74. 社会的弱者への支援は時と場合及びその方法如何によってはその効率が疑われる事もままあるという事実を示す事例の一つ及び異世界に於ける地質学的に非常に興味深い地形の数々に対する観察記録
「……陛下、この事態について是非ともご説明願いたいのですが」
天の国宮廷のサロンでは、着々と晩餐会の準備が進められていた。
いつにも増して綺羅びやかに飾られていくその部屋を呆れがちに見やりつつ、氷民議長・イオは、貴公子然とした顔立ちにどこか陰鬱そうな色を滲ませながら尋ねる。
「? 何って、そんなのもちろん――」
「“晩餐会”の事を仰っているのでしたら、そちらは既に重々承知済みです。
例の親書には、僕も微力ながらお力添えさせて頂きましたから」
部屋を見回しながら答える国王陛下に、イオは少々先回りした返事をした。
微力どころか、彼の力添え無しでは絶対にあの親書なんか成立しなかったのではあるが、貴族としての彼はそれをわざわざ口にするほど無粋では無い。
「僕がお伺いしたいのは、近頃陛下がなさったと思われる、貧民街への“施し”についてです。
本日は“来客”がありますので、治安上の理由から、貧民街の住人を順次別所に移動させていたところなのですが――。
兵からの報告によりますと、少々あり得ない物が見つかっているとのことでして、ね」
声だけは努めて事務的な色を崩さず、しかし明らかに何かを堪えるように、イオは手元の書類へと目線を落として言う。
――それは、移動の際に貧民街から押収されたという物品のリストであった。
質感の良いその上質紙には、“緑晶”で造られた燭台に“紅龍の角”から削り出した杯、果ては“柔らかい金剛石”の嵌められた装飾杖に至るまで、国宝級とまでは言えぬものの、下手な貴族ですら手が出せない程に高価な調度品の名がズラッと並んでいる。
イオの記憶が正しければ、それらは全て、確かに国王の為に用意された私室に飾られていた品々だった筈であった。
「――ああ、そんなことか」
国王・ユピテルは、六国でも屈指のその美貌に、とても爽やかで柔和な笑みを浮かべながら答えた。
「いや、大したことじゃないんだ。
この前、ウラノスと一緒に町外れの小川に出かけた時のことなんだけど……。
水を汲みに来ていた親子に、ちょっと頼まれてね。
なんでも病気の子が居るらしくて、薬さえ買えればすぐに治るっていう話だったから、いくらか都合してあげたんだよ」
「…………」
さも当然という顔で告げられる国王の説明を、イオは黙って聞いている。
“その子を見たのか”とか、“病気の子供が居るのに親子で水汲みなんて、どう考えてもおかしいだろう”とか、二三質問が浮かんだりしないことも無かったのではあったが、若き氷民議長はそれをわざわざ述べて話の腰を折るほどに無礼でも無い。
ただ、あくまでも事務的な無表情で続きを促す。
「たしか、その後、だったかな」
そんなイオの心中など知った様子も無く、ユピテルはとぼけたような顔で続けた。
「小川から帰る時のこと、なんだけどね。
突然、沢山の人達に囲まれたんだよ。
なんでも、みんな病気の子供が居るらしくて――。
すぐにどうにかしてあげたかったんだけど、流石に手持ちだけじゃ、全員分の薬代には足りなくて、ね」
「……、…………」
――少々、胃が痛くなってきたのだろう。
イオは礼の姿勢を崩さなかったが、しかし水色の魔法円が浮かぶ右手だけは、密かに腹部へと当てていた。
「……なるほど、陛下の慈悲深さには感嘆するばかりです。
つまり陛下は、その“薬代”を工面する為に、私室の装飾を持ち出したと仰るのですね?」
「? あはは、違うよ」
流石に限界が近づきつつあるのか、無表情な筈のイオの眉が、心なしかピクピクとし始めた頃。
ユピテルは、何か決定的な事を告げるかのように、心の底から和やかに笑った。
「お金の方は、僕の貯金だけでもなんとかなったんだ。
だけど集落には、脚が悪い人が居る家や、良い灯りが無い家なんかも沢山あったらしくてね。
――ほら。僕にはまだ杖なんか必要無いし、私室には灯りも足りてるだろう?
だったら、必要な人に使ってもらった方が――」
「…………、そんな、わけが、無いでしょう」
――限界が来たらしい。
イオは迅速に、しかし礼を失しない程度のトーンでもってユピテルの言葉を遮った。
「……陛下、どうか冷静にお考え下さい。
例を一つ挙げますが、陛下が貧民街に贈与なさったという装飾杖です。
聡明な陛下ならご存知とは思われますが、その杖一本の金額で、貧民街の全員に中質の杖と一年分の火種を与えても十分にお釣りがきます」
「――あ、なるほど。それは思いつかなかったな」
「それから、病気の子供に薬、でしたね?」
「? うん。最近は寒くなってきてるから、きっと――」
「ですから、そんなわけが無いでしょう」
イオは、あくまでも声のトーンを抑えて言う。
……その肩は微妙に震えているように見えないことも無いのではあるが、はっ倒すだとか蹴りを入れる、だとかいうような、直接的な行為に及ぼうなどという意思を微塵も抱かなかっただけ、彼は十分に過ぎる程に評価されるべきだろう。
「……そこまで疫病が蔓延するような事態になっているのなら、とっくに我が国の衛生兵が出向いています。
確認しますが、陛下は日々の執務に於いて、衛生兵の派遣に関する書類を、一枚でもご覧になられたのですか?」
「? どう、だった、かな。確か――」
「ございません。
陛下の下に届く書類は、必ず一度は三院議会を通されるので断言できますが、この半年間の内に、貧民街での疫病の発生報告など一度もございませんでした。
病のフリをして同情を誘うのは、彼らが物乞いをする際の常套手段なんですよ」
――そもそも、衛生兵の職務は疫病の“治療”ではなく“終息”ですから、疫病が事実なら彼らは逆に隠そうとするはずです、という言葉は飲み込んだ。
この王にそれを告げても、寧ろ逆効果にしかならないという事実をイオはよく知っているからである。
「……、そうか、良かったよ」
故に、イオに分かったのは。
ユピテルが、まるで悪びれた様子も無く、同時に騙された事への怒りも悲哀も見せずに、心底ホッとしたようにそんなことを言ったという事だけであった。
「……、申し訳ありません。それはどのような、意味、なのでしょうか」
「? だって、病気の子供は居なかったんだろう?」
「…………、………………」
はぁ……、と。
本当に、大まじめに真顔で言ってくるユピテルの言に、イオは全てを諦めたような顔でため息を吐くことしか出来なかった。
「……カリスト。“晩餐会”の間中、護衛対象を陛下にまで拡大したいのである」
そんな彼らのやり取りを、サロンの入り口から眺めている影があった。
片眼鏡を嵌めたその初老の紳士は、三院議会の土民議長・ガニメデである。
恐らく、何かが少々不安になってしまったのだろう。
圧倒的な力を持ちながら、しかし色々な意味でトンデモなく“大物”な国王に渋い顔をしつつ、連れ立っている紫髪の傭兵に淡々とした指示を出していた。
「ん? はは、やめておけ。
寧ろ貴様は、晩餐会の間中、おれにこのサロンに近づかないように命じるべきだろう」
土民議長の命を一蹴し、紫髪の傭兵・カリストは自らの左側へと目をやる。
猛禽の様に鋭いその眼光の先には、あるべき物が存在せず、ペッタリと潰れた旅服の袖がぶら下がっていた。
――そして、その意味を察したのだろう。
ガニメデは、彫りの深い顔立ちに浮かぶ渋面を深めた。
「……どうにも、ならんのであるか?」
「無理だな。ああ、無理だ。
“あれ”と顔を合わせれば、間違いなく殺し合いになる。
金しだいではやってやらんでもないが……、せっかくの晩餐会を血の海に変えては、貴様に対する陛下の心証が悪くなるだけだろうなぁ」
「…………」
――無論、それはガニメデが望むところでも無い。
この宮廷に“蛮族ども”が押し入る事や、それらからの警護にこの“最強の手札”を使えない事。そして、“手札”に絡み付いている無駄な柵に歯噛みしつつも、ガニメデはこの場に限っては納得することしか出来なかった。
「安心しろ。どの道、そう簡単にあの陛下がどうにかなるとも思えん。
それに、連中も存外楽しみにしているかもしれんしなぁ。
――さて、そういうわけだ。晩餐会が終わるまで、おれは別棟で控えている。
貴様らも、陛下の邪魔をしたくなければさっさと立ち去ることだな」
傲岸に、そしてぞんざいに口元を緩めつつ。
去り際に、傭兵はガニメデと、その場に佇むもう一人へと声を掛けた。
「…………」
赤いドレスの眩しい炎民議長・エウロパである。
恐らくは、ユピテルに何か要件でもあったのだろう。
キツそうな顔立ちを厚めの化粧で覆った彼女は、サロンの中へと向けていたその目を細めながら、一度だけ、不機嫌そうにチラリと傭兵の方を見やる。
「……貴方は、どうしていつもそんなに偉そうなのかしら」
「昔の習慣が抜けんだけさ。
小皺を増やしたくなければ、あまり気にせんことだ」
底冷えするような威圧感を纏う炎民議長の問いにも、傭兵はあくまでも飄々とした態度を崩さずに去っていく。
しかし、そんな彼の態度も、この炎民議長にとっては歯牙に掛ける価値のあるものでは無かったのか。長いマツゲに囲まれた大粒の瞳は、すぐにサロンの内側へと戻された。
今夜にも“蛮族ども”が招かれる事になっている、綺羅びやかな談話室。
その真ん中では、未だに幼い氷民議長と国王陛下が何かを話し込んでおり、そんな陛下目掛けて窓から飛び込んで来た緑髪の少女が、お目付け役の執事に捕まってガミガミとお説教を受けていた……。
―――――
“惨劇”から一夜が明けての旅程は、慎ましくも大変にしめやかなモノとなった。
理由は酷く簡単で、腫れ上がって変な風に癒着した唇が全く開かず、口を利くどころか水も飲めない様な状態にまで追い込まれてしまったから、というような極々他愛もない話であったりもするのだが、その辺りの情景は詳しく描写しても幸せが齎される事もあまり無いと思われるので敢えては触れない。
ただ、一つだけ要点にのみ言及するとするのならば。
白い青年・朝日真也は、バイクが走行する度に伝わってくる鈍痛と、非常に前が見にくい視界のせいで途轍もない程の安全運転に徹しなくてはならなくなった、という事だろうか。
「あ、あそこ。色の違うところは避けてね。禁鎖領域だから」
散々暴れて、ちょっとはスッキリしたのか。
ほんの少しだけ口数を取り戻しつつある少女の声に、(口が動かないので)適当に無言で従いつつ、真也は大空に浮かぶ白い翼を追っていった。
半日もバイクを飛ばした頃には、広大な砂地の色も徐々に変わっていき、再び草本が地を覆い始めた。
吹き抜ける風が秋の匂いを含み始め、スズメバチの大群に襲われたのかと見まごう程の顔面の腫れも、つられる様に徐々に引いていく。
――この分なら、あと数時間くらいすれば、きっと飲食や会話に不都合が無い程度には回復してくれることだろう。
相変わらず、なんとも素晴らしい守護魔の回復能力ではあったのではあるが……真也としては、やっぱり果てしなく何かが間違っているような気がしないでも無かった。
回復の度に思い出しそうになる、ほんの些細な違和感を努めて意識しないようにしつつ、同時に悲鳴を上げる間脳視床下部が明後日の“晩餐会”を酷く楽しみにしている事なんかを理解しつつ、真也はバイクの疾走を加速させていく――。
日没が近づき、天の国へと入る前に、予定通り果ての無い平原ではもう一泊する事になった。
小川の畔にキャンプを張り、中途で仕留めた中型魔獣を捌いて四人で食べる。
それは傍目に見ずともなんとも奇妙な組み合わせには思われたものの、和気あいあいとはいかないまでも、それなりに悪くない食卓であったのではないだろうか。
――尤も、お互いに命を狙い合っているという関係上、流石に完全に気を許す、なんていうわけにはいかないのではあったが。
湯浴みの際には昨夜にも遥かに増して念を押されたが、その時に漸く弁明の機会を貰えた真也が、昨夜の出来事を包み隠さず話した時の少女曰く、
「そ、それならそうと、早く言いなさいよ!!
わかってたら、もうちょっとくらい、手加減してあげたのに……」
とのことである。
……なるほど。どうやら、真実を知ろうが知るまいが、どの道制裁は免れなかったらしい。
真也は、この件についてはもうあまり気にしないことにしようと心に決めた。
翌朝、未だ朝日の蒼色が明瞭では無い時間に起きた四人は、その足で天の国の国境へと差し掛かった。
果ての無い平原へと出るときにも見たが、“虹の橋”と呼ばれるこの世界の国境は、やはり何度見ても幻想的な壮観さを纏っていた。
一体、どのような光学的効果が働いているのか。
ゴツゴツとした、灰白色である筈の岩場そのものが、まるでプリズムで分光された照明を当てられているかの様に七色に色づき、それぞれの色がユラユラと揺らめいては混じり合っている。
アルによると、この虹色に色づいている部分だけが、橋の番人と呼ばれる独立組織によって、国境の通過を許可されている唯一の場所であるらしい。
「絶対に“橋”を踏み外さないようにね?
禁鎖領域に落ちたら、シャレにならないんだから」
旅立ちからもう何度となく繰り返されてきた、少女の謎の忠告を聞き流しつつ。
真也はこうして、初めてこの世界に於ける“敵国”へと足を踏み入れる事になった。
さて。そのような経緯を経て、天の国の内部をひた走ること、約半日。
明らかに“秘境”と呼べそうなレベルの密林を避け、獣道から徐々に小さな街道へと道柄が変わり、更にそこから少し外れた頃。
一行は、ついにこの旅路に於ける最大の“難所”へと差し掛かっていた。
「“フラーナングの滝”、か。
話には聞いてたが、想像以上だな……」
轟音と共に落下してくる水の塊を見上げながら、真也は呆れたような感想を漏らした。
“轟音”とは表現したものの、それは別段、水が滝壺に吸い込まれる際のどこか涼やかさを伴った水の音色を意味する訳では無い。
――何しろ、その滝には“滝壺”が存在しなかった。
1000メートルは優にあるだろう。直角と形容しても何の問題もありはしない、その誰がどう見ても間違いなく“崖”と呼ぶほどの完璧な壁は、途中から雲がかかっている為に頂上を見通す事は出来ない。
そのあまりの高さ故か。滝の水は落ちきる前に拡散してしまい、結果としてそれは“滝”という定義の中に間違いなくありながらも、着水地点が一切存在しないという矛盾を体現してしまっていたのであった。
――名称を、フラーナングの滝。
天の国の首都・エラルトプラーノと下界を分かつ、天然にして最後の隔壁である。
「アル。いちおう確認しておくが、エラルトプラーノっていうのは、本当にこの上にあるんだよな?」
「そのはずだけど……」
肯定しながらも、アルも半信半疑といった体で言い淀む。
彼女の翡翠の瞳が見上げる先には、やはり壮絶な断崖絶壁だけが聳えていた。
未だ本格的な雨季には入っていない為か、崖の下は暴風雨と呼ぶほどの土砂降り状態では無かったものの、小雨程度の水滴が間断なく振り続けており、壁面も湿っていて滑りやすそうに見えた。
……大魔導の彼女なら分からないが、何のツールも無しにこの壁を上るのは、魔術も使えない上にロッククライミングの経験すら無い真也にはまず不可能だろう。
「ダメですね。上空は気流の乱れが酷く、我々のグリフォンでも登りきれません」
暫くの間、呆然とその“滝”を見つめていると。
やがて、上空から羽音と共にそんな声が降ってきた。
目を向けると、巨大な翼に乗っていた武の国第一王女・ウェヌスとその守護魔・ネプトが、軽快に目の前へと飛び降りてくる。
「……当たり前でしょ? あんた、ナニしに行ってきたわけ?」
「あわよくば、と思ったのですが……。
どうやら、そういう訳にもいかないようでしたね。
大丈夫です。それでも、得る物はありました」
訝るような、或いは蔑むような目を向けるアルに、不敵な微笑だけを返しつつ。
武装姫・ウェヌスは、優雅に崖へと歩み寄ると、その手をスッと壁面に当てた。
魔術の発露に特有の燐光が舞い散り、壁面そのものがオレンジ色に輝いていく。
「この辺りの岩には、鉱物が多く含まれているようですね。
少々力を多く使いますが、この程度なら私の先天魔術の効力範囲内です」
彼女が、そう真っ直ぐに宣言した瞬間。
崖には、“異変”が起こり始めていた。
――“剣”だ。
刃渡りは2メートル前後といったところだろうか。“身の丈程もある”どころか、身の丈よりも遥かに長く、そして分厚い、到底人間が振り得るとは思えない刃物。それが無数に、墓標の如く壁から突き出す様に生え、そして等間隔を開けながら、ただ只管に上空へと続く“道”になっていた。
「悪くない旅路でしたが……。どうやら、ここまでのようですね」
その内の一本。
一番下に突き出した、5メートル程の高さにある剣の腹に飛び乗りながら、ウェヌスが懐古するかのように告げる。
無数に立ち並ぶ剣の山を、呆然と見上げる銀の国の二人に、クスリと勝ち誇ったような笑みを浮かべながら――。
「では、山頂にてお会いしましょう。
――尤も、登って来られるのなら、ですが」
彼女がそう宣言するのと、次の動作は同時だった。
軽く両の脚を曲げ、膝に溜めを作ったと思った次の瞬間には、武装姫は残像すら残しそうな勢いで、断崖絶壁に突き出す剣の間を高速で跳躍していく。
その様に、“主”の方針を悟ったのだろう。
青の守護魔・ネプトも、一度だけ軽く肩を竦めると、ウェヌスの後を追うようにして、崖そのものを踏み砕く勢いで壁を垂直に駆け上がり始める。
――1分は、掛けなかっただろう。
グリフォンが遠くの空へと飛び立った頃には、武の国の二人は、あっという間にその姿が見えなくなってしまっていた。
「……、アル」
「なに?」
残された少女と青年は、暫しの間、言葉を失ってただ放心していた。
放心し、呆気にとられたかのようにポカンと口を開けながら、只々呆然と武の国の二人が登っていった崖を見上げている。
――否。彼らには、そうする以外の選択肢が残されていなかったのだ。
「……あいつら、何してんだ?」
青年のその一言だけが、彼らの心情の全てを物語っていた……。