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朝日真也の魔導科学入門  作者: Dr.Cut
第二章:雷神鉄鎚-5『Golden Sun and Silver Moon』
61/91

61. 現存する様々な状況証拠から示唆される銀の国王都の大規模な襲撃事件の顛末及び我々の世界に於いても最もポピュラーな幼児の悪戯に見る異世界人に対する笑いと免疫力の関連性についての類推

 国王陛下の指示を受けた真也とアルは、プルートを残して一時的に審問会場から席を外す事になった。

 彼らが厳つい顔の騎士団長によって連行された先は、審問会場たる聖堂の直ぐ隣に設けられた控え室で、靴が埋まりそうな程に毛の長い赤絨毯や革張りの椅子、そして金縁の円卓がなんとも豪奢な雰囲気を醸す素晴らしい空間である。

 ……待つ為だけに使うのは勿体無い程に素晴らしい部屋ではあったのだが、重たい装飾扉ややけに凝った壁のデザインなどから察するに、恐らく絨毯や椅子は隣の聖堂に対する消音の役割も兼ねているのだろう、などと推測すると少々複雑な気分になったりもする真也であった。


 入り口の観音開きな大扉は既に閉められている。

 一応のところ鍵は掛けられていない様ではあったが、厚さ十数センチはあろうかというあの仕切りの向こうでは、今でも2~3人の騎士達が雁首を揃えて見張りに就いているのだろう。

 ナニがそんなに怖いというのか。

 部屋に入る際に見かけた兵士達の顔色は皆蒼白で、なにやら辞世の句らしき文言をブツブツと呟いているヤツまで居たのだが――真也としては赤の他人の内心になど特に興味も無いし、また興味を持っても特に幸せになれそうには無かったので、今回もあまり気にしない事に努めていた。

 大して重要でも無いだろうし、そして今は、そんな些細な事象なんかよりももっと重大な大問題が目の前に横たわっていたからである。


 真也はやれやれと頭を抱えながら、瞳に僅かに沈鬱そうな色を湛えつつ、視線を円卓を囲う様にして並べられた豪奢な装飾椅子の一つへと向けた。



「…………」



 真也の視線の先には、現在彼と同棲中(・・・)であり同時に彼にとって命そのものと言っても過言では無い程に大切(比喩では無い)な某赤髪とんがり帽子の魔法少女・アルが腕組みをしながら座り込んでいた。

 贔屓目に見なくとも可愛らしいと断言できる顔立ちを普段から仏頂面に固定している彼女は、しかし今はデフォルトに比べても遥かに機嫌の悪そうな仏頂面を貼り付けてこちらを睨んでいる。

 それはもう、じと~……なんて効果音がこの上なく似合いそうな、文句の付けようも無い程に見事なジト目であった。

 唯でさえ生殺与奪を握られている立場だというのに、加えてついさっき彼女の本気(・・)を知ってしまった真也である。

 この部屋に入ってからというもの、彼の緊張感は秒単位で増し、現在では最早針の筵どころの騒ぎでは無い程の危険域へと達しようとしていたのであった。


「……まあ、その。なんだ。

 色々と、言いたいことはあるとは思うが……」


 何にしても、このまま黙っているのは生産性の面からも精神衛生上も宜しく無い。

 アルは“ナニよまだなんか文句でもあんの?”なんて意思を起用にも視線だけでグサグサと伝えては来たのだが、真也は努めてスルーしながら話を振ってみる事にした。


「今のうちに、少し状況の整理をしておきたい。

 結局のところ、今日のオレたちにはナニが起こって、それで今はどんな状況になってるんだ?」


 錆び付いた思考を軽く回し始めながら、真也は自らの疑問を口にした。

 それは一見すると適当な話題振りに見えなくも無かったが、しかし今の彼にとっては間違いなく必要事項であったと言えよう。

 なにしろ、広場でプルートに出会ってから数時間。立て続けに嵐の如く襲いかかって来る災難に順次対処していくだけで精一杯だった真也には、個々の事態の把握だけならまだしも、その関連性や原因にまで思考を伸ばしている余裕など無かったのだ。


 ――街で出会ったちびっ子は、何者かに狙われていた。

 ――狙っていた連中は、どうやら地の国の守護魔とその召喚主で、ちびっ子を襲う為にこの王都に襲撃を仕掛けてきたらしい。

 ――そしてなし崩し的に助けたちびっ子の正体は、どうやら死の国の大魔導であり、そして同時に死の国の召喚主でもあるという。


 真也の頭の中には、確かにこれらの要素(ファクター)が入ってはいる。

 しかし彼は、未だそれらが具体的に何を示唆しているのか、という全体像をはっきりとは理解してはいなかったのだ。

 真也は何の虚飾も誇張も無く、この辺りで一度自らの置かれている状況を簡潔に纏めておく必要性を感じていた。


「……一つ、確認だけどさ」


 召喚主として繋がる事で、ある意味では以心伝心とも言える状態である事が影響しているのか。

 話を振られたアルは、真也の口調から一発でコレが真面目な話である事くらいは悟ったらしい。

 赤髪の魔女っ子は僅かに居住まいを正しながら、考える様な仕草で会話に応じた。


「プルートを狙ってた連中のコトなんだけど……。

 今日あんたがやり合ったのは、“地の国”の守護魔で間違い無いんでしょ?」


「ああ、多分な」


 真也は首肯した。

 断定こそ避けたものの、これはほぼ100パーセント間違いがないと確信した上での返答である。

 武の国のネプト、氷の国のマルス、そして天の国のユピテルという三体の守護魔と既に出会っている現状、“死の国大魔導”を狙っていた未知の守護魔・サタンは、消去法で考えて地の国に呼ばれた魔人であったと考えるのが最も妥当であるからだ。

 これは魔導兵が“地の国の人造兵士”だという事実や、プルートが“地の国の魔王・タイタニウス”の名前を出したという状況証拠にも合致している。

 その上で真也は、“でもな”と続けた。


「オレが分からないのはその後だ。

 あの黒フードの男が地の国の守護魔だったとして、じゃあどうして連中はあのちびっ子を狙ってたんだ?

 いや、まあ。守護魔や召喚主が敵国の大魔導を抹殺しようとするのは、当然と言えば当然なんだろうが……そもそも死の国出身だって言うあのちびっ子が、わざわざ果ての無い平原(ヴィーグリード)を越えて銀の国(この国)来た理由が全く分からん。

 そして、これが最も重要なんだが――」


 真也は、自らの疑問点を朗々と挙げつつ、



「アイツ、“守護魔”はどうしたんだ?」



 とうとう、“その疑問”を口にした。

 プルートの経緯について考えるにあたり、これは避けては通れない問題だろう。


 何しろ広場でプルートが素性を明かした際、彼女は自らを死の国の大魔導であり、同時に召喚主でもあると語っていた。

 魔導というものを知識としてしか知らない真也には、あんな幼い少女が“大魔導”の称号を得る事なんか本当に可能なのか、などという点について実のある考察を重ねる事は出来なかったが、それでも彼女の素性に関して言える事が一つだけある。


 ――“召喚主”とは、その名の通り異世界から魔人を召喚した人間を指す呼称だ。


 ならばあの少女・プルートが自らを“召喚主”であると名乗っている以上、アルが真也をそうした様に、プルートもこことは違う別世界から異世界人を1人、拉致して使役しているという事実が無くてはおかしいのだ。

 だとすれば、彼女に呼び出された筈のその魔人は、一体どこに行ってしまったというのだろうか。

 召喚主の死亡がそのまま守護魔の死亡を意味している以上、召喚主たるプルートに危険が迫っているにも関わらず現れない、というのは先ず有り得ない話だろう。

 同じ“守護魔”という立場に置かれているからこそ、真也には、それだけはハッキリと言えた。



「居ないって」



 しかしアルの返答は、何故か呆れ返った様なモノだった。



「? 居ないってどういう事だよ。

 召喚主っていうのは、異世界から守護魔を召喚した各国の代表者の事なんだろ?

 だったら――」


「だ~か~ら~。さっき広場で、アイツ自分で言ってたじゃない。

 “しゅごまさんは居ないです~”って。

 ……聞いてなかったの?」


「…………、お陰様でな」


 真也は、軽く頭を抱えた。

 広場でのやり取りに対する記憶が曖昧なのは、他でもない某髪が攻撃色(あかいろ)な少女の手によって記憶が飛ぶ程の大ダメージをその心身に負っていた事が原因ではあるのだが――それを言っても話が(こじ)れるだけで特に生産性も無さそうなので、どちらかと言えば論理的な思考回路の持ち主である彼は言及はしなかった。

 今彼女と言い争っても何のメリットも無さそうではあるし、



「ん? てか、ちょっと待ってくれ」



 ――そして今の彼女の言にはもっと重要な、寒気を覚える程に重大な事実が隠されている様な気がしたからである。



守護魔が(・・・・)居ない(・・・)だって?」



 真也は、胸の内の戦慄を押さえつけるかの様に少女の言葉を反芻した。

 言葉にすると、より一層の怖気が彼を苛む。

 凍える様に冷たい汗が、ジットリと背筋に滴るのを彼は感じていた。

 そんな彼の内心を知ってか知らずか。

 少女はあくまでも無表情なまま、コクリと頷きを返した。



もう殺されてる(・・・・・・・)、って考えるのが自然でしょうね。

 ここからはあたしの推測になるけど……聞きたい?」


「…………、いや、いい。

 恐らく、オレも君と同じ見解だ」



 まるでその“悍ましい結末”を聞きたくないとでも言うかの様に。

 どこまでも事務的な口調で告げるアルに、真也は小さく首を振って答えた。

 ――だが、それも無理からぬ事だったのだろう。

 何しろ彼が至った、そして彼女が至ったであろう“その結論”は、真也にとっても決して人事と言い切れる様なモノでは無かったのだから――。



 ――例えば、そう。

 “死の国”の召喚主として守護魔を呼び出したプルートが、国の要請にでも答えてどこか適当な“敵国”へと攻め入ったとしたらどうだろうか?

 守護魔と共に果ての無い平原(ヴィーグリード)を越えて、例えばそう、仮に地の国にでもプルートが襲撃を仕掛けたとする。


 その結果は、彼女が“守護魔は居ない”と明言している以上明白だろう。

 ――そう、例えばの話。

 彼女・プルートが地の国の魔王・タイタニウスに挑み、敗北して守護魔を殺され、そして、命からがら逃げ出してきたとしたら――。

 そして、もしも彼女を地の国側から見た場合の話。

 自国に攻めて来た上に、一国最強の戦闘能力を持つ“大魔導”だという少女を、みすみす死の国に帰還させる事など許すだろうか――?



 つまりは、それが今日の出来事の真相だ。

 死に物狂いで地の国を抜け出したプルートは、報復として自分を抹殺しようとしている地の国の追手に5日間追われ、そして藁にでも縋る様な思いでこの銀の国王都・シルヴェルサイトにまで逃げ延びた。

 彼女が実際にどう考えていたのか、なんて分からない。

 地の国と同様に“敵国”である“銀の国”に逃げたって惨殺されるだけの可能性も考えていたかもしれないし、もしかしたら99パーセントは諦観していて、それでも1パーセントにも満たない、この国の誰かが自分を守ってくれる可能性に賭けてこの街の門を潜ったのかもしれない。

 恐らくはこの国で唯一、地の国の連中に襲われても正面から渡り合える可能性を持った大魔導師、アルテミア・クラリスを頼って。


 そして、恐らくはその過程で出会ったのが真也だったのだ。

 いつ地の国の追手が襲撃して来るかと怯えながら、それでも真也に不審がられないように無理にアルに会わせろとも言い出せず、そうこうしている内にとうとう地の国からの襲撃を受けてしまった。

 その後、真也とアルの手によってどうにか地の国の追手は撃退され、そして、今は銀の国の貴族達の前に引き摺り出されて処断の時を待っている――。



「……アル。守護魔を殺された召喚主っていうのは、普通はどういう風に扱われるんだ?」



 ――筋は通っている。

 今の推測が9割方正しいと判断した真也は、故に一言だけ、あの少女の“これから”に対する問いを発した。

 万が一自国に帰る機会を得る事があったとして、その後、彼女はどういう扱いを受ける事になるのか、と。


「国や時代によっても随分違うから、一概には言えないけど……。

 普通は簡単な処分なんかを負わせて、それで終わりだと思う。

 ――召喚主に抜擢される様なヤツなら、間違い無くその国にとっても最高戦力だからさ。

 国としても、そう簡単に手放す事なんか出来ないのよ。

 ……でも、例えばだけど。

 もし、その実力そのもの(・・・・・・)を疑われる様な要因があったとしたら――」


 アルは、あくまでも事務的に述べる。


「例えばの話、もしも他国の連中に殺されそうになって、命乞い替わりに自分から守護魔を廃棄した、なんて結果があったとしたら――。

 そんな使えない(・・・・)戦力は邪魔でしか無い。

 国によっては国外追放か、最悪は責任を取らされて処刑もあり得ると思う。

 だから、そういう場合には――」


「召喚主自ら国外に逃亡する可能性も有り、ってことか」


 真也の口をついて出た言葉は、知らずトーンが下がっていた。

 あの少女が言った言葉の一つ一つが、真也の頭の中でまるで数珠玉の様に繋がって、ソレが指し示す結論がただ“不快”という感情のみを彼の脳裏に想起させる。



 ――“帰れない”とは、そういう意味だったのか。



 自分で望んだ訳でも無い、欲しかった訳でも無い“才能(ちから)”を持ってしまったが為に、あんな小さな身体で“召喚主”なんて役割に仕立て上げられてしまった少女。

 守ってくれる大人なんか誰も居なかったという彼女は、ある日拉致させられた異世界人と共に敵国と戦わなくてはならなくなった。

 そして戦ってはみたが力及ばずに、唯一頼れたであろう異世界人は殺され、そしてあんな恐ろしい軍勢に5日間も追い回される羽目になったという。


 ――地の国で起こった事件の仔細は、真也には分からない。

 ただ、恐らくは口に出すことも悍ましい様な出来事があったのだろう。

 何しろ彼女は、真也には事情を話せないと言っていた。

 “言ったら多分、お兄ちゃんはわたしを嫌いになっちゃいますから”と。


 それは真也と同じ境遇の人間を異世界から攫ったのに、何も出来ずにむざむざ殺されてしまった事に対する罪悪感だったのか。

 或いは自分では地の国の連中には敵わないと悟り、死の恐怖に怯え、命乞いの為に自分から守護魔を処分してしまったという事実に対する贖罪だったのか。

 ――いずれにせよ、同じ“守護魔”という境遇にある真也に言える話では無いだろう。

 だからあの少女は、“嫌いになっちゃう”と言って自らの事情を真也に伏せたとでもいうのだろうか。


 望んでもいなかった才能のせいで敵国民との殺し合いに巻き込まれ、幼い身体に消えない罪業を背負わされた一人の少女。

 ――まるで、生贄の様な話だ。

 彼女を送り出した死の国も、彼女を狙い続ける地の国も、そして、ひいては今彼女を更に追い詰めようとしている銀の国や、もっと言えばこの世界に根差したシステムそのものも。

 何もかもが醜悪で、この時の真也には、それが心底腹立たしい事に思えた。


「……穏やかじゃないにも程があるな。

 アイツがいくつだと思ってんだ?

 いくらなんでも、あんな子供にソレは重すぎる(・・・・)だろ。

 そんな事が許されてるのか? その、“死の国”とやらの常識では――」


「あたしだって知らないってば。

 死の国っていったら、存在そのものが疑わしいってレベルの幽霊国家なんだから。

 こっちだって、あの(・・)死の国の住民が目の前に居るって事自体、まだちょっと信じられないくらいなのよ」


 アルは、後半はその“死の国の住民”が居るであろう聖堂の方へと視線を移しながら言った。

 つられて、真也も自分の背後へと視線を移す。

 どんなに耳を澄ましてみても、固く閉じられた大扉は何の音も伝えてはくれなかった――。



「……ま、何にしてもだ。

 あのちびっ子には、もう帰る場所なんかどこにも無い可能性が高いって訳か。

 その上ようやく逃げ延びたと思ったら、この国でまで奴隷だ処刑だって言われてんだから、もうとことん救いようの無い話――って、どうしたんだ?」


 視線を部屋の中へと戻す。

 そして、なんとなくそんな呟きを漏らした時、真也はアルの視線がいつの間にか自分へと突き刺さっていた事に気が付いた。

 先程までの事務的な表情は、一体どこに行ってしまったというのだろうか。


「……妙に優しいじゃない」


 こっちを見てくるアルは、まるでナニかを思い出したかのように訝しげな、そしてなんとも言えない程に不機嫌そうな顔でそんなコトを言っていた。

 そして、僅かに頬を膨らませながら続ける。



「ナニ? あんた、マジでそっちの趣味(・・・・・・)だったワケ?」


「? 知らなかったのか?」


「え゛!?」


「…………」



 ――ズザッ、と。アルの座る椅子が、一瞬で10cmくらい遠ざかった。

 しかも、まるで排水口に詰まったガムでも見るような、完全に社会的弱者を見下す視線のオマケ付きである。

 ……いや、だから何故本気にするのだろうか。

 彼女の自分に対する評価について小一時間ほど問い詰めたいという欲求に強く駆られたりもした真也ではあったが、根掘り葉掘り聞いても誤解が深まるだけの様な気がしないでもないのであまり気にしない事にした。

 真也は、軽くため息を吐く。


「……まあ、冗 談(・ ・) は抜きにしてもだな。

 実際問題、あのちびっ子は扱い難いだろ。

 何しろアイツの話が全部本当だとしたら、アイツも君と同格の“大魔導”だ。

 ……これでオレ達が“処分”するなんて決められた日には、またとんでもない被害が出るぞ」


 先の推測が正しければ、プルートは地の国の連中に敵わなかったまでも国を代表出来る程に高位の大戦力であるという計算になる。

 未だ彼女の先天魔術も精霊級魔術の行使もハッキリとは確認していない真也ではあったが、それでもあの怪傑巨兵(フルングニル)をのべ1分近くも足止めしたという実力は、決して軽視して良いものには思えなかった。

 ――ましてや、今のアルは雷神鉄鎚(ミョルニル)の行使で消耗している。

 喩えプルートに守護魔が居ないとしても、今からもう一度“大魔導”と矛を交えるのは、あまり分の良い話であるようには思えなかった。


「……フン。

 別に、あたしは負けないけどね」


 軽くソッポを向きながら、アルは静かな敵愾心の篭る声でそんな事を言っていた。



「なんのお話ですか~?」



 ――と。

 そうこうしている間に、どうやら審問会の方も一段落着いたらしい。

 観音開きな大扉が軋んだ音を立てながら開き、すっかり聞き慣れつつある甘えた声が待合室へと入って来た。

 声の主――つまりは渦中の少女・プルートは、うさぎの耳の様なお下げ髪をぴょこぴょこと跳ねさせながら、トコトコと真也の目の前にまで駆けて来る。


「お、ちびっ子。どうなったんだ?」


「だいじょうぶです~。

 ちゃんとおりこうさん(・・・・・・)にできましたです~」


「――、そっか。頑張ったな」


 真也としては、審問会の決定内容を聞いたつもりだったのだが……プルートが向けてくる天真爛漫な笑顔からすると、どうやらあまり酷い事にはならなかったのかもしれないとなんとなく推測する事は出来た。

 プルートは、大粒のルビーの様な目でちょこんと真也を見上げてくる。

 その頭がやっぱりなんとも丁度いい高さにあるので、真也はなんとなくポンと手を置いてくしゃくしゃと撫でてみる事にした。

 宿を見つけたネコの様に、プルートが気持ち良さそうに目を細める。


「…………」


 ……そして、何故か。

 まるでソレに反比例するかの様に、その様子を見詰める銀の国の大魔導・アルの目は、まるでエサを取り上げられたネコの様に不機嫌そうに細まっていった。

 なんかまるで、“ナニあれ何であんなデレッデレで頭なんかナデナデしちゃってるのナニこの扱いの違いアイツやっぱそっちの趣味だったわけバカじゃないのこのド変態”とでも言いたげな視線である。

 それでも自尊心の為か羞恥心の為か暫しの間なんとか耐え続けてアルではあったのだが、やがて黒髪八重歯な少女が嬉しそ~に真也の腰に手を回し、キュ~っと抱きついたりし始めたのでとうとう我慢できなくなったらしく立ち上がった。

 ガタリ、と勢い良く椅子が倒れる。


「し、シン!! ちょっとは警戒しなさいよ!!

 あ、あああんた!! そいつが何なのか忘れたわけ!?

 “敵国民”よ!! “敵国民”ッ!!

 今から戦うかもしれないのに、いつまでベタベタひっついてんのよバカ~!!」


 アルが叫んでいる間にも、プルートは真也の腰にひっついたまま甘える様に頬擦りしたり腹部に顎を乗せて上目遣いに見上げたりと好き勝手なコトをしでかしていた。

 終いには彼によじよじとよじ登り、抱っこしてもらいながらコアラの様に彼の首筋に腕を絡めたりなんかし始めている。

 それで、とうとうナニかが沸点を超えてしまったのか。

 アルは倒れた椅子の脚をむんずと掴むと、奇声を発しながらハンマー投げの様な見事な投合フォームで勢い良くブンと放り投げた。

 突然の事態に完全に硬直している真也の顔面に向けて、あまりにも綺麗に過ぎる放物線を描いて飛来する、とっても重たそうな装飾椅子。



 ――バンッ、と、ナニかが砕け散る音が木霊した。



 だが、それは決して椅子が真也の顔面に直撃した事を意味しない。



「やめてくださいです~。

 お兄ちゃんをいじめちゃダメです~」



 そんな事を言いながら伸ばされたプルートの右手が、椅子に有り得ない変化を起こした事によるモノであった。

 それは、一体どんな魔術だったというのか。

 アルが投げつけた装飾椅子は、プルートが触れた瞬間にその輪郭がグニャリと揺らぎ、次瞬にはまるで空気を入れすぎたゴム風船の様に弾け飛んでしまっていたのである。

 装飾椅子の破片は真也やプルートを完全に避けるルートで飛び散り、グサグサと毛の長い赤絨毯へと突き刺さった。

 小さな身体に似合わない強力な魔術行使に、アルと真也が放心する。

 プルートは、可愛らしい八重歯をチロリと覗かせて目を細めた。


「む~、そんなお顔しないでくださいです~。

 わたし、戦うつもりなんかぜんぜんないんです~」


 甘える様な声で言うプルート。

 アルは、プイッとソッポを向いて答えた。


「――ふ、フン、どうだか。

 あたしはね、会ったばっかのガキンチョを、ホイホイ信じる様なバカとは違うの。

 それに、あんただってさ。

 いざ自分の“処分”が決まったりしたら、そんな言い分なんか簡単にひっくり返すんでしょ?」


「いやいや、その心配はいらんじゃろ」


「へ――?」


 バチバチと火花を散らしつつある二人の少女に割って入ったのは、酒で焼いた様な深い嗄れ声であった。

 この僅かな時間の間に、一体ナニがあったというのか。

 銀の国最高権力者、魔導王・ヘリアスは、いつの間にか完全に白さを取り戻した髭や髪と共に、随分とサッパリした顔で待合室へと入ってきた。

 居なくてもいい君主とはいえ一応は王様である為か、咄嗟に姿勢を正すアルと真也の腕から降りるプルート。腕が軽くなったので、つられて真也も背筋を伸ばした。


「いや、すまんすまん。少々遅れてしまったのぉ。

 じゃが、まあ。審問会で、その子の処遇が決まったもんでなぁ。

 お前さん達の処分にも関わる事じゃし、一応伝えておかねばならんと思って来たんじゃよ」


「? オレ達にも?」


「ああ、そうじゃ」


 訝る様に顔を見合わせる学者と魔女。

 そんな二人をフムフムと眺めながら、魔導王はほうほうと続けた。


「初めに言っておくが、“死の国の大魔導”の処遇は“幽閉”じゃ。

 流石に敵国の最高戦力を、むざむざ国外に逃がすわけにもいかんからのぉ。

 かと言って、仮にも“大魔導”を名乗る者を殺すのも骨じゃろうし……。

 それならいっそ、自由を奪って閉じ込めるのが、最も合理的な処遇だろうとの判断らしい」


「……ま、妥当なとこでしょうね」


 事務的な国王の説明に、アルは真面目な表情で呟く。

 この場には4人しか居ない事が原因なのかは分からないが、彼女は国王陛下が相手だというのに随分と砕けた口調であった。


「で、コイツの幽閉先はどこなの?

 大魔導を幽閉できる監獄を持ってる貴族なんか、この国でもかなり限られてくると思うんだけど……。

 でもそんなに有力な大貴族じゃ、逆にプライドが高すぎて、“敵国民の幽閉”なんてあからさまな貧乏クジは引いてくれないんじゃない?」


「ああ、そうじゃ。

 まったく、湯浴みが終わるまでには決めておけと言っておいたんじゃがなぁ……。

 けっきょく、誰も引き取ろうとなんかせんかったわい。

 じゃから、幽閉場所はわしの独断で最果て(クラリス)の丘に決めたんじゃよ」


「ふ~ん、なるほどね。考えたじゃない。

 確かにウチなら魔術的な防備も完璧だし、おまけに大魔導のあたしが住んでるんだもんね。下手な監獄なんかよりよっぽど――は!?」



 ――瞬間。

 完全にアルの表情が凍り付いた。



「と、いうワケじゃから。

 まあ、後の事は――」


「ちょ!! まっ!! ま、ままま待ちなさいよちょっとッ!!

 ナニ考えてんのよこの道楽爺さん!!

 な、何であたしがこんな爆弾みたいなガキンチョ引き取んなきゃなんないワケ!?

 躾けるのは一匹で間に合ってるんだってば!!」


 なにやら誰かに対して失礼なコトを口走りながら、電光石火の早業で国王陛下の両肩に掴みかかるアル。

 ――クモ膜下出血でも狙っているのだろうか。

 少女はなにやら聞き取れない音の塊を口から吐き出しながら、老人の肩をガクガクと揺さぶって脳をシェイクしている。

 しかし、それでも全く堪えた様子が無いのだから国王陛下は流石だろうか。

 灼眼の老人は少女の猛攻を彼女が疲れて止まるまでそよ風の如く受け流すと、“ほほほ。それが、お前さん達の処分にも関わると言った理由なんじゃよ”となんとも穏やかな笑顔で続けた。

 肩で息をしている少女と呆然と立ち尽くす青年を見据えて、乱れた髭をスッと手櫛で梳く国王陛下。


「ま、とにかくじゃ。

 大魔導アルテミア・クラリス並びに特務教諭アサヒ シンヤ殿。

 只今をもって汝らを、銀の国国王ヘリアス・ノルマンド・フォン・プラティヘイムの名の下、“死の国の大魔導”に対する特使に任命する。

 職務は、まあ。彼女を監視し、そして我が国に役立つ人材へと“教育”する事。

 ほほほ、随分と簡単な任務じゃろ?」


 真面目な中にもどこかトボける様な表情でそう言ってから。

 ヘリアス王はフッと髭に覆われた口元を緩ませた。


「まあ幽閉とは言っても、一歩も外に出さんのでは教育に悪かろうからなぁ。

 ああ、なんじゃ? 危険が無い限りは、王都の中くらいなら自由に遊ばせても構わんぞ?

 ああ、言うまでも無い事じゃが、他の国民にはくれぐれも内密にな。

 あとは、そうじゃのぉ。“教育”の成果によっては、この国でのその子の地位についても考えねばならんが……まあ、それは追々かのぉ」


「だから、何であたしが……」


「ほうほう、そうか。不満か。

 いやいや、それは困った。

 ほんとうに困ったなぁ」


 未だにノリ気でない様子のアル。

 その様子を見るや否や、ヘリアス王はそんな事を呟きながら髭を引っ張り始めた。

 その仕草には、果たして彼女にだけ通じる何らかの意味が籠められていたのか。

 うっ、と。アルが、まるでヘビに睨まれたカエルの様に気圧される。


「あ~、ほら、アレじゃよ。

 今回の事件で、街の方にも大層な被害が出たじゃろ?

 賠償金は、まあ。大体500万フェオ(・・・・・・・)程になる見積りらしいんじゃが……お前さん、払えるのかえ?」


「…………」


 アルが、黙った。

 異世界人たる真也には“500万フェオ”という額をリアルにイメージする事は出来なかったのだが、どうやらこの世界出身な魔導研究所所長であるアルにはソレが随分と肌身に感じられる数字だったらしい。

 彼女の顔色は青くなったり赤くなったり色が消えたりと、面白いくらいにコロコロ変わっている(余談だが、500万フェオとは一般家庭が約200年暮らせる額である)。

 そんな彼女に向かって、ヘリアス王は追い打ちを掛ける様にニタリと笑った。


「いや~、500万フェオの損失とて、“死の国の大魔導”を手懐ける為の投資と思えば、まあそこまで高いモンでも無かったんじゃがのぉ。

 いやいや、そうか。やってくれんか。

 ……やれやれ。まさか、一流の魔導師(・・・・・・)だと思っておったお前さんが、王の勅命(・・・・)を断るとはのぉ。いやいや、困った。これはほんとうに困ったのぉ」


「…………の、性悪……爺……」


 アルは、蚊の鳴くような声でナニかを言った。

 キュッと噛み締められた唇と握りしめられた拳からは、なにやら彼女の激しい葛藤を感じる。

 だが、どうやらこの老人はその程度で揺らぐような玉では無かったらしい。

 国王陛下はニタニタと意地の悪い笑みを浮かべながら、プルプルと震える少女を赤い隻眼でニマニマと見ていた。



「…………よ」



 そして、とうとうその圧力に耐えられなくなったのか。

 少女は、やがて観念したかの様に息を吸い込んだ。



「あ~ッ!! もう!! わかったわよ!!

 やればいいんでしょ!? やれば!!

 上等じゃない!! 飼い犬が一匹二匹増えたトコでなんだっていうのよばかぁ!!」


 半ばヤケッパチになりながら叫ぶアル。

 それは、おそらく彼女にとって降参宣言と同じだったのだろう。

 そして、その言葉が意味するところを悟ったのか。

 黒髪八重歯な少女・プルートは、ニパッと眩しい笑顔でお下げを跳ねさせた。


「お姉ちゃん、ありがとうございますです~!!

 良かったです~。

 わたし、これでお兄ちゃんとずっといっしょに居られるです~」


 ガバッ、と。再度、まるで大好きなぬいぐるみでも抱え込むかの様な勢いで真也の腰に抱きつくプルート。

 そんな彼女の腰を、アルは反射神経のみでガッと掴みとった。

 “だ・か・ら・離れなさいアンタは~っ!!”などと言いながら、まるで“大きなかぶ(・・)”を引っこ抜くお爺さんの様にグイグイと引っ張っている。


 ――そして、突然。なんとその腕がスッポ抜けた。

 “わかりましたです~”と言ったプルートが、ヒョイと両手を離してしまったのだ。

 突如として対象からの反作用が消え、小さな悲鳴を上げながらバランスを崩して仰向けに倒れ込むアル。

 完全に後頭部を打った様に見えたのだが――まあ床は毛の長い赤絨毯に覆われていることだし、多分大事には至らないだろうからそれはあまり重要な事では無いだろう。


 要点は、2つ。

 アルによって引っこ抜かれたかぶ(・・)――もとい黒髪赤目な女の子・プルートが、アルのお腹の辺りにチョコンと乗ったまま、後頭部を押えて悶絶している彼女を“む~”っと見詰めていたという事と、

 そして、プルートはその小さな口元から可愛らしい八重歯なんかを覗かせつつ、ニマ~っという妖艶な笑みを浮かべていたという事である。

 ――これは、そう。アレである。

 真也がこの半日くらいでもう既に何度か見た、このちびっ子さんがなんらかのイタズラを思い付いた時に見せる小悪魔スマイル――!!


 サーッと血の気が引きつつある真也を華麗にスルーしつつ、ゴスロリワンピースな小悪魔・プルートは、両手を後頭部に回して無防備状態なアルの両腋に、気付かれないようにそ~っと手を伸ばした。

 そ~っと手を伸ばし、満面の笑みを浮かべたまま、その小さな両手をアルの腋の下から脇腹にかけて高速でコチョコチョと動かし始めた。しかも随分と手慣れた、傍目に見てもかなり凶悪な手つきで――。



 ――アルが、発狂した。



 自慢のとんがり帽子が落ちるのもローブの裾が捲れ返るのも厭わずに、否、気にする余裕すら無く、マタタビを吸ったネコの様にゴロゴロと床を転がりまくる“銀の国の大魔導さん”。その見事なまでの回転運動に、真也はワニが肉を食い千切る時のツイスト運動を連想した。

 アルは、“きゃははははは!! ちょ、や、あはははは!! や、やめ……!! し、シン!! とっ……!! コレっ、取――ひゃはははははは!!”と、聞いたことも無い様な奇声を発しながら悶え狂っている。

 そうしている間にも、獲物を捉えたワニの様だったその動きはやがて電気を流されたカエルの様なモノに変わり、終いには水揚げされた金魚の様なモノに変わり果ててしまっていた。

 そしてその間にも、プルートは暴れまわる獲物(アル)をまるでロデオの様に乗りこなし、“ムッフッフ~。お姉ちゃん、びんかん(・・・・)さんなんですね~”などと言いながら、見事なまでに急所(ツボ)を捉えたくすぐり攻撃を繰り出し続けている。

 ――放っておいてもいいが、後が怖そうである。

 そう判断した真也は、取り敢えずアルの懇願に応えて、黒髪八重歯な小悪魔の腰をヒョイッと持ち上げて引き離してあげることにした。


「はぁ……はぁ……」


 ……こっちは、慣れていなかったのだろう。

 アルはプルートを引き離した後も、暫く床に倒れ伏したままひぃひぃと小刻みに痙攣し、時折うらめしそ~な涙目で真也やプルートを交互に見ていた。

 ……今近づくと噛み付かれそうだったので、とりあえずプルートを床に降ろしつつ、明後日の方向を見ながら最近流行りの“笑いによる免疫力増加説”は果たして異世界人に対しても成り立つのか、などという点に関して考察してみたりする真也。

 そんな仲睦まじい(・・・・・)三人の様子を眺めながら。

 魔導王・ヘリアスだけが、まるで梟の様にほうほうと穏やかに笑っていたのだった――。

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