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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第四章:ニヴルヘイムの亡霊-1『血の約束』
87/91

87. 現代とはかけ離れた価値基準を育んだ法治国家に於ける文化圏に適した統治体制の一例及び同性愛的情愛の起源と存在意義とその崇高さの根拠という命題について考察する為の偶発的なケーススタディ

 ヴィーンゴルヴの城は、街の中心部に聳える白色の塔であった。勇猛果敢な戦士の国のイメージ通りと言うべきか。城として十分な見栄(・・)を張った銀の国の城や、或いは常軌を逸する程の贅が凝らされた天の国の王宮と比べると、飾り気一つ無いこの国の塔は、殺風景な程に簡素に見える。だが、それで決して見劣りしている訳では無いのだから、中々に稀有なバランスで磨き抜かれた造形に進化したものだと言えるだろう。

 周囲をぐるりと見渡すと、目の前の塔と同じような造形をした塔が四つ、霞が掛かる程の遠くに佇んでいた。形からするとこの城と全く同じ大きさの物のようにも思われたが、距離がある為か、真也には正確なサイズを比較する事は出来なかった。


「見苦しいところをお見せして、申し訳ありません」


 グリンブルスティが塔に続く正門を潜った頃だろうか。車道の隣に現れた巨大建造物に目をやって、ウェヌスが苦笑した。見たところ塔と一連なりになっているように見えるその建物は、ここに来るまでにも何度か見たコロッセオの一つだろう。例に漏れず、税金を惜しんだとは思えない程に立派な造りになってはいたが、これまで見た物よりも一回り大きく、そして外周を半分くらい木の足場で覆われているという点で異なっていた。

 切石のような物を運んでいる事から推測すると、足場に群がって何か作業をしている人々は、コロッセオ建築に携わる職人達かなにかなのだろうか? それで真也は、先月あたり、城前の“中央闘技場”がウラノスの魔術によって崩壊したという事件があった事を思い出した。


「作業を急がせていますが、何分、建築の規模が規模ですからね。

 流石に、一月、二月で修復完了というわけにはいかないようです」


 ウェヌスはそう言いながら、件のコロッセオの様子を一瞥した。客車の揺れと共に、窓の隙間から吹き込んできた秋風が、彼女のブロンドの髪を静かに撫でていく。この辺りには、何か空気の流れが集中する要因でもあるのか。真也には、少しだけ風が清涼感を増してきたように感じられた。尤もコロッセオ上部の旗の靡き具合を見る限り、上空では清涼を通り越して突風の域に達していそうな風が吹いているように思えたが。

 風と共に流れ込む職人たちの作業音を聞きながら、真也は振動で痛くなってきた臀部を休ませる為に、椅子から少しだけ腰を浮かせて伸びをした。

 何となしにアルの様子を伺うと、赤髪の彼女は難しそうな面持ちを崩さないまま、黙ってコロッセオとそれに隣接した白塗りの塔を眺め続けていた。


 塔への入場口前にはロータリーが設けられていた。人の背丈の倍程の高さがある植え込みを、灰色の切石を敷き詰めた石畳が囲っている。予め指示を出しておいた為か、グリンブルスティはその歪な輪の入場口側で、パタパタガクンと歩みを止めた。

 ――どうやら、到着したらしい。

 運送業のオジサンに促されて降りる時、ウェヌスはきちんと通貨のような物を支払っていたようだった。武の国の通貨を知らない真也には、具体的にいくらだったのかなんて事は分からない。王族なら金などいくらでも持っていそうなものではあるが、武の国のお国柄と目の前の城の簡素さを見る限り、真也にはあまり彼女の羽振りに自信を持つ事も出来なかった。


 一足先に客車を降りたネプトは、ウェヌスの目配せを受けて無駄に重たそうな城の門を開けていた。筋骨隆々な彼だからこそ片手で動かしたが、真也一人なら、全身で体当たりしても動くかどうか怪しいくらい頑丈そうに見える。

 ……なんともはや、つくづくナニを考えているのか分からない国である。扉をいくら重くしようが、実際問題として生活しにくいだけだろうに。


 何度目になるか分からない溜息をついた真也は、ウェヌスに続く形で城に足を踏み入れた。

 目の前に見えたのは非常に広々としたロビーだった。10メートルは離れていそうな天井から、武の国にしては意外な程に綺羅びやかなシャンデリアがぶら下がっている。銀の国でよく見る魔法光源の灯りでは無く、真っ昼間だというのに、なんと本物の蝋燭を燃やしているようだった。ユラユラと揺らめく橙赤色の光源に、壁という壁に飾られた夥しい数の刀剣が、ギラリとした煌きを照り返している。


 入り口から正面に顔を向けると、50メートル程の先に、二階に続く大階段が設けられているのが見えた。白い石造りの階段には、フカフカとした赤絨毯が敷かれ、それが真也たちの足元にまで真っ直ぐに続いている。

 絨毯の両隣には、既に数十名の人影が整列していた。恐らくは、王女の帰還を察して出迎えに集まった城の住人たちなのだろう。使用人のように見える者も居るが、そうでは無さそうな者も多い。大半は仕立ての良い、しかし随分と動きやすそうな礼服を着て、その上に最低限実用に耐えそうな軽鎧を纏っていた。

 その中の一人が、ウェヌスの姿を見咎めてか、大きく目を見開いていた。白い歯をニカッと剥き、「王女様がお帰りになられたぞーっ!!」と、右の拳を振り上げて皆に促していく。集まった数十名が、それに合わせて腹腔に響くような鬨の声を響かせた。ウェヌスに対する、心からの敬意が伝わってくるような咆哮である。


 ――その全員の右手が、何故かそれぞれの腰元に伸びていた。


 “何事だろうか”と、疑問に思う暇も無い。それは、それほどまでに、さも当たり前であるかのように、あまりにも一瞬に過ぎる出来事だったからだ。使用人らしき割烹着の女性。恰幅の良い老人。白い歯が眩しい、ハンサムな青年。真也が気付いた時には、集まった数十名の全員が、まるで申し合わせたように、自分達の腰に括りつけた剣をゾロリと引き抜いていたのだった。鋼が擦れる不協和音が、広々としたロビーに木霊した。


 ――真也は、コクンと首を傾げた。


 だが、しかし、である。まるで、そんな彼の動作を、無視するかのように。その場に集まった、全員(・・)が。何故か、どういう訳なのか。帰ってきたばかりで、とてもとても疲れているであろう、敬意を払うべき親愛なる王女様に向かって。ニカッと笑みを浮かべながら、一気に、同時に、容赦なく、信じがたい程の気迫と共に、引き抜いた剣を振りかぶり、一斉に、斬りかかってきたので、あった……。


「「「「ウォォォォォオオオオオオオオッッッ!!!!」」」」


「――って、は?」


「ちょっ!! なになに、クーデター!?」


 真也が呆然と口を開け、アルが狼狽した声を上げた。恐らくは、目の前の光景がちょっと信じられなかったのだろう。銀の国の二人は、未だ事態が飲み込めないのか、目配せし合って応戦するべきか逃げるべきか測りかねているように見えた。

 その時にはもう、ウェヌスは動いていた。


 初めの瞬間に聞こえたのは、連続した三回の金属音だった。鈴を落としたような高い音が反響し、鋭い風が頬を撫でていく。

 真也が風の方に視線を流すと、軽鎧を着た男が三人、自分達の手元を見て呆然と固まっていた。

 彼らの手に収まっている刀剣は、それぞれ上半分が綺麗に消失(・・)してしまっている。ウェヌスは彼らの背後に立ち、白磁の大剣を残心の形に下げていた。


 ――トストストス、と。一太刀で切断され、宙を舞った三本の刀身が、間抜けな程の時間を掛けて床に突き刺さった。その音を合図に、或いは掻き消すように、床を抉る耳障りな音が真也の鼓膜を振動させた。三人の男の背後に駆け抜け、結果集団の真ん中へ飛び込む形となったウェヌスの脚を貫こうと、六本の長槍が疾風の速度で突き出された結果によるものだった。


 槍の群れが赤絨毯の繊維とその下の切石を抉ったとき、ウェヌスの姿は既になかった。彼女の身はもう、呆れる程の高さに跳躍していた。白い衣装を纏った武装姫が、ブロンドの髪色を空中に描き、前方に大きく宙返る。そのまま彼女は、空中で、いつの間にか二刀に分かれた白剣を凪いでいた。

 ――一閃、二閃、その後は無数。火花と金属音が連続し、彼女を囲む五人の使用人が、小さく悲鳴を上げながら得物を取り落としていた。それで漸く、真也は、ウェヌスが自分に向けて投合された投げナイフを打ち返したのだと理解した。


 腹に重り(オリハルコン)を仕込んでいるとは思えない軽さで、ウェヌスはフワリと床に降り立った。着地後の一瞬の隙を突き、四方八方からウェヌスに向けて凶刃が迫る。真也の目では追い切れないその手数に、しかしウェヌスは一瞥すらもくれなかった。

 ウェヌスの背後から振るわれたポールウェポンが、キンッ、という斬撃音と共にその先端を落とした。左方から繰り出された槍の壁が、たった一太刀で撫で斬られた。正面から振り下ろされた戦斧は半身で躱され、手首を剣の柄で逆さに叩かれ、ブワンと回転しながら空中に放り出された。使い手から離れる瞬間に、ウェヌスの手が触れたからだろうか。宙を舞う戦斧は燐光と共に鎖付きの鉄球へと加工され、右方の青年が構えるスパイクシールドを叩き割った。

 ――ウェヌスが剣を振るう度に鋼は散り、しかし白いドレスには一つの切り傷すらも付く事は無い。

 圧倒的な強さだった。結局、その場の全員が完全に制圧されるまで、初めに金属音が鳴った瞬間から五分と掛からなかった。


 ……と、いうか。


 これは一体、何だったのだろうか?


「いやぁ、王女様。また腕を上げられましたなぁ」


「いえ、そんな事は――。長旅で、寧ろ動きが鈍っているくらいだと思うのですが……」


「滅相もない。王女様の腕前たるや、今や往年の母君を思い出すようで――」


 ウェヌスは、一歩前に出てきた年嵩の男とそんな会話を交わしていた。顔や腕に古傷の目立つ、古参の戦士然とした男だった。胸には“第一中隊”と書かれた刺繍が縫いつけてある。

 彼らのやり取りを釈然としない顔で眺めながら、思い出したように、真也はチラリとネプトの方を伺った。


「……何で止めなかったんだ?

 姫様が襲われてるのに、あんたが黙ってるとは思えないんだが……」


「あ~……。まあ、そりゃぁ、な……」


 泰然と佇むネプトは、しかし歯切れ悪くそう零しただけだった。そんなネプトの態度の意味が、未だ真也には理解できなかった。全く理解できなかったからこそ、真也は確かめるように、アルに視線を移してみる事にした。アルはナニかを思い出したようにハッとして、呆れたように頭を抱えて溜息をついていた。

 ……その様子が妙な哀愁を誘ったためか。真也は、本人(ウェヌス)の方に尋ねる事にした。


「いいのか? なんか罰しないと、色々とマズい気がするんだが――」


「? 何故ですか?」


「いや、ほらな。仮にも王女様に襲い掛かった訳だし、反逆罪とか、なんかそういうのを――」


「? 理解に苦しみますね。礼を尽くした臣下を、何故罰しなくてはならないのでしょうか」


 本当に、当たり前のような顔で仰るウェヌスに、真也は納得のいかない様子で眉を寄せた。

 ウェヌスは“そんな事も分からないのか”とでも言いたげに、“やれやれ”と両手の平を上に向けていた。


「――只の挨拶(・・)ではありませんか。

 自らに剣を向けた相手を罰する者など、もはや王族とは呼べません」


「…………」


 ――曰く。地位に応じた戦闘能力が求められる武の国に於いては、出会った瞬間に“剣を合わせる”という行為は、身分の高い人物ほどに身に付いている一般常識(・・・・)なのだという。武の国に於いて、相応の地位を持つ者が王族に剣を向けないという行為は、“お前とは斬り結ぶ価値も無い”という意味になり侮辱行為に当たる。運送業者のような庶民ならともかくとして、城に出入りを許されているような連中がそのマナー(・・・)を無視するなんて事は、まずあり得ない話であるとのことであった。


 ウェヌスの説明を聞いて、真也は“そういえば、どこかでそんな話を聞いたな……”と思案顔になっていた。いや、きっと本当は覚えていたのだろう。真也とて、ウェヌスが出会った瞬間に、何事かの妄言を呟きながら剣を引き抜く様子を何回か見た事がある。

 ……ただ、意識がソレを理解したいと思っていなかっただけなのだ。

 日常的に“こんなコト”が行われている国なんてモノが存在している、という悪夢のような現実を、たぶん想像したく無かったのだろう。


 そこはかとない頭痛に頭を抱えた真也は、その時“第一中隊”の刺繍を入れた男が、自分を見ている事に気が付いた。肌のアチコチに古傷が見えるその男は、訝るように眉を潜めて、次に覗きこむようにしてアルの顔を見ていた。

 そして、伺うようにウェヌスに尋ねた。


「王女様。失礼ですが、このお二人はどちら様で?」


「――――」


 男の一言に、真也は心臓に僅かな圧迫感を覚えた。

 何しろ、ここは武の国――真也にとっての“敵国”なのだ。ウェヌスが招いてくれたらしいという前提はあるが、真也とアルの素性が知れ渡った場合、無事で居られる事が保証されている訳では勿論無い。


「ああ、彼女達は――」


 そんな真也の内心に気付かない様子で、ウェヌスは切れ長の双眸をスッと細め、真也とアルの顔を順に見た。それから、“第一中隊”の男の方に向き直って、フッと口元を緩めた。


「地方領主の嫡子兄妹です。

 近隣の“仮装パーティー”に訪れたと聞きましたので、この機会に城に招待した次第です」


「ほう、なるほど――」


「――――」


 真也は、内心でホッと胸を撫で下ろした。

 何しろ、どちらかと言えば生真面目な性質(たち)であり、加えて考える事があまり得意だとは言えないウェヌスの事なのだ。白衣と魔導師ローブなんていう、自分達の誤魔化し難い服装の事もあるし、7~8割方、バカ正直に自分達の素性をバラしてしまうものだと思っていたのだが――このくらいの方便が使えるのなら、多少は彼女の評価を上方修正しても良いのかもしれない。

 真也が、そんな事を考えながら安心しきっていると、


「では、“挨拶”を」


 “第一中隊”の男が、ニカッと白い歯を剥いて笑みを零した。否、彼だけでは無い。何やらその場に集まっているほぼ全員が、とてもとても眩しい、太陽のような満面の笑みを咲かせていらっしゃった。

 コクン、と。真也は、意味が分からず首を傾げた。……分かりたく無かったのだ。

 なのに、こんなにこんなに分かりたく無いと願っているのに、腰元から別の得物をテキパキと取り出していく彼らを見せられては、比較的良く出来ている彼の頭に状況を理解するなという方が難しい。

 ……そして、彼らは。皆が皆、揃いに揃って、文句の付けようもないような完璧な構えをお作りになった。

 真也は、両手を思いっきり前に突き出した。


「ちょ、ま、来るな、来るなぁぁああ!!」


 イヤイヤと首を振る真也に向けて、「ウォォォオオオオオ!!」と雄叫びを上げながら“第一中隊”の男が突っ込んできた。そのあまりにあんまりな事態に、真也は半分くらい思考を凍らせて卒倒した。何しろ本質的に物理学者である真也は、事前準備無しでは文字通り一般的な高校生程度の戦闘能力しか無いのである。頼みの綱の空気拳銃にしても、魔力の少ないこのヴィーンゴルヴで、どの程度まで使えるのかは未知数でもあった。

 魔術の威力が大幅に下る事を理解してか、アルも渋い面持ちで、眼前に迫る脳筋(バカ)達の姿を警戒していた。


 ――その最前列の刀剣が、高い金属音と共に砕け散っていた。

 一瞬だけ真也が見たのは、視界の端から飛んできた青い影。ウェヌスの従者――ネプトが、目にも留まらぬ速度で間合いを詰めて、“第一中隊”の男を含む前線の何人かの剣を纏めて叩き折っていた。


「……悪ぃな、オヤッさん。今回は引いてくれや」


 二桁近い剣を、目にも留まらぬ剣速で切断したネプトが言う。どこか楽しげにも見えるその視線が、チラリと真也の顔に向けられた。


「コイツ、俺との先約があるんだわ。万が一にでも怪我されちゃたまんねぇからよ」


「……、永久に御免だ」


 気持ちの良い笑顔の“抹殺宣言”に、真也は憂鬱な溜息を吐いて頭を抱えた。


 ネプトの言葉を尊重したらしく、整列していた脳筋達は渋々ながらも引いてくれた。流石は強さが全ての変態国家というべきか。圧倒的な武術の技量を誇り、しかも王女(ウェヌス)の従者という地位にあるネプトは、異国民ながらも中々に認められているらしかった。

 尤も、「“兄貴”が一目置く程の猛者か。一度は手合わせしてみたいのだが……」なんて残念そうに零している輩も居たので、真也には、何やらどうしようもない誤解が発生しつつあるような気がしないでもなかったのだが。


 真也たちがそんな災難に巻き込まれている間、しれっとした顔でその一部始終を眺めていたウェヌスは、遅れて現れた女性と何かを話しているようだった。差し出された大きめの布を受け取って、先の運動で少し汗が浮かんだ肌に押し当てている。

 タオルを差し出したのは、しかし使用人というよりは、どこか秘書のような雰囲気を纏った女性であった。銀縁のメガネが知的な雰囲気を醸し、長めの髪は几帳面にシュシュで止められ、ポニーテールの髪型を作っている。

 ――歳の頃は、二十代半ばといったところだろうか。

 ウェヌスを出迎えた連中の中で、彼女だけは何の武器も所持してはいないらしかった。丈の長いスカートも、周囲の王侯貴族に比べると随分と動きにくそうに見えた。


「長旅でお疲れでしょう。お水をどうぞ」


 場違いな物を見たような気分で、真也は暫しその女性を眺めていた。女性はウェヌスからタオルを受け取ると、交換に透明な液体が湛えられた瓶を一本、手渡していた。瓶の表面には結露が付着し、中身がキンキンに冷えている事を示している。ウェヌスは、行儀良く礼を言ってからそれを口にしていた。


「……あの人は、“挨拶”しなくてもいいのか?」


 コクコクと水を飲むウェヌスの隣で、女性はあくまでも事務的な態度を崩さず立っている。その様子を見やりながら、真也の口からはそんな問いが零れていた。

 別に、それほど興味があった訳でも無い。ただ、先ほど自分が巻き込まれかけた暴動騒ぎに、一人だけ参加しなかったらしい彼女を奇異に思っただけの質問であった。


「ああ、ありゃ別に構わねぇんだわ。あの人は、この国の宰相殿(・・・)だからな」


「? “宰相”、っていうと、かなり偉い立場じゃないか。だったら――」


 釈然としない面持ちで首を捻る真也に、「あ~、だからよ」と、ネプトはげんなりしたように肩を竦めた。


「……この国の“宰相殿”ってのは、チョイと事情が違うんだわ」


 ――曰く。強さが全てのこの戦闘国家・武の国に於いて、高い地位の人間に求められる第一条件とは、先ず何にも増して圧倒的な戦闘能力(・・・・)なのだという。これはもう、どうにも動かしがたい程の普遍的事実(・・・・・)であるらしい。


 ……しかし当然、そんな条件は言うまでも無く上手くいかない。何しろ偉い方々が行わなくてはならないのは、“直接戦闘”ではなくて“国政”なのである。歴史を振り返れば単純明快。どれほど首脳の腕力が優れていようが、それは別に、その人物本人の政治的手腕を保証してくれるわけでは無い。腕っ節だけのバカに、国政を丸投げしては国が滅ぶ。


 そこで、“じゃあ政治は学識ある誰かに任せればいいんじゃないか”となるのは当たり前の流れではあるのだが――この国に於いて、そんな安易な話は簡単には成立しないのであった。

 ――何しろここは、強さが全ての戦闘(ヘンタイ)国家・武の国なのだ。

 力こそ正義を固く信じ、そして自らの力に絶対的なプライドを持っているこの国の方々は、即ち自分より強い人間の(・・・・・・・・・)言うことしか聞かない(・・・・・・・・・・)。……え~と、つまりナニが言いたいのかというと。頭デッカチで口ばっかな輩がナニを言おうが、マイトイズライトな脳筋たちは全く従っちゃくれないワケである。

 帰結として、武の国には“強いだけのバカに国政は任せられないけど、強くないとそもそも国政なんか出来やしない”という、面倒臭いことこの上ない環境が出来上がることになったのだった。


 ……その辺りの長い長い(・・・・)歴史は、少々込み入ってくる事が予想されるので省略するが、要点は一つ。この難問(・・)を解決する為に生み出された打開策こそが、この“宰相”という役職――つまりは肉体的な強さを必要としない、王族へのアドバイザーという立場なのであった。宰相自体は政令を出さず、あくまでも宰相が腐心した政策を聞き入れた、強さの象徴たる王族が国民に命じるという形式である。

 最終的な決定権は全て王に帰属するので、宰相の進言を王が聞き入れなければそれまでではあるのだが――元々、王族には考える事があまり得意でない人々が集まっている為か、宰相の政策はほぼ全通しというのが慣例になっているらしい。


 「頭が痛くなる話だな」と、真也は実際に鈍痛を堪えるように頭を抱えながらコメントした。

 ネプト曰く、この国に於ける宰相とは、実質的な政治的権力はほぼ0に等しいという。一般人程度の戦闘能力しか無いのに王族に口利きしている、と認識される為か、民衆からの受けも決して良い役職であるとは言えず、苦労が多い割には実益の少ない職務でもあるらしい。

 ……つまりは、ウェヌスから受け取ったタオルを使用人のように畳んでいるあの女性も、あれでひとしおの苦労を重ねてきたという事なのだろう。いかにも出来そう(・・・・)な、クールビューティーなキャリアウーマンのような印象なのだが――と、そう思ったところで真也は得心した。

 ――知的なキャリアウーマン。なるほど、確かに、これほど武の国の国民性にそぐわない単語も珍しいかもしれない。

 そんな事を考えていると、渦中の女性――宰相殿が、尖った銀縁メガネを上げながらツカツカと歩み寄ってきた。


「……何を、しているのですか?」


 ……なんとも凍てつくような声だった。

 その不機嫌そうな声色に、一瞬、真也は自分が何か機嫌を損ねるような態度でも取ったのかと思案したが――すぐに、どうやらそういう訳では無いらしい事に気が付いた。

 宰相の目線は、真也のま隣に立つネプトだけを射抜いていたからである。

 「礼節を弁えなさい」と、宰相殿は青い大男にピシャリと言い放った。


「もう一度言います、何をしているのですか?

 貴方は王女様の従者であり、王女様はあちらに居らっしゃり、貴方の隣に居るのは、信頼の出来ない蛮族なのですよ? いつでも王女様を警護出来るよう、もう二歩前に立ち、常に得物に手を掛けて警戒するのが常道というものでしょう」


「んあ? あ~、悪かった。コイツの“殺気”の感覚は、もう大体掴んでるからよ。いま妙な事する気配ねぇのも分かってるし、まあこんなもんだと思ってたんだが……」


「……口答えは結構です。言われた事はすぐに改めるように、と初日に指摘した筈ですが」


 さり気なく不審者扱いされたワケではあるが、今の真也はあまり気にも留めなかった。

 珍しい物を見た気がしたからであった。

 辟易したように後ろ髪を掻く大男に、普通の女性にしか見えない宰相殿が、佇まいが下品だの言葉遣いがなっていないだのと、何やらガミガミと細かい小言を並べ立てる。

 ――労力に見合った実権が無く、苦労の絶えない不遇の女性。

 そんなしんみりとした前情報はどこに行ってしまったのか、と思ってしまうような、それはそれは見事な姑マシンガン攻撃であった。

 “随分話と違うんじゃないか”と、真也が視線を送ると、「いや。実際、これはこれで為になってる」と、ネプトは口パクで器用に返答してきた。

 その時、ウェヌスが水を片手に歩いてきた。


「――“挨拶”は済んだようですね。

 真也さん、こちらはネイト宰相。国政の補佐を勤めて頂いています。

 もう少し、詳しい紹介をしましょうか?」


 どこか親しみの籠った声で言うウェヌスに、真也は肩を竦めて首を横に振った。ネプトから大まかな事情は聞いているし、わざわざもう一度説明し直して貰う必要性も感じなかったからであった。そうでなくとも、普段の行いからして、というか、真也はそもそもお説教とかお小言を宣う人物像が得意では無い。

 真也の態度を見咎めてか、いつの間にかウェヌスに礼の姿勢を取っていたネイト宰相も、「結構です。特にその必要性は感じません」と付け加えていた。先のネプトの説明では、宰相は王族にあまり良いイメージを持たないだろうとも思われたが、本人の態度を見る限り、どうやら王族には相応の忠誠心を持っているのは確からしかった。


「さて、王女様。客人に部屋を用意するように、との事でしたが……」


 ネイト宰相が手帳を取り出し、確認しながら言う。


「来客が多い時期でもありませんので、すぐに使用できる部屋は限られているようです。西側下階の小部屋がいくつか空いておりますが、そちらで宜しいのでしょうか?」


「最上階の、王族用の居室がいくつか空いていた筈です。

 東側の大部屋は、いつでもすぐに使用可能なように整えてある筈ですが――」


「……、宜しいのですか?」


 ウェヌスの返事に、ネイト宰相は渋るような面持ちになった。眉間にシワを寄せながら真也を見やり、直ぐに王女に視線を戻した。


「彼らは、敵国民です。もちろん、万が一にも王女様の身に危険を及ぼせる、などとは思いませんが――用心に越した事は無いかと存じます。

 最低限、三階層以上の距離を開けて滞在させるべきではありませんでしょうか」


「いえ、問題は無いでしょう」


 宰相の進言に、ウェヌスは首を横に振った。


「あくまでも成り行き上でしたが――。実は彼らとは、今回の旅路でも、既に何度か寝食を共にしているのです。

 その間、彼らが不穏な動きを見せる事は一度もありませんでしたし、それに――」


 ウェヌスはそこで言葉を切り、一度、チラリと誰かに目を向けたように思えた。しかし一瞬だった為か、真也には、それが誰を見たものだったのかまでは判断出来なかった。


「――私が、彼らを招きたいのです。天王の手前もありますし、今回の旅路では、帰省するまで戦闘行為が起こる事も無いでしょう。――対立を気にせず彼らと過ごせる機会など、もう二度とは訪れないでしょうから」


「いえ、しかし――」


 ウェヌスの答えにも、宰相はやはり賛同しかねているようだった。会話の内容から察するに、どうやら彼女は真也たちの素性を承知しているらしいので、なるほど当然といえば当然の態度だとも言えるだろう。

 ネイト宰相は、暫し対応に困るように、メガネを光らせて思案顔になっていた。値踏みするように、真也とアルの顔を交互に見やっていた。

 ――そこで、不意に、彼女は先ほどから一歩も動いていないアルに目を留めた。

 一瞬だけ、宰相の目が、何かに気が付いたように見開かれたように思えた。


「……、了解しました。そのような事情でしたら、私に意見する権利はありません。

 ですが。どうか、くれぐれも気をお許しになられませんように――」


 その時、彼女が何を思ったのかまでは分からなかった。真也に分かったのは、未だ警戒の色は感じられたものの、一応のところ譲歩するように、宰相が納得してくれたらしい事だけだった。

 ネイト宰相は丁寧にタオルを畳むと、ウェヌスに一礼し、(何故か)ネプトに冷ややかな視線を投げてから、使用人に部屋の手配を申し付け、去って行った。



「……なんというか、キツそうな人だったな」


 ネイト宰相が去った後、真也は疲れたようにそう零した。元々、生来の性格と仕事ぶりから、大学の学長(ハゲ頭)に小言を言われる事が多かった真也である。ああいう説教臭いタイプの歳上は、あまり得意では無かったのだろう。

 「そう言うなよ」と、青髪をクシャリと握り込んだネプトが、こちらも少し辟易した様子で答えた。


「……俺は、まだまだこの国に来たばっかの新参だからよ。“従者”なんてやってる以上、ああやって細かい事言ってくれるのは、正直助かってんだわ」


 「俺自身の為に言ってくれてんのは分かるからよ」とネプトは続ける。所長とはいえ一介の魔導師であるアルに召喚された真也と違い、ネプトを召喚したのは一国の王女であるウェヌスだ。特務教諭として大学教員紛いの仕事を熟せばいいだけの真也に比べ、王女の付き人なんていう役職を与えられてしまったネプトには、色々と細かく気を配らなくてはならない事柄もあるのかもしれなかった。

 その辺りの事情を踏まえた上で、「そうか?」と、真也は使用人の長らしき初老の男に何かを申し付けているウェヌスを見やって、眉を寄せた。


「それにしては、随分と温かみの感じられないお説教だったけどな。

 あの姫様が細かく拘る性格だとも思えないし、あんな“お小言”全部聞いたとして、一体誰が得をするんだ?

 ……あんた、なんか機嫌損ねるような事でもしたんじゃないのか?」


 思い返すようにコメカミを捏ねてから、「……心当たりねぇな。宰相殿は、最初からああだったからよ」とネプトは零していた。



 一連のやり取りの間、アルは一言も言葉を話さずに黙っていた。赤髪の少女は、ポカンと口を開けたまま、翡翠色の瞳をネイト宰相が消えた方向にただ向けている。まるで、言いたい事が多すぎて、内容を全て忘れてしまったような表情に思えた。

 真也が声を掛けると、アルは目を伏せ、キュッと下唇を噛んだ。そして、「……別に、なんでもない」と続けた。細くて小さな両肩が、微かに震えているように見えた。

 ――だから真也は、彼女にそれ以上細かい事を聞く気にはなれなかった。

 アルの声色は、興味本位で追求される事を拒んでいるように思えたからだった。



 そうこうしている間に、ウェヌスの方でも、漸く真也たちの部屋の手続きが完了したようだった。“夕食まで部屋で待機しているように”、とのことである。使用人の女性が案内してくれるそうだ。

 ……使用人のくせに丈の短い、動きやすそうなエプロンドレスを着用し、腰に投げナイフ(・・・・・)を装備している点が物々しかったが。王族の客人扱いにも関わらず、“荷物を運びましょう”と言い出す者が一人も居ない辺り、流石は武の国だと言ったところか。

 部屋は最上階の、王族が使っている居室の内二部屋を貸してくれる事になったらしい。

 正面に聳える大階段を登るように促されながら、真也は「……悪い、先に行っててくれないか」と言って息を吸った。


「? どうかしたの?」


 使用人の後ろに付いて行こうとしたアルが、訝しそうに眉を潜める。

 真也は肺を休ませるように、吸い込んだ息を大きく吐き出した。


「……逆に聞く。どうして、君は平気なんだ?」


「?」


 “よく分からない”とでも言いたげに、アルが首を傾げる。それが本当に分かっていないような仕草に見えたので、真也は更に憂鬱になって溜息を漏らした。


 気を抜くと忘れそうになる事実ではあるが。ここは魔力排斥の術式が街中に敷設された王都・ヴィーンゴルヴの中心地である。当然にしてこの街でも最も魔力量が少ない場所であり、つまりは魔力に反比例する重力も、無視出来ない程度には強い。

 具体的に言うと、今の真也は、旅客機の離陸時より少し強めのGで下に引っ張られ続けているような状態にあった。多少慣れてきたとはいえ、旅荷を抱えたまま塔の最上階まで階段を登るのは、平均的な地球人の身体能力しか無い彼には相応の苦行だと言えるだろう。まさかこの脳筋国家の城に、エレベーターなんていう気の利いた発明品があるワケも無い。


 アルクラスの魔導師なら、多少の魔力量増減くらいなら無意識下で調整しきってしまう。が、爆竹程度の火炎魔法が全力の真也にそんな器用な真似は望むべくも無く、全ての魔術を無効化する“守護魔”たる彼には、そもそも全く効果が無いだろう。「今夜は寝苦しい夜になりそうだな」と、長旅の疲れが残る真也は憂鬱そうに独りごちた。

 その時、「それでしたら、ネイト宰相に尋ねてはいかがでしょうか」と、ウェヌスが少々意外な提案を持ちかけた。


 「彼女は、私の座学の師でもありますから。この国の歴史についての造詣も深く、街の性質や魔力排斥陣については、恐らく私よりも詳しい筈です。

 彼女なら、貴方の過ごしにくさを緩和する方法も存じているかもしれません」


 どこか身内を誇るような声色で、ウェヌスは微笑む。因みに、大魔導たるこのお姫様は、そんな方法は全く知らないという。理由は、


「大して負担でもありませんからね。それに、鍛錬の為の術式を緩和するなど、今日まで考えた事もありませんでした」


 ――とのことらしい。

 お姫様の脳筋ぶりを再確認した真也は、彼女に“座学の師”と呼ばれた人物に、“正直、全く期待出来ないな”という感想を持ちつつも、ダメ元で会いに行ってみる事にした。

 この時間なら、ネイト宰相は大階段裏から行ける執務室に向かった筈だという。なんとなく苦手意識を感じる相手だが、まあ仕方無いだろう、と真也は思った。



―――――



 城の一階は(武の国らしくと言うべきか)とてもシンプルで分かりやすい作りになっていた。城だけあって、流石に行先案内や見取り図をぶら下げておく程バカでは無かったが、大階段裏は部屋数が少ない上に、内一つの扉にでかでかと“執務室”と書かれていたので、全く迷う要素が無かった。大陸自体が小さく、地続きの為だろう。世界共通言語が成立しているこの世界の有り難みを、真也は改めて噛み締める事になった。

 扉には“執務中につき、許可無き者の立ち入りを禁ず”の札が掛かっていた。だが、まあ。自分は王女様直々の許可を貰っているので大丈夫だろう、などと、真也は勝手に解釈した。つまりは、適当に部屋の中へとお邪魔させてもらう事にしたのだった。

 ――その瞬間。

 真也は、視界に飛び込んできた“その光景”に、頭の中をすっかり漂白されてしまった。


 執務室の中は、20畳ほどの中庸な広さの空間だった。奥には大量の書類が収められた本棚が立ち、その前に置かれたデスクは整頓されて乱れ一つ無い。使っている人間の几帳面さを反映しているかのようである。

 デスクの手前では、茶褐色の長テーブルが大きめのソファーに挟まれていた。格調高さから判別するに、恐らくは応接用なのだろうが、予定されている訪問者が居ない為か、今はこの部屋の主が気を休める為に使用しているようであった。つまるところ、ネイト宰相はそのソファーの上に居た。

 ――きっと、仕事が忙しかったか何かで、疲れているのだろう。

 知的でクールな宰相殿は、フカフカとしたソファーの上にうつ伏せになって横たわり、白いタオルに顔を埋めていた。



「きゃ~っ!! キャーーっっ!!!! 王女様!! 王女様~っ!! 

 クンカクンカクンカクンカす~は~す~は~……はぅ~、王女様の……王女様の匂いだ~……。

 あ……ダメ。ダメなのです。こんなの見られたら、王女様に嫌われちゃう……。蔑んだ目で見られて、ヘンタイって言われちゃう……。でもでも、う~……王女様~!! 王女様、今日も凛々しかったよ~……!! あんなに綺麗なのに、このところ更に日に日に綺麗になっていって……あぁ~!! 一度でいいから、あのしなやかな腕の中に抱かれた……」


「…………」



 ……きっと。仕事が忙しかったかナニかで、疲れて、いるのだろう。

 ソファーにうつ伏せになるネイト宰相は、何やらよく聞き取れないし聞きたくも無いようなそんなコトを言いながら、タオルの匂いを嗅いで悶え狂っていた。真也が入室してきた事になど全然、全く、これっぽっちも気がついていない様子である。ポニーテールを呪怨のように振り乱しながら、スカートの裾が捲れ返る程の勢いでのた打ち回っていた。

 ……どうでもいいが、モノスゴク見覚えのあるタオルであった。具体的には、前述の妄言から連想されるある人物がさっき使っていたような気がしないでもないとは必ずしも言い切れるような言い切れないような……。


 まあ、その……アレである。とにかく、要点は、一つ。どんな顔でナニを言えば良いのか全く分からず、呆然と固まっていた真也をよそに。暫しの間マタタビを吸ったネコの如くゴロにゃんゴロにゃんとのたくって(・・・・・)いたネイト宰相は、やがて、一段落するように息を吸い、その時たまたま上げた顔に乗っていたメガネが、たまたま入り口に立ち尽くしていた真也の姿を、その端にチラリと映して――。



「「……、…………」」



 ――目が、合った。



 そこからの動きは、速かった。それはもう、彼女が直接戦闘能力の無い“宰相”であるという事を忘れてしまいそうになるくらいの、守護魔や大魔導同士の戦いにすら介在出来てしまうのでは無いかと思えてしまう程の、玄人としか思えない正に神速の身のこなしであった。

 ネイト宰相は一瞬だけ無表情になったかと思うと、次の瞬間には彼女の素からは想像もつかないような百面相を作り、ポニーテールを靡かせながらソファーの上を跳ね飛んだ。そのまま空中でタオルを八つ折りにし、衣服のシワを直して捲れた裾まで整えると、奇妙なタップダンスを踊りながら長テーブルの上を跳ね、本棚の隙間にタオルをねじ込んだ。更にソレをファイルを並び替えることでカモフラージュすると、残像が残る程の速度で回転しながらデスクに座り、すまし顔を作ってメガネを上げた。

 全てが終わるまで、多分5秒も掛からなかった。


「――何か御用でしょうか、御客人」


「…………、いまの」


見ての(・・・)通り(・・)――」


 言い掛けた真也の声を遮るように、ネイト宰相は言葉をかぶせた。


「私は今、執務中で忙しいのです。要件があるのでしたら、手短にどうぞ」


「……、…………」


 いつものクールな表情を作った宰相は、デスクの引き出しから何かの資料らしき物を取り出して、いかにも忙しそうにパラパラとページを捲って目を通し始めた。採光窓から差し込む西日を反射し、知的なメガネがキラリ、と光る。

 ……いかにも仕事をしている体ではあるが、資料が逆さまなのは指摘した方が良いのだろうか。

 比較的まともな人間(だと自分では思っている)真也は、こういう人を見たトキに一体どんな言葉を発すれば良いのか、全く検討も付かなかったのだった。検討が付かなかったからこそ、いつものポーカフェイスのまま、ただ黙ってネイト宰相の顔を見続けていた。

 ……きっと、それが妙な威圧感を伴って見えたのだろう。いかにも仕事人間ですといった顔をしていたネイト宰相は、やがて気まずそうに目を泳がせ始め、次いでその目が潤み始めて、最後にはそっと目を伏せて肩を震わせ始めてしまった。


「……、ど、どこから――」


 沈黙に、耐えられなくなったのだろう。

 ネイト宰相は、ワナワナと唇を震わせて、蚊の鳴くような声で漏らした。


「……どこから、見ていたのですか?」


「?」


 宰相の問いに、真也は思案顔になった。人間の名前を覚えるのが苦手だとはいえ、そもそもは比較的良く出来ていると言って差し支えない頭脳を持つ彼である。ほんの数十秒前の出来事を思い返す事なんか、九九を諳んじるくらいに簡単であり、つまりは自分が目にした衝撃の光景(・・・・・)を、目蓋の裏に再生し直す事など容易い。

 だから、続けた。


「……“きゃあきゃあ、王女様、王女様。 

 クンカクンカクンカクンカす~は~す~は~……はぅ~、王女様の――”」


「――交換条件を」


 言い終わらぬ内に、ネイト宰相はデスクから立ち上がり、カツカツと靴音を響かせながら歩み寄って来た。疑問符を浮かべる真也の両肩を、ガシッと強く握り込んだ。


「ご安心を。私は、無償で口止めを頼むほど我欲に塗れてもいなければ、口約束だけを信じる程に愚かでもありません。

 ――いいですね? 貴方は、この部屋に入ってからの数十秒で見た光景を全て忘れる。忘れるのです!! 私は今、その対価として、貴方が私に求める交換条件を提示せよ、と言っています」


「……、…………」


 「さあ、早く!!」と、臨戦態勢のネコのような目で睨んでくる宰相の気迫に、真也はにわかに気圧された。

 でも、まあ、アレである。元々、真也は彼女に頼み事をしに来たワケであり、彼女はどうやら少々取っ付きにくい性格の持ち主らしい、という事情も感じ取ってはいたので、ここで交渉材料を手に入れる事が出来たのは、まあ、真也にとっては行幸だったと言えなくも無いだろう。

 先の光景に頭痛を覚えつつもなんとか前向きに解釈し直した真也は、三回程深呼吸して頭の中を整理して、真っ直ぐに、半泣きのネイト宰相の目を覗き込んだ。


「じゃあ、いくつか訊ねたい事があるから、答えて欲しい」


「…………」


 真也の“条件”に、ネイト宰相は即答を避け、思案顔になった。恐らくは、敵国に召喚された“守護魔”という真也の立場を考え、機密に関わる事でも訪ねられた場合を想定したからだろう。あんなコトをしていても、やっぱり一応はこの国の宰相様であるらしい。真也が「答えられる範囲で良い」と言ったので、最終的にはそれで納得してくれた。

 納得してくれたので、生粋の科学者である真也は、遠慮なくイロイロと質問してみるコトにした。


「――じゃあ、先ずは一つ目。以下は、あくまでもオレの学術的興味に基づいた質問なんだが――オレは基本的に、性的な偏愛や情動といった感情は、本質的には次世代生産という生命の根底に組み込まれたプログラムの副産物では無いかという説を支持している。

 その説で言えば、つまり同性の使用したタオルの匂いに偏執するという、次世代の生産に全く繋がらない先の行為は、ある意味では上記のプログラムの誤作動だと言えそうな気がするんだが――果たしてこれを只の誤りと見るか、或いは生物学的本能に束縛されない、究極の好意の形と見るか、という命題について解を出しかねている。

 よってこの辺りで、是非とも当事者としての意見を――」


「イヤァァァァァアアアアアアッッッ!!??

 ほ、他!! ほほ他!! 他の質問にしてくださいもう勘弁して下さいお願いします~!!」


 ……涙をボロボロと流し、宰相はベッシャベシャな顔で、真也の足元に崩れ落ちた。

ネイト宰相を覚えてないっていう方。

実は70話でちょっとだけ出てます~。

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