百鬼夜行
夜来初三と雪白千蘭が七色寺へ訪れた理由。
それは単純とは言い難い、とある結果を知るためだった。
「それで、『アイツ』のことは何かわかったのか……?」
そう。
雪白達が七色寺へ来たのは、七色に頼んでおいた『夜来初三の体を乗っ取った謎の怪物』についての調査結果を知るためだったのだ。
薄暗い階段を降りていく二人。地下室へ繋がる階段のようなので、ゲームのダンジョンのように些細な光は壁に付着させられたランプの数々のみだ。地下へ向かうのだから当然といえば当然かもしれないが。
「いいやまだじゃ。やはりどの神話・伝説・昔話・説話・御伽話にも乗っておらん。ここまでくると、怪物かどうかすら怪しくなってくるわい」
雪白千蘭と七色夕那の二人は七色寺の地下に存在する資料室に到着する。夜来初三がシャワーを浴びに行っている故に、現在は雪白と七色の二人だけだ。
扉を開けた先には、図書館並みの規模で本が収納された棚ばかりが所狭しに広がっていた。その光景に雪白は少し驚きを隠せずに口を半開きにしてしまっている。
「全部、儂が若い頃『悪人祓い』として活動するために必要だった資料じゃよ。ギリシャ神話や些細な怪物伝説や百鬼夜行などの妖怪に関係するものも全て詰まっていると言っても過言ではない」
「すごいな……」
実際に雪白は本を手に取ってみる。それは分厚くて薄汚れている故に、かなり昔に記されたものなのかもしれない。内容はパラパラと目を通しただけなので具体的には分からないが、おそらくノルウェー辺りに住まうと信じられている精霊や妖精の生き様を描かれているのだろう。
その精霊関係の本に首を傾げるしかできない雪白に、ふと七色から声がかかった。
「こっちじゃ。『アイツ』の特徴を些細な怪物と比較してみた結果、一番可能性がある怪物を全てここにまとめておる」
「そこまで進んでいたのか。さすがだな……」
本を元の棚に戻した雪白は早足で七色のもとへ近寄った。そこには大きな円形で木製のテーブルがあり、いくつかの本が重ねられている。
それの一つを七色は手にとってテーブルの上に開いた。
「先ほども言ったが、百鬼夜行というものについては知っておるか?」
「いや、分からない」
「ならばそこからじゃな。説明すると―――『平安時代にとある者が愛人の家から帰る途中に「鬼や妖怪の大部隊」に遭遇して念仏を唱えながら震えていた』という。まぁ本当か嘘なのかは分からないが、宇治拾遺物語・今昔物語集にそのような話がいくつか収録されておる。主に百鬼夜行に遭遇した人間は、いずれも念仏や札を握りしめており生還するのが一般的で、仏の偉大さを説くと同時に、遭遇者が死んでしまうような三流怪談話より幾分かリアルなのじゃよ」
「つまり、昔話やおとぎ話で登場する妖怪の大行進・大集団・大軍団ということか?」
「理解力が高くてすばらしいのう。ほとんどその通りじゃ」
七色はその百鬼夜行に登場する妖怪が収録された本のページを進めていく。その一枚一枚には、いかにも妖怪らしい妖怪が写っていた。大きな目玉がある気持ち悪いものや、誰もが怖がるほど迫力のある異形な化物もいる。
だがしかし。
最後の一ページでは―――『黒一色』の形のない色だけがあった。
「? 何だこれは? これも妖怪なのか?」
「空亡じゃ」
「空亡? この、黒一色の丸い球体のようなものも……妖怪なのか?」
雪白が指で示したのは空亡と言われる何か。禍々しい球体のそれは異様な威圧感が漂っている。
七色はコクリと頷いて、
「この空亡という妖怪は、先ほど話した百鬼夜行に『一番最後に登場する』―――正体不明の何かなのじゃよ。様々な伝説があるが、妖怪かすらも分からない。ただ妖怪ならば妖怪最強とは言われていることもある。実力は本物じゃ。百鬼夜行を最終的に飲み込んだ『黒き太陽』とも言われていて、世界を闇で染め上げるだの何の言われている何かじゃがな、結局は」
「……それが『アイツ』だと?」
「いいや。ただ、正体不明・最強レベルという大雑把な点で共通はしてるじゃろ? 可能性の一つじゃよ。他にも―――」
さらに七色は別の本を取り出して広げる。
今度は、何やら悪魔学系の資料を見せてきた。
「悪魔の中にはバフォメットなどの起源がはっきりとしていない悪魔もいるのじゃ。もしやそういった『正体不明』という些細な点で『アイツ』の謎を解けるかもしれん」
「しかし悪魔ならば、悪魔の神であるサタンが何でも分かるのでは……?」
「そうかもしれんが、可能性じゃよ可能性。つまり結果は―――『アイツ』の正体は不明のままじゃ。近い存在と言うても、ほんとにさっぱりだしのう」
「そうか……」
収穫はゼロだったようだ。
その事実に雪白は視線を床へ落とす。
しかし残念なことに、視線を下げるだけでは何の変化も生じない。雪白千蘭という怪物関係に関してはど素人の少女が、何をしようとも『アイツ』の存在は暴けないだろう。
ならば取るべき道は一つで、
「できれば、これからも調べておいて欲しい。私も間近で初三の体を乗っ取った『アイツ』を見たが……顔といい性格といい、全てがあれは危険だ。素人の私でも分かる」
「それは同感じゃな。『アイツ』は儂と速水でさえ反応できない力を持っている。だから安心せい。夜来のことに関しては儂に全て任せていい」
「全てって……そ、それはさすがに―――」
「いいや全てで構わん。夜来はきっとお主を誰よりも気にかけておる」
雪白をじっと見つめて、
「だからお願いじゃ、雪白」
「な、なんだ?」
「―――夜来の傍にいてやってくれ。あやつに必要なのは特にお主じゃ。儂が全て夜来の問題を解決してみせる。―――死んでも解決する。だからお主はその分、夜来と一緒にいてやってくれ。夜来を支えてやってくれ」
七色の真剣すぎるほどの顔に、雪白は静かに尋ねた。
「私はあいつが必要だが、私があいつに必要かは分からんが……なぜ、七色はそこまで……?」
「お主は気づいていないかもじゃが、夜来はお主に関しては甘ーいのじゃぞ? 見てて笑えるほどにな。世ノ華などの交流が長い相手にも甘いが、付き合いが一番短いお主にも、なぜかあやつは甘い。―――それはお主が夜来を支えているからじゃ。無意識にのう」
「……」
「じゃから夜来の傍にいてやってくれ。あやつは儂では―――救えないのじゃよ」
「そんなことは……!!」
遮るように七色はやや大きく言った。
「救えんのじゃ、儂では。儂ではあの不良息子は救えん。なぜか分かるか?」
「……分からない」
「それは夜来が儂を気にしているからじゃ。気にするというのは―――『恩を返そう』だのと思って、極力儂には迷惑をかけないよう気にしているからじゃ。つまり儂はあやつにとって、『気を使う存在』ということじゃよ」
その説明には納得がいった。
確かに夜来初三は七色夕那に莫大な『感謝』を抱いている。故に彼は、七色に対して『恩を返しきれていない』という『常に気にしている』感バリバリの感情を抱いている。それは大量の『感謝』があるからだろう。きっと、七色にこれ以上世話をしてもらうことはないよう『気にしている』からでもあるだろう。
故に七色夕那は夜来初三にとって『気にする存在』だ。
だから七色は夜来を救えない。
そこまで『気にされる』ようでは、彼の心に安らぎさえも与えられないだろうから。
「じゃが、お主は違うじゃろう。お主は夜来にわがままを言って、反論を返されたり、学校に連れて行く際に喧嘩したりするじゃろ? それは夜来がお主を『対等』に見ているからじゃ。心の底からのう。じゃが儂の場合は別じゃ。儂は夜来にとって『目上』の立場になっている。だから言ってしまえば―――儂は夜来にとって教師で、お主は夜来にとって同級生……みたいなものじゃよ」
「では、それを知っていて尚、夜来のために動くのか……?」
「当たり前じゃ。夜来のアホが死にかけていたら儂の心臓をくれてやる。それくらいは当然じゃろう。だって―――」
七色はテーブルに集められていた資料を全て棚に戻し終えてから、
当たり前の理由を告げた。
たった一言で。
「儂は夜来の母親じゃからな」
それはきっと。
夜来にとっては神様とも言える存在なのかもしれない。
自分を虐待していた精神異常者の親とは百八十度違った七色夕那という母親は、きっと、彼にとって表現が不可能なほど感謝している存在なのかもしれない。
神様以上の輝いている存在なのかもしれない。
雪白は小さく笑って、
「分かった。じゃあ、私は夜来の傍にいる。ずっとな。そもそも、あいつとは約束通り『ずっと一緒にいる』気だったんだ。喜んでさせてもらう」
「それで良い。儂はあの不良息子の中身に潜んでいる『あれ』を解く。そして夜来を安心感で満たしてやろう。それが親代わりの儂がすべきことじゃ。じゃから―――」
七色は金色の瞳を細めてニッコリと笑い、
「あの不良息子を救ってくれ。儂では救えん、あの不良息子を地獄から救い出してくれ」
続けて、どこか遠くを見る目で、
「あのバカはきっと、変わらん。いつもいつも『自分を傷つけて他者を救っている』。本人に言えば、救ってないと言い張るのじゃろうが、あれは救っておる。だが―――自分だけは救えていない。自分を救う方法をあやつは知らんのじゃろう」
「……同感だ」
「じゃからお主が少しでも夜来を救ってくれ。お主は夜来と共にいろ。儂はあくまで夜来の『母親』じゃ。いつまでも夜来に頼られる存在ではない。じゃからお主が助けてやってくれ、これからものう」
「しかし、私はアイツにひどいことを―――」
瞬間。
ポコンと、飛び上がった七色が雪白の額にデコピンをした。
一歩後退した雪白に、七色は呆れるように溜め息を吐き、
「何度言わせる気じゃ馬鹿者。儂達は許した。それで終わりじゃ。もちろん忘れてはいけない過去であろうが、それをネチネチネチネチとお主のように引張たりなどせんわ。このネチネチ星人が! お主も悪いと思っているのなら、これからは夜来の傍にいてやってくれ。それで罪を洗い流すように努力せい」
「……ああ、そうだな」
何かが吹っ切れた表情になった雪白は小さく頷いた。
すると七色は鼻を鳴らし、意地悪くニヤリと笑って、
「まぁあれじゃな。そんなネチネチ過去を振り返ってばっかの女には、儂は息子をやらんからな」
「っ!? な、ななななにを言っているんだお前は!!」
「何なら、マザコンになるほど儂が面倒みてやってもいいのじゃぞ?」
「そ、それは世間一般から見てあまり感心しない!! だ、だからきちんと夜来は結婚すべきだ!!」
「そうじゃのう。じゃあ世ノ華あたりにポイっとやるか」
「軽すぎるだろ!! 大体世ノ華はダメだ!! アウトだ!! 近親相姦で犯罪だ!!」
「そういえば世ノ華も今日はこっちに来るからのう。なんならもうやってしまおうか?」
「ダメだ!!」
楽しそうに笑う見た目幼女は、腰まで伸びた長い黒髪を揺らしてトコトコと歩いていく。夜来初三と鉈内翔縁にとって、彼女はきっと仏よりも神よりも見上げる存在なのかもしれない。