終幕
見開かれた目は人間の物ではない。
私は無我夢中に剣を突き立てた。
分かっていた。
それが幼馴染の女性の体であるという事は。
理解していた。
それが私がただ一人愛したユリだという事は。
<これは悪魔ルードだ!>
そう言い聞かせる。
<これは悪魔だ!>
<悪魔ルードだ!>
しかし神魔ユーステフはやわらかなユリの胸に刺さっている。
私は、封印師なのだ…。
頬に熱い物を感じる。
手で拭うと真っ赤な血が付く。
これは…ユリの血…。
「ぁ…あぁぁ…。」
私は悪魔を殺した…。
恐怖が私の手を動かした。
でも、これは…これではユリは…。
<私はユリを殺した>
「うぁああああ!」
絶叫が迸った。
声で世界が壊れてしまえば良いと思った。
涙が溢れ出る。
このまま何も見えなくなれば良いと思った。
私はユリの体を抱きしめる。
このまま。
このまま…。
「ユリィィィ!」
「…ア…アキ…。」
静かな声が私の耳に聞こえる。
ユリの小さな、小さな声。
目を覗き込む。
そこには琥珀色の昔から知っている幼馴染の瞳。
「…ユ…リ?」
キュン!
突然音を立てて神魔ユーステフが光る。
ユリの胸の辺りから光り始めたそれは、柄まで辿り着くとスゥと溶ける様に消えてゆく。光の粉がユリの体に降りかかり、いつしか剣は消えてしまう。
なに…が…。
いったい何が起きているんだ?
ユリの胸には剣も、そして傷や血の跡すら残ってはいない。
「ユリ!」
私はもう一度だけ、恐る恐るその名を呼ぶ。
長いまつげが震えながら動いた。
「何で…来てくれなかったの?」
その言葉に胸倉を掴まれたような気がした。
「ずっと、ずっと好きだったの…アキの事。
でも…みんなが…だから仕方なかったの…。
仕方なかったの…それなのに。」
ユリの頬を涙が伝う。
「それなのに…あなたが優しいから…私…。」
白い指が私を探す。
そして目に見えない障壁に邪魔されたように崩れ落ちてゆく。
「…。」
「ユリ?」
「…ご…めん…ね…。」
力を無くしユリの首がカクンと落ちる。
「ユリ…?ユリ!」
私は細い体を抱きかかえた。
この陰鬱な場所を離れるために。
ユリはそれから2日ほどして目を覚ました。
しかしユリには何もなくなっていた。
子供の様な白紙の心。
私の事も覚えていない。
今まであったことすら…。
私は彼女を連れ、誰もいない土地へと住居を移した。
二人にとって忌まわしい記憶しか残らない場所を離れたかったから。
適当な土地を見つけると2人で隠れるように暮らした。
子供の様なユリの世話をする事は私にとっては喜ばしく、むしろ幸福な事だった。
そんな生活をする中で気がついたことがある。
ユリは人のものではない不可思議な力を時々使うのだ。
推測に過ぎないが、それは恐らく悪魔ルードの力…。
あの恐ろしい悪魔はユリの中に潜み、外へ出る機会を待ち続けている。
そしてもう一つ。
ユリの中には、私の愛した、そして私を愛さないユリの精神がある。
ただそう信じたいだけなのかもしれない。
私の想いが変わらぬのと同じように。
そして今のユリはそれらにまるで蓋をするように、無垢な少女の姿を現している。
これは私が望んだ結果なのかもしれない。
いつか彼女の封印は破られる。
それが「ユリの記憶」か「悪魔の力」かの違いだけだ。
そうなれば私達にとって世界など意味をなさない物になる。
記憶はユリを壊し、私をも壊すだろう。
力は世界を壊し、人を滅ぼすだろう。
だから、全てを白紙にしてしまえば良い。
結婚した事も。
陰湿な嫌がらせも。
私が、そして彼女がお互いの気持ちを裏切った事。
苦しみや、あの土地の力が私達の心を狂わせた事。
全て。
全て消え去ってしまえば良い。
そんな私の邪まな願いをあの土地に蔓延る悪意が叶えたのだとしか思えない。
その狭間で壊れてしまったユリの心。
これは、私の望んだ結末。
それが目の前の少女。
陽が大きく傾き、草原を金色に染めてゆく。
風になびく金色の音譜は夕闇の到来を告げる。
「さぁユリ、そろそろ冷えてきたよ。お家に入ろうか。」
私はユリの手を取り、暖めてやるように抱きしめる。
温もりを求めるようにしがみつく身体。
でも私には決して忘れる事の出来ない記憶。
その所為で…。
私の所為で…。
脆弱な封印は破られる事になるだろう。
そして世界はじきに終わりを告げる。
だから。
だから今だけは、この幸せを。
一緒にいられる幸福を。
ほんの一瞬だけの幸せでも。
そんな、私達の間にある「封印」が今は平穏を保っている。
<終>




