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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第三章:エーギルの晩餐会-3『cross cultural communication』
76/91

76. コミュニケーションを成り立たせる為に前提となる価値観と一般常識が完全に異なる人々が一同に介した際に発生し得る異種間交流に於けるミスコミュニケーションの最も悲劇的な一例

 首都への最後の道程は、予想外の困難さをもって目の前に立ちはだかる事になった。

 別段、道そのものが険しいという意味ではない。

 寧ろ“果ての無い平原”中心部の半砂漠地帯や、先刻通過した“フラーナングの滝”の魔獣の巣窟などに比べれば、道自体は大層に緩やかなモノであり、山道特有のキツさがあるとは言え、それはあくまでも常識の範疇に収まるレベルでの話でしか無いと言ってよかっただろう。

 故に真也が“困難である”と感じてしまった要因は、一つ。

 つまりは“酸素濃度の低下”なのであった。


 それもその筈。天の国と言えば国土の大部分を数千メートル級の山々が占める“空中国家”としてその名を知られているわけであり、当然にして首都・エラルトプラーノ近辺とてその例には漏れない。

 標高にして4000メートルは下らないだろう。

 “敵国”の等高線入り地図など当たり前のように見たことが無い真也には、この地の正確な高度など推測する以外に無かった訳ではあるが、しかし肺の下半分を常に握り締められているかの様な圧迫感から、彼は半ば直感的に現在地の常軌を逸した高度を察してもいた。


 先刻の登壁時のように、ただ座っているだけで良いのなら、それでも多少はましであった。問題は移動時なのである。少し歩いただけでもすぐに息が上がってしまうこの環境では、慣れるまでは、どうやらまともに荷物を運ぶ事も出来そうに無い。

 バイク(一緒に蔦に乗せてきた)に乗れば多少は違うのかもしれないが、低酸素状態では内燃機関の効率が低下する事は避けられず、また燃料(アル)の集中力も落ちるのは必定であり、エラルトプラーノまで走り続けられる保証は無かったのだ。


 どうにか息を吹き返した(・・・・・・・)武の国勢との協議の末、暫し休んで身体を慣らそうという方針で落ち着いた。

 数時間ほど待てば、徐行運転くらいならなんとか出来るようになりそうだと思われたし、武の国の二人も疲労困憊で少々動きにくそうに見えたからである。

 某お姫様が何やら妙に強がった事を言っていたような気がしないでも無いが、どうやら彼女も直前の“伝説”によって少なくない疲労を蓄積させていたらしく、ネプトの献身的な説得もあって最終的には“お茶会”に参加する事に納得してくれた。


 状況に動きがあったのは、出していた水筒の中身が随分と軽くなった頃だ。

 少しだけ身体が慣れてきた事もあり、誰からともなくそろそろ移動を開始しようか、などという雰囲気が漂いはじめていた頃、正にこれから向かおうとしていた山道のその先から、遠目にも目立つ綺羅びやかな馬車が2台ほど駆けて来たのである。

 否、馬車という表現は不適だろう。

 何しろその馬車の客車を引いているのは、馬よりは二回りは強靭な体格を持つ()だったのだ。ウェヌスが常用しているグリフォンに負けず劣らずの風格から、かなり丁重な気配りと共に育てられてきた固体である事が伺われる。

 一同がどこか警戒した眼差しを向けていると、“龍車”はお茶会の円陣から5メートルほど離れたところで静かに停車し、ティーカップを連想させる文様の描かれた車両の中から数人の美男子を吐き出した。

 それなりに高位の貴族なのだろう。気品のある物腰や、黒を基調とした執事服が、シックな印象を醸し出している。

 彼らは揃って恭しく頭を垂れると、自分たちがユピテルに“客人の送迎”を頼まれた者である事を告げたのだった。



 客車の中は、外よりも多少は気圧の高い状態に保たれているらしかった。

 内装は、ホテルのエントランスを思わせる必要十分なコーディネート。

 色彩様々な刺繍の施された絨毯の中央には、黄色い薔薇のような形状の植物までもが活けられている。送迎の者によると、どうやらこれがこの車内程度なら十分にまかなえる量の空気を作り出す仕組みになっているらしい。

 ファミリーワゴン程度の広さがある客車の前後には、二人がけソファーの座席が向き合う形で並べられている。

 率先して乗車したアルが、遠慮無く後部座席の奥側に陣取りなさったので、真也は半自動的にその隣に座る事になり、正面の座席にはなにやら複雑そうな表情を浮かべた武の国勢が腰掛ける事になった。


 龍車は2台あるのに、1台に4人が乗る羽目になってしまった理由は簡単だ。

 もう1台の龍車は、主に荷物運搬用として手配された物だったらしく、座席が無いのでとても客人を乗せられるような代物では無いという話だったからである。

 送迎の貴族によると、どうやら例の“登壁用植物”が使用されるとユピテルの下に連絡が行く仕組みになっていたらしく、今回の迎えもそれに従ってよこされたものであるとの事だ。

 ……つまりは、まさかあの壁を自力で登ってくるような勇者(バカ)がこの世に存在していた、なんて事は誰も全く知るよしも無かった事柄なのであって、この場に武の国勢までもが居合わせた事など、天の国からしてみれば正に寝耳に水というか完全に想定外の出来事だったワケである。

 大変によく教育の行き届いた貴族たちは態度を崩す気配すら見せなかったのだが、きっと内心では(色々な意味で、大層に)驚愕していたことだろう。武の国のお二人には、サインか謝罪文くらいは書いて頂いた方が良かったのかもしれない。


 まあ、何はともあれそのような経緯があり、次の馬車の手配までには1刻ほど掛かると告げられた事もあって、アルが(渋々ながらも)“乗ってけば?”なんてボソッと零したりもしたので、彼らは1台の龍車に相乗り(・・・)する事になってしまったのであった。

 気まずそうに口をへの字に結んでいたウェヌスと、バイクを荷車に積もうとして、全く持ち上がらずに四苦八苦していた貴族たち。そして、それを片手でヒョイと積んでしまったネプトと、彼が預けたナニが入っているのか分かりもしないやたらと大荷物な旅鞄が割りと印象的であった。



 流石にサスペンション付きの現代の乗用車とは比べるまでもなかったものの、龍車は思ったよりも振動も少なく静かに走る。

 秋の色を湛えた高山植物の草本達を横目に見やりつつ、半刻ほどの走行を経て、龍車は漸くエラルトプラーノの市街地近辺へと到着したらしい。

 せっかくの山なのだ。少しくらいは外の空気を吸ってみたいような欲求に駆られた真也だったりもしたが、どうやらこの辺りは未だ酸素が薄いらしく、窓を開ける事は推奨されなかったので諦めた。

 だが、まあ。それでも、アクリルに似た質感を持つ透明なパネルの外に見えたその景観は、真也に言葉を失わせるには十分以上の衝撃を伴って彼を出迎えてくれた。


 全体的な地形は、盆地状のすり鉢構造なのだろう。

 市街沿岸を走っているらしい馬車道の上から眺めていると、円形のレリーフのように立ち並ぶ町並みの半分以上が一望できる。

 建築に造詣が深いわけでもない真也には、それらに対して専門的な評価を下すことなんか勿論出来なかったわけではあるが、高所故の透き通った青空の海に浮かぶ爽やかな造形の数々は、“貴族の国”というイメージが連想させる中世ヨーロッパ風な町並みというよりは、寧ろイタリアのヴィネチアを始めとする地中海沿岸の水上都市群を思わせた。


 シルヴェルサイトのように、何か国家の指針を反映した意味でもあるのか。

 すり鉢は外周付近から円の中心に掛けて徐々に色彩が鮮明になっていき、中心部にはそれら全ての集大成になるが如く、4つの塔からなる巨大な宮殿が聳えている。

 まだ距離があるためによくは見えないが、塔は赤、青、黄の三色の物が三角形を成して立ち並び、その中央には更に一際大きな、無彩色の塔を構える形となっているらしかった。

 4つの塔の更に向こうには、遠目に見ていた時には木が生い茂った“山”としか思えなかった程に巨大な、圧倒的な存在感を示す一本の大樹。

 噂に聞いていた神樹・レーラズは、まるでこの地で起きてきた全ての事柄を記憶してきたが如き不動さで、ただ静かに眼下の町並みを見守っていた。


「皮肉なものですね」


 不意に、独り言のような呟きを聞いた気がした。

 何気なく目を向けると、白い王女・ウェヌスの切れ長の瞳が、何かを憐れむ様な色を湛えながら、すり鉢の底に聳える4つの塔を見据えている。


「――4つの塔に、3つの彩色。

 中央に佇むあの塔の意味を知る者が、この国にはどれだけ居るのでしょうか」


 その問いの意味は、真也には最後までよく分からなかった。

 龍車は既にすり鉢を下り始め、窓の外ではスラム街を思わせる、ボロボロの掘っ立て小屋の数が徐々に増えてきている。

 それら全てを気にも留めず、ただ“観光”に勤しむ真也の隣で。

 真紅の少女・アルだけが、どこか哀しげな面持ちで、今にも崩れ果てそうなその無人の小屋の数々を見詰めていた――。




 結局のところ、エラルトプラーノには予定よりも少々早く到着する事が出来た。

 どうやら、ユピテルはご親切にも滞在中の宿まで手配してくれていたらしく、送迎の貴族たちは、馬鹿丁寧にも街の中心付近の小洒落たペンションの様な高級宿に案内してくれた。

 敵国同士であることを考慮してか、流石に武の国勢とは別々の宿である。

 宿に着くなり、念には念をと、アルは何やら警戒してあちらこちらに警鐘の術式を設置していたようではあったが……まあ、真也にはそんなものを敷設するだけの魔術の腕なんか勿論無いし、逆にその点に関してのみなら彼女に全幅の信頼を寄せていたりしないでも無いので、彼女に任せておけば間違いも無いだろう、などと割りと楽観的に解釈してもいる。

 2日ぶりの真っ当な料理を腹に捩じ込み、シャワーで長旅の汗をじっくりと流した後。流石に疲れが溜まっていたのか、フカフカのベッドに潜り込むなり、その日はすぐさま死んだように眠ったのだった。

 ……余談だが、大層立派な宿の筈なのに、何故かチェックインから就寝に至るまでとうとう他の客の姿を見ることは出来なかった。



―――――



 そして、明くる日――。

 朝食を終えた真也は、午前中はアルに魔術を見てもらいながら時間を潰す事にした。

 せっかく“外国”にまで旅行に来たのだ。本当なら軽く買い物でもしながら現地観光くらいしてもバチは当たらないとは思うのだが、国交という言葉が崩壊して久しいこの世界の情勢にあっては、残念ながら銀の国の通貨を天の国の通貨へと合法的に換金する手段が存在していない。

 また町中を歩けば、服装的にも直ぐに“敵国民”であると判断されて絡まれる可能性も大いに示唆された為に、無用なトラブルを避ける為にも外出は控えるべきだと話し合いの末に決定されたのであった。


 何はともあれ、プルートが来てからというもの久しく取れていなかった二人きりの時間である。

 敵国で自由に出歩けないからとは言っても、遠い異国の地で、小洒落た宿に泊まってゆっくりとしているのだ。加えてそれが年頃の若い男女とくれば、勿論少しくらいはいい雰囲気にもなる――なんて事が彼らに限ってある筈も無く、交わされたやり取りは極々いつも通りの、昼食時を知らせに来たオバサンが色も素っ気もない意味で引き返してしまう程に賑やか且つ怒声と爆音が飛び交う記すまでも無い程に平和(・・)なモノであった。


「あっ!! ちょっと!! あんたがトロいからお昼食べそこねちゃったじゃない!!」


 ――とは、半日掛けてようやく弾丸から爆竹くらいの爆風を出せるようになった頃、日が傾いでいる事に違和感を覚えたらしい少女が言ったセリフである。

 彼女にしてみれば、こんなの(・・・・)を覚えるのにこれほどの時間を掛けるのが信じられないといったところだったのだろう。

 まあ、どの道晩餐会でたらふく食べるのだろうから、お昼を抜くくらいで丁度良かったに違い無い、などと、真也は割りと前向きに解釈する事にしている。

 あれやこれやと文句を付けながらも、なんだかんだで弟子の成長を喜んでくれているのか、どこか満更でもなさそうな顔をしていた可愛らしい師匠さんの素直さ(・・・)なんかに苦笑しつつ。

 運び込んで貰っていたバイクに跨り、彼らは漸く、この旅の大目的たる行事を果たしに非常に分かりやすい位置にある宮殿へと向かったのだった。

 出発前から妙に荷物が少ないな~、なんて思っていたら、“正装”という衣服の存在を完全に失念いたというその事実を、薄々気付いていながらもお互いに全く言い出せないままに……。




 結論から言えば、白衣とローブなんていうカジュアルどころじゃ済まないような非常識極まる格好でも、問題なく宮殿の中へと招待して頂けたようだ。

 “それでいいのか貴族の国”とツッコミたくなるような衝動が湧かなくもなかった真也ではあったのだが、敢えて指摘してわざわざ追い返して貰ってもあまり有益では無い気もするので、堂々と胸を張って入城してやる事にする。

 そう。きっと、何の問題も無いに違いないのである。

 正門を通過し、三色の塔と主塔を結ぶ宮殿本館の扉を潜ろうかという頃、背後で門番に招待状を見せていたらしい次組が鳴らしていたガチャガチャという金属音と、


「なあ、本当にこの格好でいいんだよな?」

「当然でしょう。鎧と剣は、武の国最高の正装です」


 ……なんていう声を聞いた気がしないでも無かったので、考えるだけ無駄なのだと諦めた。

 きっと、そう。あれである。

 何しろ今回は、国籍どころか種まで異なる様々な生物が集まる会合なワケであるからして、開催者側も、服装にまで一々こだわっていたら身がもたないと理解してくれているのに違いない。

 何はともあれそのような経緯を経て、真也は案内の貴族に引率されるままに、主塔の上層部にあるらしい会場たるサロンに招かれる事となったのであった。

 美術の教科書に載せたくなるほどに綺羅びやかな内装の数々を見る度に、どこか険しい表情で眉を潜めるアルが、ほんの少しばかり気がかりではあったが。



―――――



 サロンの中は、色々な意味で食事をする場所だとは思えないような雰囲気を醸し出していた。

 容積のみなら小さな体育館にでも匹敵しそうな広さの、六角形の石室。

 それぞれの壁の上部には、縦長の長方形をした採光窓が7つ連なっており、西側から差し込む黄昏の陽光が、惜しげも無く灯されている無数のシャンデリアの灯りと共に、値打ちも分からないくらい立派な赤絨毯に色を付けている。

 中央部には、30人が座ってもまだ余裕がありそうな程に巨大な円卓が見えた。

 白いシーツが被せられたそれは、全体的にどこか分割前のショートケーキを思わせ、空の食器と前菜が入っているらしい蓋付きのカラトリーが、トッピングのようにズラリと並べられている。


 ……そこまでが、心から賞賛を伴った描写をしても良いと断言出来る点。

 問題は、そこに座っている参加者の方なのであった。

 先ず、一見して席はまだまだガラガラだ。

 これは、まあ、当然だと言える。死の国代表たる某黒髪八重歯な少女がお留守番として国王に預けられ、自分たちの後から武の国勢が来る以上、真也達が席に着くまでは、予定されていたであろう12人のうち実に半数が席に付いていないという計算になるからである。


 いや、しかし。だからと言って、主催者側以外の人間が誰も居ない(・・・・・)というのは、少々少なすぎなのではあるまいか。

 否、これでは少し語弊があろう。

 正確に言えば、円卓には甘い微笑を浮かべつつ座っているユピテルと、その隣に引っ付いているウラノスの他にも、2人?の人間?が座っている。

 より詳細に現状を述べるとすると、まず円卓の西側壁付近の日陰で、腕を組んで目を閉じている銀髪の男が1人。全ての召喚主と守護魔の大まかな特徴は既に把握しているので、それに合致する人物で無いという事は、恐らくは給仕係かどこかの代理かなにかなのだろう。

 ……どうでもいいが、とんでもない美形である。

 ユピテルが正統派の王子様系な容姿であるとすれば、この方はワイルド系というか、ちょっと危うい魅力のある感じだ。

 なかなかにモテそうなタイプに見える。


「ぅ……あ……」


 ……そして、その隣にはまるで力尽きたかのように円卓に突っ伏し、よく聞き取れない呻き声を漏らす赤い物体が一つ。

 なんか記憶にある気がする。恐らくは氷の国の守護魔・マルスだろう。

 何故にあんなボロ雑巾のような有様になってしまっているのかは、真也には完全に想像の埒外ではあったのだが――いや、違う。

 確かマルスは、数日前の果ての無い平原での“勇気ある行動”によって、ネプトの一撃によって結構な距離を飛ばされていた筈である。

 もしもその時に負った傷が思いの外深かったとしたら、あのボロボロの状態こそが、この数日を掛けてようやく回復した症状であると推測することも――。


「……んだよぉ。チョイと宿屋のネェちゃんに粉かけただけじゃねぇかよ~……。食ってもね~のに、この仕打はあんまりですよ~っと……」


 ……なるほど。話はもっと簡単だったらしい。

 どうやらあっちはあっちで、この旅の間なにやら壮絶なドラマ(・・・)を経験していたようであった。

 敢えて聞くきにもなれないので、真也は努めてスルーする事にした。


 その時、真也達が立ち尽くしている扉の隣から、何やらガチャガチャと派手な金属音が近づいてきた。


「申し訳ありません。

 入城の許可を得るのに、少々手間取ってしまいまして……」


 武の国の王女様・ウェヌス及びその守護魔・ネプトである。

 服装はパーティードレスどころか、オリハルコンのホワイトメイルに青甲冑というフル装備の出で立ち。それぞれ背には身の丈程もある大剣を背負い、腰には予備と思われる2本の小刀までをも携えている。

 果たして、これからどこに戦争に行くつもりなのだろうか。

 入城に手間取ったというか、寧ろこの格好に入城許可を出したという事実そのものに対して驚愕を禁じ得ない。


 ネプトの肩には、何に使うのか随分と大きめの旅鞄らしきモノが担がれていたりもするのだが……さも当然のような顔でズカズカと歩いているので、誰もソレらに対してツッコム気力さえも起きなかったようだった。

 そんな周りの視線を、白薔薇のような笑みで受け流した王女様。

 彼女は「それでは」なんて爽やかに呟きつつ、至極当たり前のように、流れるような動作で背負っている大剣の柄へと手を掛けた。



 ――0.5秒で、ネプトに羽交い絞めにされていた。



 流石に、ここでこれはヤバイと思ったのだろう。

 青い男は背負っていた荷物をガチャンと床に放り投げ、驚異的な気迫を伴って必死に彼女の腕を押さえ込んでいる。

 ……だからその“挨拶”は云々かんぬんと、何やらよく聞き取れないし聞きたくもないやり取りを行なっている気がしないでもなかったが、気にしても頭痛以外に得るものは無さそうだったので敢えてスルーする事にする。



「冗談です。私とて、他国での礼儀くらいは弁えているつもりです」



 1分ほどの議論の後、正気を取り戻した(・・・・・・・・)らしい武の国勢は、なんとか円卓に着く事を承諾してくれたようだ。

 ……まあ、あれだ。食卓に完全武装で入場とか、する方も許可する方も随分とアレな話ではあるが、そもそもここは素手でトカゲを殴り殺したり火球や竜巻をぶっ放したりするような圧倒的戦力(・・・・・)の集う魔窟なのだ。

 武器を持ち込まない事がそのまま身の安全を保証するモノで無い以上、流石に帯刀を完全に禁止するワケにもいかなかったらしい。

 かく言う真也自身とて、簡単に身を守れる程度の武装は今も白衣の下に隠してあるワケであるからして――。


「だからと言って、特異点すぎるだろ。これは……」


「…………」


 アルも、答える気力すら残らなかったらしい。

 この中では比較的まとも(と、自分たちでは思っている)青年と少女は、ヤレヤレとため息混じりに肩を竦めて席に着いたのであった……。




「これで、全員かな?」


 そんな一連のやり取りを和やかに見詰めていた天然――もといユピテルが、どこか残念そうな面持ちで切り出した。

 無理もあるまい。現状、出席率は精々が半分といったところ。

 この世界の国際関係と参加者の人格的に、これを多いと見るか少ないと見るかは少々微妙なところではあったが、どうやらユピテル的には後者であったらしい。

 憂うような碧色の瞳が、寂しげに空っぽの席の数々を眺めていた。


 その視線の先から、凍えるような冷気が吹き出した。

 赤い守護魔・マルスの隣の空間がユラリと揺らめき、穴が空いて、明らかにここでは無い部屋の光景が虚空に浮かぶ。

 要した時間は、正しく瞬き以下だっただろう。

 クリアブルーの長髪が風に靡き、艶かしい肢体の美女が、手品の様に椅子の上に出現する。

 虚界転位の先天魔術を誇る女帝・メルクリウス・フィンブルエンプが、旅路も入城許可も引率も何もかもすっ飛ばして、ちょっと隣の部屋に行く感覚で晩餐会の会場にいらっしゃった瞬間であった。


「ユピテルよ、よもや予を忘れたのでは無かろうな?」


 円卓の席順は、どうやらこの世界の地理を模しているらしい。

 女帝の席は丁度真也の右隣と決まっていたらしく、位置的には、真也には彼女の服装がはっきりと見える。

 ……どうやら、本当に気にするだけ無駄だったようだ。

 メルクリウスは一応のところ立派な外套を羽織っていらっしゃるようではあるが、その内側に見えるのはやっぱり正装というか服ですら無く、前回見た時よりは心なしかお洒落に見えたものの、どう贔屓目に見ても精々が勝負下着といったレベルのモノであった。


「転位を操る貴女が一番遅いなんて……。

 瞬帝、メルクリウス・フィンブルエンプ。

 貴女は、いったいどのような了見なのですか?」


 胡乱げに、三つほど左隣の席から言ったのはウェヌスだ。

 勿論こっちは、“そっちこそどのような了見だ”と、まともな人間ならまずツッコミたくてもツッコめないレベルの完全武装ではあるのだが。

 彼女から向けられるピリピリとした敵意を、同じくトンデモナイ服装の女帝・メルクリウスは鼻で笑って受け流していた。


「ハ、おかしな事を言う。何故、予が貴様らの到着など待たねばならんのだ?

 貴様らが皇帝たる予を待つ事こそあれど、その逆は、天命に従って断じて有り得てはならん!!」


 ハッハッハ、と、暴君様は露出の激しい胸を張って高笑いする。

 その様があまりにもあんまりだった為か、王女の双眸がスッと細まり、某赤い魔導師の少女もキュッと眉根を寄せていた。

 左側から感じる殺気が凄まじく、食事前という事を考えるとあまり胃によろしくは無さそうな雰囲気である。


「まあ、そういう事だ。

 さて、面子が揃ったようなので来てはやったが――」


 メルクリウスは少々不快そうに、未だ空席となっている3つの場所へと目を向けていた。


「まさかとは思うが。

 この期に及んで、予の後に来るような無礼者など居るまいな?」


「……死の国の大魔導は、どうした?」


 問いを続けたのは、低く静かな声だった。

 メルクリウスの3つほど右隣の席に居る銀髪の男が、訝るような視線を真也の方に向けてきている。

 つられるように、メルクリウスやユピテルの視線までもが集まってきた。

 ……なるほど。どうやら、プルートを巡る現状は、割りと他国にもバレバレであるらしい。


「死の国の大魔導は、もう守護魔が居ない。

 だからもう“儀式”には関係が無いし、銀の国としては、せっかく捕まえた“捕虜”を安易に国外に出すわけにもいかなくてな。

 その辺りの事情は、まあ、少し察してくれ」


 真也は肩を竦め、努めて飄々とした声色で返答する。

 ――守護魔が居ない。

 その一言に、銀髪の男の眉が、ピクリと訝しげに動いたようにも見えたのだが――。


「……地の国の大魔導の姿も見えないようだが?」


 メルクリウスが、水を向けるように銀髪の男に尋ね返した為、それ以上に追求の手が伸びてくる事も無かった。

 見慣れないイケメンは、その金色の双眸を軽く閉じ、組んでいた腕をゆっくり解きながら答えた。


我が王(・・・)は一国の主なのだ。

 貴様らと違って、安々と国外に出歩ける程に暇では無い」


「ほう、予も一国の主だが?

 皇帝たる予が出てきているというのに、そちらが君主を出さんとは、宣戦布告にも等しいほどの無礼では無いのか?」


「転位の先天魔術を持つ貴様と、労力の桁を同じくされては困る」


 “クックックッ、まあ、予は特別だからなぁ”、と、メルクリウスは誇らしげな調子で、からかうように言う。

 今宵は天王の晩餐会。どうやらユピテルに招待されたとあって、今日は彼女の機嫌も、そこそこに良い部類に入るらしかった。

 銀髪の男は面倒臭そうに双眸を閉じ、再度腕を組み直していた。


「……、なあ。

 さっきから気になってたんだが……」


 そんな彼らのやり取りに、真也は少し引っかかりを覚えた。

 確かめるような調子で、なるべくさり気なく、銀髪のイケメンへと人差し指を向けてみる。


「…………、あんた誰だ?」


 朝日真也は物理学者である。

 疑問は解かねば気が済まない性質である彼は、基本的に気になった事は即尋ねなくては居られないタイプなのであった。

 いや、ホント。だって守護魔にも召喚主にも、アレに該当する人物なんか居なかったし、天の国の給仕にしては当たり前のように席に着いてるし、氷の国の従者にしてはメルクリウスに対して随分と偉そうな態度を取っているしで、いまいち素性がハッキリしないお方なわけであるからして……。


 武の国勢も気になっていたのか、お互いに、とても不思議そうに顔を見合わせていた。

 氷の国勢と天の国勢は逆に、真也の質問そのものに対して心底不思議がっているようであった。

 そして、まるでそれら全ての声を代弁し、かつ全ての疑問を一蹴するかのように。

 ギロリ、と。銀髪の男は、眼球が血走る程の怒りを込めて、金色の瞳で真也の方を睨みつけてきた。


「……左腕を撃ち抜いた程度では、記憶するにも値しなかったか。

 大した傲慢だな、“白の守護魔”」


「? ま、待て。

 その目、あんた、まさか――」


 ――サーッ、と、真也は血の気が引いていく様な錯覚を覚えた。

 アルが、「シン、知り合い?」なんて能天気そうに聞いてくる。

 無理もあるまい。彼女は“あの事件”において、とうとう最後までアイツを目撃する事は出来なかったのだから。

 そんな事を考えている間にも、真也の頭は、否、この中では数週間前の彼の姿を記憶している半ば唯一の人間は、驚愕するように目を見開いて、脂汗を流しながら、目の前に見えている男と記憶の中の人影を必死に照合しようと努力していた。


「く、黒、フー、ド……?」


「…………」


 フン、と鼻を鳴らして目を閉じ直した銀髪の座る椅子には、よくよく見ると、確かになにやら黒い外套のようなものが掛けられている。

 円卓が大きく、遠い上に、男の背中に隠れてしまっている為に気が付かなかったのだ。

 きっと、よっぽど良い物でも食べていたのだろう。

 しばらく見ない間に5割くらい体重を増したように見える地の国の守護魔・サタンは、不機嫌そうに、しかし見方によっては少し拗ねるような態度で、ただただソッポを向き続けていた……。



「……んが?

 お~、役者揃ってんじゃね~の。

 ケケケ、そんじゃさっそく始めちまおーぜ~?」


 その時、漸く赤い少年が顔を上げた。

 流石は彼も守護魔といったところか。暫し突っ伏している間に傷も大分癒えたと見えて、元気に起き上がりながら無邪気に嗤う。

 きっと、なんだかんだで宴会好きな性質なのだろう。


「そうだね。全員じゃないのが残念だけど、出欠も確認出来たし。

 それじゃあ、晩餐会を始めようか」


 マルスの要望に応えて、静かに告げられたユピテルの宣言。

 ……その一言が、全ての始まりになってしまった。

 瞬間、響き渡ったのは、“うおおおおおおおおッッッ!!!!”という謎の雄叫び。

 きっと、ユピテルの宣言に答えたつもりだったのだろう。上品な“晩餐会”なんてイメージとはかけ離れた、海賊の酒盛りを思わせる絶叫がビリビリと石室を震わせ、椅子が倒れる音がドンガラガッシャンと響き渡る。

 ――ネプトであった。

 一体ナニが起こったのか。青い甲冑の大男が、テーブルの上に置かれてたシャンパンの大瓶を頭上に高々と掲げながら、あらん限りの声で自らの存在を叫び散らしている。その気迫たるや、なんとあの脳筋姫までもが呆気に取られて呆然としてしまっているほどであった。


 異変は彼だけに留まらない。

 ユピテルの宣言が終わらない内に、赤い影が一つ、地を這う様に円卓から背後へと距離を取り、目にも留まらぬ早技で火炎銃(・・・)を引き抜いてネプトに照準を合わせていた。

 ――マルスである。

 一体何のつもりなのか。赤い少年は席に乗っている前菜になんか目もくれず、当たり前のように、しかも心底楽しげに、犬歯を剥き出しにした笑みを浮かべていた。



「……待て、ちょっと待て!!」



 流石に、無視できなかった。

 目の前で起きている光景が理解出来ず、同時に理解したくも無かった真也は、それでも流石にツッコまざるを得ない状況であった為か、思いっきりテーブルを叩いて静止の言葉を投げかけてみた。

 左手を胸に当て、お祈りするように黙想していたユピテルが、異変に気づいたようにやっと目を開けた。

 ナニかがおかしい事に気付いてくれたらしいマルスやネプトも、漸く自らの奇行(・・)を中断してくれたらしい。


「一応、確認するが――」


 完全に固まっている参加者の目を、一人一人しっかりと確認しつつ。

 真也は、確かめるように尋ねた。


「あんたらにとって、“晩餐会”ってなんだ?」


「んあ? だから、パーチーだろ? パーチー。

 みんなで集まって、犯すも殺すも好きにしやがれっつ~、あの……」


「宴会だな。

 地元の流儀で悪いけどよ、船出前にみんなで集まって、景気付けに倒れるまで酒呑もうっつー、あの……」



「…………」



「ん?」と、ネプトとマルスの二人が顔を見合わせた。

 その様子は、相手の口から飛び出した思いも寄らない言葉に、「何を言ってるんだお前は」と呆れあっている感じである。

 “放心したいのはこっちなのだが”、なんて真也の心の叫びは、勿論彼らには届かない。


「おうおう、白いのぉ。てめ~こそなんなの? 

 ナニ? ナニお上品にグラスなんか持っちゃってるワケ?」


「晩餐会って言ったら、先ずはシャンパンの乾杯だろう。

 ノーベル賞ディナーの形式で悪いが、普通は国王が音頭を取ってから、アイコンタクトをしてグラスを――」


「うわ……、辛気臭ぇ~」


「……血生臭い夕食よりはましだと思うけどな」


 辟易した様子のマルスと、静かに視線を交わし合う。

 このまま続けても不毛だと判断されたので、真也は軽く肩を竦めつつも、なんとなく未だ静かな他の皆様へと水を向けてみる事にした。


「ユピ様。あんたのは――ああ、食事前のお祈りか。まだ(・・)まともそうだな。

 ……で、黒フード。あんたは一ミリも動いてないみたいだが、それには何か意味でもあるのか?」


「晩餐会と言えば、先ずは10日間の断食から始めるものだろう」


「…………」


 当たり前のようにそう言うサタンの頬は、よくよく見ると、健康体というよりは少々痩けているように思えなくも無かった。

 確か、天王からの封書が届いて、今日で丁度一週間。

 ……なるほど。初見のイメージが痩せすぎだった為に気が付かなかったが、どうやら彼は、既に結構な期間の断食を熟して来てしまっていたらしい。

 ここまでの旅路で、よく倒れなかったものである。

 10日ってことは、まさかこの場であと3日待つつもりだったのだろうか。


「分かりました。私に、良い提案があります」


 膠着状態の一同に、凛とした声と共に立ち上がったのはウェヌスだった。

 純白の鎧を纏った武装姫は、利発そうな顔立ちを生真面目な表情に整えたまま、スッと大きく手を上げて見せる。

 その堂々たる態度に、一同の視線が期待とともに集中した。


「全員、剣を取りなさい。ここは、強い者の流儀に従うということで……」


「あんたの話を、一瞬でもマジメに聞こうとしたあたしがバカだったわ」


 ――ピシッ、と。何かが凍りつく音が聞こえた気がした。

 白い姫と赤い魔導師の間で、静かな殺気が沸々と、一触即発の気配を間違いなく強めていっている。



「……、…………」



 ――ヤバい。



 真也は、確信した。



 ――この晩餐会、ヤバい。



「あ~あ~、めんどくせぇの!!

 もうさっさと始めちまおうぜ~?」


「お前の方式だけは絶対に却下だ」


「ネプト、先の声は初めて聞きましたが。

 貴方の国の晩餐会とは――」


「ん? おう、やってみるか?

 コイツはちと小せぇけどよ、先ずはこうやって酒瓶を――」


「うぉらぁ!! おれっちの目の前でイチャついてんじゃねぇやごらぁ!!

 サッサと勝負しやがれ青ゴリラァ!!」


「!? い、イチャ――!?」


「ちょ、ちょっとみんな落ち着いてよ~!!

 今日はね、別にケンカするために呼んだんじゃ――って、あ~!!

 こらぁ!! なにボクの前菜勝手に食べてるんだよ~!!」


「予がいつナニを食うかは予が決めることだ。

 貴様風情の許可を取る必要がどこにある!!」


「~~~~ッ!!

 こ……の…………!!」


「ときにユピテルよ。貴様、踊れるか?

 ――ほう、それなら喜ぶがいい。

 貴様は、この予の相手に――」


「だ、だからユピ様にベタベタ引っ付くな変態女~ッ!!」


 ――ヒュゴッ!!!!


「――きゃッ!! ちょっと!! どこ狙って撃ってんのよ!!

 あんた、頭の中どこまで空っぽなワケ!?」


「へっへ~ん!! そんなトコでしかめっ面してるのが悪いんだよ~だ!!」


「ムッカ……!! いい度胸してんじゃないあんたぁぁぁああ!!

 命ず(ansur)――ッ!!」


「待て!! アル、気持ちは分かるがここは落ち着け!!

 今暴れたら、昼に続いて夕飯も食べ損ね――」


「――ッ!! す、すみません。少々取り乱しました。

 ? アルテミア、何を――ああ、なるほど。

 フ……。やはり、そうこなくては――!!」


「ウェヌス!! お前は嬉々として参戦しようとしてんじゃねぇぇぇ!!」


「ぐぉらぁデカブツ!! テメェおれっちを無視してんじゃねぇや!!

 うぉらやったら――ベブ!?」


「遅いぞ、マルスよ。さっさと予に酌をしろ」


「ま、待てやメル嬢!! ここ晩餐会(・・・)!! 今はそれどころ――」


「……ほう、そうか。

 マルスよ。貴様は駄犬の分際で、今この場に予の酌よりも優先すべき事柄があると申すか。

 ほう、そうかそうか。それは知らなかったなぁ……」


「!! め、めめめ、メル嬢ォ!! 

 こ、こここ、ココ“晩餐会”!! “晩餐会”なんだって!!

 早くしね~と命が(・・)ギャァァァァァァ!!!!」


「ユピ様!! あんた早く仕切ってくれ!!

 さっさと進行決めないと取り返しがつかない事になる!!」


「? そう、なのかな……?

 でも、みんなけっこう楽しそうだし――」


「地球に帰る方法が見つかったら連絡しよう。

 いい眼科と脳外科を紹介してやる――!!」


「? うん、ありがとう。

 ――でも、そうだね。

 それじゃあ、そろそろ次に――」


「まあ、待て。貴様らが猿のように騒ぐのは勝手だが、取り敢えずはあと3日程待ってだな……」


「料理が腐るわッ!!」

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