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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第四章:ニヴルヘイムの亡霊-2『戦士の館』
90/91

90. 湯川相互作用及びその他の物理定数も我々の時空と少々異なっていると推測されるある異世界に於ける高性能熱攻撃兵器を用いた時空間転位実験及び災害時の帝制国家に於ける救助の優先順位の一例を示す実例

 理由なんか必要無かったのだろう。

 死を恐れた事も無い。死なんか所詮は通過点に過ぎず、自分たちには“その先”がある事を、少年は疑った試しなんか一度も無かったのだから――。


 崩れかけたビルの下にある、分厚い鉄扉に閉ざされた部屋の中だった。人一人が隠れ家にするには丁度いいが、パーティーをするには少々物足りないような、薄暗い空間。嘗ては“シェルター”と呼ばれていたらしいその場所は、文明が崩壊した現在、少年にとって最も都合が良いアジトの一つとして機能していた。


 少年は小さな武器商を営んでいた。とはいえ、政府も社会も失われて久しいこの世界のことだ。彼の商売は工業的に、組織的に、大規模な投資を元に製造した正規の商品を売り捌く訳では勿論無い。


 だから少年が扱う商品は、瓦礫の山の中から掘り当てた武具を適当に修理・改良し、見栄えを良くして実用に耐えるようにした程度の代物に過ぎなかった。

 ――ロストテクノロジー、オーパーツ。

 嘗て栄華を極めた文明の遺物には幾つかの呼び名がついてはいたが、少年にとってそんな一文の得にもならないような知識はどうでも良い。ただそこにソレがあり、便利に利用出来るという事さえ知っていれば、彼にとってはそれで十分だった。


 自分が売る商品を、少年は決して一から生み出さない。

 だが、物に手を加えるには十分な知識が要求されるのも、また事実だった。

 或いは動作原理を知らずに時計を分解しても、修理はおろか満足に復元することすら出来ないように。経年劣化した過去の遺物に再び命を吹き込むには、少なくともその中身について十分以上に知り、その知識を必要に応じてアレンジし、使用するだけの器量を要求されるのは当然だと言える。


 つまるところ。少年は一から武具を生み出す訳ではなかったが、商売を営むに必要十分な知識を備えてもいた。

 だからこその武器商人(アームズ・ディーラー)

 瓦礫の山から引っぱり出される数々の遺物。その中身を理解し、自在に手を加えて命を吹き込むという作業に限り、少年は自らの腕に絶対の自信を持っていた。右に出る者は居ないとすら思っていた。アジトを転々としながら武器を売り捌く少年の店には、しかし少年の腕を見込んだ常連たちが、どこで嗅ぎつけたものか当たり前のように集まってくるのだった。


 ――何一つ欠ける物の無い、平和で平凡な日々だった。


 もちろん、法や政府といった概念が消失して久しいこの世界だ。生きていれば、当然にして生き死にを掛けた争いに巻き込まれることも少なくない。

 だが幸いにして、少年は武器商人(アームズ・ディーラー)だった。強力無比な武器を自在に扱える彼は、いざ荒事となれば単純な火力の差で負け知らず――無敵だった。

 お陰でこの不安定な世界にあっても、彼は三大欲求にも衣食住にも、特に困った試しは無かったほどだ。


 そして、それはこの日も同じ筈だった。

 きっとこの日だって、いつもと何の代わり映えもしないような、平凡なスリルと血煙の退屈が支配する時間が流れていくのだろうと。少年は漠然とそう考えて、疑う事すらしていなかったのだ。

 そう。ほんの10~20分ほど前に、ソイツがやってくるまでは――。



 理由は最後まで分からなかった。いや、きっとそんな物は必要なかったのだろう。ソイツがそういうヤツである事を、少年は誰よりもよく分かっていた。


 始まりは静かな出来事だった。

 デスクでその日売り捌く予定の商品を準備していたとき、少年は唯一の入り口たる鉄扉が、音もなくゆっくりと開き始めるのを目にしたのだ。鉄扉は、風で開くには少々重い。だから、これは人為的な現象なのだろうと少年は思った。人為的な現象なら、外に仕掛けた感知器のどれかが、事前に訪問者の存在を通達していなくてはならない。少年の記憶にある限りそんな事実は無かったのだから、つまりこれは、感知器が何らかの理由で故障したか、或いは訪問者が感知器を回避するなり解除するなりして、こちらに気づかれないように配慮して行動しているという可能性を示唆していた。


 ほんの数センチ開いた鉄扉から、何者かの腕が差し込まれた。ヌッと伸びた腕の先で、握られた拳は黒光りし、長い筒がくっついた手鋼のような物が嵌められているのだと分かる。

 ――STRIKER32。

 道具の正体を、一目で看破出来たのは当然だった。何しろそれは、嘗て少年自身が発掘し、カスタマイズした商品の一つだった。爆破による大量殺傷が可能な“炸球”を飛ばし、人間の発する熱を感知して自動的に照準を合わせる機能まで付けた、自信作であった。


 そう理解した時には、ソイツは何の前触れも無く撃ってきた。

 STRIKER32の自動索敵機能が少年を見咎め、異形の指のような砲口が耳触りな駆動音と共に向きを変え、赤く火を吐く。直径僅か数センチの炸球は、しかし部屋の中央まで飛んだところでこの世界の物理法則が可能にした超高性能爆薬を発火させ、準備中だった数十点の武器と共に部屋の半分を消し飛ばした。

 少年は既に鋼鉄製のデスクの影に伏せていたので、致命傷は負わなかった。しかし吹き飛んだ瓦礫と衝撃波に煽られ、彼はデスクごと吹き飛んで奥の壁に全身を打ち付けた。

 激痛に目眩がして、骨が軋んだ。だが、気にしている余裕なんかある筈も無い。

 擦り傷と裂傷と打撲による痛みを無視しながら、少年は片膝を突いて身体を起こし、腰に巻きつけたベルトから“溶炎銃”を抜いて構えた。


 ソイツはまた撃ってきた。

 だから、少年は撃ち返した。


 ソイツの指から射出された炸球が、溶炎銃から高速射出された高温液体金属に飲み込まれ、派手な音を立てながら彼我の真ん中で爆散した。視界が遮られるのも意に介さず、STRIKERの銃口は触覚のように少年を追う。その駆動音が僅かに変わった瞬間、少年はデスクを蹴りあげて即席の盾にし、そのまま右に回り込むようにして部屋の壁沿いに駆け出した。

 STRIKERの構造は分かっている。銃口から炸球が飛び出る瞬間の、あの独特のノイズを少年は覚えている。少年の予測通りのタイミングで射出された炸球は、既に少年が消えた後のデスクを今度こそ粉々に消し飛ばし、その頃には少年は溶炎銃を既にソイツの顔面に向けていた。

 粉塵の壁がようやく少しマシになり、塵のカーテンの向こうからソイツの顔が現れた。見知った顔だ。何しろ少年の兄だった。

 少年の記憶にある限り、STRIKER32を買い取っていったのは兄ではない。つまり兄は武器を買い取っていった客を殺し、奪い取ったということなのだろう。

 この世界では、よくある話だった。


 少年は引き金を引いた。一瞬たりとも迷わなかった。赤熱する液体金属の雨が放射状に広がり、敵の身体を飲み込むように迫り、蒸発音を奏でる。兄は床を転がるようにして身を捻ったが、至近距離で放たれたそれは避けきれる物では無い。

 兄の左腕の肘から先は液体金属の波に飲み込まれ、肉汁を飛び散らせながら一瞬で炭化した。もう二度とは使い物にならないだろうと思った。


 少年は勝ちを確信した。

 兄と命を取り合うのは初めてではない。数えるのが難しい程度には殺し合ってきた。だが決着が着くときは、いつだって呆気ないものなのだと彼は思った。



 ――そう思った瞬間。

 ポスッ、という、軽い音が聞こえた気がした。



 やけに息が苦しくなって、胸を見た。ふと、違和感。蜂の尻を切り取ってそのまま数十倍に拡大したみたいな針が、三本。肋骨の隙間を縫うようにして、少年の胸部に深々と突き立っていた。

 それは今日から少年が売り出す予定だった、新作の無音ニードルガンの弾だった。

 少年は、反射的に敵を見た。その右手が、床に転がっていた自分の商品の一つを掴んでいるのを見て、そして、少年は自分が何をされたのかようやく理解した。


 肺を直接焼かれたような錯覚があった。

 気が付くと、少年は絶叫していた。聞く者がいれば獣のような咆哮に聞こえたかもしれないが、もしかしたら蚊の鳴くくらいの声しか出ていなかったのかもしれない。

 叫ぶ少年自身には、それすら分からなかった。ただ、胸の奥にゴポゴポと水が溜まっていくような感覚がして、陸に居るクセに溺れてしまいそうな予感だけがあった。それでも意識には、どこか冷静な部分があったのか。少年は漠然と、胸に刺さったニードルの内一本が、心臓を掠めているのを理解した。


 一目で致命傷だと分かった。生命そのものがスゥと抜けていくような感覚に寒気がしたが、新たなニードルがミシン目のように体幹を斜めに穿ったせいで、その感覚すらも消え失せた。

 すぐに、ただ寒くて、苦しいという感覚だけになった。

 隙間なく打ち込まれた針で、右脚は根本から千切れかけていたが、もう痛みすら感じなかった。


 ――ここで死ぬのだと理解した。

 何の疑問を挟む余地も無い。他の解釈が一切出来ないほどに見事な“戦死”。ならばこの寒気と眠気に任せて目を閉じて、次に目を覚ました時には、自分は“楽園”で自分の両親にでも囲まれているのだろうと少年は思った。先にアッチに行っている顔見知りと、久しぶりに酒を酌み交わすのも悪くない。ここでこのまま眠るとしても、それはそれで、きっと問題の無い幕の引き方だろう。

 何の目的があるのか。兄は少年に一瞥すらくれず、店の奥に入っていこうとする。

 急速に暗くなっていく視界で、少年は見るでも無くその背中を眺めていた。


 不意に、脳に焼けるような感覚が走った。

 言葉にならない感情が血管という血管から吹き出して、飽和する。ただ、漠然と、今しがた自分の中を過ぎった考えに、“冗談だろ”、とだけ、思った。


 だって、死ぬ? 自分が? このまま? 何もせずに、大人しく? あの(・・)兄貴に殺されて?

 そんな事は、あり得ないと思った。あまりにもあり得なさすぎて、少年は血反吐すら吐きそうになった。


 そう。このまま自分が死んだところで、見ている方としては面白くも何とも無かっただろう。剣闘観戦が趣味の神様だってご立腹だ。ならば先にアッチに行ってる連中にデカい顔をされないためにも、このまま何もせずにくたばるなんていう選択肢は、とう考えたってあり得てはならないのではないか。

 ――そう。

 最期はせめて、大きな花火を――。


「ニシシ……、待てっつの」


 兄の背中に呼びかける。

 掠れて殆ど声になっていなかったが、少年にはそれだけで十分だった。

 ――意思表明ができれば、それでいい。


「なぁに勝った気になってんだ、ごら……。

 おれっち、ま~だピンピンしてんじゃねぇかよ……」


 四肢の感覚は殆ど無かった。それでも、たった数センチ。それだけ指が動けばそれで良かった。

 ここは少年のアジト――つまりは本拠地なのだ。武器商人(アームズ・ディーラー)を営む少年は、痕跡を残さずに速やかに隠れ家を変えなくてはならないことだって多かった。

 自分の命を勘定に入れなければ、自分の痕跡ごと闖入者を葬り去る方法くらい、それこそ掃いて捨てるほどにある。

 麻酔でも打たれたように痺れる指を動かして、少年はベルトに留めた、そのスイッチを引いた。

 自分自身に幕を引くために。強く、力の限りに。

 ニヤリ、と。どこまでも、不敵に笑いながら――。


「――ほんのチョイとのお別れだ。続きは"館"でしようぜ、クソ兄貴!!」


 ピンが抜ける音が響いた。瞬間、部屋の壁という壁、隙間という隙間から許容量を越えた閃光と熱風が吹き出し、全てを飲み込んだ。驚愕に目を剥いた兄の顔が一瞬で溶解し、少年の視界から消え失せる。流石は嘗て世界を焼いた兵器の余り。この狭い部屋で暴走させれば、標的は骨の一欠片すら残りはしない。

 時空が歪む程の熱量に、少年は自分の存在そのものが分解されていくのが分かった。その感覚も長くは続かず、音とも呼べない爆音と一瞬の衝撃の後に、ブレーカーが落ちるようにプツリと意識が暗転する。そして、それを最期に、少年は消えた(・・・)

 ――ああ、これが“死”なのだと。その時、少年は漠然とそう理解した。




 永遠とも刹那ともつかない時間が流れた。死んでいた意識が再構築され、目を覚ます。瞬間、少年が感じたのは、冷たくて硬い床の感触だった。

 ――果たして、ここが天国なのだろうか?

 いや、それにしては――。

 唇と鼻の上当たりに感じる、この頭部を押し付けられるような重圧は、いったい――?


「ほう。現れて早々に予の足を舐めるとは、随分と躾の行き届いた犬だ。

 家畜としてこき使ってやるつもりでいたが、愛玩動物程度には格上げしてやっても良いかもしれんなぁ」


 傲岸不遜な声と共に、顔を床に押し付けていた重圧が、スッと消えた。

 そして、少年は酷く困惑した。彼が感じていた重圧の正体は、靴――その女が履いていたヒールが、何故か自分の顔面に乗っていたからだったのだ。

 未だ思考が追いつかない少年を見下ろしながら、正体不明の女は、ただ不敵な笑みを零して、


「喜べ、異界の犬よ。

 たった今、この瞬間より。貴様は下僕として、予の玩具となる事を許す!!」


 そしてその女――メルクリウス・フィンブルエンプは、高らかに笑ってそう宣言した。

 それが少年――マルスにとっての、この世界に訪れた最初の日の記憶であった――。



―――――



 宿の屋根を滑り落ちる雪の音に、マルスは現実の世界に意識を引き戻した。長旅の疲れは取れたようだが、曇天のせいか眠気は残っている。冬が長いこの国のことだ。他国が春を迎える頃になっても、雪空が残るのは珍しい事ではなかったが、それだけを原因と思い込むには、今日の目覚めは些か気分が悪すぎた。


「……クァ~っと、イヤ~な夢見ちまったじゃね~の」


 犬歯を剥き出しにして大アクビをし、伸びをする。声帯を動かすとまたあの感触(・・・・)が蘇ってくるようで、マルスはダルさと不快感にツバを吐きたくなった(ヒールの方ではない。念のため)。

 雪国特有の二重窓から外を覗くと、既に太陽は随分と高い。朝食が無駄になったらしい事に些細な苛立ちを覚えつつも、マルスは頬を二度三度と軽く叩き、それで意識を切り替える事にした。

 ――このまま、無駄に時間を浪費し続ける訳にはいかないだろう。

 寝ている間に何か事情が変わっていることを希望しつつ、自分の置かれた現状を確かめるために、マルスは身支度を整えて宿を後にした。



 もうじき昼になろうかという町並みには、魔犬(ガルム)に引かれる犬橇(いぬぞり)が忙しく行き交っていた。荷台には本来なら流通用の物資が積まれているはずだが、今は屈強な男たちが数人身を寄せあって、不機嫌な顔を突き合わせているだけだ。

 男たちの手にはラサやルナス、ヴォアといった掘削・雪かき道具が握られているのが見えた。


 東の街道へ進んでいく犬橇を眺めながら、マルスは帽子(頭頂部の耳を隠すために用意させられた)の隙間に指を入れて、苛立たしげに紅蓮の髪を掻きあげた。

 通りの端に目を移す。そこには周囲を申し訳程度に雪かきされたベンチがあって、昼間からホットワインを飲み耽っている中年男が腰掛けていた。右手には赤い酒が入った断熱グラス。反対の手には、折り畳んだ新聞を摘んでいる。

 その手の端から零れた見出しが、ふとマルスの視界に飛び込んできた。


『街道、未だ復旧ならず』


 マルスは舌打ちして、足元の残雪にツバを吐いた。だが慌ただしく動きまわるこの街の人間は、誰も彼の行為に目を留めるつもりも無いようだった。



 ――氷の国中域・エルドの交易町。

 地の国の砂漠を一日で突っ切った彼が、西方に於ける地方流通の拠点となっているこの街に到着したのは、一昨日の深夜ことであった。交易町とは言っても名ばかりで、実際には只の寂れた集落地という印象の方が近い。本来ならマルスは、昨日の時点でこんなシケた町にはさっさとおさらばして、今頃は美味い酒と愛すべき(・・・・)ご主人様が待つ帝都に到着している予定であった。

 それがあくまでも“予定”で終わってしまったのは、彼にとって時期と立地の両方が、あまりにも悪い方向に噛み合ってしまった、としか言いようが無かっただろう。


 獰猛なる氷河帝国・氷の国(フィンブルエンプ)

 マルスが召喚されたこの国は、ほぼ年間を通して雪と氷に覆われる極寒の地にある事で知られていた。それは即ち、短い夏を除けば国土から雪が消えることがない、という事実を示しているのではあるが――それは別段、その時期以外には雪が全く溶けないということを意味している訳ではない。

 夏が近づくにつれて気温が緩やかなカーブを描いて上昇していくように、冬の間に積もった残雪も、凝結と融解を繰り返しながら徐々にその体積を減らしていくのである。


 結論から言えば。北半球に春が訪れたこの季節、氷の国の各地では雪解けが始まり、分厚い雪層の下には小川すら出来始めていた。

 雪解け水は斜面に留まっていた氷雪を滑らせ、その下の地盤すらも緩ませる。

 即ちこの時期の氷の国では、ほぼ毎年、恒例行事の如く、各地で雪崩や土砂崩れが頻発し、毛細血管を塞ぐ血栓のように各地の交通網を遮断し始めるのであった。

 ……その内の一箇所が、この町から帝都に続く唯一の街道のど真ん中に直撃してしまったのは、彼にとって正に不運だったとしか言えなかっただろうが。


 雪崩発生当初は、町の住人も随分と楽観視していたのだという。なにしろ、ここは曲がりなりにも交易町なのだ。幸いにして雪崩の規模は大きくなく、しかもエルドの交易町は、地方の山村に比べれば帝都にも近い。帝都に至る唯一の街道が埋まったのなら、真っ先に帝都からの援助が寄越されるだろうと考えるのは当然の話であった。実際、当時の彼らは、精々二、三日もあれば街道の復旧作業は終了するだろうと考えていたという。


 ――だが、実際にはそう上手くはいかなかった。

 何しろこの時期の氷の国は、どこもかしこも室温で放置したシャーベットのような有り様なのだ。各地の街道は大小含め、老人の脳味噌のようにあちこちがつかえ、いかに帝都の国軍とて、とてもじゃないが全てに手を回している余裕など無い。

ならば優先順位が付けられるのは当然の話であり、あいにくとこの町は、どうやらその為の抽選から漏れてしまったようだった。


 考えてみれば当たり前だ。何しろ今年は東方、つまりは銀の国方面での街道の閉塞率が、誰かが狙って潰しているかのように異常に高いのだ。そうして孤立した地域の中には、直ぐに物資を届けなければ消滅しかねない小規模な町村がいくつもある。あくまでも地方流通の通過点でしかなく、また帝都と連絡出来ずとも暫くは自活可能なこの町が、後回しにされるのは人道的に酷く自然な流れであった。

 実際。マルスが到着した一昨日の段階では、既に当初見積もられていた三日の間、この街は帝都に対して孤立無援の状態となっていたという。


 救援が来ないのなら、自分たちでなんとか復旧作業を進めようというのだろうか。犬橇に引かれていく憮然とした顔の男たちを眺めながら、マルスはつられるような不機嫌さで舌打ちをした。

 別に自分が足止めを食っているこの街に、救助を寄越さないメルクリウスに対する不満ではない。不機嫌そうな男たちの顔を見ている間に、寝覚めの悪い夢に出てきた、思い出したくも無い嫌な顔を思い出してしまったというだけの話であった。


 ――兄を恨んでいるつもりは、別に無い。


 この世界に来る以前のことだ。少年が本来の生を謳歌していたあの世界で、少年は数えきれない程の数、兄と命を取り合ってきた。

 切っ掛けが何だったのかは覚えていない。どっちかがどっちかの女に手を出したか、或いは酔った勢いでぶん殴りでもしたか――まあ、覚えていないくらいなのだから、本当に大した事情じゃ無かったのだろうと少年は思っていた。

 些細なことで馬鹿笑いして、酒を酌み交わして、気に入らなければ殺し合う。

 それが少年にとって当たり前の毎日であり、だから実の兄と殺し合う事になろうとも、それはその日常の延長線上にある当たり前の一つだと思っていた。


 ――殺して、殺して、殺して、殺し合って。そして、最期は誰かに殺される。


 それが人生の全てだと思っていた。“死”なんていうのは、どうせ通過点に過ぎないのだ。生前に十分な強さを見せつけた英雄は、死後は剣闘好きの神様に迎えられて、そこで先に逝った連中と馬鹿騒ぎして永遠の時を過ごす。――戦士の館、楽園だ。現世なんていうのは、結局はその為の只の修行期間に過ぎない。


 兄と殺し合って派手な最期を迎えた自分は、間違いなくそこで父や祖父に囲まれて目を覚ますのだろうと思っていた。

 それで、一緒に送られてきた兄と、酌でもし合って拳を突き合わせてから、また馬鹿騒ぎ。

 そんな日々がこれから永遠に続いていくのだと、少年は一度たりとも疑ったことすら無かった。

 ……まあ、そういった意味で言えば。

 自分を拉致して“死”から遠ざけやがった“あの女”は、筆舌に尽くし難いほどに余計なことをしてくれたという事になるのではあるが。


「マルスくん」


 だが――今の少年は、時々ふと思う。

 例えばそう。自分はあの瞬間、間違いなく死んだと思った。これで終わりだと思ったのだ。

 だが実際には、こうして千切れた脚にすら傷ひとつ無い姿で、あの女に飼われながら無様に命を繋いでいる。

 もしもあの瞬間、あの最高のタイミングで死ねなかったのだとしたら――。

 そしてもしもこの世界に、本当に神様なんて野郎が居るのだとしたら――。

 この現状は、あの時は死ぬにはまだ早かったという、ソイツからの何よりのメッセージだと言えるのではないか?


「マルスくん」


 ――少年は、尚も考える。

 もしも、あの瞬間が死ぬべき時で無かったとして――ならば自分には、一体何が足りなかったと言うのだろうか。

 力は十二分以上に付けたつもりだった。争い事には負け知らずで、武器商人(アームズ・ディーラー)マルスの名を聞けば、殆どの連中は媚び(へつら)って、震え上がった。

 演出も完璧だった筈だ。幾度と無く殺し合った、因縁の兄を道連れに、大きな花火を打ち上げての“戦死”。これ以上は望めない、最高の最期だった。


 なのに――それでも神様の野郎は、自分を“戦士の館”に迎え入れはしなかった。

 おまけにこんな、数日前には殺すべき連中と馴れ合いのような場にまで連れ出されて、今はこうして、まるで“立ち止まれ”とでも言われているように、敵国にも帝都にも行けない状態で足止めを喰っている。


 もしも本当に、神様なんて野郎が居るのだとしたら――。


 そいつは自分に、これ以上、一体何を期待しているのだろう?


「マルスくぅぅぅぅうううううんッッッ!!」


「――って、は!?」


 突如として、少年の思考は吹き飛んだ。何者かが帽子に指を突っ込んで少年の犬耳を引きずり出し、その中に音響兵器と見紛うほどの、強烈な音の弾丸をねじ込んできたのが原因であった。

 三半規管が麻痺して、少年は一瞬だけ白目を剥いた。だが昏倒だけは気合でどうにか留まりつつ、取り敢えず、自分の耳を引っ掴んでいるソイツの顔面目掛けて、全力で拳を振り抜いてみることにした。


「フミュッ」と、間抜けな声が聞こえた。顔面に裏拳をお見舞いされたソイツは、酔っ払いのような千鳥足でよたよたとふらついて、雪の積もる地面に尻もちをつく。

 自分を見上げるそのソバカスの少女を見て、マルスは「は?」と、気の抜けたような声を出した。


「な、ふぉ、フォル? テメェ、何でここに居んだよ」


 そこに居たのは、紛れも無くマルスの世話係――宮廷使用人のフォルであった。いつものようなメイド服では無く、安物の旅服の上に防寒着を重ね着しているが、間違いない。この、我を忘れて少年に絡んでくる感じと、見ているだけではっ倒したくなるようなヌケた(・・・)顔立ちを、少年が見間違える筈も無かった。


「うぅ……。ひ、ひどいですよぉ。

 せっかく、久しぶりにマルスくん見つけて、嬉しかったのにぃ~」


 フォルは目端に涙を溜めて、相変わらずの舌っ足らずな口調で言う。

 ……質問に答える気が無いようなので、マルスは無言で拳を握った。

 フォルはピクリと肩を跳ねさせて、アワアワと手をパタパタさせながら、急いで口を開いた。


「ご、ご主人様から!! ご主人様から、お暇を頂いたんですよ~!!

 その、久しぶりに、里帰りしてもいいって……。ここ、わたしの古里ですからぁ……。

 ほ、ほら、いまご主人様、イロイロ忙しいみたいですから。

 なんか、『今は貴様で遊んでいる暇など無い。予が皇務に飽きるまで、暫し休暇でも取るが良い』って……」


「メル嬢が忙しいのにぃ、な~んでテメェが宮殿から追い出されるのかなぁ~?

 テメェの本職召使いだろが居た方が邪魔ってどんだけだこのポンコツ駄メイドがぁ!!」


「ひぅ……!! ご、ごごごめんなさい、お、お仕事下手でごめんなさい!! たまにつまみ食いとかしてごめんなさい!! 窓とかタイルとかイロイロ割っちゃってごめんなさい!! ポンコツでごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ……」


 フォルは地べたにへたり込んだまま、威嚇された小動物のようにビクビクおどおどと身を震わせた。“イジメてください”と言わんばかりのその仕草に、ご希望通り何を言ってやろうかと思案し始めたところで――ふと、何かがマルスの目に留まった。

 外行き用のつもりなのか。フォルは地味な肩掛けのポーチを下げているのだが、雪国だけあってけっこうな厚着をしているというのに、白いベルトが身体の中心線に、微妙に深い影を落としていた。


 マルスは最近気が付いたことなのだが――、フォルは、意外と胸がある。

 アレだろうか。氷の国の女というのは、基本的にみんなこうなのだろうか。寒さに備えて栄養を蓄えているのだろうか。某白い姫や赤い魔女のスペックを目の当たりにしているマルスとしては、そんな、男としてはどうしても気になってしまう問題について考えつつ、やっぱり総合的に考えて、コイツをついイジメてしまう自分はけっこう正常なのではなかろうか、なんて割りと身勝手な結論を出してみる。


「あのぅ、そのぉ……」


 そんなマルスの、不穏な思考を悟ったように。

 フォルは謝るのをやめて、顔を上げた。

 「あん?」とぶっきら棒に返すマルスに、フォルは少々意外な言葉を続ける。


「もしかしなくても――、マルスくん、ご主人様のところに帰れないん、ですよ、ね?」


「……、はぁ?」


 マルスは、ピクリと器用に片眉を上げた。

 何やら、見るからに不機嫌そうな顔であった。


「え? なに? お前、おれっちにケンカ売ってんの?」


「へ? い、いえ!! 違うんです!! そうじゃないんですよぉ~!!

 あ、あの、あの、その、あの、あの、ほら。この町、いちおうわたしの古里ですからぁ。

 いろいろ知ってるところとかもありますし、絶対にマルスくんよりは詳しいですし、だから、あの、その、あのぉ~……」


「……、…………」


 必要な情報が半分も含まれていないフォルの言に、マルスはハァ……、と、とても残念そうに息を吐いた。

 ――なるほど、張られたいらしい。

 イライラを隠そうともせずに右手をグッパグッパさせ始めたマルスに、フォルはビクッと肩を跳ねさせて、しどろもどろになってアワアワし始めた。


「あ、あの、だ、だからぁ~!!

 その……。も、もし、良かったら……。案内、とか、してあげたいな~、なん、て……」


「は? 案内だぁ?」


 思ってもみないフォルの提案に、マルスは目を丸くした。

 ニィッ、と。犬歯を見せて、愉快そうな笑顔を見せる。


「なんだぁ? フォルよぉ。テメェ、一丁前におれっち誘ってんのかぁ?」


「……、………………はい」


 茶化すようなマルスの言葉に、フォルは一層身体を小さくした。俯きがちの頬はリンゴみたいに真っ赤になって、今にも湯気が出てきそうな勢いである。

 ――恐らく、言ってみたら思ったより恥ずかしかったのだろう。


「え? マジ?」とマルスが聞き返した。

 フォルは、マルスの目を真っ直ぐに見つめ返した。

 そのまま、ぺろっと短く舌を出して、


「なんて、冗談です♪ あれ? もしかして本気にしちゃいました?」


 テヘッと、語尾に星でも付いてそうな、満面の笑顔でそう言った。

 ポンポン、と、マルスはフォルの肩を叩く。

 肩を叩き、優しく優しく微笑んでから、心底不思議そうなフォルのほっぺたを、マルスは思いっきりつねり上げた。

 ……イラッときたのだ。

 自分はやっぱり正常であると、マルスは思った。

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