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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第三章:エーギルの晩餐会-3『cross cultural communication』
81/91

81. 魔力と重力の関係式から推測される魔力変数マが限りなく小さな時に発生すると思われる重力場の古典力学的な変化を確かめる為の禁鎖領域に於ける物体の二次元的な放物運動の検証実験

「……オレが覚えてるのはここまでだな。

 そういうあんたこそ、ナニか知らないのか?」


 ――そして、思考は現在へと舞い戻る。

 完全に崩壊してしまった天の国サロン跡地(・・)にて、真也は二日酔いの強烈な頭痛に頭を抱えながらネプトに尋ねた。

 ネプトは青い短髪を、クシャッと指で握り込む。


「……、駄目だ、分からねぇ。

 バカデカいクジラの脳天を、剣で思いっきりぶち抜いた所までは覚えてんだが……」


「剣って、あの赤い塔に突き刺さってるアレのコトだよな?

 へぇ、知らなかったな。

 あんたの世界じゃ、ああいう塔の事をクジラって言うのか」


「な、ナニしてくれてるんだよー!!

 あ、あああ、あそこって――。え、エウロパ炎民議長(・・・・・・・・)の部屋じゃないか~!!

 うぅ……。ボク、またいびられるぅ……」


 ネプトと真也のやり取りを聞いて、いつの間にやら目を覚ましていたらしい緑の少女が卒倒した。

 彼らの視線の先には“炎の民”の派閥が使っている赤い塔が聳えており、その中の一角は高速で投げられたらしい小刀の直撃によって半壊している。

 緑の少女――ウラノスは、パラパラと零れ落ちているその瓦礫を見ながら涙目だった。

 どうやらアレに関わる人物が不機嫌になると、彼女の身に何やら恐ろしいコトが起こってしまうらしい。

 力尽きたように項垂れる彼女の前には、同じく甲子園の土を集める高校球児のような姿勢で床に倒れ伏しているアルの姿がある。


「お願い、殺して……。

 昨日のあたしを、飲む前に戻って刺し殺して……」


 どうやら、こちらも許容量を超える精神的ダメージを受けて再起不能らしい。

 シミとは無縁で真っ白なはずの彼女の頬は、この時ばかりは、昨夜ドラゴン・ブラッドを呷った時を遥かに上回る程の紅潮度合いを見せていた。


 そんな彼女の肩に、誰かが慰めるように手を置いた。

 ――ウェヌスだ。

 白い鎧の武装姫は、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えて忙しい彼女の肩に手を当てて、ふるふると首を横に振った。

 固く閉ざされたその瞳が、昨夜の彼女に対する“あちゅいは無い”という感想を暗に語っていた。


「死んでやる~っ!!」


 アルが、駆け出した。

 吹き飛んで消し飛んだ壁の穴に向かって、ビルの屋上にも等しいこの高さから身を躍らせようと、真紅の少女はローブの袖で顔を覆いながら疾駆する。


「っ!? ま、待てアル!! 早まるな!!

 君の身体は、君一人の物じゃないんだぞ!?」


「放してよ!! あんたには関係無いでしょ!?」


「オレほど関係のあるヤツも珍しいぞ!?」


 全力でアルを羽交い絞めにする真也と、尚も沸騰した薬缶みたいな顔で大暴れするアル。

 そんな銀の国のバカ二人を呆れたような顔で眺めつつ、天の国勢や武の国に次いで起きたらしいマルスが、犬耳をピョコピョコさせながら“クカ~ッ”と大きなアクビをしていた。

 ……だが。そんな長閑(・・)な朝の光景も、どうやらソレ以上は続かなかったようだ。


「……やれやれ、騒々しいな。

 朝っぱらくらい静かにできんのか貴様らは」


 本当に、いつでもどこでも偉そうな、傲岸不遜な誰かの声。

 不満気なその言葉と共に起き上がった“その人物”の姿を見た瞬間、その場に居合わせる全ての人間が、最新式の冷却レーザーでも当てられたかのように全ての反応を停止させられてしまったからである。

 誰からともなく、感情の無い声が漏れた。

 大騒ぎしていたアルまでもが、呆気にとられたように自傷行為を中止していた。

 マルスが口を大きくガバッと開け、“な”と小さく呻き声を漏らした。


「何で全裸(・・)だメル嬢ぉぉぉおおおおお!?」


 そう。普段から裸同然の格好で過ごしている彼女――メルクリウスは、何故か、どういうワケなのか、今や唯一身に着けていたマントや服すらも完全に脱ぎ去っていたのだ。

 おそらくは、酒が入ったのが不味かったのだろう。

 露出狂(ヘンタイ)な彼女に脱ぎ捨てられたらしいお召し物が、脱皮後の蛇の皮みたいに、あちらこちらに散らばってしまっている。

 そんな惨状も気にするコト無く、メルクリウスは高らかに笑い声を上げていた。


「ハハハッ!! 何をバカな事を!!

 服とは、見苦しい部位を隠すためにあるのだぞ?

 この予の身体に、恥ずべき部位など一片たりとも有りはせん!!」


「胸張んな腰に手ェ当てんな股広げんなぁあああ!!

 頼むから服着てくれ!! 頼むからぁぁああ!!」


「待て待て待て待て!! アル!! 何故急に拳を――ヘブ!?」


「うるさい!! 今の!! あんたに!! 目を、開ける!! 権利なんか!! 無い!!」


「のわぁ!? ちょ、待てウェヌス!! テメェ、いま俺の目ぇ斬――」


「問題ありません。目など無くとも、貴方なら心眼で戦えます」


「無茶苦茶言ってんじゃねぇぇええええ!!」


「待ペ!! アぶッ!! まずは落ち着いて話し合――ブペッ!?」


「いいの!! どうせ、すぐに、治るん、だから!! あんたは、黙って!! 殴ら、れる!!」


「おい、白いの!! 黒フードどこ行きやがった!?」


「!? あ、アイツ逃げやがったな!?

 赤犬!! 踏まれてないでさっさとその変態に服着せ――ゴハ!?」


「ぎゃぁぁあああああ!?」


 修羅のように大暴れする召喚主達と悲鳴を上げる守護魔達。

 恐るべき破壊力であった。

 異世界の理を振るう魔人たちが一瞬で、こうも容易くKOされてしまうだなんて、一体どこの誰が想像しただろうか。

 若干名の些細なコンプレックスを鋭く抉る彼女の体形は、今この場にあっては下手な戦略兵器よりも数段強力な威力でもって間接的に二人の魔人に襲いかかっていた。

 真紅の少女に馬乗りになられ、イモムシのように床を這いずりまわって藻掻く真也。

 ――と、その時。彼は、目の前に居る“ソレ”の存在を見つけて声を張った。


「そうだ、ユピ様!! あんた、コレ争いだぞ!! 止めなくていいのか!?

 目の前で無益な血が流されてるぞ!?」


「……、…………」


 真也からの問いに、ユピテルからの返答は無かった。

 別段、まだ起きていないというワケでは無い。

 ユピテルはウラノスとほぼ同時に起きたらしく、彼らは二人寄り添うようにして佇んでは、ただサロンの入り口があったはずの場所へと目を向けている。

 否。より正確に言うと、ユピテルは何か観念したかのように肩を落とし、ウラノスは末期ガン患者もかくやという程に真っ青になってガクガクと奇妙な痙攣を起こしているところであった。

 アルも異常に気がついたのか、降り注いでいた拳の雨も今は止まっている。

 真也は、チラリと入り口の方に視線を向けた。



「……“サロンには近付かなくても良い”と仰せでしたので、指示通り定刻までは控えていましたが」


 ユピテル達の視線の先には、何やらめっぽう品の良い美少年が居た。

 貴公子とは、多分彼のような容姿の子の事を指すのだろう。

 ――だが、もしかして彼も二日酔いなのだろうか。

 黒に近い紺色の貴族服を纏う少年は、サラッサラのオレンジ髪に指を絡ませて、何やら壮絶な頭痛を堪えるようにグッと頭を抱えていた。


 その場に居たのは、彼だけでは無かった。

 方眼鏡を嵌めた初老の紳士を始めとして、何やらこの階を埋め尽くさんばかりの、ものっすごい数の貴族達が、皆手に手に魔装と思われる道具を持ちながら、睨みつけるようにしてサロンの惨状を伺っている。

 その中の一人。桃色の髪をロールにした厚化粧の女性が、2~30メートル離れても一発で分かるくらいピクピクと表情筋を痙攣させながら、ズイズイと緑髪の少女の下へと歩いてきた。


「ウラノス? これは一体、どういうコトなのかしらぁ?」


 底冷えするような声だった。

 ウラノスが死にかけの金魚のように口をパクパクさせるコトしか出来なかったのも、全く何の不思議も無いと思えてしまう程の怨嗟の声である。

 ……もしも真也が、ふだんの彼女はユピテルの前でこんな声を出す事はあり得ないという事実を知っていたとしたら、更に三割増し程度の恐怖を感じる事が出来ただろう。

 だが、何にしても、今の真也にはそれどころでは無い事情が別にあった。

 尚もチクチクと小言を宣っている桃髪の女性と同じように、顔をピクピクと引き攣らせた初老の紳士が、凄まじい数の貴族達の先陣に立って、何やら大きな声を張り上げた。


「貴様ら!! 我らが国王の招待を受けておきながら、よりにもよってその席を反故にするとは!! 天の国の名誉に泥を塗った罰、確と受けてもらおう!!!!」


 老紳士は、猛禽のような瞳の奥に燃えるような炎を宿しながら宣言する。

 ――だが、それもあまり問題であるとはいえない。

 何故なら今の真也は、そんなコトなんかどうでも良いとすら思えてしまう程の、命に関わるほどに重大な問題を抱えていたからである。

 真也は、ざっと目視出来る範囲全てに視線を飛ばす。

 散乱している瓦礫や赤絨毯を素早く検索項目から除外し、今自分が手にするべき“ブツ”の位置を、2秒以下の時間で全て把握。

 その中の1つが直ぐ手を伸ばせば届く場所にある事を理解し、彼の頭の中にはある一つの言葉だけが去来した。


 ――チャンスだ。


 真也は呆然としているアルの拘束から素早く逃れると、眼と鼻の先にあったブツ――つまりはメルクリウスのパンツ(・・・)をむんずと掴み、ターゲットの位置を捕捉した。

 ――狙いは、メルクリウスの足元。踏まれている犬。

 絶望的な位置関係ではあるものの、今はあの犬の行動に賭ける以外の打開策が見つからない。

 真也は神速で立ち上がると、グラウンドだったら土が舞う程に大きく脚を振り上げ、大リーグボールでも投げるのかと見紛う程の気迫と共に、(パンツ)を後ろへと振り被った――!!


「こいつを履かせるんだ、赤犬ッ!!」


「って!! ど、どさくさに紛れてなんてもん掴んでんのよあんたはぁぁぁああッ!!」


 ――電光石火だった。

 白球が真也の右腕から閃こうとした正にその瞬間、背後から落雷のように落とされた少女の後ろ回し蹴り。その一撃が真也の後頭部を撃ち抜いた瞬間、彼の上体は絶対に曲がっちゃいけない角度にまで大きく傾き、それが的確だった筈の彼の狙いを大幅に逸らす。

「ヒッ」と、周囲から一斉に小さな悲鳴が漏れた。

 大きな悲鳴に特有のわざとらしさが無い辺りが、なんか余計に事態の深刻さを物語っている気がする。

 真也は、暫しの間自らが投げたブツの行方を見るコトが出来なかった。

 ……見たく無かったのだ。


「…………」


 それでも意を決して彼が目を向けると、そこには先刻の桃髪の女性が佇んでいた。

 ――きっと、ナニが起きたか分かっていないのだろう。

 赤いドレスの縦ロールは、何かを言いかけているかのような、口を半開きにした姿勢のまま、なんか冷却スプレーを浴びせられた昆虫のように固まってしまっている。


「……、…………」


 ……顔には、件のブツが張り付いていた。

 きっと、彼女の分厚い化粧やら長いマツゲが影響しているのだろう。

 ピタッと張り付いたパンツは自重で剥がれてくれる気配すら見せず、彼女が呼吸を繰り返す度に下の方がヒラリ、ヒラリと靡いている。

 やがて彼女は、ひきつけでも起こしたかのように痙攣する腕で、張り付いたブツをペリッと静かに引き剥がした。

 剥がして、三秒くらいそのブツを引っ張ったり伸ばしたりしてイロイロ確認しつつ、やっぱりそれが間違いなくソレである事が確認できたのか、手の平から血が出るくらい思いっきり拳を握りしめていた。


「わ、わたくしの、顔に、下……!! 汚らしい、下、下……ッ!!」


 ……幻覚、だろうか。

 厚化粧の下に、ミミズでも入ってるのかと疑いたくなるくらいブットイ青筋が浮かんで、心なしか背後ではメラメラと陽炎が立ち上り始めている。

 表情筋をピクピクさせすぎたせいか、ピシッ、と化粧にヒビが入った。

 ツボに入ったのか、プルプルと笑いを堪えるウラノス。

 そんな彼女に魔族のような睨みを効かせつつ、桃髪の女性は赤いドレスからウォンドのようなモノを取り出し、号令一下高らかにそれを真也へと振り下ろした。


「その男を殺しなさいッッッ!!」


「「「「うぉぉおおおおおお!!」」」」


「「「「うわぁぁぁぁあああああああ!!??」」」」


 貴族達が突入を開始した。

 何事かと唖然として固まっているユピテルを尻目に、先攻部隊のウォンドがキラリ、と煌めき、三桁に迫ろうかという膨大な数の火球が轟音と共に空を切る。

 守護魔の抗魔術結界はそれらを容易く阻んだが、貴族達の気迫は悪魔にでも脅されているんじゃないかと疑いたくなるくらいに凄まじく、その闘志に当てられた各国の最高戦力達に悲鳴を上げさせるには十分に過ぎる程の威嚇効果があった。

 更には方眼鏡の紳士が浄場が云々と叫んだのを皮切りに、戦力の矛先が各国の召喚主及び守護魔達にまで波及していく。


「何故だ!! 何故いつもいつもこうなるんだ!!」


「いつもいつもあんたがヘンなのぶつけるからでしょうが!!

 ナニ考えてんのよあんた!! ナニ!? 偉そうなヤツの顔みたら、なんか投げつけなきゃ居られない呪いかなんか掛かってるワケ!? ナニしにここ来たのよバカァ!!」


「待て!! オレのせいだってのか!?

 寧ろこれは、いきなりオレの後頭部を蹴ってきた君に責任があると考えるのが妥当だろう!!

 アレか!? 君は定期的に誰かを蹴らなきゃ居られない病気にでも感染してるのか!?

 抗生物質の開発を急がなきゃならないみたいだなぁッ!!」


「だから!! それはあんたがどさくさに紛れてヘンなモノ触るからでしょうが!!

 触らないでくれない? あんなばっちいモン触った後の手で、ヘンなバイ菌でも移されたら最悪だから」


「そうさせた元凶はどこの誰だと――、!?

 待て!! なんでお前たちまでオレから距離を取るんだ!? 赤犬!?」


「寄んな触んなあっち行けぇ!!」


「ネプ助?」


「こっち来んな疫病神ぃ!!」


「――戦闘開始、ですか。

 ク……。い、いいでしょう。上等です!!」


「ウェヌス!! テメェ二日酔いでフラフラじゃねぇか!!

 今だけは逃げとけ!! 頼むから!!」


「ぅっぷ。あぁ、気分が悪い。

 ああ、予は先に帰るぞ? マルスよ、貴様は寄り道をせずに戻ってくるがよい」


「なあ、冗談だよな、メル嬢?

 こんな大騒ぎ引き起こしといて、自分だけ――ってマジで消えやがったよこのババァアア!!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図の中、悲鳴を上げながら分散して逃げていく各国最強の大魔導とその守護魔。ある者はそのまま崩れた外壁から外へと飛び出し、ある者は床を殴りつけて大穴を穿ってその中へと身を躍らせ、またある者はその後ろに追従するようにしてあっという間に貴族達の視界から遠ざかっていく。

 貴族達もそれを追いかけて出て行ったが為に、賑やかだったサロンの会場は、ほんの数秒の後には閑古鳥が鳴かんばかりの荒城のように成り果ててしまった。

 兵どもが夢の跡である。


「……え~、国王陛下。

 ざっと見積もってみたところ、今回の被害総額が、少々恐ろしい事になりそうでして」


 そんな中、オレンジ髪の氷民議長・イオだけが、頭痛を堪えるように眉を寄せていた。

 辺りの被害状況を軽く俯瞰しつつ、その度にピクピクと肩を震わせては感情を押し殺してユピテルに何かを箴言している。


「本来であれば、権威保持の為にもこのような真似は慎みたいのですが――何分、額が額ですからね。

 各国の王室宛に賠償請求を回したいので、許可を頂けますでしょうか。

 ご安心を。各国の諜報員に画策を命じ、なんとしてでも払わせますので」


 若き氷民議長は、黒い笑みと共に何やら不穏な提案を述べていた。

 ――後日。銀の国にて某カツラの大臣が、ストレス性胃炎で魔導研究所に緊急搬送されるという事件が発生するのではあるが、それはまた別のお話である。



 大騒ぎしすぎて、埃が立ちすぎた為だろうか。

 ユピテルは口元を押さえて、コホコホと小さく咳を漏らしていた。

 多少苦しげではあったものの、本人はあまり気にした様子も無く、ただ崩れ去ったサロンの惨状だけに目を向けている。

 視線の先には、猿の様なキンキン声でウラノスを怒鳴りつけているエウロパの姿と、それを諌めるガニメデ。そして、今頃のこのこと現れて二人の議長にガミガミと文句を垂れられている傭兵・カリストの姿がある。

 そんないつも通り(・・・・・)の光景を見ながら。

 ユピテルは何かが吹っ切れたような、ただ晴れやかな笑みだけを零していた。


「いつか、分かり合えるよ」



―――――



 その国は、存在そのものが現代に生きる亡霊であった。


 余命無き死霊国家・死の国(ネクロガルド)

 大陸の極南に位置しているとされるこの国は、国土の大部分が作物すらも育たぬ不毛の地であることでその名を世界に知られている。

 恐らくは、高緯度である事に加えて土壌中の栄養素や化学物質などの組成も影響しているのだろう。

 辛うじて植物と呼べる物は水草や苔程度しか生育せず、またそれを食料とするべき動物も、殆ど見かける事は叶わない。

 湿地の遠方には街の残骸と思しき瓦礫が転がってはいるが、それはあくまでも過去の営みの名残としか言えない、正に“遺跡”としか呼べない程度の代物。

 それが、この国に訪れた人間が目にする全てであった。

 初めて訪れた者でなくとも、この地に人の生活痕を見出す事は難しいだろう。


 高いか低いかも不明瞭な天空は、墨汁をぶちまけたような黒雲に覆われている。

 今が昼間である事を考慮すれば、通常であれば一雨きそうだと憂慮するべき天候ではあっただろう。だが、この国に於いてそれは少々早計だ。

 ――何しろこの地の天候は、常に(・・)こうなのだ。

 どこからか火山性のガスでも噴き出しているのかもしれない。

 厚く広がり、しかし降水する気配すら見せないその曇天は、灰褐色をしているであろう泥の大地を、太陽光から遮る事によって夜の海のような闇の中へと落とし込んでいる。

 生命活動の全てが凍りついたかのような、漆黒の湿地帯。

 故にこの地を、他国の人間は“黒の凍土”と呼んで畏れ、忌み嫌っていた。


 天の国の宮廷から脱出し、バイクをひた走らせること約半日。

 白い青年と赤い少女がその湿地帯の入り口へと辿り着いたのは、太陽が見えれば頂点を僅かに過ぎたであろう頃の出来事であった。



「――ここが、死の国。“アイツ”の故郷、か」


 薄暗い平原を遠くに俯瞰しながら、真也が零す。

 アイツとは勿論、銀の国に残してきた黒髪八重歯の少女――プルートの事だ。

 どのような感情からか。黒の凍土を眺める彼の、普段通り透明な声色からは、その内心は伺えない。


 彼の視線の先には、遠くに街の残骸らしき物が聳えている。

 一応のところ“街”とは表現したが、恐らくその形容は不適だろう。

 何しろ街とは、複数の人間を内包する建造物が密集した領域を指す名詞だ。

 そういった意味で言えば、近づいたとしても人間なんか一人も見かける事の叶わないであろうあの残骸は、“街”と呼ぶにすら値しない。


 遠目に見える建造物群は、この距離からでも一目で分かる程に崩れ、風化し、蔦が絡みついて朽ち果てている。

 よくテレビの考古学番組で目にするような、数百年前の古代遺跡が丁度こんな感じだっただろうか。

 修復や塗装の跡が一切見られないその建物の数々には、どう見ても人の痕跡が残っているようには見えなかった。


 “街”の手前に広がる湿地帯には、大小様々な魔獣の骨が転がっていた。

 野ざらしにされた無数の屍に、時折湿り気を含んだ生温い風が吹き付けて、風鳴りの音が啜り泣きのような物悲しい音楽を奏でている。

 一体、彼らはどこから迷い込んだものなのか。

 死神にでも誘われて群れから逸れてしまったかのような彼らの遺骨は、まるでそれ自体が“こっちには来るな”と忠告しているようにすらも映る。

 吹き抜ける風に混じって、微かに腐臭のような物も漂っていた。


「話には聞いてたけど――うわ、実際に見るとやっぱ不気味だわ。

 シン、草の無いところには近づかないようにしてね?

 この国、特に禁鎖領域(ヘル)だらけな事で有名なんだから」


 真也の呟きを聞いたアルが、相槌を打つようにそう答える。

「そういえば」と、真也は軽く首を傾げた。


「アル。少し気になってたんだが、その禁鎖領域っていうのはなんなんだ?」


「? そんなの決まって――って、あれ?

 教えたコト無かったっけ?」


 アルは訝るように眉を潜めると、何かを思い返すように目線を上に向けた。

 それから何かを説明しようとして、しかしすぐ目の前に草が全く生えていない地点がいくつかあるのを目に留めて、「見せた方が早いか……」と呟きながらそちらに向けて歩いて行く。

 次いで小石を一つ拾い上げると、その草が全く生えていない領域に向けて、思いっきりそれを放り投げた。

 不思議そうに首を捻る真也。


 ――瞬間。

 彼の目線の先で、空中を飛んでいた筈の石が消えた(・・・)


「は?」


 真也が、驚愕したように目を見開く。

 ――“転位魔術”?

 いや、違う。真也は既に、氷の皇帝が用いる転位魔術を何度か目にしている。

 だが今目にした現象には、転位に特有の空間のゆらめきが、一切観測出来なかったのだ。

 そして、何より。

 アルが投げた筈の、そして空中で消えた筈のその石は、間違いなくその草の無い地面の上に転がっていた。


 確認させるように、アルが小石をもう一つ手にとって、“禁鎖領域”へと投げ込む。

 どんな現象が起きるのかを知った後の今の真也には、今度は投げ込まれた石の軌道が鮮烈なまでに網膜に焼き付けられていた。

 ――石が、緩やかな放物線を描いて、“領域”に飛ぶ。

 ――領域に入った瞬間、カクン、と、その軌道がほぼ直角に変化して地面に向かう。

 ――最後に、アルが投げた初速よりも遥かに大きな絶対値をもって、超高速で落ちた(・・・)石が、地に埋まった。

 それはまるで、下から強力な磁石によって引き付けられたかのような、物理法則的に見てあり得ない運動であるように見えた。


「……わかった?」


 アルが、面倒くさそうに続ける。


禁鎖領域(ヘル)っていうのはね、魔力が枯渇してる領域なの。

 あたし達がこうして生きていられるのは、四大精霊が魔力を元に、あたし達に加護を与えてるからでしょ?

 ――四大精霊の加護を失った者は、地に住む邪神が魂を引く力に抗えず、魂脈を剥がされて“死”を迎える。

 つまりあそこは、邪神が魂を飲み込む為に大口開けてる地獄の入り口ってワケ」


「……、なるほどな。大体理解した」


 無論。真也は魂が云々というアルの説明は華麗に聞き流している。

 故に彼が言う“大体理解した”というのは、この世界に来てから彼が発見した幾つかの物理法則に照らし合わせての感想であった。


 “魔力と重力の関係式”という物が存在している。

 これはアイザック・ニュートンの万有引力の法則の式をこの世界でも適用出来るように、彼が魔力を意味する変数を組み込んで少々改変した物であり、それは端的に言えば、“場の魔力量と重力の強さは反比例する”という事実を意味する公式なのであった。

 より簡単に言えば、魔力が多い場所では重力が軽減され、少ない場所では重力が強くなるという実験的事実を示している。


 当初は魔力が極めて多い“修練場”とシルヴェルサイトの外を比べる事で見出した物ではあったが――今ここで、逆のケースについて考察してみる事にする。

 さて。先の式に於いて、もしも今少女が語ったように魔力が殆ど存在しない領域があったとしたら、この世界に於いてその場所では一体何が起きてしまうのだろうか――?


 答えは、非常にシンプルである。

 もしも魔力が多い場所で重力が弱まるのだとしたら。

 逆に魔力が少ない場所では、それこそ魔力が存在する場での重力に慣れた生物が一切生育出来ない程に、重力が圧倒的に強まる(・・・・・・・)

 先の現象は、つまりはそういう事を示唆しているのだろう。


 ――と、そこまで考えた所で。

 真也は、ふと疑問符を浮かべた。


「待てよ? だったらおかしいじゃないか。

 あの廃墟、どう見たってその禁鎖領域に囲まれてるぞ?」


 そう。今真也の眼前に見えている、この凍土で唯一の人工物と思しき建造物群は、周囲をグルリと灰褐色のラインに囲まれているように見えたのだ。

 そもそも人が住んでいるようには見えない街ではあるものの、かといってそれが人工物である以上、この凍土にあそこ以上に人の生活に適した場所があるようにも思えなかった。


「もしかしたら、どこかに切れ目があるのかも。

 あとは、実はアレはただのダミーで、本丸は地の国みたいに地下に隠してあるとか。

 プルートなら、その辺りのことも詳しく知ってるかもしれないけど――」


 ――プルートは、聞いても答えないだろう。

 何しろ死の国最大の強みとは、この“あるのか無いのかすらも分からない”という、亡霊のような曖昧さそのものにあるのだ。

 いかに国を追われ、銀の国に捕虜として囚われている今の立場にあるとしても、未だ家族や知人達が住んでいたであろう故郷を売るような真似をしてくれるとは思えない。

 と、真也がそこまで考えたところで。

 目の前の遺跡の中で、ナニかがユラリ、と揺らめいたのを見た気がした。


「? どうしたの?」


「いや。なんか今、あそこで人影が見えたような――」


「っ!! ちょ、やめてよ!! そういうの!!」


 真也の一言に、アルは青い顔をしてポカポカと胸板を叩いてきた。

 いやはや、何とも可愛らしいものである。

 普段からあんなお化け屋敷みたいな図書館に暮らし、しかも呪文一つで大巨人まで吹き飛ばすような怪獣少女が、一体今更ナニを恐れる必要があるというのだろうか。

 この国のおどろおどろしい雰囲気も影響しているのかもしれないな、なんて解釈しつつ、同時にここで生まれ育った筈の某黒髪八重歯な幼女はやっぱりあのお屋敷なんか全然怖くも何ともなかったんじゃないか、なんて客観的な分析を熟しつつ、真也は彼女にそろそろ出発しようかと促した。

 その時、空から“翼”が舞い降りてきた。


「先行します。離れないように、気をつけてついて来て下さい」


 ――ウェヌスだった。

 白い翼に乗る武装姫は、背後に青い従者を控えさせたまま、頭上すれすれの低空を飛びながらそんな声を掛けてくる。

 銀の国の二人は、訝るように目を見合わせた。


「アレは、武の国に招待してくれてる、って解釈でいいのか?」


「…………」


 当たり前の話ではあるのだが。

 この世界に“虹の橋(ビフレスト)”のシステムが存在している以上、真也達は銀の国に帰還する為に来た時と同じ道を使う事は出来ない。

 彼らが使用した橋は銀の国から果ての無い平原に続く橋と、果ての無い平原から天の国へと続く橋。よって彼らが帰還する為には、最早死の国から武の国を経由して反時計回りに大陸を経由するルートしか残されてはおらず、そういった意味で言えば、この王女様からの歓迎は正に渡りに船というか願ってもない提案であったという事になる。


 本来、彼らは喜ぶべき事態だった筈なのだ。

 事実真也は、武の国という明らかな“敵地”内である程度の安全が保証されそうだという事に、ホッと胸を撫で下ろしていた。

 ただ、アルだけが、どこか渋い面持ちを崩す事が無かった。


「武の国、か……。

 行きたくなかったな~……」


 走り出したバイクの後ろで、真也の背中に掴まりながら。

 アルは、消えそうな声でそんな呟きを零していた――。



―――――



 その光景を眺める、“影”があった。

 街の残骸と思しき廃墟に囲まれた、分厚い黒雲の下に隠された風化した世界。

 人間など一人もおらず、否、生物すらも死に絶えたようなその地獄の中心で、“影”は断末魔の悲鳴を上げながらのた打ち回る。


 ――苦しい。


 ――苦しい。


 ――苦しい。


 “影”に残された感情は、今となってはそれだけだった。

 あまりにも不明瞭な姿形をしたその“影”は、全身を苛む苦痛に発狂し、気が触れたように辺りの土や瓦礫を噛み千切る。

 だが、満たされない。そんなモノでは、ナニ一つ満たされない。

 満たされない故に絶望し、“影”は一分一秒毎に幾度もの死を経験していた。


 そんな“影”の感覚器官が、今際の際にソレを捕えた。

 既に殆ど用を成さなくなった、壊れかけの感覚器官で。

 捕えて、しまったのだ――。




『――ここが、死の国。“アイツの”――』




 ――ア゛。




『――いや。なんか――、あそこで――』




 ――ア゛ア゛。




『――ちょ、やめ――!! そういう――』




 ――ア゛、ア゛ア゛、ア゛!!




 ――肉。動いてる、肉。喰い千切る。

 腹、減ってる。喉、渇いた。苦しい、死ぬ、死ぬ。死ねない、死にたい、死ねない、でも死ぬ。

 喰う。だから、喰う。皮を剥いで●●散らして肋骨を開いて出てきた●●を喰い破って中から噴き出してくる赤い赤い赤い●を飲む。

 美味そう。なんて美味そうなんだろう。

 柔らかくてフニャフニャしてる皮膚の中身に歯を突き立てると噛む度に汁がクチャクチャクチャクチャと噴き出してきてそれが喉を通って胃に流れ込む感覚のなんて優美で甘美で美しくて素晴らしい。

 もうすぐ。もうすぐ喰える。もうすぐもうすぐもうすぐもうすぐ――!!




 イマ、スグニ――。




 幾度死んでも死に切れない影は、発狂したようにケタケタと嗤う。

 風鳴りの音に紛れるような、極寒の冷気を醸すその咆哮は。

 宛ら、生者を羨む亡霊の怨嗟のようだった――。



(第四章・ニブルヘイムの亡霊に続く)

はい!! と、いうわけで、一番おバカな第三章・エーギルの晩餐会、ようやく終了です!!

お、思ったよりも時間かかっちゃいました。更新遅れがちでスミマセン!! ちょっと、実生活の方でイロイロと忙しい感じになっちゃってたりとかしてまして……。

……はい。次章こそは、なんとかペースを戻せるといいな~とかって思ってるんですけど。


次章の開始は、ちょっとだけお時間頂くかもしれません。

その、いくつか同時進行中の計画なんかがあったりとかしまして。

一ヶ月ちょっとあれば、なんとか再開出来るとは思うんですけど……。


えっと。そんなワケで、プロットが完成するまで、場つなぎ的にわたしの処女作を投下したいと思います。

いかにもわたしっていう感じの、ちょっぴりダークな携帯小説です。

古巣で総合48位まで行ったお話なんで、ある程度クオリティーは保証出来ると思いますので、グロいの大丈夫な方は、暇なときにちょくちょく読んで頂けると幸いです。


はい!! なるべく早く再開できるように頑張りますので、これからも朝マガをよろしくお願いします!!

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