。
これは間違いなく。
購入した『品』そのものである。