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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第三章:エーギルの晩餐会-3『cross cultural communication』
79/91

79. 生態学的及び文化的な発祥が完全に異なると思われる異種生命体間の社会生物学的な比較に端を発する固定観念と常識の絶対性又はエスノセントリズム的思考に対する問題点の提起

 ……その後、少年の口から明かされたのは恐るべき彼の世界の実情であった。



 少年・マルスが生を受けたのは、一言で言えば廃墟のような街だったという。

 ナニに使われていたのかも分からないような、意味不明な金属の残骸だけが散らばる、全てが終わった後の荒れ果てた世界。

 五感が取り入れる主な情報は、もはや用も成さなくなった高層建築物の数々に、それを轟々と焼き続ける硝煙の臭い。そして、それらを時折揺らめかせる崩落の音。

 それら全ては、嘗て栄華を極めたらしい、どこかの文明の残骸としか呼べない代物達であった。


 どうしてこうなってしまったのか。

 或いは、いつからこうなってしまったのか。

 原因を知る者なんか、今となっては誰も居ない。

 そんな事は誰にも分からないし、そもそも誰一人として気にしようともしないのだから、やっぱり気にするだけ無駄なんだと、そこに暮らす人々は誰もが当たり前の様にそう考えて育っていた。

 ――そんなクダラナイコトを気にしたって面白くもなんとも無いし、ムカシの事をゴチャゴチャゴチャゴチャ考えてる暇があるなら、その分酒でも呑んで騒いだ方がずっと建設的で楽しかったからである。

 瓦礫の山から“ロスト・テクノロジー”の文献や産物を漁っては、今日も今日とて、廃墟に潜む獣たちは水と食料の奪い合いの日々に精を出す。

 全ては今日の一日を、面白おかしくサイコーにハイに過ごす為に。

 政府もルールも義務も無し。堅苦しい話は全部抜きの、やりたい放題好き放題のフリーダム!!(マルス談)


 ……某白い青年が“どこの世紀末だ”とツッコんだとかツッコまなかったという事実がここにあったり無かったりもするが、ここでは敢えて端的に“史実”のみを記述することにする。

 え~と、つまりアレである。兎にも角にもどこもかしこもがそんな状態になってしまっているが為に、世代間のローテーションなんかは、それはそれはもう半端では無いのであった。

 曰く、殆どの女性?は、10で伴侶を得て12で出産。

 その間夫が存命であるとは限らない為、彼女たちが常に2~3人の相手と関係を持っているなんていう事は、そりゃもう極めてザラな話であったらしい。

 ――と、いうか。そもそも“戸籍”という観念からして存在しない。

 かく言う少年も、どうやら地味に地球流に“妻”と解釈できそうな女性は3人くらい居たらしく、更に彼女達はそれぞれ5~6人の夫らしき相手を持っていたらしいというのだから、もう開いた口が塞がらないというかなんというか……。


 ……恐らくは、そうでもなきゃ“人口”というモノが維持出来なかったのだろう。

 マルス曰く、昨夜一緒に酒を呑んだヤツと今日殺し合う、なんてことが歯を磨くレベルで日常茶飯事。そのくらい死亡率が半端じゃない世界だったらしいので、生物学的に考えてこの仮説は割りと正しいのではないか、なんて、完全に畑違いな物理学者の青年は何となく解釈してみる事にしていたりする。

 ――平均寿命・20歳。



「「「「…………、………………」」」」



「ケケケッ、分かったかよぉ?

 団結ぅ? 平和ぁ? ナニソレ食えんの?

 そんなくだらねェもん無くてもよぉ、大抵の事ぁ、ぶっ殺しゃ手っ取り早く解決するように出来てんだ!!

 世の中、一番好き勝手過ごしたヤツが得するようになってんだつ~の!!」


 ゲラゲラゲラ~、と、赤い犬耳少年は腹を抱えて大笑いしている。

 一同は、最早ツッコむ気力も失せたと見えて、ただ言葉も失って頭を抱え続けていた。(既に知っていた(・・・・・)らしいメルクリウスだけはそれほどのダメージを受けてはいないようでもあったが、我関せずの体でシャンパンを召し上がっておられるのであまり気にしても意味がない)。

 ……少年があまりにも当たり前な顔で語る彼の世界の“常識”は、下手なマインドクラッシュよりも、数段上の破壊力でもって聞き手の精神を蹂躙してしまったらしい。


「な、なんなんだよも~!!

 さっきから殺せ殺せって、ブッソウに……。

 し、死んじゃったらなんにもならないじゃないか~!!」


「ん? どしてよ?」


 流石にそろそろ耐えかねたと見えて、目端に涙を溜めたウラノスが口を挟む。

 それをマルスは、何故かキョトンとした目で受け流していた。


「ん? え? ナニ? テメェら知らねぇの?

 いいか~? “天国”に行くにゃ、戦死(・・)しなきゃなんねーんだぜぇ?

 事故・老衰・病死は地獄行きって、昔話でも相場が決まってんじゃね~か。

 無駄に歳食っちゃってど~すんのよ」


「待て……。ちょっと待て。

 お前にとっての“天国”ってなんだ?」


「あん? “天国”は“天国”だろ~?。

 神様が住んでるっつ~、あの馬鹿デカい家。

 え? ナニ? テメェらマジで知らねぇわけ?」


 少年は呆れたように、そして当たり前のような顔で、彼の世界に語り継がれる“天国”の概念について補足していく。

 ――曰く。その“神様”なる輩は、気まぐれに自分の姿に似せる形で人類を創造なさったらしい。

 ……ここまでなら一神教的創造神話に典型的に見られる話ではあるのだが、どうやら彼の世界の“神様”とやらは、我々の世界で比較的信望されているソレの概念とは、比較するだけでもはっ倒されそうなレベルで性格に難を抱えているらしかった。

 マルスの語るところによると、“神様”とやらは剣闘観戦が趣味のバリッバリの戦闘狂らしく、そもそも人間を作った理由からして戦う姿を見る為だったとかなんとか……。


 ……イロイロと突っ込みどころはあるが、要点は一つ。

 その“神様”とやらは、暇な時に現世をチラチラと眺めては、気に入った人間に目星を付けて死後の魂を自らの邸宅に呼び集め、そこで毎日のように宴会や剣闘をさせて派手に過ごしておられるらしい。

 逆に神様に見初められなかった魂は拾われず、地獄に住む“腐敗する娘”の元に引き渡される契約となっているというのだから、そりゃもう文化的に“戦死”以外の死に方なんか許容されるワケも無いのであった。

 死を恐れ、避けるようにして長生きした魂なんか、剣闘好きの神様が“戦士の館”に迎え入れようとするワケがね~だろごらぁとか云々かんぬん……。



「……もういい、喋るな。

 お前の話を聞いてると、頭がおかしくなる」


 ――とは、曲がりなりにも平和かつ平凡な、現代日本出身な生粋のホモサピエンス・真也談。


「……オイ、緑の。

 平和主義者(・・・・・)なテメェから、なんかコメントは?」


「あ、あはは……。彼は、本当に冗談が好きなんだね」


 ――とは、ネプトに水を向けられた(色々な意味で)今代一の大物、ユピテル談。

 ……なるほど。前提条件からして何一つ一致しない少年の常識に、ちょっと半分くらい、脳細胞が理解を拒否し始めてしまっているらしい。

 ユピテルは、目を奪うほどに爽やかでにこやかな微笑だけを讃えていた。



「ニッシッシッシ!! や~~っと、分かったかよぉ。

 ど~せ人生なんざ、死んでからのが長いように出来てんだ。

 オヤジもオフクロも爺さんも、今ごろ“戦士の館”で酒でも呑んでらぁ!!」


「「「「……、…………」」」」



 ……コイツは、もうダメだ。

 この瞬間、何やら色々な人々が色々な意味で色々なモノを諦めたという事実を少年だけは知らない。



「よぉ~、デカブツぅ。

 テメェこそ、ど~んな世界だったのよ。

 ま、ど~せどっかの“主様”に飼い殺しにされてたのが目に見えてっけど~?」


「……お前の世界に比べりゃ、この世界と大して変わんねぇくらいだな」


 嘲るように嗤うマルスの言に肩を竦め、ネプトは零すようにそれだけを言う。

 そこで一度言葉を切って、チラリ、と横目でユピテルの方を伺ったようにも見えた。

 彼の碧色の瞳が先を続ける様に促している事を知り、ネプトは気が進まなそうにしながらも、はぁっ、と小さくため息をつく。


「……期待すんな。面白ぇ話なんざ、出来やしねぇよ。

 ここと同じように、馬鹿デケェ国同士がドンパチやってる世界だった。

 で、俺の住んでた島が丁度そのど真ん中にあるってんでよ。毎日毎日、どっかの国の軍艦が拠点作りに攻め込んで来るんだわな。

 当然、俺らはそいつらを追い返そうとするって話なんだが……流石に連日連夜って戦い詰めになると、こいつがちょいとばっか厳しくってよ。

 疲れちまったんで、仕舞いにゃ一番近い“王国”の傘下に入って、ようやっと平和に暮らせるようになった。

 ――俺の話せる事なんざ、精々そのくらいだ」


「ケケケッ、な~る!!

 よ~やっと分かったぜ~? つまりテメェは、その“オウコク”とかって連中にボコされて尻尾振ったってワケだ。

 アヒャヒャヒャヒャッ!! そら飼い犬根性イヤでも身に付くわなぁ!!」


「黙りなさい……!!」


 明らかに悪意を込めてあざ笑うマルスを、凛とした声が叱咤する。

 叩かれた円卓がサロンに乾いた音を響かせ、一瞬遅れて食器が小さく鳴き喚いた。


「……申し訳ありません。あまりにも低俗な誤解があったようなので、訂正させて頂きました。

 ――ネプト、私が保証します。

 貴方は彼よりも――いえ、この世界の誰よりも勇猛です」


 衆目を集めた声の主――武装姫・ウェヌスは、努めて抑えた声色でそれだけを告げ、溜飲を下げるように形の良い唇を引き結ぶ。

 軽口を叩いていたマルスも、今の彼女の剣幕には少々気圧されたのか、呆気にとられたようにポカンと口を開けていた。

 静かに送られた王女の賛辞に、青い鎧の男・ネプトだけが、あくまでも興味を示さない体で肩を竦めていた。



 ――ネプト自身は詳しく語らなかった出来事ではあるが。

 彼の世界の史実には“逆境不敗”と呼ばれた無敵の王国と、数えきれぬ程の戦火からその国を死守し続けた、とある英雄の逸話が残されていたりもする。


 その男が生を受けたのは、“王国”の東に浮かぶ貧しい島国での事であったと記録されている。

 地理的にあまり良い鉄が取れず、故に質の高い刀剣や鎧を作れなかったが為に、武器の不利を補う為に独自の武術が発展した孤島。当時の男は、その中でも一番の剣の使い手として名を知られていた。


 島が位置していたのは、海戦の要所となる場所だ。

 手に入れれば敵国の本土に兵を送る為の足掛かりになるが、万一敵の手に渡ればそこから自国に敵の軍艦がやってくるという、正に火薬庫とでも形容すべき海域。世界情勢が不安定になり、とうとう“戦争”が始まってからは、島にはそれこそ大量の軍艦が連日怒涛の如く押し寄せて来ることになった。

 ――尖兵とはいえ、世界の覇権を狙う大国の軍勢である。

 いくつかの大国が互いに牽制し合い、割ける兵力を限られていたとはいえ、それでも送られてくる兵力は、それこそ小さな島一つを制圧するには必要十分であると言えただろう。つまるところそれは、初めから勝負になる余地すらどこにも無いような戦いだったのだ。

 少なくとも、兵を送った大国達は皆そう考えていた。


 結論から言えば、その島に上陸を果たした軍艦はとうとう現れなかった。

 いざ制圧という段になって、大国同士がお互いに足を引っ張り合ったという理由も、確かにあっただろう。

 だがそれ以上に、元来より操船技術に長けていた島国の人々を率いていたある男(・・・)が、並み居る大国が送り続ける軍勢を、幾度と無く退け続けていたのが大きかった。

 ――その期間、約三ヶ月。

 当初三日で堕ちると思われていたその島が不落である事を悟るのに、“南方の大帝国”が要した時間である。


 “賊同然の戦力で、夷敵の軍艦を葬り続けている男が居る”。

 その噂は、やがては開戦から三ヶ月経っても現れない敵国の軍艦を訝しんだ“王国”の上層部の耳にも入ることになった。

 “王国”は睨み合う大国達の中では最も島に近く、つまりは島を手に入れる事によるメリットよりも、奪われる事によるデメリットの方が大きかった大国である。

 故に当時の“王国”は、敢えて島に侵攻して島が自ら敵国に与する可能性を高めるよりも、寧ろ島を夷敵から保護し、現状を維持させようという立場を取っていたのであった。

 その“王国”が、噂の真偽を確かめたと同時に、とうとう本腰を入れて“島”との交渉を始めることになる。


 交渉の詳細は分からない。

 史実として残っているのは、その島には“王”が小舟一艘で自ら出向いたらしいという“伝説”と、その男が“王国”の軍に入る事を条件に、王は島に自治権を与えたらしいという事実のみである。

 実際問題、自治も認めるし徴兵も課さない。更に島の名前まで残すという王国の提案は破格の物であり、当時既に戦力に限界を来しつつあった島にとっては正に渡りに船だったのだろう。

 王は、別に島などどうでもいいと考えていた。

 ただ、島に住むその男をいたく気に入っただけだったのだ。


 その後。元々、海戦に長けた島国出身の男は、敵国からの侵略戦が重なる度に瞬く間にその頭角を現していくことになる。

 その疾風怒濤の活躍ぶりたるや、戦の後半には、彼の姿を目にしただけで逃げ出す敵兵まで現れる程であったと言われている――。



 ――それも。全ては異なる世界での、こことは全く関係の無い時空でのお話。

 英雄が打ち立てたとされる無数の武勲に、主君から授与された23の勲章。

 その重みを正確に理解出来る人間は、残念ながら、今のこの世界には一人たりとも存在してはいない――。



「……勇猛、か。

 それが褒め言葉になるって時点で、文明レベル的にまずどうかって気もするけどな……」


 白い王女の発言を受けて、朝日 真也は興味も無さそうに、どこか疲れたようにため息を吐く。

 つい漏らしてしまったその一言により、ネプトの視線が彼に向いた。


「白いの。そういうテメェは、どんな世界から来たんだよ」


「……簡単だ。お前らなんか逮捕だ逮捕。

 一刻も早く隔離しなきゃ話にもならん」


 呆れたように、真也はヒラヒラと橙赤色の魔法円が浮かぶ左手を振って答える。

 当たり前のようなその一言に、キョトン、と、ネプトは何故かウェヌスと目を見合わせた。

 その目には、発言の内容を全く理解出来ていない者達だけが発し得る、これ以上無い程に明確な疑問符だけが浮かんでいる。


「タイホ? ナニソレ?」


「……えっと。なんか、“投獄”の事みたい」


 首を傾げるマルスに、アルが親切にも補足する。

 真也と知識を共有している彼女は、曲がりなりにもこの場では一番彼の事を理解出来る立場にあるのであった。

 恐らく“逮捕”や“投獄”という概念からして希薄だったらしいマルスには、それでもあまり通じていなさそうなのが非常に残念ではあったが……。


「投獄だぁ? おい、白いの。俺が何したってんだよ」


「暴行、傷害、器物破損。ツッコミだしたら色々あるが……。

 オレの居た国じゃな。普通は、そうやって武器持ってるだけでも駄目なんだよ。

 “銃刀法”っていう法律があってな。刃渡り――何センチだったか忘れたが、まああんたの剣は確実にアウトだろうな」


 訝るように眉を潜めるネプトに、真也は彼の腰元に携えられた小刀を示しながら言う。

 そこまで言ってから一度言葉を切り、ポン、と、白衣の上から気怠そうに腰元のホルスターを叩いていた。


「オレも、今は自衛の為に仕方なく(・・・・)武装してるがな。

 断っておくが、こんな武器には、オレは地球に居た頃にはただの一度も触れた事は無いぞ?

 この空気拳銃一つ取っても、現代日本じゃ一発でアウトの代物だよ」


「――? 随分と、おかしな文化なのですね」


 とは、何やらポカン口をあけておられるウェヌスの言。

 ……“あんたの文化が一番おかしいだろ”、などとツッコミを入れるような無粋な(親切なとも言う)輩は、残念ながら今この場には一人も居ない。

 王女はただ、静かに自らのオリハルコンの剣を示す。


「帯刀するのは、目上の者に対する礼儀として当たり前の事ではありませんか。

 国民に武装を許さないなんて――貴方の世界の権力者は、一体どうやって、国民に自らの“力”を示しているのですか――?」


「……いや、だからな。そんなもんは、そもそも示さないんだ。

 オレの世界じゃ、権力者ってのは、別に肉体的に強い必要性が全く無いんだよ。

 例えば総理大臣――まあオレの国で一番偉い輩だが、あのオッサンだってSPも無しで囲まれたら、その辺の中高生にだってフルボッコにされるんじゃないのか?」


「……、理解に苦しみますね。

 貴方の世界の人間は、どうしてそんなひ弱な人物に従うのでしょうか」


「…………」


 真也は、黙った。

 “力こそ全てな武の国の王女に、議会制民主主義の必要性と意義について説明する”。

 ……不可能である。猿に因数分解を教える方が、まだ楽な命題であると極めて客観的に断言出来る。故に彼は、脳幹と脊髄の接合部から湧き上がる底知れない頭痛を堪える為に、眉間に指をねじ込んで頭を抱える事しか出来なかったのであった。


「国家権力を維持する為の、平民への武装の所持制限か。

 まあ我が国では前例が無いでもないし、分からん話でも無いが――」


 あいも変わらず偉そうなこの声は、メルクリウスのモノであった。

 クリアブルーの長髪が眩しい女帝は、黙々と食べていたザッハトルテの皿を転位で円卓に戻し、値踏みするような視線を真也へと向ける。


「しかし、それなら少々おかしな話になるなぁ。

 シンよ。貴様、武装の所持や暴力が重罪になると言っている割りには、この世界に来てから随分な数の“戦闘”を熟しているではないか。

 貴様の言に従うなら、貴様自身、既に十分な重罪人という事にはならんか?」


「……異世界は治外法権だろうし、そうじゃなくても、多分法的には問題が無いだろう。

 確か、アレだ。“正当防衛”とか、“緊急避難”っていう法律があるらしくてな。

 司法系は専門じゃないから良く知らんが、命を狙われるとかの極限状態なら、ある程度の応戦は自衛の為に認められ――」


「……なぁ、チョイと気になってたんだがよ」


 小学校の教科書を思い出すような仕草で諳んじる真也の言葉を、ネプトが遮る。

 青い甲冑の大男は、訝しそ~に眉間に皺を寄せつつ、白い青年をジロリとめつけた。


「さっきからテメェが言ってる、その“忘れた”とか“詳しく知らない”とかってのは、何なんだ?

 テメェ今、そのルールを破ったら投獄されるっつったんだよな?

 なのにテメェは、そのルールの中身は詳しく知らねぇってのか?」


「……あのな、当たり前だろう。

 法律なんか、数が多すぎる上に毎年改正されてるんだから、それこそ専門家でも全部は把握しきれて無いんじゃないのか?」


「……、はぁ?」


 ネプトは、何やら唖然としたように、ガバッと大口を開けて放心した。

 ……なんか、スイカを噛み砕く直前のカバみたいな仕草である。

 その様に何か致命的な誤解が発生しつつあることを悟った真也は、面倒くさそうに肩を竦めつつも、あくまでも淡々と補足した。


「いや、待て。そうじゃないんだ。

 多分だが、あんたが思ってるような問題はあまり起きて無い。

 まあ、その、アレだ。その“ルール”ってのはな、一応オレ達の世界のモラルに則って決められるから、普通に生活してく分には、一から十まで覚えて無くてもあんまり問題は無いんだよ。

 極論、ちゃんと常識に則った行動さえ取れれば、法律なんか知らなくても何も困りは――」


「じゃあいらねぇじゃねぇか!! そんなルール!!」


 ツッコンだのは、マルスであった。

 “法”という概念からして希薄だったらしい彼の持ち合わせる世界観からすれば、真也の語る司法制度を理解することは、それはそれは困難を極めているのだろう。

 キリスト教徒に進化論を教える方がまだ簡単そうだったので、真也は赤い犬耳少年を敢えて無視しつつ、半ば説明を諦めて果実飲料をコクリと一口、口に含んだ。

 ――そして、その時。

 真也は、円卓の真向かいに座っている緑の青年が、何故かとても朗らかな笑みを浮べている事に気がついた。

 ユピテルである。


「凄いじゃないか」


 どこか感動したような面持ちで、彼は言う。


「つまり君たちの世界の人達は、みんなのモラルをちゃんと明文化して、それで自分自身を律しているって事なんだろう?

 ――争いも暴力も無い、みんながみんな“正しい事をしよう”って誓いあっている世界。

 素晴らしいじゃないか。そんなに平和な世界が作れれば、どんなに――」


「……。あのな、ユピ様」


 こっちはこっちで明らかに別のベクトルの誤解が発生しつつある事を悟って、真也はいっそ自分の頭を割りたくなる程の頭痛に苛まれる。

 キラキラと、ついに最果ての理想郷(エデン)でも見つけた殉教者のような顔になっているユピテルに、水を差すようで申し訳ないながらも、彼は大きくため息を吐いて見せた。


「オレはさっき、そのルールに違反したら逮捕されるって言ったよな?」


「? うん」


「……つまりオレの世界には、その逮捕者達を収容する為の施設が、確実に存在してしまっているわけなんだ」


「? うん、それで?」


「…………」


 はぁ、と。未だ理解する気配すら無いユピテルに、真也はマリアナ海溝よりも遥かに深そうなため息を零した。


「あのな。ルールを決めるだけでそんなに素晴らしい世の中になるならな、そもそも“刑務所”なんて施設は必要無いんだよ」


「「「「……、…………」」」」



 ――晩餐会の時間が、確実に停止した。

 ユピテルだけでは無い。ウェヌスやネプト、マルスを初めとして、参加者の皆様がほぼ全員、目を点にしたまま表情を能面のように硬直させてしまっている。

 それはまるで、小魚一匹を捕まえる為に地引網を引きずり回す漁獲業者を見るような、或いはヤードとメートルの打ち間違えによって火星に墜落した探査機を見るような、人智の及ばないほどにイヤな沈黙であった。



「――なあ、白いの」


「?」


「お前の世界の人間ってのは、バカなのか?」


「…………」



 どこか心配するようなネプトの言に、これまでで一番大きなため息を零しつつ。

 真也は、疲れきったようにガックリと肩を落とした……。


「……まあ、アレだ。

 世界人口も、70億を超えれば色々とあるってことさ」


「ケケケッ、聞いたかよぉ?

 コイツの世界、こんなのばっか70億――って70億ゥ!?」


 真也の零した一言により、再びカンブリア紀の化石みたいになってしまった参加者諸兄。

 再び時間が停止しつつあるサロンの中で、ポン、と、真也の隣に座っていたアルだけが、彼の肩に慰めるように右手を置いていた。


「……シン、自覚してないみたいだから言っとくけどさ。

 あんたの世界も、大概非常識だからね?」


「……、…………」


 “常識的”とは、果たして何を形容する単語だっただろうか。

 これ以上口を開くと精神に異常を来たしそうな予感をヒシヒシと覚え始めてしまったので、真也はコクコクと果実飲料を飲むだけで言葉を切った……。



「……これで、よく分かったな」


 固まった空気を打ち破ったのは、円卓の中央に投げられた低い声だった。

 ――サタンだ。

 ここに至るまで一言も声を発さず、ただ目を閉じて座していた銀髪の守護魔が、その金色の双眸を静かに見開き、他国の面々を静かに見据えていく。



「貴様らの世界は、異常(・・)だ。

 貴様らがこの世界に来たのは、間違いだった(・・・・・・)



 存在感の希薄な、ともすれば聴き逃してしまいそうなサタンの声。

 しかしそこには、まるで何かを断定するかのような、或いは何かを呪うような独特の静けさも含まれているように思える。

 ――召喚主の何人かが、自らの呼んだ守護魔に目をやったように見えた。

 しかし次瞬には、彼らが今ここに“居る”というその事実に対して、サタンの言葉を否定するかのように、静かに視線を円卓へと戻していた。

 彼女達に、サタンの微かな怒気を含んだ双眸が向く。


「六国の召喚主たちよ。

 貴様らは今のこいつらの話を聞いて、なんとも思わなかったのか?

 ――持ち合わせる知識も、前提からして何一つ一致しない異人。

 こいつらは危険分子だぞ!! 貴様らが百年保ってきた均衡を崩しかねない、極めつけの異分子なのだ!! こんな連中に頼ってまで、貴様らは“技術開発”などという幻想に縋りたいのか!?」


「……、滑稽だな、道化よ」


 豹変するような剣幕と共にまくし立てる、サタンの言。

 メルクリウスは、それを蔑む様に鼻白んだ。


「思い上がるなよ、地の国の土竜よ。

 国策は全て予の意思によって行われるべき物であり、貴様程度が対等に口を出そうなどと、万死に値する程の罪業だ。

 ――そも。今の貴様の言葉は、そのまま貴様自身に返って来る物だという事に、道化の頭程度では気付けぬのか?」


「……。初めから、“それ”を含んだ上で言っているつもりだ。

 王には、大恩があるのだ。求められれば、全力をもって応えもしよう。

 だが本音を言えば、この手にある“呪われた技術”など、伝えたくも無い。

 ……進歩する必要など、無いのだ。

 そんな物なくとも、我々はこれまでの生活を続けるだけで、十分以上に生きていける。

 無意味な危険を犯す必要など、どこにもある筈が無いのだ」


「…………」


 サタンからの反駁に、メルクリウスは眉間に皺を寄せた。

 だが、反論の声は上がらない。

 独白染みたサタンの声には、まるで自分自身の身を切り刻んでいるかのような、決意めいた重さが伴っていたからであった。

 ――自らの存在までをも含めて、それを“間違いだった”と断じる思考。

 氷の国を統べる“皇帝”という立場にある彼女には、ひいては自らの行動を常に“正しい”と断じて示す事しか知らない彼女には、サタンの内に渦巻く物を正確に理解する事などできよう筈も無い。

 理解出来ず、故に、彼女はそれをどこか空恐ろしい物としても感じ取っていた。


「下らないな」


 その、サタンの言葉を。

 朝日 真也は、たった一言で斬り捨ててみせた。

 金色の双眸が、白い青年を正面から捉える。

 彼――真也は、自らと対極の風貌を持つ黒の守護魔を、劣らぬ程に強い視線で射抜き返していた。


「……あんたの意見には、半分だけ賛成してるさ。

 正直、この世界のやり方は気に入らないからな。

 六大国の冷戦だって? 勝手にやってくれればいいじゃないか。

 何でわざわざ他人を、しかもよりにもよってオレを巻き込むのか。

 そう思った事は、確かに二度や三度じゃ足りないな」


 飄々と、白の守護魔は肩を竦める。

 彼のその一言を聞いて、真紅の少女が、どこか所在無さげに目を細めたようにも見えた。

 そんな彼女に一度目をやりつつ、真也は、彼女の肩に橙赤色の魔法円が浮かぶ左手を乗せる。


「でもな、それを間違いだと断じるのは、それこそ間違いだろう。

 ――何しろ根底にあるのは、ベクトルはどうあれ、“進歩しよう”っていう前向きな意思なんだ。

 何の進歩も無い世界なんてのは、反応の止まった試験管と同じだ。

 ここまで退屈な物も滅多に無いぞ?

 未知のモノに憧れてオレを呼んだっていうんなら、その意思だけは、オレは最初から最後まで肯定してやるさ」


「…………っ」


 心の底から、断言するような真也の声に。

 真紅の少女は、つば広の帽子の下に顔を隠して、プイッとソッポを向いたように見えた。

 サタンが、不快そうに目を細める。



「……その種の享楽は、薬物と同じだ。

 刹那の娯楽の為に扱うには、あまりにも愚かに過ぎる」


「あんただって、茶や酒くらい飲むだろう?

 カフェインやアルコールだって、立派なドラッグだ。

 飲めば依存症や禁断症状だって引き起こすだろう。

 ――だがあんたも含めて、大抵の人間は上手く付き合っているんじゃないのか?」


「酒は飲まんし、茶の味を知ったのはこの世界に来てからだ。

 大抵の人間は上手く付き合っている? 馬鹿な。そいつらとて、味を覚えたから飲み続けているだけだろう。

 ……飲まずにはいられなくなるのだ。

 人間は、味を占めればそれに依存するように出来ている。

 進歩という名の甘言は、人間の存在を堕落させる毒そのものだ!!」


 サタンは反駁するように、円卓の縁を強く叩く。

 尚も真也が反論を述べようとしたところで、彼らの対立は、ユピテルがスッと右手を前に出した事で終了を迎えた。


「……やめよう。これ以上は、お互いに良い思いをしないと思う」


 そもそもの会話を提案した、他ならぬユピテル自身からの言葉。

 それは確かに彼らの口論を止める口実とはなっただろうが、それ以上に、元々自ら他者に関知しようとする事が稀な部類に入る二人は、やはりこれ以上の議論の無意味さを悟ってもいたのだろう。

 そう。考えてみれば、この二人の守護魔が口論をし始めたという事実そのものが、最早最初から最後まで完全に異常事態であったとすら言えたのだ。

 ――和解は、恐らく不可能だろう。

 自らと対極に位置する色彩を持つ守護魔を前にしながら、自らの根本にあるモノとの違いを、この時の真也は間違いなく感じ取っていた。



 その後は、特に記すべくもないほどに賑やか且つ滑稽な行事が為されただけであった。

 誰一人として聴こうとしない“蓄音機”による音楽のお披露目に、何故か開始5分で魔術と剣術が飛び交う地獄絵図へと変貌してしまったダンス。

 ウェヌスの提案で始まったダーツ大会では、ウェヌス自身がパーフェクトを出したかと思えばメルクリウスが転位を駆使して全弾ロビンフッド・ショットを成功させるという暴挙に出始め、アレがダメだこれは反則だと言い合っている間に手を滑らせたらしい某風魔法の少女の矢が赤い少女のとんがり帽子へと突き刺さり、的が何故か炭化して崩れ落ちてしまった為にお開きになったという程度の、本当に些細で細やかなお話である。


 誰もが皆、この時ばかりは、お互いに命を狙う敵同士である事を忘れていた。

 ……思えばこの時に流れていた時間は、正に“嵐の前の静けさ”そのものだったのだろう。

 この時の彼らは、“それ”に未だ誰一人として気がついてはいなかった。

 次に自分たちが目を覚ました瞬間、まさかあんな事態(・・・・・)に見舞われる羽目になるだなんて、誰一人として考えようともしていなかったのだ。



 晩餐会の夜が、更けていく――。

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