黒
白い荒野―――世界で激闘に終わりが来ようとしていた。
意識が遠のいていく。
胸から溢れ出てくる真っ白な激流に体が徐々に染め上げられていく。『悪』の色―――『悪』の存在に飲み込まれていく。一部として取り込まれていく。
夜来初三は思った。
苦笑しながら思った。
それはそれでいいンじゃねぇかな、と。
これはこれで、自分という悪人に相応しい死に様なんじゃないか? このまま『絶対的な悪』とやらに肉体を支配されてもいいんじゃないか? ……そう納得しかけていた。
しかし。
だがしかし。
そこで夜来初三は気づく。
もしこのまま、目の前のクソ野郎に取り込まれてしまった場合、サタンはどうなる? サタンは夜来初三と同じ『本物の悪』という思考によって繋がっている。同じ存在だから繋がっていられる。もしもここで、夜来初三が『悪』に喰われてしまったら―――その『本物の悪』という接点がなくなって、サタンは人間界から消えてしまうのではないか?
他にも数々の考えが浮上する。
雪白千蘭はどうなる? 彼女との問題にはまだ解決という地点まで進展していない。それに何より―――雪白千蘭と交わしている『ずっと一緒にいる』という約束はどうなる? 破る気か? 自分は彼女に愛を貰っておいて、その約束を破る気か? もう、どうして彼女を守ろうとしていたかは覚えていないが、少なくとも愛を貰って感謝していただけのことは記憶に残っていた。
他にも。
世ノ華雪花の兄としてここで消えていいのか? 七色夕那にはまだ恩を返しきれていない。行方不明の弟に関してもやり残したことがたくさんある。鉈内翔縁にも元に戻してもらった際の借りを返していない。
(はは……)
夜来初三は白に飲み込まれていくなか。
心で笑った。
(そうかそうか……俺ァまだ、夜来初三としてやり残してやがる残業が腐る程残ってるってわけかよ……クソったれが)
胸から溢れ出ていた白に体の半分を染め変えられた。
そのとき。
ようやく答えを導き出せた。
自分はまだ―――死ねない。
(確か、俺が弱ぇのは『絶対的な悪』が足りてねぇんだったよなァクソ野郎。―――よくよく考えてみりゃ、俺とあいつの一撃は『相殺』してた。ってことは、『お互いの力は同レベル』って分かる。……なら、俺があいつに負けてる理由は心のほうが影響してるってわけだ。だよなぁ、この野郎?)
目の前で自分以上に嗜虐的に笑っている白い化物に対して、そう心で問いかけた。
ならば、だ。
話は実に単純で。
(だったらお望みどぉり―――)
瞬間。
ブチブチブチ、と夜来初三の口が引き裂かれて極悪な笑顔を見せた。
そして。
彼はニタリと笑顔をさらに濃くする。
「テメェ以上に『絶対的な悪』に染まりきってやるよオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
ズドン!! と、漆黒の魔力を纏った右手を化物の胸に突き刺した。一瞬驚いた表情になった化物だったが、もう遅い。夜来初三は凶悪に笑いながら―――胸の中に埋め込んだ手から魔力の閃光を無慈悲にも放つ。
結果。
ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!! という轟音と共に『悪』の背中からは莫大な黒い光が姿を現して貫通していた。
すると。
化物はそれでもニィと笑い、
「ナるほどナァ」
彼の背中からは血が噴出しなかった。ただし『夜来初三』を表す『黒』にその白い服を塗り替えられていき、徐々に侵食されていく。
それでも。
それでも化物は楽しそうに笑っていた。
「ちっタぁ『絶対的な悪』ッツー代物をテメェも携えテたラシい」
「ぎゃっははははははは!! そいつァどーもクソ野郎!! あぁ? テメェ如きがこの俺と張り合うなんざ一億年早ぇんだよボケが」
ブシュリ!! と『悪』の胸の中から手を抜き取った夜来の衣服は元の黒い色に戻っていく。一方、白い夜来初三の形をした『悪』は衣服を黒に染め上げられていく。
そして。
さらに。
白い荒野に立っていた二人の後ろにあった黒い荒野が―――白い荒野を真っ黒に変えていった。空も、雲も、大地も、何もかもが夜来初三の黒という色に塗りつぶされていく。
間違いなく、夜来初三という存在に『悪』のほうが喰われている証拠だ。
だが。
白い化物はそれでも―――『夜来初三以上に嗜虐的に笑う』。
さすがに目を見開いて一歩後退した夜来。
すると『悪』はその白い右腕を伸ばして夜来の襟首を掴み、ぐいっと引き寄せる。
告げる。
「イイだろう。てメェの一部に『一時的』になってヤル。てメェっつー『悪』にしバラくは染められテやルよ」
「……テメェ、マジで何なんだ。本当に―――何なんだ?」
「言っタろ? 俺はテメェの『悪』ヲ維持しテヤってる化物ダ。―――てメェの『善性を喰いモノ』にシテる存在だトでも思エ」
「俺の、善を、喰う……?」
「ソぉダ」
化物は衣服のほとんどを黒色に塗り替えられていた。
それに同調するように白い世界も黒色に染め上げられている。
「イイか? オレはテメェに喰わレる。取り込まレる。―――ってコトはだ、『俺とお前は一つになる』ってワケ。つマり俺は消えるわけじゃネェ。たダテメェの一部に染マるだケダ―――勘違イすンじゃネーゾ、クソったれ」
「……遠まわしに、『またテメェの体を乗っ取れるんだぜ?』っつってんのかよ」
「アぁそうだ。ま、元よリ、俺とテメェは『最初から一つ』だッタんだぜ? 言っちマエば、今の状態は『分裂』しテルってことダ」
「っ、同じだと……?」
「そォダよバーカ。―――マぁイイ。初三、もシモまた『莫大な善』を抱きヤガったら『俺はまた現れる』ゾ。イイか? 善を抱いタ時がテメェの命日ダ。よークその小せェ脳みそに叩き込ンドけアホ」
「意味がわからねぇぞコラ。テメェ、本当何なんだよ……? 悪魔か? 妖怪の類か? どっかの神話の神か……? 一体、テメェは何なんだ? ―――まず第一に、『怪物』、なのか……?」
「サーてネェ。ま、トリあえず、テメェの体なンザいつデモ喰えるコトを忘れるナ。少しデも気ィ抜きヤガったら、即座にオレはテメェを白に染め上ゲル……!!」
ゾワリと寒気が走った。
それほどまでに、『悪』の笑顔は凶暴で恐ろしい。
「アー、そレから一つ素敵な事実をプレゼントしテやるよ」
白い荒野は完全に黒い荒野へ染め上げられた。つまり世界は夜の荒野という黒一色に変わり、三日月もただ一つだけが頭上で君臨している。
残っている白は化物ただ一人。
そいつは最後に。
夜来初三の襟首を更に引き寄せて。
目と鼻の先でイカれた笑顔を咲かせ、禍々しい化物の目を見開き、
「―――俺はテメェダ。これは確かな事実だクソッタレ」
そう言い残し、化物は白かった衣服を完璧に黒色に飲み込まれた。さらに存在自体を黒によって侵食されて消失する。同時に、世界は黒一色に染め上げられる。
もう、この世界には黒しかいない。
空も大地も―――少年も、全てが黒い真夜中の荒野。
その中で一人。
夜来初三という黒だけが月光に照らされて不気味に輝いていた。