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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第三章:エーギルの晩餐会-2『trouble and travelers』
71/91

71. 初級魔術練習時に於ける魔力の心肺機能への変調を示唆する事例から推測される吊り橋効果的意味での精神活動への影響を端的に示した一例及び果ての無い平原に生息する魔獣種の生態についての仮説と実験

「アル、忘れ物はないか?」


「大丈夫。ま、あんまり荷物持ちすぎてもなんだしね」


 天王からの封書が届いて3日が経った最果ての丘。

 抜けるような青空のキャンバスにまばらな白雲が舞う、穏やかな春の陽気の中、白い青年と真紅の少女は旅荷を持って屋敷の玄関前へと集合していた。

 いつの頃からかスッカリ合ってしまった息で、テキパキとお互いの荷物を確認している。


「ほほほ、くれぐれも気をつけるんじゃぞ?

 この時期は、冬眠から覚めた魔獣どもが腹を空かせておるからのぉ。

 あ~、ちゃんと“備え”はあるのかえ?」


「いつも“備え”も無しに浮浪してるあんたにだけは言われたく無いってのよ。

 ま、大丈夫じゃない? 他国の連中だって、普通に果ての無い平原(ヴィーグリード)通過して来てたみたいだしさ」


「…………」


「大体、“あのバカ”に出来てあたしに出来ないワケが無いじゃない」とアルは続ける。

 それを聞いた隻眼の老人は、「……、忠告は、したからのぉ」と何やら意味深な発言を漏らしていた気がしないでも無かったのだが……。

 特に気にした者も居なかったようなので、おそらくはあまり重要な事なんかでも無かったのだろう。


 老人――ヘリアス王がこの場に居る理由は簡単だ。

 真也とアルが天の国へと“遠征”に行っている間、死の国の大魔導・プルートを預かって貰う手はずになったからである。



 ユピテルからの封書が届いたあの日。

 唐突に降って湧いたこの“災厄”をどう切り抜けたものかと話し合った二人は、取り敢えずは王宮に話だけでも通しておこうという方針で落ち着いた。

 喩えどう見ても他意の無い、とても個性的な(・・・・)だけの晩餐会への招待状だとしても、それが天の国国王からの“親書”という体裁を整えている以上、彼ら個人で判断して良いレベルの話では無いと思われたからである。


 王宮に話を通すと、審問会はすぐさま召集された。

 この国の貴族達の、こういう時の機敏さだけは本当に眼を見張るものがある、などと、真也はこの点に関してのみどこか後ろ向きな感心を覚えていたりもする。

 この上“こんな招待など蹴ってしまえ”とでも英断して頂ければ、真也としては言うことなど何も無かったのだが――。

 手紙の最後に追伸で書かれた、


『あ、これないトキは言ってね?(・∀・)? つごうのいいときに、みんなをあつめてソッチでやるから(^_-)-☆』


 ……という、恐ろしい脅迫文(・・・)を目にしてはそうもいかない。審問会の貴族たちは、なんとも迅速に“逝ってこい”と即決してくれたのであった。


 いやはや、やはり仮にも“一国の王”からの招待状を無碍にするなんていうのは宜しくない。

 真也だってこんな、六国の召喚主にその守護魔なんていう、その気になれば3日で世界を滅ぼしかねない様な面子を地元に集めるだなんて、全くもって望んでなんかいないのである。

 平和主義な現代日本出身の彼としては、さっさとその面子を抹殺して地球に帰れさえすれば、他に望むことなんか何もないのであった。


 

 プルートは留守番させる様に命じられた。

 当然だろう。仮にも捕虜としてアルの下に“幽閉”されている事になっている彼女を、地理的に“死の国”の西に隣接している“天の国”に連れていくだなんて、普通に考えれば許可が下りる筈も無い。

 審問会も“プルートにもう守護魔が居ない以上、ユピテルとてこんな小さな子どもにまでわざわざ出席を強要したりもしないだろう”と判断したものであり、これは真也もほぼ同じ見解であった。


 ……その預かり先が何故“国王”なのか、という点についてのみ、“子供を連れていれば、この人も少しは節度を弁えるだろう”なんていう、貴族たちの涙ぐましい打算が含まれている様な気がしないでもなかったのではあるが……論証不能な命題に拘泥してもあまり生産的では無さそうなので、生粋の物理学者な真也としては軽くスルーする事にしている。


 なにはともあれ、要点は一つ。

 その様な経緯があり、天の国へと“国外旅行”に行く事になってしまった赤い少女と白い青年の二人組は、旅立ちの日が来た現在、屋敷の玄関前にて国王陛下とプルートによる“見送り”を受けていたという事であった。



「お兄ちゃん……」


 身支度の確認も終え、そろそろ旅立とうかという段になった頃。

 黒髪赤眼のお留守番少女・プルートは、どこか不安気にそう呟いた。

 俯きがちなその表情からは、雨に打たれた捨て猫の様な印象を受ける。



「…………」



 その様子に、真紅の少女・アルは、どこかいたたまれない思いになった。

 ずっとこの丘に独りで過ごしてきた彼女には、今のプルートの気持ちが痛いほどに良く分かってしまったのだろう。

 ――なにしろ、こんなに真也に懐いているプルートなのである。

 見知らぬこの国で、一番心を許せる筈の相手と暫く会えなくなるなんて、まだ小さな彼女にとっては、きっと不安で不安で仕方ないに違いないのだ。

 ――これ以上別れを長引かせても、可哀想なだけだろう。

 そう判断したアルは、敢えて真也の脇腹を肘で突いて急かし、さっさと旅路に発つ事にした。


「お兄ちゃん」


 別れを告げ、屋敷から離れる二人に向けて。

 まるで堪え切れなくなったかの様に、プルートが大きく声を張る。



「お兄ちゃ~ん!! お姉ちゃんより先に寝ちゃダメですよ~!!

 発情期のケダモノさんなんですから~!!

 油断してると、パックンて食べられちゃいますからね~!!」


「――――っ!!」



 ――ズルッ、と。

 アルが、昔の漫画みたいな勢いでズッコケた。

 もちろん現実は漫画ほど都合が良くはいかないらしく、頭蓋骨が地面との華麗な衝突事故を起こし、その衝撃に赤髪の魔導師は患部を押さえて尺取虫の如く地面をゴロゴロと転がって悶絶する。


「プ、プルート!! どういう意味よそれ!!」


「? えっと~。だから、夜中にボウソウしたお姉ちゃんが、むぼうびに寝てるお兄ちゃんを――」


「わーーっ!! わーーーっ!!

 ちょ!! ワ・ケ・ないでしょうがっ!!

 あんな!! どうして!! あたしが!! あんなの(・・・・)を……!!」


「え~? そんなのウソです~」


 バネ仕掛けの様に起き上がり、凄まじい剣幕で詰め寄るアル。

 それをからかうように躱しつつ、プルートは“むっふっふ~”と、どこか含みのある笑みを向けていた。


「……どういう、意味?」


「え~? だって、わたし知ってるんですよ~?

 お兄ちゃんに“霊道”通したのって、お姉ちゃんなんですよね?

 どういうやり方したのか、お兄ちゃんにぜ~んぶ聞きましたよ~?」


「…………っ」


 ――何故か、アルが黙った。

 まるで隠していた日記帳でも見つけられたかの様な、或いは酷い弱点でも握られたかの様な顔になって、「ぅ……」っと小さく口を噤んでいる。

 彼女たちの会話が理解出来なかった“あんなの”、もとい真也は首を傾げるしかなかったのだが――プルートが悪戯気な流し目を向けてきたので、そっちに意識を移す事にした。



「お兄ちゃん」



 ――トン、と。

 プルートが、お遊戯会のダンスの様な仕草で、弾む様に近づきながら続ける。



「初めて魔術を練習したあと、なんですけど……。

 おカラダ熱くなったりとか、お姉ちゃんに変にドキドキしたりとか、しませんでしたか?」


「…………」


 今度は、真也が黙る番だった。

 白い青年は、まるで何か思い出したくも無い、記憶の奥底に封印していた酷い醜態でも思い出してしまったかの様な表情で、への字に口を噤んでいる。

 尤も、普段からポーカーフェイスを崩さない彼の表情の変化など、プルートの向こうで黒歴史ノートを音読されている小説家志望の様に悶絶しているアルに比べると、極々微々たるものではあるのだが……。


 そんな彼らをよそに、悪戯気な、クスリとした微笑なんかを漏らしつつ。

 プルートは真也の腰元に抱きつくと、その左手をヒョイと取った。

 小さな手が真也の手の甲をそっと支え、手の平に浮かぶ魔法円をつ~っとなぞる。



「――――ッ!!」



 ――瞬間。

 三半規管を思いっ切り揺さぶられた様な目眩に、真也は危うく倒れそうになった。



「あー、やっぱりです~」


 目の前から聞こえている筈なのに、妙に遠く感じる甘ったるい声。

 まるで、空気が水にでもなってしまったかのようだった。

 鈍い筈の心臓からは動悸がして、頭の中がクラクラと湯だち始める。

 急激にコントラストが強まった視界で、プルートだけが、口端からチロリと八重歯を覗かせて笑っていた。


「コレやると~、たまにお兄ちゃんみたいになっちゃう人がいるんですよ~。

 魔力が流れると、慣れないうちは心臓が早くなったり、目が回ったりしますから。普段ドキドキしない人ほど、ヘンな気分になっちゃうんです~」


「…………っ」


 “魅了(チャーム)の魔法と同じ原理です~”とプルートは続ける。

 “お兄ちゃんは守護魔さんですから、直接霊道に触れないと効きませんけど~”とも。

 魔性の様な大きな赤眼が、スッとアルの方に向いた。



「お姉ちゃん、言ってなかったんですか?」


「なっ、い、言えるワケないでしょうがッ!!

 だって、それじゃ……。まるで、あたしが……!!」


「ふ~ん、そうなんですか~。

 ――お兄ちゃん、聞いてください~。

 お姉ちゃん、知らない間にお兄ちゃんの心をいじって、コッソリ自分のモノにしちゃうつもりだったんですよ~?」


「……なっ、ちが、だ、だって!!

 そいつ、ぜんぜん平気そうだったし――!!」


「――聞きました?

 お姉ちゃん、あんなコト言うんですよ~?

 平気そうだったらナニしてもいいと思ってる、とっても悪い子だったんです~」


「…………っ」



 少女たちが、何かを言い合っている。

 どうやら赤い少女が“ぅ……”と言い淀んだり、黒い少女がからかう様に何かを言っていたりするようなのだが――正直に言えば、そんな事なんか今の真也にとっては気にする程のことでも無いのであった。

 ――否、気にしている余裕が無かった、と言った方が正しいだろうか。

 何しろ彼女たちがそんな事を言い合っている間にも、現在進行形で、彼の手の平にはプルートから魔力が流され続けているのである。


 プルートの指先から流れ込んで来る魔力は、以前アルに魔術を指導された時に感じたモノとは、明らかに毛色が違っているらしかった。

 まるで、考えたそばから脳内の思考をバラバラに分解してしまう様な、或いは頭の中を侵食してドロドロに溶かしてしまう様な、濃縮されたハチミツの様に濃いナニカ。

 真也の左手に刻まれた魔法円は、彼の体内の物理法則を調整して、彼にこの世界で生存する事を許している生命維持装置そのものだ。

 それが“魔力”とやらで動いている以上は、確かに、流しこむ魔力次第では、心肺機能をある程度変調させる事も出来るのかもしれない、などと、真也は気を抜くと倒れそうな目眩を堪えながら、なんとか意識を保つ為に思考していた。



「――お兄ちゃん」


 プルートが、無邪気に笑いながらこちらを見上げている。

 そして、



「ちょっと、そのまま動かないでくださいです~」



 ――ゾクリ、と。

 プルートが、背筋が寒くなるほど妖艶な表情を浮かべた、次の瞬間。

 左手から流し込まれ続けていた魔力が、一気にその量を増したのが分かった。



「――って、な……」



 ――“な”、の次は、一体ナニを言おうとしたのか。

 今の彼に、それを思い出す余裕なんか無かった。

 何か意味のある文節を作ろうとした瞬間、頭の中に水飴を突っ込まれて掻き回された様な、あまりにも強い酩酊感によって思考がバラバラに砕け散ってしまう。

 瞳孔が拡大と収縮を繰り返しているのか、映りの悪いテレビの様にチカチカと明滅する視界で、赤い瞳の少女だけが、天使の様な可愛らしさで笑っていた。


「――お姉ちゃんと二人っきりなんて、お兄ちゃん、ナニされるか分からないですから。今のうちに、お兄ちゃんをわたしのモノにしてあげます~」


「…………」


 ――小さな唇が、ナニか言葉を紡いでいる。

 だが今の彼には、その“音”が何を意味しているのかが分からない。

 破裂しそうなくらいドッドッドッドッと脈を打つ心臓に、手足の先から血の気が引いていく様な、或いは麻痺していく様な錯覚。

 血中にアルコールを流し込まれ続けている様な違和感が強烈過ぎて、これ以上は明らかにヤバイ、と本能的に感じているのに、そんなコトはお構いなしにバイタルのメーターが次々に破壊されていくのが分かる。


「――安心してくださいです~。

 しばらくは、わたしのコトしか考えられなくなっちゃうと思いますけど、たぶんイヤな感じはしませんから。

 だから、そのまま――」


 そんな、身動き一つ取れなくなった彼の手の平を、つ~っと指先で弄びながら。

 もう、どう考えても限界ギリギリだっていうのに、プルートは小悪魔のような笑みを浮かべながら、真也の身体の中に更に強い魔力を流し込もうと――、



「――――っ!!」



 ――ベリッ、と。

 誰かが、何かをひっぺがしたのが分かった。

 真っ黒な服に真っ赤な髪をしたその“誰か”は、真也の腰に張り付いていたちびっ子の襟首をむんずと掴むと、円盤投げの様な見事なフォームで“それ”を思いっきり後方へとぶん投げたらしい。

 “それ”、もといプルートは、指先を引っ込める間も無くぶっ飛ばされて、ヘリアス王にボスッと受け止められたところで停止した。

 ぷくっ、と、不満気に頬を膨らませている。


「――ったく、油断も隙もありゃしない」


「…………」


 パンパンと軽く手をはたきながら、アルは“じゃ、行こっか”、なんて、提案口調ながらも絶対に否定を赦さない眼光で命じて(・・・)くる。

 ……何故、こんなにも不機嫌になっているのだろうか。

 これからこの状態の少女と二人で旅をしなくてはならない、という事実に、真也は極々些細な不安を覚えない事もなかったのではあったが……まあ、彼には地雷を敢えてぶっ叩く趣味も無いので、今は特に触れない事にした。


「……ナニよ、その目。

 わかってる? 晩餐会まで、あと4日しか無いんだけど。

 こんなにダラダラしてて、ホントに間に合うわけ?」


「――4日、か。

 確か天の国って、銀の国からは一番遠いんだよな。

 もう一度だけ確認するが、普通なら(・・・・)どれくらい掛かるもんなんだ?」


「馬で1週間、ってところだと思うけど……」


 真也は軽く頷きながら、思ったよりも少なく済んだ旅荷を“それ”へと積み込み、そしてスイッチを入れて起動させた。

 獣の産声を思わせる、力強い咆哮が天高く響き渡り、少女に彼が“普通”では無い事を再認識させる。

 ニヤリ、と。彼は、ただ不敵な笑みだけを浮かべて言葉を返した。



「オレたちなら、その半分だ」



―――――



 さて。そのような経緯を経て、天の国への旅路を開始した現在。

 国境付近の宿場町で一泊し、虹の橋(ビフレスト)を越えて果ての無い平原を突っ走る事、約半日。

 初めての国外旅行に胸を踊らせる、幸せな若い男女のペアはというと――、



「アルっ!! なんだアレはっっ!!」


「見れば分かるでしょ!? いいからもっと速く――」



 ……腹を空かせた魔獣に、追いかけられていた。



「見て分からないから言ってるんだ!!

 なんなんだあのデカさは!! もう生物学的に有り得ないだろ!!」


「愚痴ってないでもっと飛ばしなさいよ!!

 あっ!! ちょ、ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!

 後ろ、来てる!! 来てるから!! もっと飛ばして!!」


 そう叫ぶ少女の視線の先では、体長30メートル(・・・・・・)はあろうかという巨大なトカゲが、“ごちそうだ~!!”とでも言いたげな表情で、ヨダレをダラダラ垂らしながら走って来ていた。

 二人をバイクごと絡めとってもまだ余裕がありそうなくらい長い舌は、ノコギリよりもずっと凶悪そうな牙が整列した口の端からデロンとタレており、完全にイッている目と相まって薬物中毒者の様な雰囲気を醸しだしている。


 ――爬虫王・ヴィーグリードレプティス。

 地球の生物に例えれば紫色のティラノサウルスと形容出来るその生き物は、果ての無い平原に生息する凶悪な魔獣種の中でも中の上の下程度の戦闘能力を誇る、正に“災害級”の怪物なのであった。

 ……より具体的に述べると、完全武装の王宮騎士団1000人が5分で蹴散らされるレベルである。

 そんなバケモノに追われながら、自陣営がたったの二人(・・)

 この世界に住むまともな人間なら、これだけでもう、生まれてきた事を後悔して前世の罪を償いたくなるくらいの状況であっただろう。


「アル!! 後方、音が近づいて来てるぞ!? 早く魔術を――」


「ちょっと待って!!

 ――詠唱省略(eoh)!! 火龍の火炎弾(ファーヴニル)!!」


 真也の背にしがみつき、片手しか使えない状況で、それでもアルは魔術を紡いで迎撃に出た。

 集中、2秒。術式構築、無秒。更に1秒で魔術の銘を告げると、彼女のしなやかな指先からはトカゲの体長の半分に迫ろうかという巨大な紅炎が放たれ、燃え盛る轟音を纏いながら目標を完膚無きまでに燃やし尽くしていく。


 ――だが、それは決してトカゲを対象にしたモノではない。


 アルが燃やしたのは、トカゲの周りをハエの様に大量に飛び回る、否、実際にハエが縦に5匹くらい連結した様な姿をした、体長2メートルくらいの肉食昆虫(・・・・)達の方であった。

 恐らくはコバンザメに類似した生態を持つ生き物なのだろう、と真也は推測している。

 ああしてトカゲの周りを飛び回り、獲物のおこぼれに与る事を生業としている共生者なのに違いない、と。

 ……尤も、彼らはコバンザメと比べても随分と攻撃的な様子で、ちょっとでも隙を見せると寧ろ率先して齧り付いてくるのだから手に負えないのではあるが。



「――――っ!!」



 正面に現れた蟲の牙を、真也はハンドルを急旋回させてなんとか回避した。

 ビィィッ、と、信じられないほど耳障りな鳴き声が耳のすぐ隣を通過して、あまりの不快さに吐き気が込み上げる。

 ――実際問題、トカゲよりも蟲の大群の方が遥かに厄介だった。

 “果ての無い平原”は、その名の通り、アメリカ合衆国の中央平原や、或いはグレートプレーンズを連想させる大草原地帯となっている。

 無論、舗装された道路が通っているワケでは無いので、高速道路の様に全速で突っ走る、というわけにもいかないのだが……それでも、オフロード仕様のこのバイクのスペックから言えば、あくまでも生物でしか無い後ろのトカゲなんかじゃ、絶対に追いつけない程の速度で逃げ切れるのが道理だ。

 そう、それが道理の筈なのだ。


「ク……」


 白衣の裾を鉤爪の付いた脚で切り裂かれながら、真也は小さく舌打ちした。

 ――なんのことは無い。要するに、この蟲の大群が邪魔で速度を上げられないのだ。

 前方後方、上方に左右。ありとあらゆる方向から、まるで圧殺する様に喰らいついてくる蟲達を躱し続けるには、当然ながらある程度ハンドルを切って方向転換するしか無い。しかも蟲達が突っ込んで来るタイミングは妙に巧妙で、前回の回避から姿勢を持ち直し、いざ加速しようとしたタイミングになって、先でも読んでいるかのような動きで進路に立ち塞がるのだ。

 結果としてバイクの進行は蛇行も同然となってしまい、真也は背後から迫る巨大なトカゲを振り切る事が出来ずにいた。


「…………っ」


 蟲が焼ける不快な臭いに顔を顰めながら、真也は打開策を模索する。

 ――拳銃、は駄目だろう。

 真也の腕では、こんな悪路を走りながら高速で運動する的を狙い撃つ、なんて芸当は出来ないし、出来てもこんな豆鉄砲ではトカゲどころか蟲にすら致命傷を与えられるとは思えない。

 唯一まともに機能しそうな手札は、出発前に試験的に開発していた“アレ”くらいのものではあるが――、こうも高速で移動している最中とあっては、こちらも精密な起動を期待するのは難しい。

 そうなると、やはり頼れるのは――。


「アル!! 蟲はもういい!! 大トカゲの方を狙うんだ!!」


「はぁ!? いきなりナニ言ってんのよ!!」


「どう考えたって、この蟲はトカゲのおこぼれ目当てだ!!

 トカゲさえ排除出来れば、蟲の方はすんなりと諦める可能性が高い!!

 そうでなくても、大トカゲさえ居なければ、停車させて地に足を着けて迎撃できる筈だ!!」


「!! 分かった!! やってみる!!

 福音を(nied)求む(tir)!! 火龍の火炎弾(ファーヴニル)!!」


 詠唱に従い、再度具現する炎の龍。

 今までよりも更に一回り大きくなっているように見えたその大魔術は、霧の様に立ちはだかる蟲の合間を縫う様にして飛翔し、トカゲの胴体目掛けて一直線に突っ込んで行った。

 無論、これほど巨大な大魔術だ。

 いくら蟲の少ないところを狙ったと言っても、完全に躱し切る、なんて事は出来る筈も無く、威力の半分以上はトカゲに到達する前に削がれてしまったようだが……。

 要点は、一つ。詠唱を省略した上に威力が落ちたそんな魔術では、当然にして“災害級”の魔獣のウロコなんか焼き切れる筈も無く、表面に中度の火傷を負わせただけに終わってしまった、という事であった。



「「……、…………」」



 どちらとも無く、しんと静かになってしまった二人。

 なんか、物凄くイヤな予感がしてしまった彼らは、その瞬間。

 トカゲがブチィッ、なんて効果音が似合いそうな、酷く怒り狂った表情になって、今までよりも更に速度を上げて突っ走ってくるのを見た。



「逆効果じゃないバカァ!!」


「待て!! オレのせいだって言うのか!?

 むしろこれは、一撃で仕留めきれなかった君の落ち度だと考える!!」


「はぁ!? ナニよ!!

 文句があるなら自分でやってみなさいよ!!」


「オレには無理だが君には“切り札”があるだろうが!!

 雷神鉄鎚(ミョルニル)だよ!! 雷神鉄鎚(ミョルニル)!!

 怪傑巨兵(フルングニル)ふっ飛ばしたあのバケモノ魔術なら、あんなトカゲなんか一撃で吹っ飛ばせただろうが!!」


「こんな状況でいつ詠唱しろってのよ!!

 あんた、精霊級がどんだけハードか知ってるワケ!?

 だいたい、今あたしが15秒も詠唱してたら、二人まとめて蟲のエサじゃない!!」


「頼りにならないな!! 君は!!

 地元の防壁は嬉々として消し飛ばすくせに、害獣が相手だと役立たずなのか!?」


「ナニ一つ役に立ってないあんたに言われたく無いってのよ!!」


「誰が役立たずだ!! 誰が!!」


「役立たずじゃない!!

 蟲一匹殺せないで、さっきからキャンキャン吠えて喚いてるだけなんだからさ!!

 わかる? あんた、虫ケラ!! 今のあんた、虫ケラ以下っ!!」


「後ろに乗せて貰ってる分際でなんつー言い草だっ!!

 大体、このバイクだからなんとか逃げきれてるんだろぉが!?

 君はむしろオレに感謝するべきだ!!」


「逃げ切れる速度で走れてるから!!

 珍しがってこんなに魔獣が寄って来てんのよ!!

 なんでなのよ!! なんであんたは!! やることなすこと何一つプラスに働かないのよ!!

 いっかい聖水でお清めしてきなさいバカァァ!!」


「待て待て待て待て!!

 オレを殴ってる暇があったら――ってのわぁ!?

 アル!! 右!! 右!! 蟲が20匹くらい隊列組んで突っ込んで来て――!!」


「ウソ!? なにあの団結力!?

 ヤバイヤバイヤバイヤバイ!! ちょ、詠唱間に合わな――」



 ――彼らが、その後の言葉を紡ぐ事は無かった。



 ゾブリ、と。肉を裂き、轢き潰す様な、酷く不快な音響を残して。

 上方(・・)から降ってきた大量の蟲の死骸が、彼らを狙っていた蟲の隊列を木っ端微塵に吹き飛ばしたからである。



「「!?」」



 あまりの事態に言葉を失う二人。

 白い学者と赤い魔女は、驚愕に目を見開いたまま、どちらとも無く反射的に空を仰ぎ見ていた。




 ――“翼”が、浮いていた。




 見渡す限り続く、あまりにも広すぎる深緑の大平原と、強いコントラストになった蒼い空。

 丁度、正午を過ぎた頃なのだろう。

 蒼く、どこまでも蒼く輝く太陽を背に、天空を切り裂く様な純白の翼が、霧の様に頭上を取り巻く蟲の群れに向かって飛翔している。

 ――翼の上には、ぼんやりとした人影が見えた。

 砕いた黄金を散りばめた様な、眩くもしなやかなブロンドの髪。

 腰に届く程に長いその金糸が、高層の風を受けて装飾の様に輝いて、この距離からでも圧倒的な存在感を纏っているのが分かる。


 ――人影の手には、“大剣”が握られていた。


 彼女のドレスと同じ、清涼な印象を受ける、身の丈ほどはあろうかという白磁の大剣。

 どの様な機構が働いているのか。

 剣身は角度によって鮮やかにその偏光を変え、全体に七色の波紋を纏っているように見える。

 そして、そのあまりにも鮮烈な大剣を、大きく頭上に振りかざしながら。

 人影は、一息で翼から空中へとその身を躍らせた。



「!!」



 ――息を飲んだのは、果たして誰だったのか。

 その瞬間、深緑の平原を疾走する彼らの視界は、大空に赤い花が咲き乱れたのを捉えた。

 人影の手に構えられた、白磁の大剣。それが解れた糸の様に空中に展開され、無数の槍になって30匹近い蟲の胴体を貫いたのだ。

 身体を穿たれた蟲は、その身から血液と体液を華と散らしながら絶命し、次々と地に叩き落されていった。


「――――っ!!」


 間髪入れず、人影は一息で槍の形状を変えた。

 堕ちていく蟲の頭を蹴って宙返りすると、そのまま2本のククリ刀に成形した得物で左右を取り巻く5匹の頭を次々と切り落とし、無防備な背中から迫ってくる3匹に、視線すらやらずに切っ先を向ける。

 ククリ刀は瞬く間にポールウェポンに変わって先頭の蟲の頭を打ち抜き、次瞬には2つの鉄球になって背後の2匹の胴体に風穴を穿った。

 蟲の残骸と血飛沫が、ただ雨の様に広大な平原へと降り注ぐ。



「ネプト!! 今です!!」



 凛とした声が響いた。

 鉄球が更に解れる様にして開き、見えないほど細いワイヤーになって宙を円形に薙ぎ払った、次の瞬間。

 彼女が蟲の霧に穿った穴の中に、まるで追従するかの様に。

 青い鎧を纏った“その男”は、太陽を貫く様に拳を振り上げながら、一瞬の躊躇も見せずに飛び降りた。



 ――ドンッ!! と。

 一尺玉の大花火を打ち鳴らした様な、およそ打撃によるものとは思えない轟音が鳴り響いた。

 


 大トカゲの頭部を完璧に捉えた、青い男の放った拳。

 そのあまりの威力故か。落下の加速を得ていた筈の彼の身体は、確実に一瞬、重力に逆らって空中に静止した様にも見えた。

 毒々しい、トカゲの紫色の鱗は水飛沫の様に砕けて空中に飛散し、あれほど恐ろしげだった牙までもが、半分以上も叩き折られて虚空へと飛び散っていく。

 ズンッ、という、信じられないほど巨大な崩落の音だけを残しながら。

 “災害級”と呼ばれた爬虫王は、僅か一撃の下に地へと身を埋めてその生涯を終えた。



「きゃっ!! ちょ、これ――」


「駄目だヤバイ!! アル!! なんとか受け身を――!!」



 ……倒れたのは、トカゲだけでは無かった。

 巨大な質量の落下によって抉られた地面は、振動と共に肥沃な土を砂嵐の様に巻き上げ、二人が乗ったバイクを包み込む様にして飲み込んだのだ。

 その振動と強風にバランスを保っていられなくなったバイクはついに転倒し、二人の身を実験人形の様に勢い良く地へと投げ落とす。

 速度があまり出ていなかったことと、下が地面であったことだけが救いだったと言えるだろう。





 転倒した二人が10メートル以上も転がって、漸く身体を止める事に成功した頃。

 上空から降ってきた青い男は、豪快な着地音を響かせながら大地を踏み締めた。

 その後数秒の間を置いて、魔術で減速したらしい白いドレスの女が、あまりにも軽やかな動作でフワリと地面に降り立つ。

 ――真也の予測は、正しかったようだ。

 トカゲの絶命を悟ったらしい蟲の大群は、それ以上自分たちという獲物に固執すること無く、別の共生相手を探して平原の彼方へと飛び去っていった。



「――また腕を上げましたね、ネプト」


「運が良かっただけだ。

 このトカゲ、アイツらに気ぃ取られて、背中がガラ空きだったからな」



 白いドレスの女――ウェヌスの賛辞に、青い鎧の男・ネプトは控えめな返答をした。

 ヤレヤレ、と。どこか疲れた様に肩なんかを回しつつ、明後日の方向にクイッと顎を向ける。



「――――っ!!」



 ネプトの顎の先には、赤い少女が転がっていた。

 ……今の彼女の頭の中では、一体どのような思考が渦を巻いているのか。

 なにやら形容しがたいほどの、非常に奇妙で複雑な表情になりながら、3秒くらいの間“ぅ――”とだけ唸り続けていた。


「……な、なによ。お礼なんか言わないからね?

 このくらい、あたしたちだけでも、別にどうにでも出来たんだから」


「…………」


 どうやら、強がる事にしたらしい。

 転倒して土まみれになってしまった赤い少女は、土埃をパタパタと軽く払いながら、あくまでも毅然とした表情を作ってそんな事を言う。

 それはもう、土埃なんか全然斟酌する余地すら無いと思えてしまうほどの、どこまでも凛として自信に満ち溢れた表情であった。

 ……何故、そこまで敵愾心を剥き出しにするのだろうか。

 真也としては、毎度の事ながら彼女たちの仲の悪さには辟易していたりもしないことは無かったのではあったが――睨みを効かせてくるアルに、“ほら、あんたも早く立つ!!”なんていうご命令を承ったので、取り敢えず早く立ってみる事にした。



「――何か、勘違いをしていませんか?」



 ピッ、と。人差し指を立て、言い聞かせるように言ったのはウェヌスだ。

 白いドレスの武装姫は、まるで少女の反論を見透かしていたかのように、それが的外れなモノなのだと心から断じる様に、あくまでも平静に言い放つ。

 ――どうやら、助けたつもりは無かったらしい。

 二人が訝るように目を見合わせていると、まるで補足するかの様に、ネプトがその松枝の様な親指を、クイッと背後のトカゲの方へと突きつけた。

 

「晩飯だ」

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