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日本神話シリーズ

逢瀬の仲介

作者: 八島えく

「イザナミぃ……」


 兄、イザナギが、半ば泣き言のように、義姉の名を呼ぶのを、私は横で聞いていた。正直うぜえ。


「……兄さん、義姉さんは、すでに黄泉の住人でしょう?中つ国で暮らす兄さんとは、会えようはずもないんだってば」

「そうは言ってもね、菊理……」

 多賀でのんびりと隠居生活を楽しんでいるはずの我が兄、イザナギは、暇さえあれば私の住む白山へとふらりとやってくる。

 私――菊理姫(くくりひめ)は白山に暮らし、そこから出ることはめったにない。月に一度と、神無月以外は、ずっとここにこもりっきりだ。


 いや、私のことはいい。兄だ。イザナギのことね。


 兄イザナギは、義姉イザナミと契りを交わし、大八島の国を作った。国だけでなく、八百万とおはします神々を生んだ。

 ところが、義姉は火の神カグツチを生んだ際に、カグツチの炎による火傷がもとでお隠れになった。それを嘆き悲しんだ兄はカグツチを斬り、妻恋しさに黄泉へと訪れた。


 そこで見た義姉は、かつての美しい嫁ではなく、腐敗した死体だったのだ。

 その姿にビビった兄は逃げて、こちらとあちらの境界を岩でふさいだ。

 その境界線で、ふたりは喧嘩した。


 こんな別れ方があっていいのだろうか。そういう情に流された私は、仕方なく兄の義姉の仲を取り持った。

 おかげで、和解はできた。

 お互い、合意のもとで、共に違う世界で生きていくことが決定された。


 ――――はずなのだが、この兄は未だに未練たらたらで泣き言ばかり言う。姪っ子や甥っ子はしっかりしているというのに、その父親たるこの馬鹿はどうしてここまでなよっちいのか。国常――国之常立(くにのとこたち)もなよなよしているが、それ以上のなよなよがいたとは思わなかった。おまけに身内だし。


「ナミ……ナミいぃぃ」

 いけない。酒が回ってきている。酒に強い兄が酒に飲まれている。

 相当飲んだな、この男。

 

「ナミに会いたいんだよぉぉぉ」

「会えない、って何度言えばわかるの」

「わかってるよ、菊。だけど理屈で割り切れないんだって……。あぁ、ナミ、私のナミ……」

 兄はまた酒をあおった。これ以上飲ませてこじらせてはいけない。私は近くに控えていた小さな神職に頼んで、酒を片づけてもらうよう、頼んだ。


「兄さん。いい加減にしないとぶつわよ」

「もうぶってるし……」


 兄と義姉が別れてから、どれほどの月日が経っているというのだろうか。初代はすでに隠れられ、今や十代くらいは受け継がれているかもしれない。神というのは、時間に疎いから、そのへんは適当だ。


 そんな長い時間、兄はいまだ義姉との未練が断ち切れていないらしく、定期的に私の元へやってきては酒をあおる。よそでやれ。いや多賀でやれ。


 その長い時間、聞いてやった私の辛抱強さも大したものだと、我ながら思う。多賀に放り投げればよいものを、兄というだけでここまで甘やかしてしまう自分に呆れる。


「会いたい……。ナミ……」

(…………うぜえ)

 言葉に出さないでいられた自分をほめる。


 しかし、このまま受け流して多賀に突っ返すのでは意味がない。兄が多賀に帰ったところで、忘れたころに私のもとへとやってくるだろう。それでは原因を解決したことにはならない。


 何とかしなければ。この兄に平穏を脅かされる私のために。


 ――そういえば。


 ふと、思い出した。小さな神職が、楽しげに書物を読みふけっていたことを。

 そう。文月七日。そういえばその日はもうすぐだ。


 私は、兄に助言してみた。


「兄さん、こういうのはどう?」



 果たして、その企みは成功した、ようだった。


 文月七日。一年に一度だけ、その日だけ、逢瀬が許される男女の伝説。


 それになぞらえて、私は兄にそそのかしたのだ。


「この伝説に倣って、兄さんも義姉さんの元へ通えばいいのよ。その日を楽しみにすれば、丸一年会えないことなんて何ともないことではなくて?」


 兄に聞いたら、こういうことだった。



「ナミ! 聞こえるかい、ナミ?」

「……貴方様? そちらにいらっしゃるの?」

「あぁ。今宵は少し、話をしたいと思ってね」

「おはなし、ですか。ええ、構いませんけれど……って、何をなさるんですの!!」

「何って、道反(ちがえ)しとってる」

「その大岩はこちらとそちらを隔てる大切な境界ですのよ! 貴方様、お気を確かに!!」

「失礼な! 私はいつでも正気だ」

「ではその正気を疑ってくださいまし! ……ってあぁあぁああ!!」

「よし、開いたっと。さて、面と向かうのは久しぶりだな。……あぁ、会いたかった。会いたかったよ、私のナミ」

「きゃ……っ。あ、貴方様……? 黄泉の者達が、そちらに行ってしまいます」

「大丈夫だ、上の許可は取ってある。黄泉のものは、国常兄さんがふん縛っておいてくれたから何も心配はいらない。邪魔者もいないしね」

「も、もう……貴方様ったら、強引なのはお変わりないのね」

「ふふ、それは昔から分かっていたことだろう。……ところでナミ、今日はどんな日か知っているかい?」

「今日? いえ、何も……。特別な祭事がおありですの?」

「あるっちゃあるけどね。ある伝説があるんだ。機織りの娘と牛飼いの男がいてね、ふたりはお互いを愛するようになったが、そのためにもともとの仕事をさぼるようになった。そしてふたりは別たれ、一年に一度だけ、逢うことを許された。その日が、今日なんだ」

「まぁ、そうでしたの」

「伝説で一年に一度互いを見ることができるのだ。私達とてその伝説にあやかって、一年に一度くらいは許してもらってもいいだろう」

「……貴方様」

「会いたかったよ、ナミ。キミは、綺麗になった」

「貴方様ったら……。わたくしも、貴方様を恋い焦がれておりましたわ。あまりの恋しさに、ふたたび身を焼かれるかと思った日が幾度あったことか」

「……ナミ。今宵は、いいかな?」

「……えぇ、お好きに」



「そんなわけでさあ。やっぱり新婚当初と変わらずナミはかわいくってさー! いや、下手したら新婚当初よりも初々しく可愛くなってたかもしれないな!」

「……あっそう」

 兄はその後、私のもとへと律儀に報告をしてくれた。どうやら、私の仲介は上手くいったらしい。

「そのあとはね、互いに文を交そうかってことで決定してね。それではね、菊! 多賀に戻ってさっそく文をしたためなければ!」

 酒もいい具合に身体に回っていい気分になったらしい兄は、上機嫌で行ってしまった。

 私には、ため息が残された。


 まあ、いいか。

 それ以降、兄は何かにつけて私のもとへ酒を飲みに来ることはなくなった。ただ、『その日』の翌日だけは、報告と称して私の所へ妻自慢に来る。

 そのアホ面に、思わず脱力せずにはいられない。


 まあ、兄のアホ面が幸せそうなら、それでいいか。

 夫婦の仲を取り持つのも、一苦労ね。

 私は、小さな神職を呼んで、共に酒と茶をたしなんだ。

七夕ですね。一年に一度だけ会うのを許されるという伝説を思い出したら、ふっとイザナギイザナミ夫婦のことが浮かびましてご覧の結果です。夫婦なかよくね!

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