60. 二人の大魔導による医療行為及び銀の国が見舞われた敵国民からの大規模な侵略行為とそれに応じて行われた魔導研究所職員達による迎撃行為にて発生した損害に対する責を問う為のとある審問会に関する調査報告
この世界の夕暮れは早い。
冬が明けつつあるのか。近頃は気温の上昇と共に少しずつ日が伸びてきているのを実感している青年ではあったものの、それでもこの国に特有な文字盤が20まである時計の時針が15を示す頃には空が赤く染まる事を考慮すると、春の訪れはもう少しだけ先の話であると考えるのが妥当に思われた。
「……で」
そんなせっかちな夕月によってオレンジ色に照らされた、もうすっかり見慣れてしまったとある聖堂。
ほぼ毎週、恒例行事の如く訪れているその場所を溜息混じりに眺めながら、白衣の青年・朝日 真也は謎の呟きを漏らした。
中性的で、醜美の基準から言えば間違い無く端整な部類に入るであろう彼の顔立ちには、この上なくシンプルな疑問によって形作られた様に見える明快な疑問符だけが浮かんでいる。
「今度は何の集まりなんだ?」
真也は表情を変えずに問いを重ねた。
その表情には色が無く、声にはやはり抑揚が無い。
デフォルトの涼やかなポーカーフェイスのまま、彼は自らの隣で揺れる大きなとんがり帽子に目をやっている。
「だから、審問会でしょ?
ほら、さっきの“あれ”についてのさ」
「“あれ”?」
「うん」
とんがり帽子の下に隠れてしまいそうなくらい小柄な少女、アルテミア・クラリスはやはり淡々とそう返答した。
トレードマークの真紅の髪の下に覗く顔立ちには真也と同様に色が無く、観念とも諦めとも呆れともつかない表情で正面の高座を見詰めている。
その視線につられるように、真也もなんとなく目を前へと向けて、もう一度だけゆっくりと周囲を見回してみる事にした。
すっかり見慣れた光景だった。
彼らの周囲では、いつもの様にいかにも地位の有りそうな貴族たちが各々の役職を示すプレートを乗せた豪奢な装飾椅子にふんぞり返っており、ひな壇状に配置された自らの定位置から聖堂の中心に佇む彼らを見下ろしている。
――他にやるコトとか、無いのだろうか。
この国の統治体制について極些細な疑問が湧いたりもした真也ではあったが、いつもの様に法務大臣の肩書きを持つ髭の男が「静粛に!!」と厳粛な声を上げたので軽くため息を吐くだけでスルーする事にした。
口髭の男の鋭い眼光が、真っ直ぐに真也を、否、その隣に佇む真紅の少女だけを見据えている。
「汝は魔導研究所所長、アルテミア・クラリスで間違いが無いな?」
通過儀礼以上の意味を持たない問い。
真紅の少女は、当然の様に小さな頷きのみを返した。
「はい、間違いありません。私が魔導研究所所長――」
「返答は“はい”のみで良い。
――問いを繰り返す。
被告人。汝は魔導研究所所長、アルテミア・クラリスで間違いが無いな?」
「…………、はい」
一瞬だけ何かを言い掛けたようにも見えた少女は、直ぐに思い直したかの様に閉口した。
恐らくは、ここで食い下がっても時間の無駄だとでも判断したのだろう。
この程度の横暴さなら、流石に少女とてもう慣れつつある様だった。
そして、そのどこか諦めた様な態度を殊勝や無抵抗と取ったのか。
彼女に蔑む様な視線を投げ続けている大臣達は、ニヤケた顔で満足そうに頷き合っていた。
「よろしい。では、汝には起訴状の事実を確認の上、我ら審問会が定めた刑罰を負って貰うものとする。
異議申立てがあるのならば、今の内に申すがよい」
「あー、スンマセン……。
異議っていうか、先ず一つだけ質問があるんスけど……」
何も言わない少女に代わって、伺う様にして口を挟んだのは真也であった。
彼は辺りを見回して一呼吸置いてから、いつもの如く最後まで何事かを喚いていたカツラの大臣が静かになるのを待って、続ける。
「今度は、何でこんな事になってるんスか?」
「…………」
法務大臣は無言のままに真也を睨みつけ、次いでアルへとその顎を突きつけた。
これはそう、アレである。もうすっかりお馴染みとなった、この国のお偉いさんが誰かに説明を促す時の仕草である。
水を向けられたアルはまるで疲れた様に溜息を零し、やがて真也に先刻の出来事を思い返す様に告げた。
――話は少女が巨人を撃退した直後へと遡る。
某黒髪八重歯の女の子の素性を知った銀の国の守護魔と召喚主な二人は、暫しの間その脳容積の全てを事態の把握に使用しなくてはならなくなった。
具体的に述べると、赤い彼女は何やら聞き取れない音の塊を口から吐き出しながら白い彼の肩に掴みかかり、そして凄まじい剣幕で何事かを要求(先刻の大魔術のせいで威圧感は普段の3割増)。どうにかこうにかそれが事情の説明を求めているものだと悟った真也は、必死になって“知らない知らない”アピールをしながら首を振ったのだが、“知らないガキンチョならかっ攫うな!!”と癇癪を起こした少女に顎を打ち抜かれて昏倒した。この間、約4秒である。
そして脳震盪を起こした真也の体勢が崩れてゆく中、混乱冷めやらぬ様子の赤髪の大怪獣はその眼光を話の争点たる黒髪八重歯な女の子・プルートへと向けた。
この際、彼女達の間で交わされたやり取りは3つ。
「大魔導なの?」
「はいです~」
「……“死の国”の?」
「はいです~」
「…………じゃあ、さ。もしかして、召喚主?」
「はい、もちろんです~」
――少女が攻撃色を発した瞬間であった。
だが、まあ。きっと無理もなかったのだろう。
何しろ、生粋の魔導師たる彼女である。
おそらく詳しい事情を知らなかったこの時の彼女は、今現在目にしている街の惨状とこの黒髪八重歯な女の子の間に何らかの関連性を見出してしまったに違いない。
何やら一触即発の空気が漂い始めてしまったのを感じ取った真也は、このまま放っておいてもろくな事になりそうには思えなかったので、取り敢えず仲裁に入ろうかと地に這い蹲った姿勢のままアルのブーツの足首部分をキュッと掴んだ。
“何でソッチに味方するのよばかぁ!!”
……と、理不尽な奇声を発したアルが真也の顎を蹴り上げたのはその約0.5秒後の出来事である。
仰向けに蹴倒された真也は、衝撃が全身に蓄積したダメージと連鎖反応を引き起こした結果、プルートの足元に仰向けに倒れこむ形で今度こそ完全にその動きを停止した。
既に残り僅かだったHPが、今のクリティカルヒットで完全に刈り取られてしまった形である。一個中隊に匹敵する程の魔導兵達と大立ち回りを演じた青年は、黒髪八重歯が素性を明かしてから僅か20秒でK.Oされてしまった。
おそらくは、少女の一撃があまりにも綺麗に決まり過ぎたからだろう。
その先の記憶は曖昧で、端的に言えば真也はあまり良く覚えてはいない。
ただ、ピクリとも動かなくなった真也を見て漸く我に帰ったらしいアルが「へ? や、ウソでしょ!?」などと、今しがた自分がトドメを差した人間の傷の深さに気づいて青褪めていたような、或いはプルートと名乗った少女が「む~、やっぱりお姉ちゃんはキョーボーさんです。お兄ちゃん、かわいそうです~」などと言いながら寄り添って首筋あたりの傷をぺろぺろと舐め始めたような、もしくはソレを見て怒りが再燃した様子のアルが「ナニしてんのよそんなのバイ菌入っちゃうでしょ消毒ならこっち!!」とかなんとか言いながらナニやら物騒な詠唱なんかをしつつ「へ? お姉ちゃん、その泥水どうするですか?」などとプルートに問われていた様な気がしないでもないが、それは、まあ、あまり重要な事でも無いだろう。
思い出してもあまり幸せにはなれなさそうなので、少なくとも真也はそう信じることにしている。
要点は、一つ。
(泥)水で傷口を洗ったり膝枕をしつつワンピースの袖で顔に付いた泥を拭おうとしたり、或いは曲げちゃいけない方向に関節を曲げながら折れてもいない腕を添え木で固定しようとしたり、もしくは寝たくも無いのに唐突に耳元で子守唄を歌い出したりそうかと思えばどこからかかっぱらって来た山のような包帯でミイラ男の様にグルグル巻きにされたりと際限なく白熱していった二人の少女によるオママゴトの様な看護合戦であったのだが、それがあまりにも賑やかで目立ってしまった為か、住民の誘導を終えたらしい騎士団や魔術団の面々が集まってきてしまったという事である。
そして当たり前の様に、何故か先陣を切って現れた軍務と文部の二大臣。
彼らは、特に文部大臣・アスガルドは辺りの惨状や街の被害、そして雷神鉄鎚の一撃によってポッカリと穴を穿たれてしまった銀の国を象徴する防壁なんかを見つつ、貴族たる自分を無視しながら黒髪の幼女とキャットファイトを繰り広げているアルや看護を受けている真也に青筋を立てると、
「ま・た・貴様らかぁぁぁぁぁぁああああああああッッ!!!!!!」
……などと怒号一喝。
アルや真也に聞くに堪えない罵詈雑言の嵐を浴びせ掛けた後、特にアルを防壁破壊の罪によって審問会に掛ける事を決定したのであった。
―――――
さて。そんな経緯があって現在、彼らはいつもの様に大勢の大臣に取り囲まれながら審問を受けている。
そこまでの出来事を整理した後、真也は再度不思議そ~に首を傾げた。
「……まあ、確かそんな話だったよな。
で、結局それの何が問題だったんだ?
防壁の破壊とは言うが、あの時は緊急事態だったし、まあ仕方なかったと思うんだが……」
シャツの裾から手を入れ、すっかり瘡蓋が出来て塞がりつつある胸元の傷口をポリポリと掻きながら(役にも立たない包帯は既に外してある)、真也はゆるゆると辺りを見回した。
――そう。ここに至る経緯はある程度分かっているつもりだったのだが、真也にはこの状況が理解出来なかったのである。
だってこんなに大勢の大臣たちに囲まれていたら、自分達がまるで重罪人か何かみたいでは無いか。
少女は諦めた様に肩を竦めている。
そして、それを説明の終了と取ったのだろうか。
一呼吸置いた後、法務大臣は調書に目を通してからいつもの様に文部大臣・アスガルドへと起立を促した。アスガルドは意気揚々と立ち上がり、まるで演説でも始めるかの様に大音声を響かせる。
「皆さん、聞いて頂きたい!!
ここに居る魔導研究所所長、アルテミア・クラリスは、大魔導という王権を守護する為に尽力せねばならぬ立場にありながら、あろうことか神聖なる王都への敵国民の侵攻を黙認し、故意に被害が甚大になるように図ったのです!!」
「いや、だからいつもの事だけど言い方が……」
言い掛けた真也の言葉は、アスガルドの睨みと法務大臣の咳払いによって遮られた。
法務大臣はふむと頷く。
「――とのことだが。
アルテミア・クラリスよ。
今の説明に間違いは無いな?」
「いいえ、誤りがあります。
私は――」
「質問には“はい”のみで答えるように。
――問いを繰り返す。
魔導研究所所長、アルテミア・クラリス。
汝は大魔導でありながら魔導兵に襲われる市街に救援に向かわなかった。
この事実に間違いは無いな?」
「…………、はい」
僅かに言葉を詰まらせた少女は、しかし釈然としない表情を浮かべながらも頷いた。
言い方は少々アレではあるが、(故意かどうかは別として)魔導兵の討伐に間に合わなかったのは事実だからだろう。
胃の奥の方が痒くて痒くて仕方がないとでも言いたげにプルプルと震えていた少女ではあったが、魔導師としてのプライドからかウソを吐くことだけはしなかった。
法務大臣に促され、アスガルドは満足そうに続きを告げる。
「更にです!! この女は卑劣にも、敵国民が精霊級土魔法・怪傑巨兵を使用するまで故意に機会を伺い、敵が同魔術を使用した後、自らの権威を見せびらかす為だけに神聖なる王都内にて精霊級火炎魔法・雷神鉄鎚を使用!! 不必要にも王都のシンボルたる防壁までをも破壊し、街や周辺の民家へと甚大な損害を与えたのです!!
これらは、王権に対する十分な反逆行為であると言えましょう!!」
大げさなジェスチャーと訴え掛ける声。
いつも通りなアスガルドの論調を受けて、法務大臣は再度小さく頷いた。
「アルテミア・クラリスよ。
以上の罪状に間違いは無いな?」
「いいえ、間違っております。
法務大臣様!!
確かに私は、王都内にて雷神鉄鎚を使用致しました!!
しかしそれは――」
「返答は“はい”のみで良い。
――問いを繰り返す。
アルテミア・クラリスよ。汝は街中にて精霊級魔術を撃った。
この事実に間違いは無いな?」
「………………撃ちました」
「聞こえん!!
アルテミア・クラリスよ!! 返答は“はい”のみで良いと何度言えば分かる!!
――問いを繰り返す。
アルテミア・クラリス、汝は街中で精霊級魔術を撃ち防壁を破壊した。
この事実に間違いは無いな?」
「………………はい」
「聞こえん、もっと大きな声で言え!!
アルテミア・クラリス!! 汝は間違い無く精霊級魔術を撃った。撃ったのだ!!
そうだろう!? まさか撃っていない、などとは言うまいな!!」
「……はい」
「そして、王権の象徴にして壊れてはならない防壁を破壊した!!」
「…………はい」
「そう、それで良いのだ」
生真面目な少女の返答に、法務大臣は満足した様に頷く。
当の少女は項垂れたまま鍔の広い帽子の下へとその表情を隠し、そして口を噤んでいた。
法務大臣はしげしげと続ける。
「では、アルテミア・クラリスよ。
反論も無い様なので、汝は一時的に全ての地位と財を没収の後、然るべき特務機関に於いて3年の強制労働を負って貰うものとするが、良いな?」
「…………」
「返事は、どうした?」
「…………」
確かめる様な法務大臣の問い。
少女は、答えなかった。
俯き、細い肩を小刻みに震わせたまま、まるで涙を堪えるかの様に下唇を噛み締めている。
その様は、まるで親に怒られて許しを請う小さな子供の様にも見えた。
「…………」
……いや、少し違う。
そこまで観察したところで、青年は少女の周りで悍ましい量の魔力がグルグルと渦巻いているのを確認した。
より正確に述べるとすると、少女の右手の甲に光る魔法円を中心として魔力が収束と拡散を繰り返しており、左手は今にも頭上に挙がりそうなソレを全力になって押し留めている。どうやら、先程から観測されていた肩の震えはこの両手の鬩ぎ合いによって生み出されているものらしかった。
「ダメ。うん、絶対にダメ。今挙げたら、殺っちゃう。ゼッタイ殺っちゃう。うん、ダメ。あたしならできるから。後でバレない様にバラせるから。今は、ダメ。うん、後じゃないと」などと、ぶつぶつと呟いているのだが――大丈夫だろうか。
ナニをバラすつもりなのか非常に気にはなったが、やはり知らない方が幸せそうなので青年はスルーする事にした。
知らない方が幸せそうであるし――それに、どうやらもっと他に考えるべき事柄がありそうだからである。
「お待ち下さい」
法務大臣が判決を言い渡そうとしたのを見て、真也は静かに口を挟んだ。
審問会に存在する全ての視線が、一気に真也の白衣へと注がれる。
それらの視線を一手に引き受けながら、真也は小さく首を振った。
……いや、まあ。状況は未だに良く分かっていなかったりもするのだが、取り敢えずこの少女が罰せられるのは拙いのだ。守護魔たる真也は召喚主たる彼女無しでは存在できないのだから、彼女の待遇悪化は人事であるとはとても言えない。
真也は静かに続ける。
「随分と一方的に過ぎはしませんか?
この場は仮にも“審問会”なのですから、彼女にも弁明の機会くらい与えるのが筋であると考えますが」
「……それはならん、と、前回の審問会にて決定された筈だが?」
真也の声を受けたのは、小太りの軍務大臣であった。
軍務大臣は気難しそうに唸り、次いでアルへと節榑立った人差し指を伸ばした。
「その女は、曲がりなりにも銀の国の大魔導だ。
魔導師とは、“言霊”を用いて精霊へと呼び掛ける事によって、世界を改変する力を持つ者のことを指す。
不必要な発言を許せば、どの様な卑劣な手段で我々に報復しようとするか、分かったものではあるまい」
「それこそ無意味でしょう。
彼女がその気になれば、こんな聖堂など5秒と保たずに火の海だ。
彼女が本気で報復をするつもりだとして、貴方方にはそれを防ぐ手段があるとでも?」
朗々と語る真也。
軍務大臣は険しい表情で眉を潜め、そして小さく鼻白んだ。
「……その女が少しでも妙な真似をすれば、直ぐに騎士団が飛んでくる手筈になっている。
如何な賤民下民とて、まさか審問会の刑罰と一国の軍隊と戦う事のリスクを天秤に掛けられぬ程に愚かでも無いだろう。
我々が警戒しているのは直接的な魔術攻撃では無く、間接的な手段によって会の進行を妨害される事だ」
「なるほど。つまり弁明自体が禁止されているのでは無く、あくまでも彼女が口を開く事のみが問題だと仰るのですね?
了解しました。
それでは、私が彼女に代わって弁明いたしましょう」
「…………」
軍務大臣は、苦虫を噛み潰した様な表情で唸った。
それを好機と取ったのか、真也は冷ややかな冷笑を浮かべながら審問会に連なる貴族達を一瞥する。
現在では、某酒好きホームレスな国王様や普段の行いのお陰で一部から“悪魔”と讃えられている彼である。
彼の視線を受けた貴族達は、半数以上がピクリとたじろいでいた。
「そもそもです。救援に駆けつけなかったとは言いますが、それでは魔導兵が侵攻している最中、貴方方が率いる騎士団や魔術団は何をなさっていたのですか?
生憎と、街中で姿を見る機会はありませんでしたが。
――それだけじゃ無い。地の国からの襲撃があった際の鐘楼は? 門の施錠は? 連中の侵入経路はどうなっていたのですか?
貴方方の仕事には、何一つまともに機能したものが無い!!
曲がりなりにもたった独りで怪傑巨兵の下にやってきた彼女に比べて、今回の事件に於けるこの街の警備には杜撰の一言だ!!」
芝居掛かった口調で声を荒げつつ、真也は左手を大きく掲げ、そして振り下ろした。
審問会場の中心に置かれた証言台に勢い良く手の平が打ち付けられ、バンッと大きな音が貴族達のざわめきを切り裂く。
そして真也はゆっくりとその左手を前に突き出すと、人差し指を伸ばして会場の貴族達を一人一人指し示しながら、続けた。
「今回この国に発生した被害の原因が彼女だって?
冗談じゃない!! 寧ろ、彼女はこの場の誰よりも王権の守護に貢献している!!
私には、貴方方のその怠慢な態度こそが、今回の事件を大きくした最も重大な原因であると――」
わざとらしいくらい熱の入った声で、畳み掛ける様に言う真也。
それは、普段の講義の10倍以上も感情の籠められた声だっただろう。
だが、しかし。彼はそこまで言ったところで唐突に言葉を切って、そして疑問符を浮かべた。
――自らの右肩に、何か違和感を覚えたのである。
見ると、話の争点となっている某赤髪の魔導師な彼女が左手を置き、チョンチョンと静かに青年の肩を叩いて注意を引いているところであった。
“感心でも、してくれたのだろうか?”
疑問符を強める青年に、少女は――、
「……ねえ、シン」
「ん?」
「……あんた、何でそんなに余裕でいられるの?」
「は?」
何やら心底呆れた様に言うので、気になった真也はゆるゆると辺りを見回してみた。
真也を取り巻く貴族達は、何故か黙りこくったままピクリとも動かずにこちらを見ている。ただそれは、真也の演説に気圧されたというよりは、どこか失笑感の否めない様な嫌なジメジメ感を孕んだ視線であった。
「…………」
妙な気配を感じたので、なんとなく視線を文部大臣・アスガルドの方に移してみる。
――薬でも、切れたのだろうか。
アスガルドは深海魚の様に血走った眼球を落ちそうなくらいひん剥いて、そして引きつけでも起こしたかの様に全身をガクガクと痙攣させていた。なんか、まるで喉元までせり上がって来ている計り知れないナニかを必死で押し留めているかの様な表情であった。
状況が理解出来ない真也が首を傾げていると、小太りの軍務大臣が頬の筋肉を引き攣らせながら口を開いた。
「……倒壊させた建物、48棟。相当数の大通りの大幅な損壊。
放火7件、強盗押し入り18件、不死鳥の羽根ペンの無断使用による王都の景観の著しい破壊に帝霊級相当の火炎魔法行使。
アルテミアの精霊級魔術に匹敵する程に甚大な被害の報告が上がっているのだが……何かの間違いだろうな?」
「…………、不可抗力です」
「……通るワケ無いでしょ、バカ」
明後日の方向に目を逸らす青年に、少女は深く溜息を零した。
“何で毎度毎度、味方の被害の方が大きいのよ……”などと、少女は呆れとも詰りとも感心ともつかない様な妙な独り言を漏らしていたりする。
だが、まあ。精霊級魔術の件に関しては少女も過去にナニか後ろ暗い事でも抱えているらしく、こっちも気まずそ~にソッポを向きながら頬を掻いていた(彼女が王都内にて精霊級の詠唱を行ったのが今月既に2度目であるという事実を知る者は居ない)。
そして、そんな彼らの態度に今度こそは勝利を確信でもしたのか。
文部大臣・アスガルドは、まるで気が振れたかの様に笑い声を上げた。
「お分かり頂けたでしょう!!
此奴らは、最早弁明する事もままならぬ程の重罪人なのです!!
――いいや、それだけでは無い!!
以上の罪だけでも許しがたい罪業だというのに、この度の此奴らには更なる余罪がある!!」
“ガハハハハハ!! ひゃははははは!!”と、耳障りな奇声を発するアスガルド。
カツラの文部大臣は脂の乗ったニヤケ顔をテカらせると、まるで鬼の首でも取ったかの様なテンションのまま、審問会場の中心に佇む三人目の人影に向けてその人差し指を突き立てた。
「此奴らは彼の呪われた死霊国家・“死の国”の大魔導を神聖なる王都に招き入れる手引きをした!!
ご覧下さい!! この悍ましい風貌の小娘こそが、この世界で最も忌むべき悪鬼どもの一員なのです!!」
アスガルドの大音声を受けて、銀の国の二人から一歩下がった位置で大人しく待っていた黒髪の少女・プルートはぴくんとそのお下げ髪を跳ねさせた。
難しい言葉が多かったせいでアスガルドの言は分からなかったかもしれないが、おそらく子供の本能として大人から向けられる敵意の様なモノだけは感じ取ったのだろう。
プルートはむ~っと不安気な声を上げながら、隠れる様に真也の腰元へと顔を埋めた。
“敵国民”の縋るような声を聞いた貴族達から、ドッと嘲笑が巻き起こる。
「聞きましたかな? “アレ”はこの期に及んで、まだあの悪魔に縋るつもりのようですぞ?」
「ハハハ、なぁに。
あの悪魔とて、今度という今度こそは言い逃れなど出来ぬでしょう。
よりにもよって死の国の人間モドキを神聖なる王都の中に招き入れるとは、いやいや何と恐ろしくも汚らわしい事を考えるのやら……」
「皆さん、知っていましたかな?
“黒の凍土”では穀物が取れず、住人は毒龍の死骸を食って生き伸びておるそうですぞ?
子供とはいえ、“アレ”も中身は腐りかけの生き死体なのでしょう!!」
聖堂に満たされる罵声と嘲笑。プルートに向けられる視線には、ただ蛆を見る様な蔑みと嫌悪感のみが籠められている。中には到底子供には聞かせられない様な、聞くに堪えない侮辱の言葉を投げかける者もあった。
――背後にあるプルートの感触は、動かない。
恐らくは自分に投げられている罵声の半分も、否、それどころか何故自分が罵倒されているのかも完全には理解しきれていないであろう年齢の少女は、怯える様に真也の白衣に縋り付いたままじっと耐えている。
ただ真也は、その小さな身体が確かに震えているのを感じ取っていた。
「……穏やかじゃないな」
先刻の芝居掛かった物とは違う、掛け値なしに冷ややかな声で真也は言う。
言いながら、真也はそっとプルートの背中に手を回し、抱き上げた。
少し力を込めれば壊れてしまいそうなくらい小さな、しかし確かに震えている背に手を置いて、安心させる様にポンと叩く。
そして、明らかな嫌悪と敵意の籠った視線で周囲を取り巻く貴族達を睨みつけた。
「貴方方が、どれだけ敵国を憎んでいるのかは知らない。
だがそれは、こんな小さな子供にまで向けなくちゃならない感情じゃ無いはずだ。
我々が戦うべきはこの子では無く、この子を召喚主なんて役目に仕立て上げ、あろうことか我が国へと送り出した“死の国”であるべきだ!!」
「ほう? では、どうすると言うのだ?
仮にも“大魔導”を名乗っている以上、金輪際その悪鬼に自由など許せん。
死の国の狗が辿る末路など、この国では奴隷か家畜の他に無いのだ!!
まさか、貴様が飼うとでも言い出すつもりか!?
万一その猛獣が暴れた際に発生する損害に対して、貴様はどう責任を取るつもりなのだ!!」
「…………」
アスガルドの返答に、真也は言葉を詰まらせた。
この国に於ける他国民への対処などは、異世界人たる真也の関知するところでは無かったからである。
無論、自ら大魔導であり召喚主であると名乗り、同時にあの怪傑巨兵をのべ1分近くも足止めしたという事実がある以上、この少女をみすみす釈放するなどという選択肢があろう筈も無いという事も理解は出来ていた。
朝日 真也はあくまでも物理学者であり、殆ど捕虜に近いこの少女の扱いを決定するなどというのは、真也では無くあちら側の領分の話なのである。
「わかりましたです~」
――不意に。
真也が困り顔でナニかを思案していると、腕の中の少女はそんな声を発した。
怯えたり落ち込んだりくらいはしているかもしれない、などと真也は思っていたが、どうやらそんな事は無かったらしく、少女の声は極々いつも通りの間延びした物である。
黒髪八重歯な少女・プルートは、何やら甘えるように真也に頬擦りを続けていたかと思うと、やがて真也の頬にその小さな唇を押し当てた。
チュッ、という可愛らしい音が響く。
そして困惑している周囲の反応をよそに、少女は両腕を真也の後ろ首に回してコアラの様な姿勢になると、ニパッと笑いながら上目遣いに真也の瞳を覗き込んだ。
「お兄ちゃん、お嫁さんにしてください。
それで、全部解決なんです~」
「…………」
――瞬間、真也の思考が確実に一周した。
“わかりましたです~”とは、果たしてナニが分かったというのか。
何がどう解決するのか全く理解出来ない真也ではあったものの、少女が至近距離に顔を近づけつつナニかを言い始めた為に、取り敢えずはそっちに意識を集中する事にした。
少女は無邪気な笑みで続ける。
「えーと。わたしがどこのお家の子にもなれないからダメ……なんですよね?
じゃあ、わたしがお兄ちゃんの“お嫁さん”になっちゃえばいいんです~。
そうすれば、わたしはお兄ちゃんのお家の子になりますから、全部大丈夫になるんです~」
「? ああ、そういうことか」
――なるほど、と真也は目を丸くした。
確かに、一理あるかもしれない。
要するにこの国から出せないこの少女の処遇に関する問題とは、最終的には“この国に於ける彼女の戸籍をどこに入れるのか”という一点に終始するワケだ。
詰まるところ受取り手が居ないから“奴隷”や“家畜”などという物騒な場所に入れるしか無い、という話なのであって、逆に言えば、形式上でも取り敢えずどこかに入れてしまえば、少なくとも地位の問題だけは解決してしまうワケである。
真也は、感心した様にフムと頷いた。
「なるほどな、それなら……」
「そんなワケ無いでしょバカじゃないのあんたぁぁぁああ!!!!」
――電光石火。
一連のやり取りを黙って見ていた真紅の少女から、そんな形容が相応しい蹴りが放たれた。
一応プルートに配慮してはいたのか。それは脚を狙ったローキックではあったものの、完璧に腰の入った少女の一撃は筋肉によるガードの無い真也の膝の内側を見事に打ち抜き、結果真也は盛大にバランスを崩して前につんのめった。
真也の身体が大きく傾き、抱っこしているプルートを下敷きにしそうになる。
ソレが拙いと判断した真也は、自身の体勢や両脚の腱が訴えるヤバい痛みを華麗に無視しながら、咄嗟に両手を使ってプルートを頭上に大きく掲げた。
結果、反射的に加減を間違えた腕の力に前方へ移動する身体のベクトルもプラスされて、勢い余って45度上方という理想的な角度で空中に射出されるプルート。
――ボスッ、という、鈍い衝突音が聞こえた。
頭をぶつけたワケでは無いだろう。真也が聞いたのは頭蓋骨が硬いナニカに当たる様な“ゴツッ”という衝突音では無く、もっと柔らかい、肉布団にでもぶつかった様な、あくまでも“ボスッ”という穏やかな衝突音だったからだ。
……何故か周囲が無言になっているのが非常に気にはなったが、確かめないわけにもいかないので、真也は今しがた自分が投げてしまった少女の安否を確認するべく起き上がり、恐る恐るといった様子で前方へと視線を移してみる事にした。
「…………」
――前方では、ちびっ子がナニかを抱え込む様な姿勢で宙に浮いていた。
後ろ姿だけでも一目で分かる程に目立つゴスロリワンピースな女の子は、真也によって射出された姿勢そのままに、咄嗟に進路上に存在していたナニかにピトリとしがみついたらしい。
進路上に存在していたナニかの首を正面から両脚でロックし、その頭部をクッションかナニかを抱え込む様に掴みながら、うさぎの耳を思わせる黒いお下げ髪をピョコピョコと跳ねさせている。
衝撃で落ちたのか、直ぐ側に“文部大臣”のプレートが落ちていたりもするのだが……それは、まあ。今はあまり重要なコトでも無いだろう。
何故ならもっと重要な事実として、“ナニか”の顔にしがみつくプルートの右手は、当たり前の様に“ナニか”の頭頂部に置かれていたのだから――。
――分かる。
――見なくても、分かる。
――アレは、そう。アレである。
プルートと名乗った少女の右手は今、間違い無く、あのカツラの大臣のカツラを鷲掴みにしている――。
「ちびっ子、よく聞いてくれ!!」
凍り付いた場を打ち破るかの様に、真也が声を張った。
アスガルドの頭部を抱えたまま、ぴくんと肩を跳ねさせて振り向いたプルート。
真也は、
「いいか、今からオレが言う事を、落ち着いて聞いてくれ。
落ち着いて、静かに、ソレを離すんだ」
爆弾処理班を思わせる慎重さで指示を出す真也。
プルートはお利行さんにも“はいです~”という素直な返事を返してくれた。
どうやら、ちゃんと言うことは聞いてくれるいい子らしい。
構ってくれた事が嬉しかったのか、プルートは満面の笑みを浮かべたまま頷くと、落ち着いて、静かに、大臣の頭に乗っている毛を頭頂部から引き離した。
「…………」
……なるほど、言い方が拙かったようだ。
どうやら彼女は、“ソレ”を手では無く毛のコトであると解釈したらしい。
完全に凍り付いていた一同をよそに、プルートはスキンヘッドというものが珍しかったのか、無邪気にもアスガルドの頭を空いた左手でペチペチと叩いたり擦ったりと好き勝手なコトをしている。
「オジちゃん“黒の凍土”よりもずっとフモウです~。
死体どころか草一本生えてないとか、ぶっちゃけ信じられないです~」
……邪気の欠片も感じられない少女の声が、矢鱈と良く耳に残った。
「ゴァァァァァアアアアアアアアア!!!!」
瞬間、アスガルドが修羅へと変貌した。
顔に引っ付いているプルートを片手で引剥し、糞を投げるゴリラの様な豪快さで真也に向けて全力投球を決める。
再びキャッキャと笑いながら飛来する黒髪八重歯。
真也はそのあまりの速度に半歩ほどよろめきながらも、ラグビー選手の如き捕球テクニックを見せつけてなんとかソレを捕獲した。
凄まじい形相で睨みつけながら、椅子という名の次弾を放とうとしているアスガルド。
周囲の大臣たちに押さえつけられながらも全く怯まないその剣幕に少々気圧されながらも、真也は大慌てでプルートを床に下ろして捕球姿勢を取った。
そんな彼の肩に、ガッと掴み掛る人物が一人居た。アルである。
「ち、ちょちょちょ、ちょっとシン!! なんとかしなさいよ!!
あんたのせいでこんなコトになっちゃったんでしょ!?」
「待て!! オレの責任だっていうのか!?
君が蹴るから手が滑ったんだんだろう!!
寧ろ責任の大半は君にあるとするのが妥当な解釈に思われる!!」
てんやわんやと声を張る天才二人。
そして、おそらくはソレが合図だったのだろう。
――地獄が、具現する。
「ソッチじゃ無い!! ナニよ“ソレから手を離せ”って!!
アレはまだ子供なんだから、ちゃんと“カツラから手を離せ”って言ってあげなきゃ分からないに決まってるじゃない!!」
「そうとも限らないだろう!! 大体、忘れたのか!? 君は前に、あの大臣のカツラは黙って気づかないふりをしてやるのが優しさだと言ったんだぞ!?
そんなあからさまな固有名詞を使って暴露したら台なしじゃないか!!」
「そ、そんなの自分で考えなさいよ!!
カツラって言えないなら、“被り物”とか“ニセモノ”とかいくらでも婉曲表現があるじゃない!!」
「ヅラはヅラだろ!!
あんな立派なヅラを見た後で、そんな都合の良い表現を都合良く思いつけるか!!」
「ギィイイヤャァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!」
「あ、アスガルド文部大臣!! 落ち着いて!!
そんな風に変身なさっては、また血圧が――キャァァァァッ!!!! ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ!!
お願いですからどうかその顔でこっちを見ないでぇぇぇ!!」
「ヅラヅラ言うなばかぁ!!
大体ねぇ!! あんたがあのちびっ子を連れ回さなきゃ、最初からこんなコトにはならなかったのよ!!
ほら、誰がどうみたってあんたのせいじゃない!!
ナニ!? 優しい優しい“お兄ちゃん”は、この期に及んでまだ言い訳ばっか捏ねるわけ!?」
「どうしてもオレのせいにしたいみたいだな、君は!!
でも忘れたのか!? あのちびっ子がこの街に来たのは、そもそも君に会う為だろう!!
忙しい君に代わって子守りしてやってたんだから!! 君は寧ろオレに感謝するのが筋だ!!」
「さっきはノリノリで結婚とか変なコトばっか言ってたくせに、今更ナニ言ってるのよ!!
いくらなんだって、ただ子守りしてただけであんなデレッデレになるワケがないでしょうが!!
あんな子供相手にナニしたのよこの変質者ーっ!!」
「言い掛かりも甚だしいだろ!!
オレは4番街の“ソール”とかいうレストランで昼飯食って街歩ってただけだよ!!
1日中あの化け物どもに追い回されてたってのに、いつ子供のご機嫌取りなんかする暇が――」
「はぁ!? ナニ考えてんのよあんた!!
4番街のソールっていったら、“味は一味、値段は一桁違う”で有名なボッタクリレストランじゃない!!
あんた、ウチの家計がどんな事になってるか忘れたワケ!?」
「知らなかったんだから仕方無いだろう!?
大体、金ならギルのオヤッさんからたんまり貰えてるからもう大丈夫だ!!
それに発明品の売上を含めたら、今ウチの家計を支えてるのは君よりも寧ろオレの方だろうが!!」
「どぉいう神経してんのよあんたはぁぁぁあああ!!
あたしの!! 稼ぎが!! 少ないのは!!!!
あんんんたのせぃで減給くらいまくッてるからでしょうがッッ!!!!
大体ねぇ。ソレを言い出したら、あたしはあんたの上司なの。
分かる? あんた、あたしの下っ端。犬。雑用係!!
あたしから給料貰ってる分際でなぁに偉そうに――」
「はっ!! 何を言い出すかと思えば。
オレがいつ君から給料を貰ったって言うんだ?
オレの給料は、向こう15年分近くをあの爺さんに差し押さえられているじゃないか。
特務教諭として給料を貰った記憶なんか、オレの頭には1回分たりとも存在していない!!」
「ナニしょうもないコトで自慢気に胸張ってんのよこの甲斐性無しっ!!
というか、あんたはさっきっからナニをそんなにムキになってるワケ!?
――へ? ま、まさかマジでソッチの趣味だったの!?
信じられない!! 変態だ変態だって思ってたけど、まさか幼女趣味のド変態だったなんて思わなかったわ!!
この変人!! 変態!! 常識知らず~っ!!」
「別種の生命体相手に趣味もナニもあるか!!
大体!! ムキになってるのは君の方だろうっ!!!!
アレか!? やっぱ小さな子供を見ると腹鳴らすって噂は本当だったのか!?
正直に言ってみろ!! 今まで何人食ってきた!!」
「な、なんですって~~っ!!??」
「ぬ――――!? そ、そこな幼女よ!! アスガルド文部大臣のヅ――“被り物”を何故にその様にヒラヒラと振っておるのだ!?
やめろ!! やめるのだ!! そんな風に刺激しては、アスガルド文部大臣が――」
「ブゥゥゥルルルルラァァァァァアアアアッッッ!!!!」
「あああああああ!! あ、アスガルド文部大臣が飛んだ!!
被り物に向かって、まるで猛牛の様な速度で突進を始めた!!
――って、ナニ!? そ、ソレを躱すか!? 幼女よっ!!
こ、こここ、コレは!! コレこそは!! まさか古の故事に曰く闘牛術――」
「そこ!! ブーブーうるさい!! 燃えろ!!」
「ビベブァァァァアアアア!? ご…ぼぉ……」
「あ、アスガルド文部大臣ーーーーっ!!!!」
「大体レストランってナニよ!!
あ、あんた!! 今まで1回でもあたしを外食に誘ったコトなんかあった!?」
「どの口で言うんだ!! 君みたいな大怪獣を誘ったら、店の方が逃げてくじゃないか!!
大体な!! 君こそオレの上司だっていうんなら!! 1回くらい部下に飯奢るくらいの度量を見せてみろっていうんだ!!」
「な――っ!!
や、屋根貸して貰ってる野良犬のクセに、家主にご飯まで要求するなんて、あんた何様なワケ!?」
「誰が野良犬だ!! 誰が!!」
「犬じゃないの!! ちょっと目を離すといつもキャンキャン吠えて咬みついちゃってさ!!
そのくせ女と見るや、年増でも子供でも誰彼構わずホイホイ尻尾振っちゃうんだから!!
あ~、やだやだ。魔術が効いたら、去勢の1回や2回は平気でしてるところだわ」
「一方的に拉致しやがったクセになんつー言い草だッ!!
大体な!! オレがどこで誰と何をしていようが!! それは一切合切!! 全くもってオレの勝手だろうが!!!!
君に迷惑を掛けた覚えは何一つ無いッ!!」
「現在進行形で朝から晩まで迷惑掛かりっぱなしだって言ってるのよッ!!
だ、大体、あんたが紛らわしいコトばっかしてるせいでね!!
あたしが今日研究所の見習い魔術師達からなんて言われたか知ってる!?」
「知らないなあ!! てかオレが知る訳が無いだろぉが!!
知りたくも無いが、是非とも分かりやすく説明してほしいものだ!!」
「いぃわよっ!! じゃあ説明してやろうじゃないの!!
例の調合学閥の三人組が噂してたんだけどねぇ!!
あたしとあんたが――!!
――――、…………」
「ほう? オレと、君が?」
「…………、い」
「い?」
「言えるかばかぁぁああ!!」
「? って待て待て待て待て!! どうして君はそこで拳を――ブゥ!?」
――一回転と一捻り。
アルの見事なクロスアッパーによって顎を打ち抜かれた白衣の青年は、まるでミサイルの様に回転しながら床に倒れ伏している猛牛、もとい文部大臣・アスガルドの鳩尾へと突っ込んだ。
狼霊級火炎魔法の直撃を受けて尚動きを止めず、生まれたての子鹿の様に起き上がろうとしていた不死身の文部大臣は、しかし余程いい場所に入ったのか朝日 真也という白い弾丸を受けて今度こそパッタリと動かなくなった。
その様子をどう見ていたのか。
文部大臣の前で黒いマントをパタパタと振っていたちびっ子マタドールは、む~っと唸りながらダメージの色が濃い真也の上体を抱き起こし、そして正座をして自分の膝に真也の頭を乗せた。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんをいじめちゃダメです~。
もう。お姉ちゃん、ほんとうにらんぼーさんなんですから……」
“大丈夫です、わたしが守ってあげますです~”などと、すっかりアルを悪者扱いしつつ真也の介抱を始めたプルート。
それは怪我人への対応としては、確かにヒトとして必ずしも間違った事をしているワケでは無いのかもしれないが……。
真也としてはアルの殺気が一分一秒毎に高まって来ているのが気が気では無く、柔らかい筈の彼女の膝枕が何故か針の筵の様にしか感じられなかった。
起き上がろうとする度に“ダメです~。おとなしくしてて下さいです~”などと額に手を置かれるので、真也としては無理に起き上がる事も気が引け――。
即ち、刻一刻と自分の命の蝋燭が磨り減っていく感覚に油汗を流すしか無かったのであった。
状況は既に緊迫している。
我に返った法務大臣が飛ばした指示に従って軍務大臣の合図でマッチョな騎士団の面々が聖堂に流れ込んできたりもしてはいるのだが、今の真也にとって真の脅威はそちらでは無かった。
――何しろ、あの怪傑巨兵を一撃で吹っ飛ばした大怪獣さんがご立腹なのである。
もしも真也があまり感情を面に出さない性質の人物で無かったとしたら、きっと今頃泣きながら神や仏に慈悲を願っていたに違いない。
そして、果たしてその祈りが通じたのだろうか。
「ほほほ、大丈夫かえ?」
――聞き覚えのある老人の声が、ざわめく審問会の場を沈黙させた。
それは、酒で焼いた様な嗄れ声であった。
飄々とし、まるで浮浪雲の様に掴み所の無い、そしてそれ故に余裕を醸す声。
毎度の事ながら、一体どこから侵入したというのか。
血の様に赤い隻眼を持ち、しかし何故か好々爺めいて見えるという不思議な雰囲気を醸す老人、魔導王・ヘリアスは、いつの間にか、まるで影の様に審問会場の中心で仰向けに倒れている真也の顔を見下ろしていた。
――国王陛下の登場と、発言。
名のある貴族達が参列するこの場に於いて、それは確かに場を沈静化させるに十分に足るだけの威光を伴っていたのであろうが、しかし実を言うと、彼らが沈黙した真の理由はそこでは無かった。いや、まあ。小太りの軍務大臣などの一部の貴族達は間違い無く国王陛下を敬って沈黙を作ったのだろうが、少なくとも真也やアル、そして雛壇の前列の方に座る貴族達にとっては、そんなモノなんかよりもっと直接的で、かつ強力な、鎮静剤めいた凶悪な“ソレ”が発動してしまっていたのである。
――酒臭い。
三週間程前の湯浴みで威厳を保った筈の銀髪銀髭の国王陛下・ヘリアスは、何の冗談なのか、今再び真也が出会った当初のイエティの様なホームレス同然の風貌に成り下がり、その片手には飲みかけのワインボトルを持ってボトルごとグビグビとやっていやがったのである。
――風呂など、きっと3週間前のアレ以来入っていなかったのだろう。
そう解釈するのが妥当に思えてしまうほどに、ヘリアス王の体臭は、今となってはそれこそもうこの世のものとは思えない様な、ある種別次元の酒臭さへと昇華されてしまっていたのであった。
後列に並ぶ貴族達は兎も角として、爆心地の近くに居る真也やアル、そしてその他の貴族達は発言すら、否、呼吸すらままならずに、顔をヒクヒクと痙攣させながら黙ることしか出来なかったのだ。
ヘリアス王はとぼけた様に、
「おやぁ? お前さん達、今日はどうかしたのかえ?
久方ぶりに帰ってきたと思ったら、そのヒクヒクは近頃の流行なのかえなぁ?」
「「「「…………」」」」
――どうかしてるのはあんたの体臭だ。
ここで初めて皆の意見が一致したが、口を開く余裕がある者が少なかった為かそれが判明する事は無かった。
そして、静かにアイコンタクトを交わす銀の国の学者と魔女。
(暫く、姿を見ないと思っていたが……)
(また、浮浪ってたんだ……)
呆れ顔で頭を抱える二人の若者。
そんな二人の様子から、果たして何を感じ取ったのか。
ヘリアス王はフクロウの様にほうほうと頷き、そしてほほほと笑いながら本題に入った。
「いやぁ。まずは、突然帰って来た事を侘びねばならんようじゃのぉ。
いやいや、本当は、今日は帰る予定も無かったんじゃが……。
一晩入り浸ろうと思っておった酒場が、何故か燃えてしまっておってなぁ。
興も削がれてしまったし、仕方なく燃え残りの酒だけ貰って帰って来た次第じゃ。
全く。一体どこの誰が、あんな酷い行いをしよったのやら……」
そこまで言ったヘリアスは、一度だけ明らかに真也の顔を見た。
しかし当の真也は、老人の体臭から逃れる為にソッポを向いて顔を白衣の袖で覆っていた為に意味を成さなかった。
一呼吸置き、そして灼眼の老人は静かな声色で続きを告げる。
「まあ、その辺りの処分も追々せねばならんじゃろうが……しかしなぁ、今だけは、どうかこの会をお開きにしてはくれんかえ?
あ~、物事は一つずつ片付けるのが肝要じゃからなぁ。
どうやら、わしらは若者の悪戯よりも先に扱わねばならん問題を抱えておるらしい」
――ハッキリと。
屈託無く笑う“敵国民”の姿を見据えながら――。