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絶世の美少女・雪白千蘭

悪と善の違い・境界線を見出すことも可能なお話

誰かを救うヒーローは決して登場しない・・・・みたいな感じでシリアスに行こうかなとは思ってない作者ですが、どうかよろしくお願いします(笑)


今回・初めは悪人主人公=ダークヒーローが主体です。後々彼とは逆の善人主人公(純粋系ヒーロー)も出てくるので、ダークヒーロー好きでない方もどうか目を向けていただけると幸いです! 

 一流の悪を誇り。

 一流の悪を極め。

 一流の悪になる。

 それが少年の夢であり、望みであり、希望であり、目標であった。

 自身を悪と認め、理解し、納得し、肯定した。

 なぜ、少年は自分を悪だと受け入れたのだろうか。

 その理由は、少年が歩んできた苦しく、残酷で、悲しみが溢れていた人生の影響である。

 少年は悪人だ。

 それは自他共に認めなければならない事実であるし、少年自体、悪人と理解されなければ悪人と思わせるほどの行動を取るであろう。

 何が何でも自分は悪人だ、という考えを少年が捨てることは決してない。

 なぜなら、事実だから。

 自分が悪人だということが、事実以外の何ものでもないから。

 さらに言えば、少年は自分の悪を誇りに思っているし、自分の悪に満足感すら覚えている。

 それが少年。

『本物の悪』を極め、安い悪を成敗する『一流の悪人』だ。

 そして、その少年こそが、

 とある『呪い』をかけられた一人の悪人。

 夜来初三やらいはつみという少年である。

 



 電車。

 特に特徴の一つもない、とある電車の内部。

 そこで何十人ものサラリーマンや学生たちの群れに埋まってしまうように立ち、肩にかけたカバンを背負いなおす女子高校生の少女。

 その少女は膝まで伸びた長い白髪を片ポニーテールにしていて、ルビーのような赤い瞳を輝かせている。スタイルは世の女達が見たら指をくわえて羨ましそうに眺めるであろうレベルであり、男が目をつけたなら間違いなく鼻の下をのばすであろう完璧な体だった。

 さらに顔も異常と言えるほど整っている。そのため、一言で言えば美少女という言葉が何より当てはまるだろう。

 そんな美少女、雪白千蘭ゆきしろせんらんは、周りに集まっている出勤や通学が目的であろう男や女たちを眉根を寄せて忌まわしそうに横目で見る。

(……はぁ、暑苦しいな。まだ六月だというのに、こうも人が多いと真夏のように感じてしまう)

 額に浮かぶ汗を拭いながら、少女は実際に溜め息を吐いて思った。

 だが、ここで忘れてはいけないことが一つある。

 改めて確認するが雪白千蘭はとてつもない美少女だ。

 ストレスや歳をとったことで生えてきたような白髪ではなく、神々しいと感じてしまう綺麗な白髪。明らかに人間離れした宝石のような赤い瞳。そして、異性を寄せ付け、同姓からは嫌な目で見られるであろう完全で完璧なスタイル。

 以上のことから、明らかに目立つことが理解できるだろう。

 よって、そんな絶世の美少女を男が見て性的に興奮しない何てことはありえない。

 なので。

(―――ッ!)



 痴漢という下種な行為の被害に雪白が遭っても、なんら不思議ではないことである



 自身の腰より下、太ももより上の位置に見知らぬ男の手が添えられていることに気づいた雪白は、突然の事態に恐怖で動くことが出来ない―――はずがなかった。

 雪白千蘭は自分の容姿が他人より目立ち、整っていることは自覚している。そしてまだ女子高校生だというのにグラビアモデルでさえ顔負けするであろう体つきも自分で理解している。

 なので、雪白千蘭からしてみれば現在自分の身に降りかかっている痴漢という犯罪行為は日常茶飯事だったのだ。

(やはり男という生き物は信用できんな。非常に汚らしい……!)

 今までも容姿のせいで男性から性的なことをされそうになったことは何回もある。

 よって痴漢されているという現状から脱出するにはどうすればいいか。そんなことは今までの人生で嫌というほど教わってきた。

(ゲスだな……どいつもこいつも本当に腐りきっている)

 自分の尻部に添えている、息が荒い下種な男から身を守る方法も知っている。だからセクハラをしている真っ最中である男の手を掴み、大声を上げようとしたのだが、



「随分とまぁ息が荒ぇ豚がうろついてやがると思えば―――おい性欲駄々漏れ小悪党。テメェ、この俺の前で薄汚ぇ真似してんじゃねぇぞコラ。殺して殺してシバき殺すぞ三流小悪党」



 突如響いてきた声を聞き、雪白千蘭が振り向くと。

 そこには。

 自分に痴漢していたのであろうサラリーマンの男の首を、後ろから締め上げている一人の少年が立っていた。

 男は雪白の体からすでに手を離していて、自分の首を襲う激痛にもだえ苦しんでいる。

「あッ、がっ!? ぁッつ……ぐぇ……ッッ!!」

「あぁん? 俺ァテメェみてぇなセクハラサラリーマンの言語は聞き取れねぇぞ? つーか何だ? セクハラサラリーマンってなぁ新種の生き物か何かなのか? 電車乗ったら女の尻を触ってねぇと死んじまう病気なのか? 大病なのか? あぁ? 答えろよ性欲まみれの子豚ちゃん」

 明らかに窒息死する寸前まで呼吸を止められている男は、だんだんと白目を剥き始めていた。眼球がグラグラと揺れ動いていて、さしずめ死ぬ一歩手前といった状態だろう。

 瞬間、

「がっは……!?」

 男が狂犬病にかかったかのように泡を軽く口から吹き出し。

 ゴギュリギリリ!! と少年が締めている男の首から骨がすり潰されるような音が反響した。

「あのなぁ、ダメだよー? 本当ダメだよー? いくら嫁さん倦怠期ハリケーン入っちゃったからって、セクハラとかしちゃだめなんだよー? 分かる? 甘ったれてJKの尻に逃げ込むようじゃパパ失格だよーオイ。娘さん泣いちゃうじゃん、マジでどーケジメとんだよコラ」

「ちょ、やりすぎだ!!」

 さすがにまずいと思った雪白は、自分を痴漢から助けてくれた少年の腕―――つまり痴漢をした男の首を骨ごと潰す勢いで締め上げている右腕を掴み、もう一度大声を上げた。

「もういい! いい加減にしないとその男が死ぬぞ!?」

「……」

 さすがに殺すのはまずいと思ったのか、少年は沈黙の後に小さな舌打ちを一つして締め上げていた男の首から手を離す―――のではなく、目的地だった駅に着いたその瞬間に、自動ドアに向かって放り投げた。目的地の駅に着いたならば、電車のドアは自動で開く仕組みになっているのは常識だ。

 なので。

 放り投げられた男は、自動ドアが開いたタイミングと同時に投げ飛ばされた故に駅のホームへ飛んでいく。そしてボールのようにゴロゴロと無様に転がっていった。

 もちろん。

 乗客や駅員がこの騒ぎに気づかないはずがないので、何事だ、という気持ちを抱いた者たちがぞろぞろと集まってきている。

 そして駅員の一人がこの騒ぎにようやく顔を出してきた。

「ど、どうしましたか!?」

「がはッげほっ!!」

 駅員の男が状況の説明を要求したのは、少年によってホームまで投げ飛ばされ、呼吸が落ち着かないサラリーマン。いや、サラリーマンではなく痴漢男といったところか。

 何が何だか分からない駅員が見て分かるほど混乱していると、止まったままの電車の中から一人の少年が黒い日傘をさして歩いてきた。

「そこでのた打ち回って喚いてんのは、性欲に従って行動しやがったクソだ。つーわけで、あんたが駅員か?」

「は、はい」

「そのクソ連れてってくれ。目障りだ。家の玄関開けたら犬のフン転がってるくらい目障りだわ。あーもう、マジであのウンコ飼い主拾えよなクソったれ」

 さしていた日傘の先を、呼吸を整えている痴漢男に向けて指し示し、混乱していた駅員に向けて命令した。……個人的なイライラもこぼしていたが。

 しかし痴漢が起きたとなれば犯人だけでなく、被害者からも事情を聞かなければならない。なので駅員は、少年の鋭い目つきとヤクザのようなガラの悪い喋り方や雰囲気に若干怖がりながらも口を開いた。

「あ、あの、被害にあった方はどなたでしょうか?」

「あぁ? ああ、ババァみてぇなガキだ」

「は、はぁ?」

 少年の返答に意味が分からないといった顔をする駅員。

 しかし、ここで被害者であるババァみたいなガキ……である少女が電車内からホームに姿を現した。

「私が被害者だ」

「あ、あなたですか? ……あぁ、あなた……ですね」

 最初はもの凄い美少女が現れたことに動揺した駅員だが、美少女の白髪をみたときに、ババァという部分が白髪を示していることに気がついたようで、納得するような声を上げた。

「ああ、私がババァみたいなガキだ」

「……なんで俺を見るんですか?」

 ババァみたいなガキ、自分のことをそう言った少年にジト目を向けながら、雪白千蘭は駅員に被害者であることを名乗り出た。

 すると、隣で黒い日傘をさしている自分を助けてくれた少年は、当たり前のように背を向けて歩き出してしまった。

「お、おいお前、どこへ行く気だ?」

「お前にゃ関係ねぇだろうが」

 雪白が咄嗟に声をかけるが、少年は素っ気なく返答して歩行を続ける。

 もちろん少年がこの場から立ち去ることなど許されるはずがない。なぜなら少年も今回の痴漢事件にはしっかりと関わっているのだから。

 なので、再び雪白が声をかけようとした―――そのとき。

「てっめぇぇエエええええええええええええええええ!」

 突如、呼吸を整え終えたサラリーマンの痴漢男が、絶叫しながら立ち上がった。

 しかも。



 その手に小型ナイフを構えて。



 もちろん周囲に集まっている人間は悲鳴を上げたり、驚きの形相で痴漢男を凝視する。痴漢を何度もされたことがあり、その犯人が捕まる瞬間を何度も見てきた雪白も、捕まったことに怒りを感じて、刃物まで取り出すほど危ない男だとは予想もしなかった。

 だが、恐怖と驚愕という感情で一杯一杯の雪白やギャラリーたちとは違う反応を見せる人物。

 それが。

「ちっぽけな悪人だなぁ、お前。つーかもう『悪』通り越して惨めすぎるわ」

 背を向けて立ち去ろうとしていた、痴漢から少女を救った少年。

 黒い日傘をさし、全身を黒い服で包んでいる黒ずくめの少年。

 無造作に伸ばした黒髪は、前髪やもみ上げ周辺が非常に長く、闇のような黒い右目は漆黒の髪で隠れてしまっている少年。

 自身の悪に誇りを持つ、一流の悪人である少年。

 夜来初三という少年だ。

「……お前の悪はちっぽけだ」

「なに意味分からねェこと言ってンだクソガキィィいいいいいいいッ!!」

 振り返った夜来は暴走して襲い掛かってくる痴漢男に溜め息を吐いた。

 男は血走った両目をぎらつかせて、自分を犯罪者と発覚させた夜来初三という憎き相手のふところへ走り、小型ナイフを突き刺した。

 だが。

 夜来は持っていた日傘をぱっと離すと、ナイフによる一撃を後ろにバックステップするだけで回避し、痴漢野郎の怒りに染まった醜い顔を右手で鷲摑みにする。

 そして。

 ゴガン!! と、その気に食わない顔を地面に無理やり叩きつけてやった。土下座するような格好になった痴漢男だったが、少年は止まらない。

「アホくせぇなオイ。いい年こいたオッサンがはしゃぐんじゃねーよ、みっともないねぇ。小学生までがヒーローごっこ、中学生までが闇の力で戦うごっこ、高校生からが現実をみる時期なんだよ。それをお前みたいなオッサンが中坊レベルで停滞してちゃダメだろーがよ。日本の未来が心配で泣けてくるね、厨二病大国とか言われなきゃいいが」

 さらに何度も何度も何度も何度も鷲掴みした頭を床に叩きつけてやった直後―――痴漢男のボディをサッカーをするような感覚で蹴り飛ばす。

 それも顔を全力で蹴り上げたのだ。

「ばっががががああああああああああああ!?!?」

 頬骨が砕けたような音がなった。ビリビリとした痺れるような衝撃が顔全体に浸透していく。故に絶叫を上げてジタバタと暴れまわる男だったが、その様子にニヤニヤと楽しそうに笑っている夜来初三は、

「ハハ、どうした? あぁ? 興奮しちまってあえいじゃってんかなぁオイ。発情期のイヌかテメェは―――殺すぞコラ。つーかンな気持ちよさげに喘ぐとはまぁ……何だよ何だよシャイな野郎だなぁ、ケツ掘られてねぇなら先に言えってー。喜んでケツ『横』に裂いてやっから、排便すっときゃ便利すぎてビビっちまうかもだが悪くえねぇ話だろ? 女のケツ勝手に触って自分テメェの性欲ブチまけるゴミ箱としか扱ってねぇんだから俺がテメェのケツ好きにいじっても構わねぇよなぁ? あぁ? おいコラ聞いてんのかよ尻フェチ野郎」

 もう一度痛みに大声を上げたままの男の鼻っ柱に靴底の先をめり込ませた。血が芸術的に舞った。結果、ゴロゴロとまたもや汚い床に転がっていく痴漢男。その汚物同然の悪党を見下ろし、夜来は自分の頭を面倒くさそうにガシガシと掻いた。

「おいクソ。テメェの悪は痴漢なんてくだらねぇモンなのか?」

 ゆっくりと、ポケットに手を突っ込んだまま、夜来初三という悪人は歩いていく。痴漢なんて本当のバカがするような犯罪を犯した、小さな悪人に歩み寄っていく。

「テメェの悪はちっぽけだ。クソ小さくて、くだらなくて、バカバカしィにも程がある、ちっぽけな悪だ」

 目測で言えば、痴漢男と夜来の距離はざっと四メートル。

 相手は刃物を所持しているというのに、夜来は恐怖という感情を知ってるのかどうか疑うほど、落ち着いていた。

 いや、落ち着いているというより、呆れていた。

 まるで、キレた幼児の相手をするように、疲れた顔をしていた。

「……だから教えてやるよ小悪党、授業料はこっちが負担してやっからよーく聞いとけやコラ」

「クっそガキがアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 喉が悲鳴を上げているような大声を上げて、男はまた走り出した。

 痴漢という恥ずかしいにも程があるであろう犯罪に手を染め、捕まった怒りを目の前の少年にぶつけるために。

 男は走り、夜来を殺す。

 ただ、それだけの悪だった。

 少女の体に触り、痴漢として捕まり、捕まった怒りを少年にぶつけるために殺人すらも犯そうとしている。

 それが、この痴漢サラリーマンの悪だった。

 ―――ちっぽけすぎる。

 ―――くだらなすぎる。

 実に小さな悪だ。

 この痴漢男の悪は小さすぎた。

 そして、痴漢男は小さな悪人すぎた。

 だからこそ、教えてやろう。

「小悪党、授業の時間だ」

 自分に迫ってくる、無様な性犯罪者に『悪人』らしく嗜虐的に笑った夜来初三は、両手を大きく広げて口を開いた。

「本物の悪ってモンを教えてやンよ」

 少年が誰にも聞こえないであろう声量で呟いた、次の瞬間。

 小さな悪人は本物の悪人に、文字通り殴り飛ばされた。


 


「じゃあ、これで終わりです。とりあえず痴漢した男は、警察につきだしておきますね」

 駅員に事情の説明を終えたことで、解放された二人。

 白髪をポニーテールにした美少女と、美少年だというのに悪人ヅラが張り付いている日傘をさした少年。

「「……はぁ」」

 痴漢のときに起こった様々な事情を説明していた暑苦しい部屋から出てきた二人の少年少女は、ほぼ同時に肩を落として溜め息を吐いた。

 雪白はチラリと、自分と同じ行動を取った少年を横目で見る。

 すると、少年はまたもや背を向けて歩き出してしまった。

「チッ、めんどくせぇにも程ってモンがあんだろ。マジで迷惑すぎて涙出そうだわ。具体的にいえば飼ってたカブトムシが死んだ小学五年を思い出すくらい泣きそうだわ」

「お、おいお前!」

「んあ?」

 普通、痴漢された少女がいるんだから「大丈夫か?」などの心配するような声をかけてくるものかと思っていたので、雪白千蘭はあっさりと帰っていく少年の行動が予想外すぎた。なので若干動揺しながらも、助けてくれたお礼を告げる。

「いろいろとすまなかったな。助けてくれて、本当に感謝しているぞ」

「あぁ? 誰に言ってんだよ」

「誰って、お前以外に誰が私を助けた? お前に感謝するに決まっているだろう」

「……」

 夜来初三は、表情を一切変えずにフリーズしてしまった。

 その状態を見て、雪白は内心舌打ちをして悔やむように考えた。

(……まずいな。この男も、私を助けたから私に好かれているとか思ってるんだろうな。どうするべきか……ここでアドレスとか聞かれたら断るのも難しいし……)

 今までも何回か、痴漢から助けてくれた男達はいた。

 もちろん助けてくれるのは嬉しいことだし、雪白は女なので男の痴漢は男が捕まえてくれたほうが助かる。安心できる。

 だが、やはり男は汚かった。

 美少女を助けたからこの女は自分に気があるはず……というバカな考えで雪白に近づき、デートに誘ったり、メールアドレスを聞いてきたりする。

 雪白はそれが嫌だった。

 雪白千蘭は自分の容姿が良いことは自覚しているが、それで他人に優越感を感じたり、調子に乗って男遊びをするような人間ではない。

 それに今までも整いすぎた容姿のせいで男から襲われそうになったり、性犯罪に巻き込まれそうにもなったことがたくさんある。

 だからこそ、雪白千蘭は自分の容姿が嫌いである。

 なので今回自分を助けてくれた少年も、今までの下種な男と大して変わらないのだろうなと考えていたのだが。

 少年の返答は、まったくの予想外なものだった。

「お前、何か勘違いしてるようだから言っとくが、俺は別にヒーロー気取ってお前を助けたわけじゃねーぞ」

「なに?」

「俺は痴漢なんてくだらねぇことしてる小悪党が目障りだったンだよ。ってか、よく考えてみろ。自分の近くで女のケツ触った息が荒ぇおっさんがいてみろよ、目障りだろ? つーか気持ち悪ィだろ? ぶっちゃけお前を助ける気なんざ、さらさらなかったっつーの」

 そう言って少年は大きな舌打ちをして歩き出した。

 雪白千蘭の心配をするわけでもなく、メールアドレスを聞くわけでもなく、馴れ馴れしく話しかけるわけでもなく、興味のない瞳で絶世の美少女を一瞥し、立ち去っていく。

 初めて男性から興味がないと言わんばかりの態度を取られた雪白は、ぽかーんと呆然とした顔で、歩いていく少年の背中を見つめた。

 そしてハッと我に返り、咄嗟にその背中に向けて走り出していた。

「……は? ちょ、ちょちょちょちょっと待て!」

 初めてだった。

 初めて、男性から興味のない、いやらしい考えがない行動を取られた。

 本当に初めてだったのだ。

 雪白に近づく異性は、実の父親だろうと性的な目で迫ってくる。

 そのため、雪白は少しでも男性から離れるために一人暮らしをしていて、一応共学の高校に通っているが男子生徒には極力近づかないようにしているのだ。さらに、学校にも男性恐怖症という報告をしているので雪白が通う学校では男子生徒もなるべく距離を置こうとしてくれる。

 ……まぁ、それでも男子生徒達は大体近づいてくるのだが。

「今度は何だよ面倒くせぇなあ!? 新手のストーカーかよテメェ!! 殺すぞ!! マジ殺すぞ!! もうホント殺すぞ!!」

 駅から出て、都会だというのに交通量がかなり少ない路地まで追いかけると少年はキレながら立ち止まって振り向いた。

「め、面倒くさい? そ、それは本当か?」

 ―――は、初めて異性から面倒くさいなんて言われた!

 と、密かに少年の反応を心の中でガッツポーズして喜ぶ美少女、雪白千蘭。

 その意味不明な行動と嬉しそうな表情に、少年は若干引いてしまう。

「な、何なんだよお前。めっさ気持ち悪い反応しやがって。ホント引くぞおい。なんなの? 今時のJKはそういう遊びが流行ってんの?」

「いいから! 面倒くさいと思うのは本当か?」

「あ、ああ。正直、今すぐどっか消えろよコノヤローとか思ってるぞ」

「お、おお! そこまで私に興味がないのか! 嬉しいぞ、凄く嬉しいぞ!」

 目の前で、腕を組んで感心するように何度も頷いている白髪の少女に、夜来は首を捻って言った。

「んで、用があんじゃねぇのかよ」

「あ、ああそうだ。お前は本当に私に対して何の魅力も感じないか? 胸を触ってやろうとか考えないか? 尻を触ってやろうとか考えないのか?」

「はぁ? 何で俺がそンなこと考えんだよ。まぁ確かに、あのクソ男に痴漢されたからお前が男に対して不信感とか嫌悪感だとか抱くのは分かるが、世の中の男が全員痴漢するわけじゃねぇぞ。お前の知ってる男全員が、お前に性的なことするわけじゃねぇだろ? だから、男全員がお前を狙ってるわけじゃねぇだろうが」

「―――は? 私は実の父親にさえ性的な暴行を受けそうになったぞ? それは普通じゃないのか?」

「……あ……?」

 つい、少年は間抜けな声を出してしまった。

 だが、夜来は少女のとんでもない発言が嘘でもなんでもないことをこの場の雰囲気で理解した。いや、理解しないはずがなかった。

 なぜなら少女は純粋な瞳をしているから。純粋に、男は全員性的なことをしてくると思っているから。

 きっと、男は皆自分に手を出してくるということが、少女の中では常識なのだろう。

 夜来は眉を潜めた。

 まさか、と思ったが一応尋ねておくことにした。

「お前、その父親にやられそうになったときはいつだ?」

「む? えーと、中学にあがってからだな。なぜだかそのときから、男に体を触られたり、無理やり押し倒されたりすることが異常に多くなった。まぁ、何とか汚されてはいないが」

「……」

「それでお前は、何で私に触ったり親密になろうとせずに帰ろうとしたんだ?」

 初めて自分にいやらしいことをしなかった少年に、怪しむような表情で質問してくる絶世の美少女。

 だが、おかしいのだ。

 確かに雪白千蘭は夜来から見ても誰から見ても美少女だ。

 スタイルもいいし、完璧と言える体をしている。

 だが、それだけだ。

 所詮は美少女なだけなのだ。

 ただ見た目が良いからという理由だけで、男性が女性に性的なことをしようとするならば、世の中の容姿が良い女性全員が男の餌食になってしまう。

 ありえないのだ。ただ、雪白千蘭の容姿が良いというだけで、実の父親までもが欲情するなど、あってはならない事実なのだ。

(そういやコイツ……痴漢にあったってのに、何か気にしてる感じがしねぇな。まさか……慣れてるとか、昔から経験してたとか……)

 夜来は目の前で強気な瞳を輝かせてこちらを見つめてくる少女を、目をうっすらと細めて観察するように眺める。

 そして雪白が自分を騙している様子がないことが分かると、鋭い目つきをさらに鋭くして口を開いた。



「お前さ、体のどっかに変な模様とかタトゥーみてぇなモンがあったりしねぇか?」


 

 何の関係もない話題を振られた雪白千蘭は、少しだけ固まってしまう。

 だが、初めて自分に欲情しなかった少年と話すのが怖かった部分もあり、嬉しい部分もあったため、返答を小さな声で返した。

「そうだな……鎖骨の中心ぐらいのところに、女の横顔のような模様があるぞ」

 自分の胸。鎖骨と鎖骨の間に手を添えて言った雪白。

 夜来初三は日傘を所持していないほうの手で頭を抱えると、一言、予想していたように呟いた。

「―――やっぱりか」

 やはり、夜来初三の予想は当たっていたようだ。

 最悪の予想だったはずなのだが、どうも的中してしまったらしい。

「どうかしたのか?」

「……お前、これから学校休め。あーもう本当に今日は厄日だわ、あのガキに連絡いれねぇといけなくなったし。っつか、そうなると必然的にあのチャラ男とツラぁ合わせんのかよ……いっそのこと今回を期にあのクソチャラ男を殺すってのもアリか?」

「は? なぜ―――っておい、ちょっと!」

 いつのまにか手を握られていた雪白千蘭は、咄嗟に振りほどこうと暴れだした。

 しかし夜来はジタバタと暴れる少女を片腕で抱き寄せると、力強く自分の胸に押し付ける。

「や、止めろ! やはり貴様も欲情していたのかっ!」

「少し黙ってろボケ。じゃねぇと―――舌ァ噛むぞコラ」

 途中から明らかに声音が低くなり、ゾッとするほど恐怖を覚えさせられる声だった。

 ようやく、雪白は夜来の様子がおかしいことに気づき、顔を上げて表情を伺ってみる。

 すると、

 夜来初三の黒髪で隠れていた右目の周りから右頬までに、呪いのような禍々しい漆黒の模様があった。

 タトゥーに近いものであったが、彼は外見年齢では自分と同じ高校生程度。どう考えてもタトゥーを入れるような歳ではない。

 そしてもう一つ気になったことが雪白にはあった。

 それは、


 前方から歩いてくる、先ほど痴漢をして捕まったはずのサラリーマンの男だ。


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