2幕
「アキ。」
背後から控えめな優しい声。
振り返るとユリが立っている。
小柄な彼女には大きすぎるほどの籠を抱えている。
「わざわざ持って来てくれたのかい?私が取りに行くと何度も言っているのに…。」
ユリは静かに顔を横に振る。
それもそうだ。
封印師など村の人々に忌み嫌われている存在なのだから。
それに誰もこの封印の地には近寄ろうともしない。
それ程悪魔ルードの名は人々の心を震え上がらせる。
潜在的に、村の誡めとなるほどに、悪魔の腐臭は封印から染み出し人の心を汚染していた。
穢れを恐れ、呪いを恐れ、誰も触れようとはしない。
ただ一人、ユリを除いては。
「ありがとう。もう村に帰った方が良いよ。」
ユリは頷くが一向に帰ろうとはしない。
多分。
彼女にとってもあの村には居場所が無いのだろう。
出戻りの女に世間は冷たい。
例えそれが彼女の所為ではなくても、だ。
「…そうだ、ユリ。ちょっと待っててくれるかい?」
ユリの返事も待たず、一人で暮らす粗末な小屋へと走り出す。
これ以上は耐えられない。
ユリの顔を見ていると心がおかしくなってしまいそうだ。
私は、ユリの事を…。
暫らく考えないようにしていた想いが心の中を駆け巡る。
たまらなくなり私はその場を逃げ出した。
私が封印師としての修行の最中。
ユリの婚礼の話が進められていた。
隣の村の豪商の息子との結婚。
容姿、性格ともに問題は無く、誰もが幸せな結婚だと思った。
でも実際のところ回りの人間にユリは強要されていたらしい。
理由も言わず、ただひたすらに断り続けるユリ。
しかし回りはそれを認めない。
そして理由が無いのならば、と半ば無理やり推し進められてしまったのだと聞いた。
隣の村での華やかな結婚式。
盛大な互いの村の祝福。
彼女の本心とは裏腹に幸せな結婚になるはずだった。
でも、悲劇はその夜に起こった。
聖なるアウラの神秘の香に刺激された魔獣が村を荒らした。
手当たり次第に27人を食い漁ったのだ。
その中には彼女の伴侶となった男の姿もあった。
幸福なはずの夜は、魔獣により引き裂かれてしまったのだ。
そしてユリは元の村に戻る事になる。
人々は囁きあう。
「結婚を快く思わなかったユリの仕業じゃないのだろうか…。」と。
私がその事を知るのは、事件後1ヶ月も過ぎての事だった。
子供の頃から密かに想いを寄せていたユリ。
彼女がそんな目に会っていた時、私は何をしていた?
俗世を捨て、修行に明け暮れ、先生の死に悲しんでいただけだ。
私が封印師を目指したのは、世界を、ユリを守りたいと思ったからではなかったのか…。大事な物を守れない不甲斐なさ。
私は無力感に打ちのめされた。
封印師としての使命を投げてもユリの傍に行きたかった。
でも、それは叶わぬ出来事。
神の前で夫婦になる事を誓ったユリは、断じて私などに身も心も許すはずが無い事を理解していたから。
なのに…。
それなのに彼女は私の前に現れた。
封印師となった私の身を案じての事だと思った。
逃げ場が何処にも無かった事もあるのだろう。
幾度となくユリは此処を訪れた。
食べる物や身の回りの必需品を手に、多くを語るわけでもなく、ただ静かに微笑みながら私の顔を見つめる。
ただそれだけの事だった。
私はそのつど淡い希望を断ち切り、彼女に当り障りの無い返事をするので一杯だった。
だから、それも何気ない事だと思っていた。
修行の合間の時間で、私は思いついた副業に手を染めていた。
木片を削って作った髪飾りや腕輪など。
少しでも生計を立てられればと思い、作り始めたところだった。
初めての完成品をユリに手渡した。
木にもたれかかる少女を模したこぶし大の髪留め。
自分では上手く出来てると思うし、何より彼女の心がそんなもので少しでも安らげば、との想いもあった。
ユリは髪留めを両の手で握り締める。
小さな声で「ありがとう」と呟き、村へと続く坂を下り帰ってゆく。
そんな何気ない事だった。
しかし後に彼女の秘めた想いを知ることとなる。
狂気はすでに始まっていた…。




