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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第一章:イクリプス-1『守護魔召喚』
9/91

9. 一般人が忌避する異国の風習及び武の国が誇る長距離移動手段の最大積載量に関する調査報告

 その王宮は、数多の刀剣に覆われていた。

 白磁の壁を覆う鋼の装飾は、嘗ての名将達が使用した愛刀、愛槍の数々である。

 飾り方に武器としての序列は見られない。

 この国では、強者が振るえば数打ちの安刀でもそれは即ち“名刀”であり、敗れれば如何なる宝剣であろうとも凡百の駄剣へと堕する。

 勇者達の栄華を刻んだその隔壁は、それ自体がこの国の在り方を象徴しているかの様だった。


 “屈強なる武術王国”・武の国(ウォルヘイム)

 赤道を挟んで“銀の国”の南に隣接するこの国は、その二つ名が示す通りの勇猛なる戦士の王国としてその名を世界に知られている。

 無数の闘技場が立ち並ぶ王都の中心に位置する白磁の塔は、王都内でも一際荘厳な“中央闘技場”と一繋がりになり、月に何度か行われる御前試合の度に剣戟の音を天高く木霊させるという。

 数多の武具により装飾された、傍目には無骨にさえ映りかねないその“王宮”は、しかし抜身の刀剣の様な存在感でもって王族の威光を全国民へと知らしめていた。


 風が外壁に吹き付けた。

 果ての無い平野(ヴィーグリード)より吹き抜けたその突風は正門を過ぎ、中央闘技場を抜け、白塗りの王塔を駆け上がる。

 眼下の城下町を見下ろす窓辺を揺らしながら、不屈の戦士を統べる象徴たるその偉容に、異国の調を響かせるかの様に――。


 風は王族の象徴たる塔を渦巻く様に駆け上り、最上階のバルコニーへと吹き込んだ。

 湿り気と燭台の熱気を含んだ空気が、夜の香りを天上の舞台へと運び込む。

 バルコニーに佇む美貌の天女の、宝石の様に煌めくブロンドの髪を、真紅の月明かりの中に靡かせる為に。


「……嫌な天気」


 突風で乱れた長髪を揃えながら、彼女は不快そうに夜空を見上げていた。

 塔の上空では激しく雲が流動していく。

 浮雲は疾風に急かされるかの様に流れ、天空の月を隠しては、次の瞬間には飽きたかの様に去ってゆく。

 それは、彼女には情緒を含んだ天気の移ろいなどでは無く、人の不安を煽る悪性の変化である様に思えた。


 ――おそらく。この日の彼女は、風の香りから既に何かを感じていたのだろう。

 まるで真紅の満月に同調された様に、彼女の不安は奇しくも的中する事になる。


 三度、月が浮雲の隙間から顔を出した時である。

 群青の鳥が、一羽。漆黒の夜空より舞い降りた。

 鳥は月明かりを目印に塔の上空を旋回したかと思うと、やがて純白のドレスに惹かれた様にその翼を傾ける。

 羽音を聞いた女が人差し指を夜空へと掲げると、鳥はそれを留まり木とするかの様にかぎ爪を引っ掛け、嫋やかな彼女の腕の上へと軽やかに降り立った。

 ――使い魔。魔術師が遠隔地の情報を得る為に用いる、この世界に広く普及した情報伝達技術の一つである。

 怖じ気無く静かに身を寄せる鳥の姿からは、調教した術者の卓越した技量が伺われた。


「ご苦労様。

 早速ですが、貴女の見た事を教えてくれませんか?」


 女は一言だけそう告げると、役目を果たした使い魔を労う様に頭を撫でた。主人の下に帰還した安堵からか、眠そうに目を細める群青の鳥。やがて女の指先がぼんやりと燐光を放ったかと思うと、青い使い魔はゆっくりとその瞳を閉じた。

 主人である女も目を閉じる。

 意識を指先へと集中させると、彼女の視界は先刻鳥が見て来た光景へと時空を駆けた。

 彼女の瞼の裏では、遥か隣国での風景が鮮明に再現され始める。



 明かり一つ見られない、闇の地平が広がっている。

 辺りを包む静寂から察するに、街からは少しばかり離れた場所らしい。

 漆黒の草本が眼下に流れ行くのを眺めながら、使い魔の視界は丘の頂上へと疾走してゆく。

 頂上には巨大な建造物が聳えていた。

 あまりにも大きく、しかし精緻な意匠を凝らされたその知識の倉庫は、初見ではまさか人が住んでいるなどとは思われないだろう。

 ――紛れも無く、“彼女”の住家である。


 使い魔の視界は、壁伝いに上昇を続ける。

 金属製の柱を旋回しながら空へと向かい、真紅の月明かりの中を青い翼が飛翔する。

 図書館の上空には、複数の使い魔と思しき生物が飛び回っていた。

 視界に映る限りでは、どれ一つとして安物は無い。

 おそらくは、王侯や貴族という地位にある者達が放った物だろう。

 黒煙の空に浮かぶ真紅の月に、翼のシルエットだけが幾つも浮かんでいる。


 ――好都合だ。


 使い魔と視界をリンクさせながら、女は小さな微笑を零した。

 “彼女”とて、一流の魔導師なのだ。

 通常なら、例えこちらが使い魔を用いていようとも魔力の香りだけで監視の目に気付いてしまうだろう。

 だがこれだけの数が飛び回っていれば、いくら“彼女”と言えどもこちらの気配に気付ける筈が――、



「――――っ!?」



 ハッ、と。女は息を飲んだ。



 使い魔の視界が天蓋のステンドグラスを見下ろした瞬間、視界を覆い尽くす程に巨大な火球が、屋敷の天井を突き破って天空へと放たれたからである。

 視界を借りている青い鳥は、ギリギリで翼を捻ってそれを躱していた。

 しかし発生した衝撃波までは免れる事が出来ず、余波によって視界が、脳が揺れる。

 上下が反転し、落ちて行く世界。

 そこで女は、気絶した使い魔達がボトボトと落ちて、黒焦げになった一体が屋敷の穴へと吸い込まれていく地獄絵図を見た――。



―――――



 突如、視界が切り替わった。

 場所は依然として件の図書館である。

 天蓋のステンドグラスの上に、横たわる様な視界で映像の続きは流れ始めた。

 視界が、ヨロヨロと立ち上がる。

 微妙に焦点の合わないその映像を確認し、女は先程の衝撃波によって自らの使い魔も気を失っていた事を理解した。



「…………」



 言葉に……、窮した。



 先程の魔術は、少なく見積もっても“龍霊級”。

 下手をすれば“帝霊級”にまで届きかねない大魔術だろう。

 何故“彼女”は、ソレを自宅なんかで使ったのだろうか。

 監視に気付いた、という事はあるまい。

 それなら、ピンポイントで鳥一羽を撃ち落とす魔術などいくらでもあるからだ。

 つまり“彼女”は、特に何の意味も無く、超威力の大魔術を使って自分の家を破壊したのである。


「…………」


 やはり……。理解、出来ない。

 どういう思考過程を経れば、自らの屋敷を大魔術で破壊しようなんていう結論に至るのだろうか。

 自らの理解の外にある存在に、女は空恐ろしい物を感じていた……。


 彼女の思考が迷走しているうちに、視界は屋敷の内部を映していた。

 使い魔は天蓋の隣に空いた採光窓の一つから、薄暗い図書館の内部を観察している。

 ――屋敷の内部では旋風が吹き荒れていた。

 灼熱の大気が渦を巻き、橙赤色の閃光が全てを飲み込んでいく。

 間接的な視界でも目が眩む様な、世界から色を奪う程に強烈な発光。



 それが治まった瞬間。

 彼女の視界には、“その存在”が映し出された。



 総身に纏うは、処女雪の様に白い装束。

 髪の色は冬の夜空の様に黒く、そして瞳もその形容には漏れない。

 感情の機微が伺い難い、冷静な面構えをした“その存在”は、見違えようも無い異世界からの訪問者であった。



「そんな!?」



 常軌を逸した事態に、女は思わず声を上げた。

 “彼女”が今回の儀式でミスを犯したという話は、当然の如く女の耳にも入っていた。

 つまり女は、それで“彼女”が召喚主になる可能性はもう排除されたものだと思っていたのである。

 否。それは彼女だけではあるまい。

 おそらくは他国の大魔導達も、皆そう思っていたに違いないのである。


 ――しかし、実際はどうだろうか。

 他国の召喚主達に遅れること、数日。

 “銀の国”は他の5大国を出し抜く形で、約定反故もギリギリのタイミングで儀式を行っていた。そして、あろう事か。どうやら、それは間違いなく成功してしまった様なのである。


 驚くべき誤算。

 いや、不幸中の幸いというべきか。

 念には念を入れて使い魔を放っておいた結果、女は過つ事無く、この事態を把握する事が出来たのである。目の前の事実に歯噛みしながらも、彼女の内心は、なるべく冷静を装って対応策を考え始めていた。


 もういいだろう。

 そう思って、女が視界の接続を切ろうかと思った瞬間――、



「へ――――?

 ど、どうしてですかぁああっ!?」



 ……何故か。

 “彼女”が自らの守護魔に向けて放った“帝霊級魔術”の余波によって、使い魔の視界は再度昏倒した。



―――――



「…………」


 視界が自らの双眸へと返却された。

 女は、言葉を失っている。

 あまりの事態に唖然として、どうコメントすればいいのか分からないといった様子だ。



「……ご苦労様。

 …………。

 ……本当に、苦労をかけました、ね」


 取り敢えず女は、自らの使い魔をもう一度丁寧に労う事にした。コチョコチョと頭を撫でてやると、群青の鳥は気持ち良さそうに目を細め、愛くるしくクークーと鳴く。

 その仕草にささくれ立った心が鎮まるのを感じながら、女はあくまでも優雅に嘆息した。

 鳥を巣箱へと返してやる。

 (彼女)も、今回ばかりは危うく黒焦げになるところであったのだ。

 噂以上に破天荒な“銀の国の大魔導”の人格に思いを馳せて、女は目眩にも似た頭痛を覚える。

 脳裏に過るのは先程の儀式と、“彼女”の召喚した“白の守護魔”の姿――。


「……アルテミア。

 本当に、バカな子」


 憎々し気に、真紅の少女の名を呟く。

 それは果たしてどの様な感情からだったのか。

 白いドレスの天女は、苦々しげにその端正な顔立ちを歪めていた。

 一度だけ、夜空に浮かぶ真紅の月を眺める。

 忌々しい物を見る様にソレを睨み付けた後、彼女はまるで安息を求めるかの様に、静かに自室の中へと歩み入った。



―――――



 室内に取り付けられたシャンデリアの灯りは、女の風貌を一層鮮明に暴き出した。

 細身な彼女の総身を包んでいるのは、穢れ一つ見当たらない純白のドレスである。

 縫い付けられた宝石も少なく、飾り気の無い仕立てのそれは、しかし彼女自身の雰囲気と相俟って侵しがたい高貴さを醸している。

 ――否。むしろ無意味に飾り立てないその作りこそが、彼女の清楚な美しさを一層際立たせていると言えるだろう。

 腰まで届くブロンドの長髪が、灯りの中で金砂を散りばめた様な煌めきを帯びている。

 髪質が、あまりにも軽やかだからなのか。

 触れる事すら躊躇われる程に美しいそれが、彼女が歩みを進める度にフワリと舞う。

 前髪は、鳥の羽を模した髪留めに留められていた。

 (あらた)めて見ると、その下に覗く顔立ちは驚くほどに若い。

 おそらくは十代後半から、二十代前半。少女から淑女へと変わったばかりという年齢だろうか。

 しかし彼女の醸し出す凛とした雰囲気と気品からは、年齢以上に大人びた印象を受ける。

 利発そうな彼女の瞳に見据えられた者は、どんな美丈夫でも自らの器量不足を悟り、声を掛ける事すら諦めるだろう。


 人目を避け得ぬ程の美貌の女は、後ろ手にバルコニーの扉を閉めながら刀剣の飾られる室内を一瞥した。

 切れ長で怜悧な印象を受ける双眸が、白を基調に整えられた自室の中を優美に見回す。



 回廊へと続く扉の前に見覚えのある鎧姿を認め、彼女は静かにその目を留めた。

 女とは別の意味で人目を惹く、深碧の鎧の上からでも分かる程に、鍛え上げられた筋肉。

 熊とでも素手で渡り合えそうな程に体格のいい大男が、黙したままに扉に寄りかかっている。

 果たして、どれほど前からそうしていたのだろうか。

 筋骨隆々の大男は、飽きた様に青い短髪を掻き上げながら、只々静かに佇んでいた。


「来ていたのですか」


 顔色一つ変えずに、女は彼に声を掛けた。

 決して大声とは言えないその音色は、しかし人に聞き逃す事を許さないだけの気品を備えている。

 女は男から一定の距離を取りながら、壁に飾られた刀剣の前へと歩みを進めた。

 目線は、男から外れない。

 女は摺り足の様な動作で壁へと滑り、そこに掛かった長柄の曲刀へと手を添えると、男の腰元に視線を落とした。

 ――男は、自らの腰に帯びた短刀に手を添えている。

 それを静かに視認した女は、無駄も躊躇も一切見せず、壁の刀を全力で抜き放った。


「フッ……!!」


 女は風の様な速さで男の懐へと踏み込んだ。

 蝋燭に照らされた私室には、舞い散る様な黄金の残滓が残される。

 常人には視認すら困難な速度にて放たれた切っ先は、必滅の風迅となりて男の喉元へと駆け抜ける。


 ――反響する、鋼の音。


 鎧の男は、女の剣戟を正面から短刀で受けていた。

 女の踏み込みの速度に完全に合わせて身体を引き、剣速を純粋な刃の速さのみに変えて見切りながらの受太刀。

 打ち合った剣を挟む様に、二人の視線は静かに交錯する。


「…………っ!!」


 鍔迫り合った短刀を左に受け流し、下段から逆袈裟に切り上げる女。女性らしい細さを残した身体で、しかし全身の筋肉を用いて振り出される両手は、長刀を疾風(はやて)の速度で切り返す。

 ――“防がれる”。

 剣戟を放つ直前、彼女は予期した。

 女の予見と寸分違わず。男は受け流された身体の勢いをそのまま回転力に繋げ、上段からの振り下ろしで女の動きを制そうと動く。


 女の口元が、僅かに緩んだ。それは自らの読みが当たった事に対する細やかなる愉悦か、或いは死合いの静かな高揚か。それを吟味する余裕のある者はこの場にはいない。

 女は男の振り下ろしへのカウンターを狙い、短刀の動きを切っ先のみで僅かに左へと逸らすと、抉じ開けた死角から男の腕下へと滑り込んだ。

 一切間断の無い、流水の如き身の熟しで、男の攻撃線を紙一重で躱しながら白いドレスが彼の背後へと流動する。

 そして、間髪入れずに男の後ろ首へと放たれる斬撃。

 見物人がいれば死神の鎌を幻視する程に鮮やに、女の曲刀は容赦無く閃いた。


「……ッ!!」


 瞬間、女の動きは停止した。

 敵を仕留めたから、では無い。

 男の首は、まだ繋がっている。

 女の長刀は、男の首に添えられたままその動きを止めていた。


「…………」


 女の胸元には、短刀の先が当てられている。

 彼女に背後に滑り込まれた瞬間、男が逆手に持ち替え、背後に向かって振り出した刃である。どちらかが1歩でも深く踏み込めば命を取れるその距離にて、2つの人影はピタリとその動きを止めていた。



「流石ですね、ネプト」



 先に口を開いたのは女であった。

 刀をゆっくりと引き、構えを解きながら、自らの剣舞を凌いだ男へと惜しみの無い賛辞を贈る。


「…………。

 はぁ…………」


 対する男は、目を伏せながら小さく溜息を吐いていた。

 全身から死合いの緊張を解きながら、やれやれといった様子で肩を竦めている。


「ウェヌス……。

 この挨拶(・・)、もう少しなんとかならねぇのか」


 隠しようも無いくらい、疲れた声。

 ネプトと呼ばれた大男は、青い短髪をグリグリと掻きながら、心底辟易した様子でそう問うた。


「気にしないで下さい。

 貴方ほどの腕なら直ぐに慣れます」


 対してウェヌスと呼ばれた女は、凛とした雰囲気を微塵も乱さずに、あくまでも当たり前の様にそう答えた。取り敢えず、男の言葉は否定していない。どうやら彼女は、先程の剣戟を本当に“挨拶”で済ませるつもりらしい。

 男は、海よりも深く嘆息した。



 ――“屈強なる武術王国”・武の国(ウォルヘイム)

 この国において強さとは美徳であり、習慣であり、即ち義務である。

 男が先日、女から受けた説明はその様なものであった。

 彼女によると、この国では出会った瞬間に刃を交えないという行為は“お前とは切り結ぶ価値も無い”という意味になり、身分の高い者相手には侮辱行為に当たるのだという。

 男は決して、戦闘に慣れていないという訳では無かったが……。

 しかし彼は、この国で生まれ育った国民というワケでも無かった。

 つまりは、ここまで戦闘民族丸出しな風習にはそうそう慣れる物では無かったのである。



「さて。しかし、こんな夜中にどうしたのですか?

 何か急ぎの案件でも?」


 刀を優雅に壁に戻しながら、女は平然とそう尋ねる。

 ――急ぎの案件かもしれないのなら、何故斬りかかる前に聞かないのだろうか。

 この国の文化に軽い頭痛を覚えながらも、彼女からは(彼の知る、常識的な)返答は望めない事を理解していた為、男は口に出す事は自重した。

 取り敢えず一呼吸置き、簡潔に訪問の理由を説明する。



「あのな。普通吹っ飛んで来るだろ。

 仮にも姫様(・・)が、こんな夜中に素っ頓狂な声で叫んでりゃな」



 先ほど響いた彼女の声を思い出した男は、軽く肩を竦めながら言った。

 ついでにその後に行われた仕打ちも含めると、常人ならば最早鬱になってもいた仕方ない程のストレスであろうに……。

 律儀な男は、どこか達観した様な、或いは諦観した様な雰囲気でそう言うに留めていた。

 一つ、言えるのは。

 取り敢えず、男の目の前に居る彼女はそういう人物だという事である。


 武の国第一王女、ウェヌサリア・クリスティー。

 武の国最強の魔法使いであり、同時に武術王国の王族に恥じない剣の技量を誇る彼女こそは、男の知る限り“武の国”の王族唯一の子息に当たる人物であった。

 補足すると、国王、王妃の両名が崩御した現在となっては、この国では宰相殿と並んで最も尊守されるべき地位にあるお方である。

 そんな彼女が夜中に悲鳴を上げていれば、(如何に彼女が強くとも)臣下の一人や二人が飛んで来るのは当然の事といえるだろう。

 尤も。普段は凛とした雰囲気を崩さない彼女が、バルコニーで小鳥の頭を撫でながら少女の様に狼狽えている姿は微笑ましく、駆けつけた臣下達は皆呆れ顔で詰め所に帰り、残った男もついつい吹き出してしまったのだが……。


「素っ頓狂とはなんですか。

 私だって、たまには取り乱す事くらいあります」


 ウェヌスはからかう様な男の言い方に不満気に答えた。

 愛嬌で飾らない顔立ちは王族たる威厳を存分に醸し出しており、臣下の間では目を合わせただけで相手を萎縮させる程の美貌の持ち主である事で有名である。

 しかしこの大男の目には、どうにもその、微かに膨らんだ彼女の頬が拗ねている様にしか見えず、少女の様なその仕草に可愛らしさを感じずにはいられなかったりするのだが。

 男は、微かにその口元を緩ませていた。


「な、何を笑っているのですか?」


「いや、笑ってねーよ。

 ……顔だけは、な」


「尚悪いではないですか!!」


 澄んだ声を荒げながら、お姫様は端正な顔立ちを赤らめて怒る。

 男はそんな彼女をやれやれと宥めながら、静かに事情の説明を促した。


「……いいでしょう。

 時間もありませんので、今回ばかりは不問にします。

 ですが……。次からは、本当に対応を考えますからね?」


 女は未だ納得がいかない様子ではあったが、余程切羽詰まった事情が有るのか、渋々ながらも追求の手を緩めた。

 小さく咳払いをしながら、簡潔に狼狽の理由を説明する。



「“銀の国”の大魔導が、白の守護魔を召喚しました」



 ――男の表情が、険しくなった。



 守護魔。

 男は、既にその名称についての十分な説明を受けていた。

 国の技術を発展させる為に召喚された魔人。常識の枠を外れた知識や能力を持つ、異世界からの訪問者。そしてソレを相手に、自分が何をしなくてはならないのかも――。


「そいつ、強ぇのか?」


 故に男は、ただ一言だけ問うに留まった。

 既に彼女と主従の契約を結んでいる彼である。

 一度役割を決めた以上、彼が差し当たって必要とするのはその一点だけであった。


 狩猟に出る肉食獣の様なその眼光を受けて、王女は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 瞼の内で再生されるのは、“彼女”が呼び出した純白の長衣を羽織った青年の姿である。

 矮躯というわけでは無いが、戦士としては細すぎる腕。

 遠目にしか確認は出来なかったが、ほっそりと長い指には豆一つ無いだろう。

 明らかに戦闘向きに鍛えられた身体では無いのに、その中性的な顔立ちには傷一つ無い。

 何より、その佇まいには隙が有りすぎる。


 幼少の頃より剣を握ってきた女の勘は、何度思い返しても一つの結論だけを示していた。

 言葉に詰まったのは、決して敵の戦闘能力を測りかねたからでは無い。

 ただ。その事実を目の前の彼に告げるのが憚られたのである。

 女は一度息を呑むと、やがて吐露するかの様に口を開いた。


「確かな事は分かりません。

 しかし――。私の見立てでは、おそらく直接的な戦闘能力は皆無です」


 ――相手は“守護魔”である。

 よって、自分の常識をそのまま当て嵌めるのは不適かもしれない。

 女はそういった意味で断定は避けたものの、一切の脅威を感じなかった自分の印象を素直に彼に告げた。

 男は、辟易した様な顔で溜息を吐いた。


「……らしくねーな、ウェヌス。

 お前、雑魚を嬲るのは好きじゃねーって言ってなかったか?」


「…………」


 男の言葉に、ウェヌスは閉口した。

 ――武の国は、勇猛なる戦士の国である。

 この国では強者に挑む事こそが美徳であり、弱者を嬲る事は何物にも勝る恥であるという意識が国民性の根底に根深く息付いている。

 そして王女たる彼女の持ち合わせる行司は、その模範とも言うべき物であった。

 彼女は、弱者に剣を向ける事を何よりも嫌う。

 挑まれれば応えもするが、自分から喧嘩を吹っかけるのは、やはり彼女にとっては最大の汚点となるのである。

 それは他ならぬ彼女自身が既に了承済みの事実であり、契約の際に男が尊守しようと決した方針でもあった。


 彼と主従の誓いを結ぶに当たり、王女は敵国の強者を共に討ちたいという名目を掲げた。

 彼女は、自分が掲げたのがそんな、どこまでも単純で分かりやすい名目だったからこそ、彼が迷わず剣を預けてくれたのだとも理解している。

 そして、この。“抵抗する力の無い者を斬り捨てろ”という命が、自らに信を置いてくれた彼の意思を裏切る物である、とも。

 


 ――それでも。

 例え彼に失望されたとしても、王女には“彼女”を野放しにしておく事だけは出来なかった。

 何としても、“彼女”にだけはこの手で引導を渡さなくてはならないと理解していた。

 ウェヌスは、暫し俯いたままに次の言葉を探していた。



 王女の私室の窓枠は、吹き荒ぶ孟風によってガタガタと揺れていた。

 一迅の突風がガラス戸を揺らし、無意味に長い時間を掛けながら通り過ぎてゆく。

 王女は、相も変わらずに目を伏せたままである。

 青い従者は風の雑音が収まるまで待ち、何かを思案するかの様に小さく息を吐いた。

 小さな、聞こえないくらい小さな溜息の音が、風の音に混じって灯りに溶ける。


「……悪いな。何の話だっけ?」


 とぼけた様な声。

 突如として掛けられたその言葉に、ウェヌスは目を丸くしながら顔を上げた。

 男は少々辟易した様子で、丸太の様に筋肉の盛り上がった腕で青髪を掻き上げている。

 次いで分かり難い含み笑いをしながら、静かにその口を開いた。


「俺、頭悪ぃんだわ。

 えーと、なんだ。

 確か隣で、何か強そうなヤツ(・・・・・・)が出て来たって話だったか?

 ――そりゃ是非手合わせ願いたいな。

 会ってみて万が一見込みが外れてても、まあその時はその時だろ」


 ウェヌスは、今度こそ呆気にとられた様子でポカンと男を見上げていた。

 放心していたのは、果たして3秒程度だったろうか。

 彼女は漸く彼の意図する所に気が付いた様子で、プイと顔を背けた。

 目を奪う程に美しい、ブロンドの髪が、照れる様に虚空に靡く。


「……ネプト。

 下手な嘘なんか、貴方には似合いません」


 不機嫌そうな声色。

 しかし男から背けた口元には小さな笑みを浮かべながら、女はそう嘯いた。

 男は、面倒臭そうに明後日の方向を見ながら腕を組んでいる。

 だがあまりにも不器用なその佇まいからは、自らの主の全て(・・)を尊守しようという鉄の意思が見て取れた。


 ――この状況でそんな態度を示せた彼は、未だにこの王女様の性格を把握し切れていなかったのだろう。



「……は?」


 ブワッ、と。突如として、室内には猛風が巻き起こった。

 部屋を照らす“消えない蝋燭”の灯りがチラチラと明滅し、シャンデリアそのものまでもが落ちそうな程にユラユラと揺れる。それがバルコニーへと続く扉から吹き込んだ外気によるものだという事実に気付いた時、男はその意味を理解する事を諦めた。

 開け放たれたガラス戸の外に見えるバルコニーには、王女の金髪が月明かりの中で舞っている。


「ありがとうございます。

 お陰で、私も決心がつきました」


 轟々と吹き荒ぶ風の中に、王女の声が凛と響く。

 どうやら礼を言われているらしいと判断する男。

 その顔からは、彼女の行動が理解出来ずに魂が抜けていた。

 そんな彼に目をやる事も無く、ウェヌスは自らの髪留めを外して魔力を流した。

 鳥の羽を模したその髪飾りは、月灯りの中にキラキラとした燐光を放ち、彼女が何らかの魔術を行使している事を周囲に知らせる。


 ――瞬間。響いたのは、劈く様な異形の鳴き声。

 真紅の月光を切り裂きながら、その“翼”は彼女の前へと飛来した。


「……おい、ウェヌス。

 ちょっと待て、まさか!?」


「ありがとうございます。

 やはり、貴方に相談したのは正解でした。

 さて、そうと決まればやるべき事は一つでしょう。

 幸いこれだけの追い風。夜を徹して飛べば、明日(あす)の昼には着く筈です」


「…………」


 ――されてない。

 少なくとも、今すぐこの寒空を飛ぼうなんて相談は、男は一切された覚えが無い。

 なのに、あのお姫様は、なんか白薔薇の様に可憐な笑顔を向けながら、さもそうするのが当然である様に男の方を見つめている。

 ……それは、もう。信頼しきった眼差しで。

 そして、尚悪い事に。

 男は、この状態の彼女には何を言っても都合の良いフィルター越しにしか声が通らない事を、既に十分に理解してしまっていた。


「はぁ~……」


 小さな、聞こえないくらい小さな溜息。

 悲しきかな。従者とは主の方針には異を唱える事が出来ない生き物なのである。

 結論から言うと、男は観念した。

 観念して、寒気が吹き荒ぶバルコニーへと歩みを進めた。

 そして既に王女が飛び乗っている“翼”へと、自らもその筋肉の鎧を纏った脚を掛けた。

 些細な、ごく些細な疑問を持ちながら――。



「こいつ、俺を乗せても飛べるのか?」


「問題ありません。

 “彼女”は私に似て、自らの限界に挑戦したがる性質の持ち主ですから」


「待てぇっ!! お前に似てる(・・・・・・)って、それ空飛ぶ生き物として一番危険――ああああああアアアアアァァァァッッッ!!!!」



 男が鎧と同じくらい青褪めていたという事実を、彼女は知らない。

 流れ行く雲よりもなお速く、純白の姫と蒼の戦士は漆黒の夜空へと消えて行った。

 絶叫しながら“翼”に捕まる、男の左掌。

 全てを包み込む様に大きく、年季の入った剣胼胝(けんだこ)が見られるその中心には、白衣の青年と同じ橙赤色の魔法円が輝いていた――。


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