表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-5『Golden Sun and Silver Moon』
62/91

62. 異世界に於ける更に異文化出身の少女のホームステイに際して特に重要と思われる懸案事項の提示と解消及び異世界の白化個体による地下帝国の生活に対する観察記録と文明の発達が齎す更新的な危機への問題提起

「まあ、そういうワケじゃからのぉ。

 あ~。アルテミア、それにシンヤ殿よ。

 その子の事は、一先ずはお前さん達に一任することになる。

 何か聞きたいことでもあるのなら、今の内にその子に聞いておいた方がいいんじゃないかえのぉ?」


 豪勢な待合室が再び静寂を取り戻した頃。

 二人の少女によるスキンシップ(・・・・・・)を和やかに見詰めていたヘリアス王は、不意にそんな提案を切り出した。

 ――どうやら、話を締めるつもりらしい。

 血塗れの様な赤い灼眼は、まるでナニかを試す様に真也とその隣に佇む真紅の少女を射抜いている。


「――随分おかしなコト言うじゃない。

 あたし達は、この子を育てる為の“特使”なんでしょ?

 聞かなくちゃ(・・・・・・)いけない事(・・・・・)があるなら、予めソッチから説明するのが筋だと思うんだけど」


 答えたのは真紅の魔法少女、アルテミア・クラリスであった。

 ようやくいつもの自分を取り戻したらしい天才魔導師で魔導研究所所長な彼女は、一糸の乱れすら無い完璧なローブ姿で、そしていつも以上に凛とした顔付きでそんな事を言う。

 ……どうやら、先の一幕は“無かった事”にしたらしい。

 下手に掘り返しても殴られそうだと判断した真也は、ここは敢えて触れないのが懸命な判断というものなのだと解釈した。


「ほほほ、いやいや。お前さん達が聞かねばならん事(・・・・・・・・)は、まあ特には無いと思うんじゃがなぁ。

 じゃけど、まあ。“聞かねばならん事”と“聞きたい事”は、また少し違うもんじゃと思ってのぉ。

 ほら、なんじゃ? お前さん達、これから仲良くやっていかねばならんワケじゃしなぁ。気になってる事でもあるなら、ここでハッキリとさせておいた方が良いんじゃないかえ?」


 国王陛下は、尚も変わらない様子で続ける。

 はぐらかすかの様なその言に、しかし真也は、確かに一理あるかもしれないと納得した。

 何しろ彼らがこれから預からなくてはならなくなった少女・プルートは、魔術大国・銀の国とは全く異なる文化を持っているであろう敵国・死の国からやって来たお客様なのだ。

 そして人々の持ち合わせる思想や常識といったモノは、文化が異なれば同様にして少なからず異なってくるのが常であり、そういった意味で言えば、今は天真爛漫純真無垢に笑っているこの少女であろうとも、文化の違い故に知らないところでストレスを貯めこんでしまう可能性も大いにある。

 ならば彼女に対して配慮しなくてはならない事があるのなら、ナニかが起こる前に、今ここでしっかりと聞いておいた方が良いというのは正しい見解だろう。


 何しろこの黒髪八重歯でゴスロリワンピースなお子様は、地理的に言えば挨拶代わりに大剣を振り回して斬り掛かってくるあのバトルジャンキーなお姫様や、年がら年中素っ裸で命令口調を貫いている拷問大好きなあの皇帝陛下よりも更に遠い所からやってきた少女なワケであるからして――。


「ん? てかちょっと待ってくれ。

 一つだけ聞いてもいいか?」


 ――と。そこまで考えたところで、真也は自らの思考にほんの小さな引っ掛かりを覚えた。

 頭に過ぎった違和感を反芻する事、2回。

 幸か不幸かその原因を簡単に見つける事が出来た真也は、“なんでも聞いてくださいです~”と天使の様な笑顔を向けてくるプルートに、自らの疑問を提示した。



「どうして、“銀の国”なんだ?」



 真也は、確かめる様にしてそう問うた。

 真也とアルの推測が正しかったとすると、プルートは守護魔と共に一度地の国へと入り、そして敗走する形で銀の国へと逃げこんできたという事になる。

 しかしそうなると、一つだけ奇妙な点が浮かび上がるからだ。



 “果ての無い平原”を中心として放射状に展開しているこの世界の地理に於いて、銀の国から見て“死の国”とは武の国を挟んで更に南西。“地の国”とは、氷の国を挟んで更に西に位置している国家である。


 ならばプルートが死の国を出て地の国に攻め入ったと解釈した場合、わざわざ“最強の守護魔”・ユピテルを擁する天の国を通過したのでも無い限り、彼女が辿ったルートとして最も可能性が高いのは、果ての無い平原を一直線に突っ切る道のりとなるだろう。

 そして“虹の橋(ビフレスト)”のシステムがある限り一度通った橋は9日間使えなくなるのだから、彼女は敗走後に果ての無い平原を通るルートを使用できなかった計算になり、即ち彼女が帰還時に使った橋は、必然的に“地の国”から“氷の国”へと繋がる物であったという結論が導き出される。


 ――そう。プルートは、“氷の国”を通った筈なのだ。


 氷の国も銀の国も、死の国の大魔導であるプルートにとっては敵国である事に変わりは無いだろう。つまり、“助けを求める”という目的に対する難易度にはそう差がないという事になる。

 では彼女が手近な“氷の国”では無く、わざわざこの“銀の国”にまで逃げ延びて来た理由とは、一体何だったのだろうか?

 もしも“氷の国”では無く“銀の国”でなければならない理由が彼女にあるとしたら、もしかしたら、ソレこそが彼女に対して配慮しなくてはならない事なのではないかと真也は推測した。



「えっと。その~……」



 質問の意図を語った真也に、プルートは少しだけ言葉を詰まらせた。

 柔らかそうな頬を微かに染めて、真也とアルの顔を交互に見上げる。



「“お父さん”から、聞いたんです~」


「? 聞いたって、ナニを?」


「その、それは~……」



 仄かに上気した頬に両手を当て、照れる様にくねくねと身を捩るプルート。

 それはまるで、恋する少女がお泊り会で好きな子を尋ねられて言い淀んでいる様な仕草にも思われた。

 ――どうでもいいが、贔屓目に見なくても可愛らしい。

 “背中に羽が見えた”とはよく言ったもので、遠慮がち且つ上目遣いに見上げてくる彼女の仕草はそれはもう破壊力抜群で、アルなどは完全にやられてしまったらしく、身体を硬直させながら“あ、う……”などと謎の鳴き声を漏らしていた。

 そして、そんな彼らを遠慮がちに見返しつつ、プルートは、



「えっと。銀の国の“代表さん”達は、六国でも特にヘンテコ(・・・・・・)珍獣コンビ(・・・・・)だってお話です~。

 わたし、ずっと思ってたんです~。

 どうせお外でお世話になるなら、一番おもしろいヒト達が、ジタバタ苦しみもがくトコロを間近で見たいな~って……」


「「…………」」



 ……ナニに気をつけなくてはならないのかを、これ以上無いほど簡潔に明示してくれた。




「羽が見えたって?」


「うん」


「……色は?」


「黒」




 そこはかと無い頭痛に頭を抱えている二人に、プルートは“あれ? どうしたですか?”などと、あくまでも無邪気(・・・)な言葉を掛けてくれる。

 いやはや、どうやら死の国とは“無邪気な邪気発言”とやらが一般的な日常会話としてまかり通る文化を育んだ社会らしい。

 ……なんと、恐ろしい国家なのだろうか。

 真也は、未だ見ぬ敵国に早くも精神的に追い詰められている自分に気が付いた。



「……ま、あんたの本性は大体分かったからいいとして。

 じゃ、次はあたしから質問ね」


 と。真也がそんな事に頭を悩ませている間に、どうやらアルの方でも質問事項が纏まったらしい。

 教育しがいのありそうなお子様に頭を抱えながらブツブツと何かを呟いていたアルは、やがて小さく息をついてから、プルートの赤い瞳を覗きこむ様にして口を開いた。



「あんた、どうやってここまで来たの?」



 どうやら、アルはプルートの移動手段が気になっていたらしい。

 それは“プルートに対して配慮しなくてはならない事を明確化する”という、真也が悟った国王陛下の意図とは少々外れる質問にも思われたが――なるほど。確かにコレは聞いておいても損が無い話だろう、などと真也は納得した。


 何しろ、真也は既にこの世界の国々が地球のそれに比してそこまで大きくは無い事を知ってはいたが、同時に“国”と呼べない程に小規模に過ぎる訳でも無いという事実を理解してもいる。

 それは武の国のお姫様や青い大男、そして氷の国の赤い少年がこの国に攻めて来る時には、例外無くそれぞれ怪鳥(グリフォン)魔犬(ガルム)といった騎乗用生物を利用していたという事実からも示唆される観測的事実であった。

 つまるところ、いかに魔術などという不可思議な理が当たり前の存在としてまかり通るこの世界の常識であろうとも、流石に“乗り物”無しで隣国にまで旅するのは少々骨であるという事なのだろう。


 勿論、中には葉っぱ一枚で飛んでくる某緑のバカップルの様な怪物も居るには居るらしいのだが――まあ、アレは例外中の例外であって、つまりはこの少女・プルートも、なんらかの“乗り物”を用いてこの国にやって来たと考えるのが自然である。

 では、彼女が今回想定されるだけの大移動を成し遂げる為に用いた“乗り物”とは、一体何だったのだろうか?

 確か、王都付近でそれらしきモノが見つかったという話は無かった筈なのだが――。



「えっと、“おじさん”にお願いしたんです~」


「? おじさん?」



 訝しそうに顔を見合わせる二人に、プルートは「はいです~」と、ナニかを思い返す様な仕草で続けた。



「えーと、果ての無い平原を歩いてたら~、大~きな緑のオジサンが居て、ヴ~!! ヴ~!! って暴れてたんです~。

 それで、えーと。トカゲさんとかトリさんとかが怖がってたんで、わたし、“そんなコトしちゃダメですよ~”って言ってあげたんです~。

 そうしたら、オジサンが分かったよ~って言って、肩に乗せてくれたんです~」


「? ふ~ん。よくわかんないけど、変わったヒトが居るのね。

 わざわざ魔獣だらけの“果ての無い平原”に居たって事は、武者修行中の武の国民かなんかだとは思うけど……。

 それで? その“おじさん”は、今どこに居るの?」


「はい。お姉ちゃんに断られちゃったら、帰りも運んでもらおうかなって思ってたんで、近くの村で“お月様が見えるまで待ってて下さいね~”ってお願いしてきました~。

 もうすぐ夜ですから、そろそろおうちに帰ってるころだと思いますです~」


「そ。ま、それならいいけど……。

 ――ねえ、シン。

 何であんたは、さっきから頭抱えたまま黙ってるの?」


「…………、いや、いい。

 多分、オレの思い過ごしだ……」


「?」


 訝る様なアルの視線に、何かを深く考え込む様な仕草を見せる真也。

 抱えられた彼の脳裏には、何故か一瞬、昼時に読んだ一枚の新聞記事が過ぎっていたとかいなかったとか――。



「あ~、まあ。そんなもんかのぉ」


 頭を抱えているのは真也だけでは無かった。

 赤い隻眼の国王陛下・ヘリアスは、小さな溜息などを零しながら、何故か呆れた様な顔で白い学者と赤い魔女を交互に見ている。

 ――その瞳に深く何かを悲しむ様な、或いは酷く落胆したかの様な色が浮かんだ様に見えたのは、果たして目の錯覚だったのだろうか。

 ヘリアス王はいつもどおりの、内心が伺えない飄々とした顔を作る(・・)と、最後に一度だけ、その視線を黒髪の少女の方へと移した。


「それでは、これよりお前さんは、正式に最果ての丘に“幽閉”される事になるワケじゃが……。

 あ~、なんじゃ?

 お前さんは、本当にそれでいいんじゃな?」


 どこか含みのある様な国王陛下の問い。

 黒髪赤目の女の子は、静かにコクンと頷きつつ、



「はい。もちろんです~」



 どこまでも、“無邪気な”笑顔だけを浮かべていた――。



―――――



 その領域は、陽光すら届かぬ地の底に在った。



 光無き地底都市同盟・地の国(ノームズアシュ)

 国土の大部分を砂漠地帯に覆われるこの国は、地下に網の目の様に建造した都市群と共に発展してきた“地下帝国”としてその名を世界に知られている。


 国土の南半分が緯度的な制約を受けた乾燥帯に位置する事に加え、天の国から北東に伸びる数千メートル級の大山脈に海岸線を覆われる事に起因した水分の欠乏。

 当然にしてこの国に於いて雨はほぼ降らず、植物は育たず、結果としてそれらを基盤とした生態系も目を凝らさねば発見し得ない程に小規模な物となる。


 ――訪れた他所者が目にするのは、ただ見渡す限りの砂丘と荒野のみ。


 故に余程熟練した旅人であろうともこの地をまともに散策する事など(あた)わず、六国がその腹を探り合う“冷戦”などという状態が続いているこの世界の情勢にあって、この国は今日まで主要都市の正確な位置すらも他国に掴ませないという情報戦に於ける優位を保ち続けてきたのであった。



 氷の国との国境に程近い、赤茶けた岩肌が露出した、荒涼とした地帯。

 火星の大地を彷彿とさせる程にゴツゴツとした大岩が転がるその場所に、今宵は闇夜に紛れるかの様にして歩む1人の男の姿があった。

 色素が一切存在しない顔皮を覆い隠す、難民や浮浪者を思わせる程に薄汚れた黒フード。

 一見した身体のシルエットには違和感が無いが、あちらこちらが擦り切れたそのローブの下には“氷の国”を抜ける為に用いられた大量の断熱材が仕込まれている事を踏まえると、男の体型は恐ろしいまでの痩身であると断定してほぼ間違いは無いだろう。



 ――“地の国の守護魔”、サタンである。



 氷の国に近く、高緯度特有の曇天が支配している為なのか。

 荒涼とした世界を覆う夜空には一欠片の星明かりすらも存在せず、彼の黒衣は闇に溶け、故にその輪郭すらも朧に映る。

 その姿は、(さなが)ら天空から世界を見通す筈の太陽が唯一見咎め得ぬ闇、即ち“影”そのものを凝縮して結晶化させたかの様な印象を湛えていた。



 暗がりに響くジャリ、ジャリという雑音は、男の旅靴が砂を擦る為に生まれる足音だ。

 余程夜目が効くのだろうか。

 足場が悪く、光源と呼べる物は雲の隙間から漏れる月光くらいしか存在しないその場所を、彼は照明すら手にする事無く進んでゆく。

 最早常人には“闇”としか認識出来ぬ虚空の中を、黒の守護魔は確かに見咎めながら岩の影を通り、崖を下り、そして更に闇の奥底へとその身を沈め続けていく。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 やがて男が壁に穿たれた獣の巣穴の様な横穴に入り、そして更に少し降りた頃。

 不意に、男の足音は人工物を連想させるコツコツという硬い物へと変化した。

 男の行く手に薄ボンヤリとした灯りが現れ始め、辺りを包む空気すら人間が暮らすに適した穏やかな温度へと変化していく。

 ――そのどこか矛盾した快適さに、自らの遠征の終着を感じたのか。

 男は自らの頭部をスッポリと覆っていたフードを静かに脱ぎ、そして安堵するかの様に息を吐いた。

 黒色色素の欠乏した金色の瞳が、見慣れた“正門”とその奥に広がるべく“楽園”を見通すかの様に細まっていく。



 “地下帝国”と聞くと暗く暗鬱としたイメージを抱く者も多いかもしれないが、しかしソレは必ずしも全ての時空に於いて等しく言い切れる事実では無いらしい。

 男には自分の持ち合わせる僅かな常識から判断する他に術が無かったものの、一度でもこの国に訪れた事のある人間なら、地下に対する負のイメージなど瞬く間に払拭されてしまうであろうと推測する事は容易であった。


 広大な地下空洞に聳え立つ、確かな地盤と過去の守護魔達によって伝えられた技術に裏打ちされた巨大建造物の数々。

 白い青年が見れば摩天楼とでも形容したかもしれない。

 異世界の技術を無尽蔵に取り込む事によって発展してきたこの世界の理は、本来ヒトが住むべき居住領域より遥かに深い“地下”にこそ、この世界に於いて最も高い(・・)ビル群が聳え立つという矛盾を平然と体現して見せる。

 そしてこの建造物群は、見た目などという表面的な要素のみならず、その本質に於いて間違い無くこの世界で最も近代化された都市の一つであった。


 “砂漠地帯”の地下とは思いもしない程に整備されきった上下水道。

 氷の国の雪解け水を水源とした地下水は河川となって地下の大空洞を悠然と流れ、その周囲には太陽光の恩恵を受けずとも生育出来る“魔力合成植物”が葉緑素という制約を解かれた事による幻想的な色彩を生み出している。

 どれほど名のある芸術家が創りあげたモニュメントなのかと感嘆する程の自然さで街の景観と溶け合っているその草花や樹木達は、同時に他の生物種が地下生活を送るに足るだけの酸素とエネルギーの供給源にもなっていた。


 ――そう。

 地の国の“地下帝国”とは、言わば一つの巨大なビオトープなのである。


 星の内部から溢れ出す“魔力”という神秘の力の恩恵を間近で受けるこの国は、太陽光という“星の外の力”を借り受けずとも回る、完全に“閉じた”生態系を維持している。

 完璧なまでの自給自足を果たした一つの世界を構築したとも言えるこの国は、恐らくは、喩え審判の日に地上が全て焼き払われたとしても何の苦労も無く存続と発展を続けるに違いない。

 他の誰よりも“苦労”を知っている筈の男が、ついそんな不謹慎な妄想を抱いてしまう程に、そこは外界とは隔離された、そして完結した一つの世界を形成していた。



 長旅で(ひび)割れた唇を自嘲気味に歪ませながら、男は自立起動ゴーレムの門番に守られた門を抜けて、“街”の内部へと入る。

 土竜(モグラ)の巣を漆喰で固めた様な印象を受ける通路を抜けると、その先に現れたのは街全体を一望出来る“天蓋展望台”と、無数に立ち並ぶクリスタル製のショーケースの様な円柱形の箱の群だった。

 男が“王”から聞いたところによると、これらの箱は嘗ての守護魔が伝えた革新的技術の一つであり、風魔法によって増減させた空気の圧力を利用した“昇降機”なのだという。

 地の国の民が他国とは比較出来ない程の高層(・・)建築物で生活出来るのは、その高い建築技術のみならず、この“昇降機”によって魔術があまり扱えない者でも上下の移動が楽になった事による恩恵が特に大きかったと聞く。



 吊るされている訳でも無いのに中空に浮かんでいる奇妙な“昇降機”の中に乗り込んだ男は、中央の台座に設けられた鍵穴にキーを差し込んで階層を選択する。続いて二字程簡単な詠唱をして魔力の波を認識させると、昇降機は音も無く透明なチューブの中を滑り降り始めた。

 360°がガラス張りになった大パノラマの昇降機からは、男が未だよく知らない技術の数々によって支えられた都市の幻想的な夜景が覗いている。少し目線を上に移すと、先刻まで男が居た“天蓋展望台”の裏側に、何の冗談なのか満点の星空が広がっていた。

 人為的に造られた天上と地上の星々は境目も朧に闇夜に融け合い、“昇降機”の降下と共に流水の様な交わりを見せている。



「…………」



 ――その、つい魅入ってしまう程に美しい景色を眺めながら。

 しかし男は、チッ、と聞こえない程に小さく舌打ちをした。

 人工の星々を映し出す金色(こんじき)の瞳には、まるで何かを憂うかの様に、暗鬱とした色が浮かんでいる。

 そして事実、男は自らを取り巻くその絶景に好感を持ってはいなかった。

 否、寧ろ端的に表現するのなら“不快”とすら形容しても良かっただろう。

 要するに、男の持ち合わせる常識とは“そういうモノ”だったのである。



 魔法光源によってライトアップされた都市に、ただ乗っているだけで昇降可能な移動器具。なるほど、それは確かに、この上なく便利な代物なのだろう。この街の灯りはちゃんと“外”の日照時間に合わせた明るさに調整される事で人々の生活に“造られた”リズムを与えているし、尚素晴らしい事には、この都市の人工の灯りは本来外の太陽光が含むべき有害な放射線を、人体に影響の及ぶ範囲では全くと言って良い程に含んでいない。

 昇降機が登った先にある天蓋はスクリーンになっており、そこに映し出される人工の空は、実際の外の天候に関わらずこの国の人々に快適さと開放感を与えてくれるだろう。

 その便利さだけは、男とて決して否定するつもりは無い。


 だが、果たしてそれらは本当に必要なモノだったのか、と考えると、男はどうしても首を傾げずにはいられなかったのだ。

 折角“外”に広大な世界が広がっているのだから、空が見たければ直に見上げれば良いだろう。

 上下の移動が辛いのなら高層や地下に住む必要は無いし、太陽光が有害だとしても、寧ろその程度の害は“自然な物”として甘んじて受けるべき事柄ではないのか。

 今男が視界に収めているこの美しい景観や、甘受しているこの便利さとは、果たして神が定め、そして人類が何万年と無く営んできた生活習慣を破壊してまで、得なくてはならないモノだったのだろうか。


 それだけでは無い。この地下都市は確かに頑丈に造られてはいるらしいが、それでも絶対に壊れないなどと断定する事は、どこの誰にも出来はしないだろう。

 この世界の地質など知りもしない男ではあったものの、大地震や火山噴火など、いつ何時想定していなかった偶然が重なってこの都市の機能が麻痺してしまわない、などとは誰にも言い切れ無いという事くらいは判断出来る。

 そう。もしも、万が一不幸な偶然や怠慢が重なり、女子供を含めたこの都市の住人が一夜にして生き埋めになってしまう可能性が無いなどとは、絶対に、誰にも断言する事など出来る筈が無いのである。


 この都市がどれほど完成された技術の上に成り立っているのかくらいは、男にだって理解出来る。国土の殆どを砂漠気候が支配するこの国が、灼熱と極寒から逃れる為に地下へと活路を見出したのは納得出来る事柄ではあるし、六国が覇権を競い合う“冷戦”などという碌でも無い状況が続いているこの世界の情勢にあっては、敵国に対して情報を秘するという意味で主要都市を地下に建造する事がどれほど有益だったのかを理解する程度の分別は男にもある。

 だが、それは果たして、これ程までに摂理を外した、言うなれば“不自然な”生活を営んでまで追い求めなくてはならないモノだったのだろうか。

 男には、それだけが理解出来なかった。



 ――端的に述べれば。

 男・サタンは、“発展”や“革新”といった単語にあまり魅力を感じない為人(ひととなり)の持ち主であった。

 “王”に求められれば応えもするし、この国の為ならば守護魔として一命を賭する覚悟も持ち合わせてはいるが、それでも進歩という名の不要なリスク(・・・・・・)を犯すくらいなら人間は“ありのままの”生活を続けていくべきだと本気で考えている様な、課せられた役割に反して保守的とも呼べる思想と共にこの地へと招き寄せられた異界の住人。



 ――“革新的”な技術の裏で、人々が犠牲にしてしまったモノとは何だったのか。



 自らの知恵を提供し、未知の技術に触れ、こうしてその恩恵の一つを甘受してしまう時。

 彼は、いつもそんな自問と共に僅かばかりの悲哀に駆られる。



「――――ッ」



 男の内心など鑑みる事すら無く、人工の星空は彼の視界を滑っていく。

 そして、丁度昇降機の高度が半分程に差し掛かった頃だろうか。

 まるで今し方過ぎった妙な感傷に反応するかの様に、左腕に走ったジクリとした痛みに男は顔を顰めた。

 まるで上腕に焼き(ごて)でも押し当てられたかの様な、熱く鋭い痛み。

 それを“あの男”に撃ち抜かれた傷口が痛んでの事だと判断した男は、反射的に左腕に手を掛け、そして袖を捲った。



 ――果たして、そこに“銃創”は無かった。



 当然だ。“あの男”に撃ち抜かれた傷など、守護魔である彼はとっくに自然治癒によって治しきってしまっている。

 その事実を確認した後、自らの心理状態に言い知れない憔悴感の様なものを覚えた彼は、まるで切り替えるかの様に大きく息を吐き出した。

 黒フードの下の細い肩が、風に揺れる枯れ木の様に上下する。



 ――分かっている。

 痛みの原因は、“銃創”などでは無い。



 男が捲り上げた左腕には、まるで完治された銃創を覆うかの様に、無数の水疱がびっちりと(ひし)めいていた。

 赤く、全体的にブクブクと腫れ上がったソレは、重度の火傷に特有の病態に思われる。

 夥しい数の水疱は実にその半分以上が潰れてグジュグジュとしたケロイドになり、治癒が始まっているようではあったが、痛々しくも未だに肉汁の様な組織液をダラダラと垂れ流し続けていた。

 ――左腕だけでは無い。

 左腕がこうなってしまっている以上、右腕や両の脚、そして首周りまで、恐らくは全身が似たような水疱に覆われているという事実を男は良く知っている。


 色素を持たないアルビノの宿命と言うべきだろうか。

 “太陽”というモノを知らずに育った男は、長時間の直射日光の照射に耐えられる身体を持ってはいなかったのだ。

 外出が不可能という訳では無いし、陽光に当たれば100パーセント発癌する訳でも、昏倒する訳でも無い。

 しかしながら砂漠地帯の強い日差しを浴びたり、或いは長時間肌を露出したりすると、紫外線から身を守る術の無い男の身体は、どうしても今回の様に“火傷”としてその症状を現してしまう。

 これは彼が“そういう環境”で産まれ育った以上は仕方の無い事でもあるのだが――或いはそういった意味で言えば、地上に長時間出ずとも生活に支障の無いこの“地の国”に召喚された事は、彼に訪れた幸運の一つであったとも言えるだろうか。



「…………」



 そんな考えが過ぎった瞬間、ふと、彼は自らの口元が緩んでいる事に気が付いた。

 ――そう。彼は、“幸運”だったのだ。

 それこそ、どれほど感謝しても足りないと思える程の、あまりにも身に余り過ぎる“幸運”。

 本当に、あまりにもツキが回り過ぎていると男は思う。

 まさか、あの瞬間に終わった(・・・・)と思った自分がこの場で生存するチャンスを得られただけで無く、こんな有り得ない偶然にまで見舞われようとは――。


 髑髏(しゃれこうべ)の様な唇を歪ませながら、男はケロイドに覆われた右手をローブに突っ込み、そして“ソレ”を取り出した。

 指の先ほどの大きさで、銀白色をした、そして赤黒い血痕に塗れた、“ソレ”を。


 ――“標的”が銀の国に匿われた以上、“あの男”とは今後も幾度と無く相見(あいまみ)える事になるのだろう。


 まるで自らの対極に立つかの様な“あの男”の風貌と、その振り翳す奇妙な能力を反芻するかの様に。

 爛々と燃える黄金の双眸は、まるでその事実に感謝するかの様に、指の間に直立する銀の弾丸を見つめ続けていた。



―――――



 男を乗せた昇降機は、やがて街の中でも特に目立たない大きさの建造物へと吸い込まれる。

 石膏で出来たコンテナの様に無造作な造形に整えられたその建物は、街の住人が昇降機を利用する際に集う発着場の一つであった。

 ――無論、彼の目的はこんな一般住民が利用する階層などでは無い。

 透明のボックスは深夜の為か人っ子一人居ない発着場を、速度を落とす事すら無く通り抜け、地下帝国よりも更に深い地下へと落下していく。


 最終的にはどれほどの距離を降りたのだろうか。

 最早街の住人ですらも訪れる事の無い、それどころか多くの民は存在すらも知らないであろう遥か深くへと潜った頃。彼の乗った昇降機は漸くその動きを止め、音も立てずに透明な扉を開いた。

 長旅と直立によって疲労した両の脚を軽く屈伸させながら、黒いフードの男が“目的の階層”へと降り立つ。



 ――そこは、灰白色のフロアだった。

 薄汚れた白壁や、地味な灯りが廃病院の通路を思わせる、無機質な通路。

 辺りには鼻腔を突き刺す様な刺激臭が充満し、薄っすらと立ち込める白煙が開けているだけの彼の目にツンと染みる。

 ドラム缶いっぱいのコールタールでも火に()べて焼却処分したかの様なその臭気は、人体に有害な化学物質の最終処理施設を連想させた。


 奇妙なのは、それらの異常には独立した複数の原因を見出す事が出来ないという点だろうか。

 よくよく観察しなくとも、このフロアを満たす異臭の原因は明らかにこの煙であろうし、また壁の黒ずみの原因も、恐らくはこの煙から生まれたヤニと(すす)であろうし、重ねて言うのであれば、今現在彼の目に染みている何らかの化学物質の正体もこの煙――ナニが言いたいのかと言うと、つまるところ、この階を襲っている異変の元凶は全て(・・)この煙であったという事である。


 ……まるでどこかで火災でも発生しているかの様な惨状ではあったが、この有り様を異変や異常と形容するのは間違いである事を男は知っている。

 この場がこうなっている(・・・・・・・)以上、“あの王”は間違い無く今日も健在だからである。



 異物(けむり)を大量に含んだ空気に壊されそうになる肺を簡単な風魔法で補助しつつ、男は階層の更に奥へと進んで行く。

 赤色の案内灯を頼りに進み、認識阻害系の魔術を無効化しながら歩く事数分。

 やがて通路の突き当りに見えた壁の一部が、まるでスチームの様に(・・・・・・・)勢い良く白煙を噴き出しているのを確認した男は、覚悟を決めるかの様に息を止めて、静かにその“壁”の中へと入って行った。

 古典的な回転扉の内側にあったのは、年期の入った書斎を思わせる小さな隠し部屋。

 幾つもの難解な魔導書が山を作り、まるでソレを包み隠すかの様に、最早煙幕に匹敵する程の凄まじい密度の煙が漂っている。



「おお、帰ったか。御苦労だったな、サタン!!」



 そして。その小さな書斎の中央に、“その老人”は居た。



 否、“居た”などという表現では、些か控えめに過ぎるだろうか。

 断っておくが、老人は別段何か特異な事をしている訳では無い。

 ただ狭い書斎の中央に在るデスクに腰掛けて、口に加えた極太の葉巻などを燻らせつつ、チェス駒の様な魔導師の模型をカチャカチャと指先で遊んでいるだけである。

 ――だが、明らかにそれだけでは足りない(・・・・)

 そんな何の変哲も無い行為であろうとも、この“王”の存在をもってすれば、ただ“居る”などという単語で表現するのはあまりにも場違いが過ぎる現象へと昇華されてしまうからである。



 ――何故なら、圧倒的にデカい(・・・)



 長身の男性を形容する際に、“見上げる様な巨躯”とは最も頻繁に用いられる比喩の一つだろう。

 そして、それは確かに、サタンがこの老人を今現在見上げているという事実にも間違い無く合致している。


 だがこの老人の規格外を表す上では、この喩えでは寧ろ誤解しか生むまい。

 何しろ、今彼が見上げている老人は座っている(・・・・・)

 それは別段、椅子が高い位置に置いてあるとか、椅子自体が異常に高いなどという事実を意味する訳では無い。

 冗談でも誇張でも何でもなく、今書斎の中央に座しているこの老人の顔は、椅子に腰掛けているというのに、直立しているサタンよりも尚高い位置に在るのである。

 ――直立すれば、優に3メートル(・・・・・)を超えるだろうか。

 ただ呼吸をしているだけでもこれ程の威圧感と存在感を醸し出す生命体を前にして、喩えこの老人自体が特異な事を何もしていないとしても、その生命活動を“居る”と表現する事はサタンにはやはり戸惑われた。



 ――地の国君主・タイタニウス。

 彫りの深い顔立ちに、経年変化した赤銅の様な褐色の肌が目立つこの老人こそが、六国に“魔王”と畏れられる地の国の大魔導であった。

 幹の様な皮膚の随所に見える、歴戦を伺わせる幾多の傷。

 魔導師に特有の厚手のローブの上からでも分かる、鍛え上げられた筋肉は、この国の誰よりも歳を重ねた今となっても全く衰える気配を見せない。


 そんな何もかもが規格外な王の下に向かい、サタンは地を這う影の様に歩みを進める。白煙燻る部屋の中央まで歩み入った彼は、まるで何かを悔いるかの様に傅き、そして深々と頭を垂れた。



「……申し訳御座いません、“我が王”よ」



 それが、彼から発せられた第一声だった。

 当然だ。何しろ彼――サタンは今回、あの“標的”を魔導兵を用いて攻撃し、そして可能であれば捕獲せよという王命を受けていたのだ。そしてその結果は、“攻撃する”という最も簡単な命すらも果たせずに逃げ帰るという無残なモノに終わっている。

 ――自らに機会を与えてくれたこの王の命を、果たせなかった。

 ならばこそ、今現在の彼の立場を踏まえずとも“王”が憤るのは当然の理であり、そしてそれは、彼にどの様な厳罰でも受けるという覚悟を抱かせるのには十分に足る要素であったのだ。



「んん~?」



 だが。サタンの謝罪を受けた王の反応は、何故か困ったように眉を潜めただけであった。

 表情の意味は不快、では無いだろう。

 寧ろこれは、快や不快以前の問題として、サタンの言動が全く理解出来なかったがゆえの単純な疑問によって形作られた表情に思える。

 訝るサタンをよそに、口元に咥えた葉巻をジリジリと縮め、紫煙をモクモクと燻らせる事、約一分。

 褐色の老人はカッと、まるで思い出したかの様に両眼を見開くと、獅子の様な大口を開けて3リットルはあろうかという大量の白煙を吐き出した。



「……ブハ!! ブワッハッハッハッハッハッハ!!

 小さい!! 余りにも小さき事(・・・・)だぞ!! それは!!」


「――――ッ!!」



 落雷の様な大音声と共に、老人は魔導兵(ゴーレム)が一般人に見える程の巨躯を動員してガラガラと笑う。

 その声のあまりの大きさ故に、サタンの皮膚はビリビリと痺れ、危うくバランスを崩してひっくり返りそうになった。鼓膜は破れそうな程にキンキンと痛み、声だけだというのに、耳の奥の渦巻管までもがグワングワンと回る錯覚が起きる。

 そんなサタンの惨事など気にも留めず、老人が豪笑と共に自らの膝をバンバンと叩くと、動かすのに3人は必要だろうかという巨大なデスクが冗談の様にガタンガタンと跳ねた。



「我が王よ……」


 その人知を超えた域にあろうかという咆哮(・・)に、畏れ(おのの)くサタン。

 彼が麻痺した聴覚を覚醒させる為に頭を振っている間にも、褐色の超人は雷鳴の様に笑いながら鼻や口から大量の煙を吐き出し続けている。

 そんな蒸気機関車もかくやという膨大な煙幕を張り巡らせながらも、老人はまるで気分を変えるかの様にデスクの皿へと葉巻を置き、既に火が着いていた別の一本(・・・・)を取り上げて更に口に咥えた。

 ――いや、一本だけでは無い。

 よくよく見ると、重厚な木で造られたデスクの上には3つ程の灰皿が置かれているのだが、それらの上には30本くらいの種々様々な葉巻が山積みにされ、しかも内半数には既に火が着いて煙を燻らせているらしかった。


 ……初見なら、誰が想像しただろうか。

 この広大な階層に満ちていたあの異臭と白煙の発生源が、まさかこの老人が1人で吹かしていた葉巻(・・)であったなどと……。



「本当に、宜しいのですか?」


「あ~、構わん!! まったくもって構いもせん!!

 寧ろこのくらいの番狂わせが無くては、面白くもなんとも無いではないか!!」



 大量の紫煙による偏頭痛に顔を顰めるサタンをよそに、相も変わらず豪快な笑みを浮かべ続ける“魔王”。

 王が笑いながら、まるで掃除機の様な勢いでブオッと息を吸い込むと、まだ半分以上残っていた筈の葉巻が呑み込まれるかの様に燃え尽きた。

 ……ナニカの手品か、或いは悪夢の様な光景である。

 サタンは、更に大量発生したニコチンの渦につい顔を顰めた。



「ハッハッハッハ!! そうシケた面をするで無い!!

 どの道、今回で全てが決するなどとは、儂も考えても居らなんだわ!!

 弟子(・・)の魔術の腕と初陣が見れただけ、儂は十分に過ぎるほど満足しておる!!」


「…………」



 吸いきった葉巻を灰皿に落とし、新しい葉巻(・・・・・)を手に取りながら王は言う。新品のラッパーを指で(・・)弾き飛ばして吸口を作ると、王はサラミでも噛み千切るかの様にそれをガブリと咥え込んだ。

 次いでバチンと指を鳴らすと指先から火の玉が燃え、火の着いた葉巻から新たな紫煙がモックモックモックモックと立ち上り始める。


 そんな王の姿を視界に収めながら、しかしサタンの表情は更に腑に落ちない物へと変わっていった。

 それは別段、葉巻の紫煙を原因とした話では無い。

 単純に、この“王”の行動原理が理解出来なかったが故の困惑である。



 ――魔王・タイタニウス。

 年齢不詳のこの老人は、あの少女を襲えと命じたにも関わらず、確保も殺害も出来なかったという今回の結果に対して“良し”という。

 それも、生半可な態度では無い

 サタンはこの老人が何故あの少女を襲えと言ったのかを知らないし、言及しようという意思も無いが、それでもあの少女の移動経路や逃亡先に当たる“シルヴェルサイト”の突破口を簡潔に支持したという事実から、この王が今回の襲撃にあたってどれ程入念な下準備を行ってきたのかくらいは想像が出来る。それにも関わらず、今回の結果に対してこの王は“良し”と言って流したのである。

 ――あまりにも巨大で、強大で、そして大胆さと慎重さを兼ね備えた“魔王”。

 この世界に召喚されてから一月あまり。

 サタンは、未だにこの王の真意を掴めた試しが無い。


「フン、安心するが良い。

 目的からは少々外れたが、貴様の遠征には十分な収穫があったのだからな」


 咥えた葉巻を瞬く間に短縮化させながら、王は落ち窪んだ眼窩の向こうに光る双眸をデスクの上へと流す。

 ――視線の先には、小さな銀色の駒が置かれていた。

 厚手のローブに、大きめのとんがり帽子という姿。

 それは、この世界の魔導師に特有の服装だろうか。

 よくよく見ると、王の座るデスクは六枚花弁の花の様な形をした盤面になっている。


「“銀鏡”」


 その内の一角。

 花弁の内の一枚に置かれていた銀の駒を、老人は静かに摘み上げた。


「保有精霊級魔術、雷神鉄鎚(ミョルニル)

 怪傑巨兵(フルングニル)を消滅させ、シルヴェルサイトの防壁を貫通する程の威力。

 発動時間は、完全詠唱で15秒といったところか。

 先天魔術の使用は無し――怪物だな」


 魔導師の駒を見据えながら、王は敵に敬意を表するかの様にそう結論付ける。

 だがその余りにも慎重に過ぎる評価には、サタンは苦笑を堪える事が出来なかった。

 そう。“怪物”などと、一体どの口で言えた物なのか、と――。



 ――誰が想像しようか。



 危うく王都を壊滅せんとしたあの精霊級土魔法(フルングニル)が、まさか遥か遠方に在りしこの“地の国”から放たれたモノであったなどと。

 国境を越える遠方にあれだけの大魔術を放てる程の圧倒的な実力に加え、異世界人たるサタンにすら一級の魔導師に等しい程の力量を持つ事を許した魔導への理解。

 無論サタンとて、弟子の実力がそのまま師の実力に比例する、などと言える程に安直な考えの持ち主では無い。

 だが。それでも彼は、確信を持ってこう断言出来る。

 目の前で紫煙を燻らせるこの老人こそは、間違い無く今代最強の大魔導だ。

 そして、敢えて言うのなら。

 自分を呼んだのがこの王であった事こそ、最初にして最大の幸運であったのだと――。



「“標的”は、“銀鏡”の下に」



 銀の駒を盤面に戻し、老人は黒い少女を象った駒を取り上げる。

 そして何かを反芻する様に紫煙を吹き、静かに銀の駒の隣へと置き直した。



「天には“最強の守護魔”を擁する“風の民”。

 武の“武装姫”と、氷の“瞬帝”の勢力はほぼ拮抗」



 王の言霊と共に盤面は踊る。

 ――緑、白、そして青。

 種々様々な色彩を放つ駒達は木の音と共にデスクを滑り、そしてそれぞれの隣には、彼女達が従えるべき協力者達の姿を象った駒が鎮座していく。



「さあ、始まるぞ」



 6つの花弁の随所に踊る幾多の駒。

 それらに獰猛な笑みを向けながら、タイタニウスは咥えていた葉巻を摘み、そして力強くデスクへと押し付けた。

 節榑(ふしくれ)の様な指先からは燐光が舞い、盤面からはグツグツとした熱と光が放たれる。



「此度こそ、儂は“最高神の福音(アルフォズール)”を手に入れる!!」



 炸裂するかの様な轟音と共に、瞬く間に盤面を蹂躙する赤い炎。

 それはまるで、この世界の未来を暗示する未来地図の如く――。

 “最後の大魔導”は、豪笑と共に全ての駒を紫煙に()べた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ