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恩師

 鉈内翔縁は速水玲と修行場所を変更したらしい。雨が降ってきそうな程度で、彼は努力を怠らない向上心溢れる少年だったようだ。

 その心意気には七色も感心する。 

 しかし、急に一人になると、妙な寂しさが溜まってくるのも事実だった。

「べ、別に寂しくはない。うん、寂しくなんかない! ただ、さっきまで賑やかだったから、ちょっと孤独感で心が潰れそうなだけじゃ、うん!!」

 七色は雨が降ってくる前に七色寺の敷地内の掃除をしようと、境内で竹箒を握っていた。境内の中心に集められている落ち葉やゴミを確認して、見た目幼女は胸をえっへんとはる。

「うむうむ。さすが儂じゃな……! もう竹箒一本で専門職でも開いてやろうかのう」

 独り言が多くなっているのは、単純に寂しいからだろう。七色寺の境内に一人立っている彼女は、一人きりという状況に溜め息を吐いた。

 と、そのとき。

「どうも」

 七色寺の入口である門をくぐってきた男が軽い挨拶をしてきた。墓参りにでも訪れたのかと思い、さほど気にすることなく七色は挨拶を返す。

「ああ、墓参りならばあちらで―――」

「お久しぶりですね、七色さん」 

 その男は。

 被っていた黒のハット帽を取って、その素顔を見せた。

 瞬間。

「お、お主……!!」

 見覚えのある顔に七色は絶句する。

 そして。

 

時海時雨ときうみしぐれ……か……!?」


 その男の名前を必死に紡いでいた。

 対して、時海時雨ことザクロは『恩師』に深々と頭を下げる。

「な、なぜお主が……!! というより、今の今までどこにいたのじゃ!?」

「……申し訳、ありません」

「いや、謝らんでもいいが……もうしばらくお主とは顔を合わせていなかったからのう。今までどこにいたんじゃ……?」

 七色夕那はかつての『弟子』にそう尋ねた。

 ザクロは、命の恩人であり自分に『悪人祓い』としての力を授けてくれた『恩師』に、力のない小さな笑み浮かべた。

 


 

 時は十年前。

 場所はとある田舎町。

 その町に立つ、何の変哲もない一軒家。

 そこには。

 一人の少年が異形な化物へと姿を変えて、椅子に膝を抱えて座りながら閉じこもっていた。背中からは色なんて分からないグロテスクな翼が生えていて、全身にはタトゥーのような紋様が広がっていて、腕や顔なども気持ち悪い化物のそれへと変化している。

 その少年が潜む一軒家の周囲一体は、無数の『悪人祓い』たち―――怪物退治を行うことを仕事としている者たちが完全に取り囲んでいる。まるで警察のように、立てこもったテロリストを包囲しているような光景そっくりだった。

 しかし。

 誰も一軒家には近づけなかった。

 なぜなら。


 あの一軒家には強力な呪いに染まった一人の少年あくにんが息を潜めているから。

 

 パニック状態の『悪人祓い』たち。

 そう。

 彼らは現在、あの一軒家に立てこもっている少年に憑いた呪いを祓うために集まっていた。しかし強力すぎる膨大な怪物なようで、迂闊に手を出すとこっちが殺されてしまう可能性が高い。

 故に近づけなかった。

 しかも少年は呪いにかなり侵食されているらしく、非常に攻撃的な人格へ染まっている。だから尚更打つ手なしという絶望的な状況だった。 

 そんなとき。

 そんな誰も彼もがパニックを起こしているときに、


 一人の『悪人祓い』が現れたのだ。


 幼い容姿だった。浴衣を着たお人形さんのような人だった。悪人の少年はカーテンの隙間から外の光景を眺めていて、まずそう思っていた。

 しかし。

 その『悪人祓い』だけは他の者とは違った。他の『悪人祓い』たちは、誰も彼もが少年の中に潜む怪物を倒そうとしかしていなかった。ただ、呪いという現象を祓うことしか頭になく―――敵意に溢れた眼光を光らせていた。

 少年はそれが―――怖かった。

 自分の身が化物へと変化したことでさえ『怖い』というのに、いきなり知らない大人たちから囲まれて『怖い』。さらには家族さえも自分の姿に怯えて逃げていったという『訳が分からない』現状にさえ『怖い』というのに、なぜか知らない大人―――『悪人祓い』たちも自分を睨んでくるのだ。

 とにかく怖い。

 自分は何もしていない。

 なのに。


 なぜ、ここまで自分は怖がられている?


 少年は怯えていたのだ。

 怯えられることに怯えて、怖がられることに怖がって、嫌がられることを嫌がっていた。たったそれだけだったことに『悪人祓い』たちは気づかない。

 それだけが。

 少年を縛り付けている鎖だというのに。

 だが。

 あの幼い容姿を持つ『悪人祓い』だけは違った。

 カーテンの隙間から外の状況を伺っている少年の視線に気づくと、ひらひらと手を振ってきたのだ。ビックリした少年は瞬時に顔を引っ込めてしまうが、また気になってカーテンの隙間を覗く。

 すると。

 やはりあの『悪人祓い』だけは、自分に微笑んでくれていた。

 故に。

 無意識に、少年はカーテンから覗くのではなく、堂々と窓を開けてあの『悪人祓い』を凝視していた。すると彼女は攻撃してくるわけでもなく、睨んでくるわけでもなく、笑ってこう言ったのだ。


 ―――仲直りをしよう、と


 まず第一に、喧嘩なんてお遊びのようなことをしていたかどうかさえ分からない状況だったはずだ。向こうから見れば、少年は怪物を宿した悪人という危険極まりない存在のはずだ。倒すべき存在のはずだ。

 だというのに。

 彼女だけは。


 倒そうという思考さえしていなかった。

 仲直りして、ゆっくり呪いを解いてやろうと考えていた。


 平和的すぎる。

 呆れるレベルで平和的すぎる。

 しかし彼女は―――その『平和的』なやり方が少年にとって一番救いになると考えていたのだろう。プルプルと震えていた少年が―――『純粋に怖がっているだけ』だということを理解していたのだろう。

 だからこそ。

 少年は彼女の説得―――鉈内翔縁が秋羽伊那の呪いを解いたときのように、『説得』という方法で呪いを解いてもらったのだ。 

 怪物を祓ってもらったのだ。

 さらに、その『悪人祓い』はその事件後の身寄りのなくなった少年を引き取ったのだ。少年が家族に捨てられた理由は、やはり怪物に侵食されたことで化物同然の姿になったことが原因だった。実はこういう例は珍しくはない。人間に戻れないくらい怪物に染まったり、呪いの力をコントロールできずに暴走させて『肉体や精神そのものが怪物と化した』ことで孤独になるケースは少なくない。

 誰だって怖いだろう。自分の近しいものが、いきなり背中から気持ち悪い翼が生えたり、猛獣のような牙を生やしたりしたら―――誰もが恐れて当然だ。

 少年はまだ精神までは侵食されていなかった故に軽度だったと言える。

 しかし結局、家族さえいなくなった少年を―――あの『悪人祓い』は引き取ったのだ。自分の用いる知恵全てを授けて、一人で生きていくのに苦労しないよう何年もかけて育て上げたのだ。

 その思い出の中には、『悪人祓い』の仕事関係上、海外へ共に飛んだりしたこともある。そうして『悪人祓い』としての知恵を見せて覚えさせたこともある。

 その結果、少年は『悪人祓い』として―――生きていられた。

 少年は、全てをやり直せるだけの力と環境を与えてもらえた。

 故に。

 彼は現在、その名前すらも『やり直して』生きている。


 ……はずだったのだが。

 時海時雨こと、ザクロは七色の前からある日を堺にぽんと姿を消してしまっていた。置き手紙には感謝の言葉と『やりたいことができた』という一文のみが記されていただけだったので、当時の七色は混乱していたそう。

 しかし現在。

 その時海時雨という少年が大人となって目の前に現れたのだ。

 驚くのも無理はない。

「して、お主は一体何をやってたんじゃ? 『やりたいことができた』とか言っとったが、今の今までなにをやっとったんじゃ?」

「……私は、あなたに救われました。助けられて、救われて、こうして今も生きています」

「質問ガン無視してなんじゃいきなり。それに儂は好きでお主を助けたんじゃ。礼なんぞ欲しくてやったんじゃないわい」

「だから今も、そうやって『お人好し』だから夜来初三や鉈内翔縁を助けているのですか?」

「そーじゃ。儂は好きでやっとるんじゃ。偽善者と思われようと、なんと思われようと構わん。儂はただ見過ごせんことには即動く。それが癖なんじゃよ」

「もうそれは座右の銘とも言えるのでは?」

「かものう」

 なぜだろう。

 二人は久しぶりに会ったというのに、どこか会話が弾んでいない。まるで社交辞令を行うように言葉を飛ばしあっているようだった。

 しかし。

 その原因は実に単純だった。



「して、何故なにゆえお主は背中に刃物なんぞ隠し持っとるんじゃ?」



 そこで雨が降ってきた。

 最初は小雨だったが、徐々に勢いを増していき大雨と豪雨に変わる。落雷の光や暴風の音が耳の中にぶち込まれるようだった。

 そんな天気の中。

 二人の師弟はにらみ合っている。

「七色さん……」

「なんじゃ」

「私は夜来初三の中に潜んでいる謎の怪物の分析をしています。その中で、その謎の怪物の出現条件が高いものが『夜来初三の精神状態の変化』なんです」

「……」

「ですから―――夜来初三と深く関わっているあなたを殺害し、彼の精神状態の変化を観察する仕事を私はします」

「じゃから儂に死ねと?」

 七色の問いは責めているようなものではなく、授業中に先生へ質問するような軽さだった。

 ザクロは雨で濡れていくハット帽を深くかぶり直し、

「……はい。あなたを殺します」

「それは―――お主の言っていた『やりたいこと』に必要なことなのか?」

「……はい」

「もしも儂がそれを拒んだ場合、夜来のほうへとばっちりが行くのかのう?」

「……いいえ。あなたを殺せなかった場合は、他の夜来初三と関わりのある存在へ照準を変えます。鉈内翔縁や世ノ華雪花あたりが妥当かと」

「なるほど」

 七色は顔色一つ変えていない。

 そして、



「ならば良い。さっさと殺せ」



 ザクロの表情はハット帽によって見えない。

 しかし、肩がピクリと動いたのは分かった。

「なぜ、そこまで簡単に死を受け入れるんですか……? 私を殺し返すことだって可能では……?」

 恐る恐るといった質問に、

 七色は鼻で笑った。

「儂が取るべき道はそれだけだからじゃ。―――儂にとっては、お主も夜来も翔縁もかけがえのない平等な息子なんじゃ。世ノ華だって雪白だって、年配の儂にとっては娘のようで可愛いものじゃよ」

「……」

「じゃから儂は―――『自分の子供が救われる道を選ぶ』。儂が死ねば、お主は『やりたいこと』をやれて救われる。夜来や鉈内は儂が死ねば危害は加えられない。世ノ華達にも何もしないんじゃろ? だったら、ここで儂が死ぬことが『一番最善の方法』のはすじゃ。ここでお主を撃退したとしても、世ノ華や翔縁達にその矛先が向けられてしまえば―――『母親失格』じゃろうが」

 母親失格。

 その言葉にはとても重い意思が宿っていた。

「儂は夜来と翔縁と―――お主の母親代わりじゃ。だからこそ、息子のお前を『母親の儂が殺すわけがない』じゃろう。母親になると決めた時点で、お主ら三人の―――『息子の味方を最後までする』と決めておる。生半可な覚悟で母親代わりなどにならん。死んでもお主らの味方じゃ」

「……そうですか」

「そうじゃ。じゃから―――儂を踏んで上に上がれ。親を踏みにじってでも、自分の目標に突き進め。それを儂は親として応援する。―――それにお主、本気で儂を殺しに来たんじゃろ? じゃったら、もう儂は抵抗できんわい。説得なんて通用せんだろうしのう。それに―――」

 最後に七色は可愛らしい笑顔を咲かせて、

 金色の瞳を輝かせて微笑み、



「自分の子供を躊躇せずに傷つけられる親は既に親ではない」



 激しい雨に打たれる二人。 

 親と子はしばし沈黙し、

「じゃから儂はお主を傷つけられん。殴れん。蹴れん。なぜなら夜来も翔縁もお主も儂の子供だからじゃ。単純に、ただ単純に儂はお主を傷つけられない」

「……そうですか」

 ザクロは被っていたハット帽を投げ捨てる。

 その顔には―――悲しげな顔が溢れていた。まるで、抵抗して殺しに来て欲しかったと言わんばかりに。

「……私はあなたに救われました。私は―――あなたを親だと本気で思っています」

「はは、それは光栄なことじゃのう。儂も親代わりをこなせていて何よりじゃ」

 こんなときでも。

 七色夕那は敵意の色一つ顔に浮かべなかった。

 まるで、昔助けられた時のように、彼女は敵意一つ浮かべずに笑っていた。


 昔と同じように笑っていてくれた。


 そう思ったザクロは無情な顔になる。

 そうして己の使命を果たそうとする。    

 背中から取り出した御札。それは発光したと同時に長い西洋風の剣になり、刀身をぎらりと光らせる。

「おお、呪文を唱えずにも武器変換を行えるようになったのか」

「……ええ。全て、あなたのおかげです」

「素晴らしいぞ、時雨。きちんと強くなったようじゃな」

 ニッコリと笑った七色。

 対してザクロは、

「強くなんか、ありませんよ」

「そうかのう。でも―――」

 ザクロは剣を引いた。その切っ先をターゲットにロックオンし、


「息子の成長とは―――母親にとって最高の楽しみなんじゃぞ?」


 直後に。

 雨に滲んでいく大量の血の川が出来上がった。

  

 

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