任務終了
「あーあ、夜来さん負けちゃった。それで? 夜来さんは殺しちゃったんですか?」
「……七色さんとの約束は守った。殺してはいない。それに目的は夜来初三の殺害ではない」
傘をさしている上岡真は、七色寺へ繋がる長い階段を降りてきたザクロにそう言った。
対して、ザクロは口から血をぺっと吐き出し、
「夜来初三―――あんな化物を貴様らは飼う気か? 正気の沙汰とは思えんぞ」
「自分の親であり恩師である女性を刺したあなたも正気じゃないんじゃないですか?」
「……反論はしない」
視線を下に落として、雨に濡れながらザクロは肯定した。
しかし、その目には後悔の色がない。目的を見失っていない色がある。
「ま、僕だって夜来さんを飼い慣らせるとは思ってませんよ」
「だろうな。なんせ―――アイツ、さっき『ただの人間』としての力しか出せないことを承知の上で、ここまで私をボロボロにしたんだ。怪物を宿していようとなんだろうと、あの男―――やばい狂犬なのは間違いない」
「ですよねー。普通、怪物の力が効かないって知ったら七色さん連れて逃げますよね。まぁでも、その逃げようとか、勝てないとか、負けるとか全部考えてなかったんでしょう。―――それほど怒ってたんでしょうね。あんな血走った目であなたを噛み殺そうとするくらい。あっははは! 夜来さんってば、かなりマザコンだなぁ」
「お前……いつから見ていた?」
あまりにも先ほどの戦闘状況を知りすぎている上岡に、ザクロは眉根を寄せて尋ねた。
しかし上岡は傘をクルクルと回しながら、
「ま、殺してないなら結構です。夜来さんは狂犬ですが―――それだけの力がある。怪物だとか、悪人だとか、サタンの魔力を使えるだとか、そういうものは全て関係なく―――あれだけ敵を殺すことに己の肉を断って襲いかかり続ける『イカれた力』がある。おそらく、飼い主の手を噛む獣でしょうが……飼い慣らせたら飼い慣らせたで、最強の殺戮兵器になりますよ、彼は」
「殺戮兵器か……。物騒な話だ」
「冗談ですよ。僕達はただ、夜来さんを引き入れたいだけです。首輪に繋げる気は毛頭ない。ただ、彼をこちら側に落としたい。それだけです」
「あまり意味はかわらん気がするな……」
ザクロはふぅと息を吐き、
仕切り直すように言った。
「それで? ―――やるのか? 私は多少の傷は負っているが、貴様一人ならば死体に変えてやれるが?」
「あ~、遠慮しときまーす。僕は別にやりたいことがあるので」
上岡は柔らかい笑顔を浮かべて七色寺の階段を上がっていく。彼の目的を理解したザクロだったが、もしも予想通りのことを彼がするのならば特に問題はない。
ザクロの任務は『七色夕那殺害後の夜来初三の精神状態の変化調査』だ。夜来初三に血まみれの七色を見せた結果が『あの反応』だった。つまり夜来の中に潜む『アイツ』に変化はない。
それだけで。
ザクロの仕事は終わっている。
「……なぜだろうな」
ザクロはハット帽をかぶっていなかった。夜来初三との戦いの際に落としていたのだろう。
だからこそ。
彼の悲しげな表情はよく見えた。
「なぜ、今さらになって手が震えてきているのだろうな」
自分の小刻みに振動している手を一瞥し、
ザクロは雨に濡れる中、立ち去っていく。