買い物
「なるほど。朝から大変だったようだな」
「まったくだ。……どうしてこう、俺の周りにゃ下ネタ好きが多いんだ? 女らしさが皆無な女が多いんだ?」
雪白千蘭と夜来初三は7階建ての大規模な電気屋へ来ていた。パソコンやらゲームソフトやらヘッドフォンやら電子機器全てを、それぞれ専門店並のレベルで販売している全国規模のチェーン店だ。
本日のメインは雪白の買い物だ。
しかしながら、いくら雪白千蘭と一番信頼関係が強い夜来初三といえども、一から百まで雪白千蘭という存在の中身を熟知しているわけでもない。彼女が抱いた感情から思考全てを読み取るほど……そこまでいけば異常だが、とにかく雪白千蘭の買いたい品なんて一品たりとも推測不可能ということだ。
雪白千蘭は雪白千蘭だけが全てを理解している。故に夜来は彼女の隣を黙って歩るき続けていた。
と、そこでようやく雪白が目当てのコーナーへたどり着いたのか、足を止めて少しばかり嬉しそうな声を上げる。
「おお! これが欲しかったんだ!」
「あぁ? 何をンな目ぇキラキラさせて―――」
雪白が手にとったそれは―――最新型の高級カメラだった。
もちろんカメラという品に何の問題はない。趣味が写真ということだって個人の自由である。だがしかし、カメラというものに『雪白千蘭』を足してみると……。
(まさか……)
以前、雪白が起こした大事件を思い出してしまう。監禁されていた頃に見た、自分の盗撮写真の数々が脳にフラッシュバックしてくる。
もしや、未だに盗撮を続けているつもりじゃ……と疑問を抱き、ごくりと生唾を飲み込んだ夜来。
すると。
「お、おい。何やら誤解していないか?」
雪白が困った顔をしてそう言った。
さらにカメラを持ち上げて、
「お前、私が『まだ』やっていると思っていただろう……?」
「あ、ああ、まぁ、ぶっちゃけ、ああ」
「そ、そりゃ正直に言えば、私だって……したい……けども!! それはお前に迷惑だから……。第一、お前を盗撮するつもりならばお前をこの買い物に同行させたりしないだろう……」
申し訳なさそうに視線を落とした雪白。
その様子に、夜来は思わず溜め息を吐いて、
「お前こそ何か勘違いしてねぇか?」
「え?」
顔を上げた雪白へ続けて言い放つ。
「俺はお前が俺にしたこと全てに感謝してる。俺はお前を―――微塵も嫌がっちゃいねぇよ。だから別に盗撮に関しても、まぁ、ぶっちゃけ、嬉しいっちゃ嬉しかったからな……。だからンな声かけづらい顔すんな。クソ面倒くせぇだろ」
「じゃ、じゃあ、その……一緒に、写真とっていいか?」
カメラで顔を隠すように恥ずかしがりながらも、尋ねてきた雪白に小さく息を吐いてから、
「真っ向からそう言って貰えたほうがこっちとしても全然いいな。盗撮よりも、きちんとレンズ向けてタイミング言ってくれ。だったらこっちからも頼むっつーの」
「あ、ああ!!」
「ったく、何度言わせりゃ分かんだよ。―――俺は一切、微塵も、つゆほども、お前に今も昔もキレちゃいねぇ。他の奴には頭の位置下げても構わねぇが、俺にゃすんな。―――嫌ってもいねぇ相手からよそよそしくされると、逆に迷惑だっつーの……」
相変わらず素直になれない夜来初三くんは、顔を背けてそう言った。もっと素直になれば彼の纏っている怖いオーラも薄れるだろうに、と雪白は思い苦笑する。
そして踵を返し、
「じゃあ、私は長くなるからお前は適当にブラブラしていてくれ。付き合わせるには時間が長い。連絡するから、好きなように過ごしてくれ」
彼の発言によって幸せゲージが振り切っているのか、雪白はスキップ混じりに歩き出していった。一方、夜来初三は小さく舌打ちをして踵を返し、
「チッ。……こんなのはガラじゃねぇのは自覚してるんだがな」
あまりにも、自分という悪人が言うような言葉ではなかった。最近は自分自身で気づいているが、どこか丸くなってきた気がする。昔の自分なら……雪白千蘭に何と返答していただろう。
その答えはもちろん、
「くっだらねぇ……か」
おそらくそう告げていた。あんな話題にいちいち口を開けることすら拒絶していたかもしれない。きっと『面倒くせぇ』や『知るか』などの拒絶全開の言葉でさっさとこの場を立ち去っていたかもしれない。
特に雪白千蘭に対しては、丸くなった気がする。
原因は、おそらく前回の監禁事件の影響かもしれない。もともと彼女には弟と重ねて扱っていた理由から気にかけていたことも事実ではあるのだが、最近はさらに……甘くなった気がする、とでも言えばいいのだろう。
(まぁ、丸くなってねぇなら、この俺がアイツの買い物なんぞにこうしてホイホイ同行するわけもねぇな。……どうも俺は心が寛大にでもなってるらしい。ガラじゃねぇな、クソったれ)
鼻で笑うように考えを心で口にする。
しかしそこで思考は中断されることになった。
彼は現在屋外へ出た。故に腰のベルトにかけていたワンタッチ式の黒い日傘を取り出して、それを広げて日光を遮断する。しかしながら、思考が中断された理由は日傘をさしたからでも日光が邪魔になっているからでもない。
では一体、結局のところ理由とは何なのか。
それは―――広い公園ではしゃいでいる数人の子供の一人が泣いていたからだ。周りの子供達はおどおどしながら慌てふためいている。
よく見れば、泣いている子供の膝が擦りむいていて血がにじんでいた。
おそらく遊んでいたらコケたのだろう。子供ならば誰だって通る道の一つだ。
「……」
夜来はいつも通りの仏頂面というか悪人面を維持したまま、何の反応も見せない。そして大きな舌打ちをして公園からは背を向けて歩き出していった。
……背後では子供の泣き声が響いていた。
「うっぐ……! えっぐ……!!」
もともとは仲良く鬼ごっこをしていたのである。
しかし不運なことに、泣いている男の子は鬼として皆を捕まえようとしていたら派手に転倒してしまったのだ。幸いにも公園の中だったので、地面はコンクリートなどの危険性が高いものではなく、砂と土で構成されたものだった。
しかし、痛いものは痛い。
故に座り込んで泣き続ける。
周りの友人たちもどうすればいいか分からずに、あたふたしているだけだった。しかし、子供なのだから冷静な対処ができなくて当然といえば当然かもしれない。
と、そんなとき。
「おいガキ」
ビクリ、と肩を揺らした泣いている男の子は静かに振り返る。そこには全身黒ずくめの男が日傘をさして立っていた。
その手には何かが入っているビニール袋―――薬局の名前が書き込まれたビニール袋がある。
「お、お兄ちゃん、だれ……?」
「ただの人間のクズだ。名前なんざ覚える価値もねぇから聞くな。脳みそ無駄に容量なくすぞ」
静かに歩いてきた男は泣いている男の子の前で膝を折った。邪魔になる日傘を地面に置いた際には、輝く日光に少々顔をしかめる。
「……ふん」
男の子の傷口を見て鼻を鳴らした男は、そこから冷静な対応を行った。まずは歩けない男の子を抱き抱えて水道の蛇口の前で下ろし、水を流して傷口に付着している砂や土を洗う。
「う、い、いつ……!!」
「暴れンな。潰すぞ」
染みて痛がる男の子に、ぴしゃりと物騒なことも付け加えて言い放った男。彼はビニール袋から消毒液とティッシュを取り出して、
「歯ァ食いしばってろ」
言われた男の子は染みるのを我慢して歯をぐっと噛み締める。しかし男は少しづつ消毒液を傷口に当てるので、実際はほとんど痛みがなかった。
優しい手際の良さにほうけていた男の子は、最後に絆創膏を傷口に押し当てないよう男にゆっくりと貼られる。完全に応急処置を終えたのだ。
「はしゃぐのは勝手だが、それでテメェの足ィ犠牲にしてんじゃねぇ。何の等価交換だガキ」
「あ、ありがとう、お兄ちゃん!!」
「……チッ」
感謝されたことに苛立つように舌打ちをした男。彼は残りの絆創膏を袋から取り出し、男の子のポケットにねじ込んで、
「変えるタイミングが来たら勝手に変えろ。後はテメェでやれ」
日傘を取って立ち上がった男は踵を返した。そして即座に立ち去ろうとしたのだが、周りにいた子供達がそれを無意識に阻害する。
「あ、ありがとうございますっ! ゆうくんのケガなおしてくれてっ!」
「……」
「ぼ、ボクも、ありがとうございます! 鬼ごっこしてたら、ゆうくん転んじゃったみたいで」
「……」
いろいろな子供たちから友人を助けてくれたことで感謝される男。しかし表情は以前変わらずに恐ろしいほどに鋭い目つきと悪人面を張り付かせたままだ。子供でなければ、間違いなく誰もが怖がって一歩身を引くレベルである。
そしてついに。
「ツレの心配しろクソガキが」
顎でケガの治療を終えたまま座り込んでいる男の子を示す。すると周りにいた子供たちは慌てて友達のケガの心配をしに駆け寄っていった。
男は一切振り向くことなく鼻を鳴らす。
「ホンっト―――ガラじゃねぇよな、クソったれ」
吐き捨てた彼は立ち去っていく。
子供たちが気づいたときには既にあの男は姿を消していた。




